学位論文要旨



No 112560
著者(漢字) 林,雲聰
著者(英字)
著者(カナ) ラム,ワンチュン
標題(和) 水中機器の誘導及びホーミングシステムの研究
標題(洋) Development of Targeting and Homing System for Underwater Vehicles
報告番号 112560
報告番号 甲12560
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3838号
研究科 工学系研究科
専攻 船舶海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浦,環
 東京大学 教授 小山,健夫
 東京大学 教授 前田,久明
 東京大学 助教授 大和,裕幸
 東京大学 助教授 鈴木,英之
内容要旨

 海は人間にとっては最後のフロンティアだといわれる。しかし、高水圧、暗黒、電波を伝えないことなどの原因で人間による探索には限界がある。そこで、有索潜水機(ROV:Remotely Operated Vehicle)や海中ロボット(AUV:Autonomous Underwater Vehicle)を含む水中機器の活躍が期待される。人間の代わりに未知な動作環境において、自由に行動し未知のターゲットを探して接近して調査する海中ロボットの構築が、本研究の目的である。

 このような水中機器に、必要となる機能として以下の3点が挙げられる。

 1、センシングの難しさや、外部環境把握が困難であることから、限られた情報からターゲットを確実にキャッチするための行動プラン。

 2、ホーミングを達成するための3次元的な運動制御システム。

 3、ターゲットを認識し、その位置情報を得るための信号処理システム。

 水中では音響以外の有効なセンシング手法が乏しいから、我々はターゲットは水中音源であることを仮定し研究を展開する。従来の水中機器に使用される位置測定装置は、予め設置された特定の音源しか測定せず、高価かつ静かな環境を要することから、必ずしも移動水中機器に適するとはいえない。さらに、高度な音響信号処理や高精度なトラッキング制御の実現には、依然として多くの課題が残されている。

 本研究では、まず誘導及びホーミングのための行動プランを提案する。次に、高精度な3次元な運動制御システム、及びターゲットからの音波の位相を観察することによってターゲットの位置を測定できる信号処理システムを提案する。さらに、シミュレーションを含む理論的検討をもとに、我々は東京大学で開発されてきた汎用水中ロボットTwin-Burgerを用いてホーミング・ミッションを実際に行い、提案したシステムの有効性を実証した。

 まず第1に、行動プランについての説明を行う、図1に示すように水中ロボットにハイドロホンを設置した。

図1:ハイドロホンの設置

 このような設置をすることによって、海中ロボットが音源に真正面に向かう時、音源から2つのハイドロホンに到達する音の伝達距離差は最大となる。しかし、音の波長がハイドロホン間の距離より短い場合、単なる位相差の情報のみからでは、この伝達距離がわからない。そこで本研究では、一定の時間間隔でハイドロホン1及び2に到達する音をサンプルし、位相差の変化に着目する。ある時間で得られた位相差を、時間tの後に得られた位相差と比較することによって、位相差が増加する場合ロはボットが音源に回転しており、減少する場合はロボットが音源から離れる方向に回転していると判断できる。従って、位相差の時間差分がプラスの場合、現在のヨー方向のままで前進し、マイナスの場合、現在のヨー方向を逆転して前進するような行動プランを策定した。このプランを用いたシミュレーションでは、図2に示すように、ロボットのターゲットへのホーミングが可能となる。

図2:ホーミングの軌道

 次に運動制御システムに関しては、筆者が提案するPassive Switch Actionコントローラ(PSA Controller)及びモデル規範形適応制御コントローラ(MRAC)から構成する冗長混成制御システムを利用することによって、高精度なトラッキング制御が可能となる。PSAコントローラはスライディング制御をもとに開発したコントローラであり、スライディング制御に比べて、プラントの動特性モデルを必要としないことや、チャタリングが抑制できることなどの特徴を有する。

 一方、一定なパターンで変化する制御目標に対しては、適応制御コントローラ(MRAC)は、適応が完了すると、なめらかなインプットで高精度なトラッキング制御が可能となる。しかし、ロバスト性の低さから実用には支障となる。本研究では、スイッチ適応則を導入することによってMRACの安定性を高める。

 冗長混成制御システムは、1つのPSAコントローラ及び1つの適応コントローラを並列してスラスタを駆動する構造をもつ。制御目標値が変化する時PSAコントローラを使用し、目標値が比較的一定の場合は適応制御に切り替えることによって、高精度な制御とチャタリングの減少といった要求にバランスをとったロボットの運動制御を行うことができると考える。

 水中機器は一般に、浮心及び重心の垂直距離を十分とることによってロールやピッチに関しては安定になる。先述の1入力1出力運動制御システムを水中機器のサージ、スウェー、ヒーブ及びヨー運動方向に適用することによって、3次元空間での運動制御が可能となる。実際のホーミングミッションでは、図3に示すような、高精度なヨー制御結果が得られた。

図3:ホーミングミッションにおけるヨー制御

 最後に音響処理システムに関しては、水中で未知な音源を認識し、受信した音波の波形から位相を観察して音源の位置を同定するためには、非常に高い性能をもつ信号処理システムを必要とする。

 Wavelet Transformを用いた信号処理は時間周波数解析に優れ、信号の分解・再構成もできるので、本システムに導入する。本研究ではまず、音源がピンガーなどのような単一周波数音源として、正弦波信号の解析に分解性能の良い4次B-Spline Waveletを導入した。図4に示されるように、かなり変形した信号から目標とする周波数の成分の抽出が大変よく行われ、高い信頼性で位相の比較が行われると考えられる。

 Wavelet Transformを用いた解析法については、種々の手法がすでに提案されており、これらの手法を導入することによって、実海域における、さらに複雑な音源に対しても、本システムは、充分対応していくことができる。

図4:Waveletによる信号の分解(左)及び再構成(右)

 以上行動プラン、運動制御システム及び音響処理システムの詳細を述べた。システム全体としては、音響システムからの情報に基づいて、行動プランが上位の行動を決定し、下位の運動制御システムに、ロボットの軌道の目標を与える。

 受信する信号の特性は、ロボットが運動することにより変化するため、全体として運動制御が音響システムにフィードバックされることになり、外乱や、計測誤差、制御誤差等に対して、ロバストなホーミングが可能となっている。

 本システムの実証実験では、海中ロボットTwin-Burgerを用いた。実験では10kHz及び100kHzの音源をそれぞれ使い、ロボットは音源からおよそ10mからの場所でミッションをスタートする。いずれもターゲットの1m以内までの範囲に接近することができた。100kHzのターゲットを用いた実験でのミッションが終了した時点でのロボットの位置を図5にしめす。Dead Reckoningによるロボットの軌道は図6に示す。

 Dead Reckoningデータでは、ロボットがターゲットに近づくことが示されているが、積分誤差が大きくなった場合ターゲットに到達できない可能性がある。それに対して、本システムではよりよいホーミングができる。

図5:ロボットの最後の位置図6:Dead Reckoningによる軌道

 水中機器が運動センサのdead reckoningエラーや潮流などの外乱に左右されず、音源であるターゲットにホーミングを行えることを目標として、本論はホーミングシステムを構成する行動プラン、運動制御、及び音響処理について、実行可能なシステムを提案した。提案したシステムを用いることによって、海中ロボットが未知なターゲットに接近することが可能となり、自律的な探索機として十分機能し得る。

審査要旨

 近年、無索無人潜水機(即ち海中ロボット)の技術が大きく発展し、実用化に近づいている。現世代の海中ロボットは複雑なミッションや長時間の調査では有人潜水機及び遠隔操縦有索無人潜水機などの海中機器を完全に取り替えることができないが、コストが低いことと、海中での展開では船上からの支援が少なく済むことから、危険性の高い探索ミッションや単純な作業では、優位性が認められている。しかし、海中においては位置決定の手段は乏しく、海中ロボットの展開には、目的地までへの誘導問題を解決しなければならない。本論では、海中の目的地は音を発するとして、事前その音源の周波数特性などが分からなくても、潮流などの影響下でも正確にホーミングを行えるシステムを提案している。さらにその技術課題を論じ、具体的な解決法を提示し、実際にシステムの構築を行い、実証実験によってシステムの可能性を示している。

 第1章は序論であり、研究の背景として海中ロボットの発展の傾向を検討して、研究の位置づけ及び目的を簡明に示している。まず、実用機に最も近い海中ロボットの航行システムを検討し、行動範囲が限られること、音源周波数が規定されていること、精度がDead Reckoningセンサの誤差によって左右されることなどの欠点を指摘している。未知な海域での探索活動、生物の追跡、及び何回も繰り返して行う海中ドッキング行動などのような、海中ロボットにふさわしいミッションでの、誘導及びホーミングシステムに具体的に要求される仕様を提出している。

 第2章では海中ロボットの誘導及びホーミングのアルゴリズムを述べている。海中の音源の位置を測り、ホーミングを行うには、一般にAPL(Acoutic Positioning System)或いはPS(Passive Sonar)が用いられている。いずれもハードウェアの構成は音源の特性に依存するため、ミッションごとに調整しなければならないという制限がある。それに対して、本論では音の波長に依存しない軌道決定アルゴリズムを提案している。具体的には、2つのハイドロホンをロボットの中軸に配置して、採集した信号の位相差の時間微分を計測することによって、ロボットが前進しながら現軌道の修正をおこなうアルゴリズムである。このアルゴリズムの有効性はシミュレーションによって検討されている。連続的な音源、断続的な音源、潮流の強度及び方向などの影響があっても第1章に述べた仕様を満たすホーミングができることを示している。第2章のまとめでは、シミュレーションで示されるホーミング性能を達成するための条件を述べている。それは、音源からの音からノイズを除き、元波形を復元できる信号処理システム、及びロボットの行動を精度よく制御するコントロールシステムであると指摘している。

 第3章では信号処理システムの詳細を述べている。動力機器の近くに置かざるをえないハイドロホンから採集した音響信号は高い周波数のノイズ成分が多いという実験経験から、周波数のカットが鋭く、元波形の再構成に優れるウェーブレット変換信号処理を導入している。具体的には、音響のような不連続性のない信号の解析に優れる4階B-Splineウェーブレットを用いる。リアルタイム・システムを考慮して、ウェーブレットの計算はFFTを利用した高速計算アルゴリズムも導入している。結果として、海中ロボットのような環境でも音の位相情報が得られることが可能になった。

 第4章では海中ロボットの制御システムの開発をおこなっている。海中ロボットの制御システムに関しては多くの研究がなされているが、実用化に至った設計は、ほとんどスライディング・モード制御及びPID制御に基づくものである。海中ロボットのダイナミクスをモデル化するのが難しいことともに、危険性の高い海中ロボットの運用では、コントローラの信頼性を精度より優先しなければならないからである。制御の分野では、コンピュータの能力を高める一方で、多数のコントローラをそろえ、ミッションの要求に応じて選択に使用する制御システムの構築が注目されている。それを踏まえて、本論ではPSA(Passive Switch Action)コントローラ及びMRAC(Model Reference Adaptive Control)コントローラからなるHybrid Control Systemを提案している。PSAコントローラはスライディング・モード制御に基づいて開発したもので、ロバスト性を持ち、精度よくトラッキングコントロールができる。しかし、チャータリングが著しいというデメリットが挙げられる。MRACコントローラでは、プラントのモデルが適応的に得られた場合、滑らかなインプットで高精度の制御がおこなえる。しかし、ロバスト性の問題で実用化が進めていないのが現状である。そこで、特性の違うPSAコントローラ及びMRACコントローラを組み合わせて使うことによって、ロバスト性及びインプットの滑らかさのバランスをとった制御システムの構築ができる。琵琶湖などでおこなった実証実験では、この制御システムの有効性を示されている。

 第5章では、第2、第3及び第4章で提案した各サブ・システムの構成に従って、全体システムを組み立てている。対象として、海中ロボット「Twin-Burger」を用いた。実際に製作されたシステムを用いて、実証実験をおこなっている。ミッションではTwin-Burgerは、潜航、ターゲッティング、準備及びホーミング4段階の過程で目的に近づく。Twin-Burgerは潜航では一定深度まで潜り、その後ハイドロホンの指向性を用いて、決められた角度を回転して音響強度の変化を測り音源の位置を探る。次の段階に、センサなどをリセットする準備を経て、音響信号の位相を計測しながらホーミングをおこなう。音源は100kHzのもの及び10kHzのものを使う。サンプリング周波数の選定やデータの有効性の判断など信号処理システムの調整は自動化されており、コントローラの切り替えが簡単なルールによっておこなわれる。実験結果として、両方の音源にも、2m以内のホーミングを成功している。各サブシステムの実験結果を検討すると、音響信号処理システムではリアルタイムで決まった周波数の信号を抽出でき、元波形の再構成をおこなえることが明かになった。ロボットの行動制御も要求される精度を達成している。プール実験では潮流のシミュレーションはできないものの、静止音源の場合第1章で述べた仕様に満たしたシステムが構築されたことを示している。

 第6章の前半では、本論で提案した海中ロボット誘導及びシステムの有効性を考察している。実現したシステムの今後の改善、そして実用化に向かってシステムの経済性や信頼性に関する議論を展開している。第6章の後半は、結論として本論文に述べた研究成果をまとめている。

 以上のように本論文は、海中ロボットの実用化のために必要な不特定音源へ誘導するシステムを扱い、音源の特性や潮流などの外乱に影響されにくいシステムを提案し、システムの仕様を明確に提示し、上位コントローラのアルゴリズム、音響信号処理システム及びロボットのトラッキング制御システムの構成を示した。また、この誘導システムは各構成部分が実際に製作され、テストペットロボット「Twin-Burger」を用いて実証実験がおこなわれ、その有効性を示したものであって、船舶海洋工学の進歩に資するところが大きい。よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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