学位論文要旨



No 112578
著者(漢字) 須藤,剣
著者(英字)
著者(カナ) スドウ,ツルギ
標題(和) 多波長集積分布帰還型半導体レーザの波長トリミング技術
標題(洋) Wavelength Trimming Technology for Multiple-Wavelength Distributed-Feedback Semiconductor Laser Arrays
報告番号 112578
報告番号 甲12578
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3856号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 教授 多田,邦雄
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨

 光通信システムの通信容量増大は,従来,時分割多重方式を用いて,その通信速度を増加させることにより行われてきたが,電気回路の速度,および伝送路である光ファイバの波長分散による制約から,さらなる高速化は困難となっている.この限界を打破するため,波長分割多重方式(Wavelength-Division-Multiplexing:WDM)の研究が最近開始され,通信容量の飛躍的な増大がはかられてきた.WDMでは,波長ルーティングや波長分配に用いられる光波長フィルタの通過帯域と,光源の波長の一致が必要となる.そのため,光源には,従来にはない,波長安定性,波長再現性,波長制御性が新たに要求されるようになった.現在,実験が行われている多くのシステムでは,光源として単体の分布帰還型(Distributed-Feedback:DFB)半導体レーザを複数個使用している.DFBレーザの波長安定性は極めて高く,長時間の寿命試験においても,その波長ドリフトは著しく小さいことが明らかにされている.また素子サイズも小さく,これは製造コストの点からも有利である.そのため,異なる波長をもつDFBレーザをモノリシックに集積した,多波長集積DFBレーザを実現することにより,システムの小規模化,低コスト化が可能となる.

 しかし,現時点では,その波長再現性に問題を持ち,これが多波長集積DFBレーザを実現する際の大きな障壁となっている.

 DFBレーザの発振波長は,素子作製プロセスの誤差によって,容易に設計値から離れて広い範囲に分布し,高い再現性を得ることは極めて困難である.そのため,素子の選別,および外部制御系による波長調整が必要となるが,多波長集積DFBレーザにおける多数の発振波長を調整することは,システムの規模,信頼性,またコストの観点から,現実的ではない.

 本論文は,この多波長集積DFBレーザの発振波長の再現性の問題を解決することを目的として,新概念「波長トリミング技術」の提案を行い,その実現方法を述べたものである.

 アナログ電子デバイスでは,プロセス誤差に伴う特性の誤差を外部に制御系を付加することなく,プロセス終了後の検査段階で補償する,トリミング技術と呼ばれる方法が広く用いられている.この,トリミング技術という概念をDFBレーザの発振波長の調整に適用したものが,波長トリミング技術である.すなわち,波長トリミング技術とは,DFBレーザの発振波長を外部に制御系を付加することなく,プロセス終了後の検査段階で調整を行う方法である.

 DFBレーザの発振波長は,基本的にはブラッグ条件に従い,導波路の等価屈折率と,回折格子周期との積により決定される.これ以外に,回折格子の反射率を表す結合係数の大きさと位相,回折格子とへき開端面との空間位相,回折格子周期の軸方向分布が,発振波長に影響を及ぼす.そのため,波長の調整は,これらのパラメータの何れかを調整することにより実現する.アナログ電子デバイスでは,高出力レーザにより薄膜抵抗の一部を焼き切る等,物理的な形状の変化によりトリミングを行うが,光デバイスでは,電気特性の調整を行う電子デバイスとは異なり,同様の方法を用いることは困難である.そのため,物理的な形状の変化を伴うことなく,光学特性が比較的容易なプロセスで変化し,その状態が長期間安定に保持される材料が必要となる.この材料を導波路構造の一部とし,その光学特性を変化させることにより波長トリミングは実現する.

 我々は,まず,カルコゲナイド非晶質の光誘起屈折率変化,次に,量子井戸の光吸収誘起混晶化による波長トリミングの検討を行った.

 As-S系およびAs-S-Ge系をベースとしたカルコゲナイド非晶質の屈折率は,バンドギャップ以上のエネルギーをもつ光の照射,およびガラス転移点近傍の温度でアニールを行うことにより,可逆的に変化する.この現象は,「光誘起屈折率変化」として広く知られている.図1に,Si基板上に蒸着を行ったAs4Se5Ge1薄膜の屈折率の波長分散を測定した結果を示す.照射光源として,Arレーザを用いた.波長は514.5nm,パワー密度は1.4W/cm2である.アニールは,窒素雰囲気中,170℃で,30分間行った.図中実線で示した,蒸着直後の屈折率は,照射に伴い増加し,破線の値で飽和する.その後,アニールを行うことにより,点線で示された値まで減少する.1.55mにおける,照射後とアニール後の屈折率差は0.027であり,これは1%の変化に相当する.この材料を半導体レーザの活性層近傍に装荷して,導波路の一部とすることにより,等価屈折率の調整,すなわち発振波長の調整が,プロセス終了後に可能となる.

 図2に,カルコゲナイド非晶質を活性層側面に装荷した,屈折率結合DFBレーザの断面図を示す.非晶質層に大きな光閉じ込め係数を持たせるため,メサ幅を1m程度とした.共振器長は300mであり,端面は,へき開面である.この素子をヒートシンク上にグイボンディングし,発振波長トリミングの実験を行った.

図1 AS4Se5Ge1薄膜の屈折率の波長分散図2 カルコゲナイド非晶質を装荷した屈折率結合DFBレーザの断面図

 測定した素子のしきい値電流は,7mAである.この素子を温度20℃,電流10mAで駆動し,これに外部光を照射することにより,発振波長の調整を試みた.照射光源としては,He-Neレーザを用いた.波長は632.8nm,パワー密度は1.3W/cm2である.図3に,外部光照射前後の発振スペクトルを示す.外部光の照射により,カルコゲナイド非晶質の屈折率が増加することに伴い,発振波長は長波長側にシフトする.このシフトは,570秒間の照射により飽和し,外部光の照射を停止した後も,発振波長は同じ値をとり続け,全体として0.14nmの波長シフトを得た.

図3 He-Neレーザ照射前後の発振スペクトル

 次に,より大きな波長調整を実現するため,半導体導波路の屈折率を直接変化させることを考え,これを可能とする光吸収誘起量子井戸混晶化の検討を行った.

 光吸収誘起量子井戸混晶化は,バンドギャップの差を利用して,導波路を構成する多層構造のうち,量子井戸活性層のみを特定の波長をもつレーザ光によって選択的に加熱することにより,量子井戸を構成する井戸/障壁間の混晶化を生じさせるものである.また,レーザ光を集光させることにより,空間的にも,混晶領域を局在化させることが可能である.この混晶化に伴い,利得は短波長側ヘシフトし,またバンド端近傍の屈折率は減少する.我々は,この屈折率の変化をDFBレーザの発振波長トリミングに適用した.

 図4に,波長トリミングを試みた素子構造と活性層のバンド構造を示す.リッジ型の導波路構造をもつ屈折率結合DFBレーザである.活性層は,分離閉じ込めヘテロ構造をもつ,1.55m圧縮歪み4元混晶(InGaAsP)5重量子井戸である.

図4 リッジ型DFBレーザの断面とバンド構造

 発振波長の調整は,導波路側面に形成した上面電極の存在しない窓を通して,波長1.06m,パワー密度2×104W/mm2を持つ,Nd:YAGレーザを30分間照射することにより行った.このとき,0.92mのバンドギャップをもつInP層は吸収層とはならず,1.06m以上のバンドギャップをもつ量子井戸活性層のみが選択的に加熱され,混晶化が生じる.

 レーザ発振特性は,温度20℃,電流25mA一定で測定を行った.図5に外部光照射前後のスペクトル特性を示す.混晶化により屈折率が減少し,これに伴い発振波長が短波長側にシフトし,0.36nmの発振波長シフトを得た.

図5 波長トリミング前後の発振スペクトル

 上記の二つの方法は,外部光を照射することにより,材料の屈折率が変化することを利用したものであるが,我々は,さらに,波長トリミングを実現する他の可能性として,共振条件の変化による波長トリミングの検討を行った.この方法では,磁性材料を共振器として使用し,レーザの共振条件を磁気光学効果によって変化させ,その状態を保持させることを考えた.図6に磁性材料を回折格子として用いた,DFBレーザの軸方向の断面構造を示す.この構造に基づき,共振条件の変化に伴う波長変化の関係を理論的に導出した.

図6 磁性材料を回折格子として用いたDFBレーザの軸方向の断面構造

 以上,多波長集積DFBレーザの発振波長の再現性の問題を解決することを目的として,新概念「波長トリミング技術」の提案を行った.その実現方法として様々な可能性を検討し,カルコゲナイド非晶質の光誘起屈折率変化,および光吸収誘起量子井戸混晶化による波長トリミングを単体のDFBレーザに適用することによって,その発振波長の制御を行うことに成功した.さらに,磁気光学効果による波長トリミングの可能性を示した.

 多波長集積DFBレーザへの適用には,波長制御範囲の拡大,またプロセスの定量化等,残された課題はあるが,この問題は早期に解決されるものと考えている.

 最後に,波長トリミングの行われた多波長集積DFBレーザが,WDMシステムの光源として広く用いられることを期待し,締めくくりたい.

審査要旨

 本論文は,波長多重光情報通信ネットワークで必要な多波長集積分布帰還型半導体レーザアレイの重大な問題点を解決する新しい概念「波長トリミング」を提案し,その実現方法を研究して素子の試作,評価を行った結果を英文でまとめたもので,6章より構成されている.

 第1章"Introduction"では,研究の背景,動機,目的と,論文の構成を述べている.分布帰還型(DFB)半導体レーザは,長距離大容量光通信の主要光源であって,次世代の波長多重(WDM)光通信用の光源としても期待されている.特に,異なる発振波長のDFBレーザを同一基板上に多数集積した「多波長DFBレーザアレイ」は,WDM光通信の必須構成要素である.しかるに,DFBレーザの発振波長は原理的にばらつきを有し,多波長アレイにおいて予め決められた波長チャネルに,各レーザの発振波長を整合させて作製することはほとんど不可能であった.本論文は,この重大な問題を解決する新たな概念「波長トリミング」を提案するものである.

 第2章は"Proposal of wavelength trimming technology"と題し,まずDFBレーザにおいて発振波長不確定性の生じる原因と,不可避的に発生する波長誤差量について論じている.次に,多波長DFBレーザアレイにおける要素レーザの発振波長を,素子作製後に外部レーザ光の照射によって個別に調整するという「波長トリミング」の概念と,そのいくつかの実現方法について記述している.波長トリミングのアイデアが,演算増幅器のオフセットトリミングのアナロジーから生まれていることなどが述べられている.

 第3章は"Wavelength trimming by photo-induced refractive index change"と題し,カルコゲナイド非晶質における光誘起屈折率変化を利用した波長トリミングについて詳述している.カルコゲナイド非晶質の屈折率は,光照射によって上昇し,熱処理によって元の値に戻る.この屈折率を可逆的に外部から変化できる性質を,波長トリミングに応用した.まず,実際にカルコゲナイド非晶質を真空蒸着により成膜し,その組成,結晶状態を電子線プローブマイクロアナライザおよびX線回折を用いて評価した.さらにその光誘起屈折率変化特性を,分光エリプソメトリによって評価したところ,As2S3膜について約4%,As4Se5Ge1膜について約1.5%の可逆な屈折率変化が得られた.プロセス耐性の一般に小さいカルコゲナイド非晶質において,十分な耐性を確保する方法も同時に検討した.以上の結果を基に,カルコゲナイド非晶質を活性層近傍に装荷したDFBレーザ構造を種々検討し,カルコゲナイドへの光閉じ込めが最も大きくなる狭ストライプ・ハイメサ構造を提案してその試作プロセスを確立した.2段階有機金属気相エピタキシー(MOVPE)により,InGaAsP/InP系の1.55m帯圧縮歪み多重量子井戸および1次回折格子を含むレーザ層構造を成長し,カルコゲナイド非晶質を装荷して,波長トリミング可能なDFBレーザを初めて試作した.素子は,閾値電流7mAで室温連続動作し,良好な単一モード発振を示した.同素子にHe-Neレーザ光を照射したところ,閾値以下で0.24nm,閾値以上で0.14nmの発振波長トリミングを,世界で初めて観測することができた.

 第4章は"Wavelength trimming by photo-absorption-induced disordering"と題し,半導体量子井戸における光吸収誘起無秩序化を利用した波長トリミングについて詳述している.ここでは,バンドギャップの差を利用して,導波路を構成する多層構造のうち量子井戸活性層のみをレーザ光照射によって選択的に加熱することにより,無秩序化を生じさせる.無秩序化に伴い利得は短波長側へシフトし,バンド端近傍の屈折率は減少する.本論文ではまず,InGaAsP/InP系1.55m帯圧縮歪み多重量子井戸におけるYAGレーザ誘起無秩序化の挙動をフォトルミネッセンスにより評価し,試料を240℃に予熱することで,効率的に無秩序化を誘引できることを明らかにした.次に,レーザ活性層へYAGレーザビームを照射するための「窓」を有する新しいリッジ導波路ストライプ構造を考案し,2段階MOVPE成長によって素子を試作した.発振波長は1.55m,室温連続動作の閾値電流は15mAであった.同素子において,YAGレーザによる波長トリミング実験を行い,吸収電流スペクトラムから,無秩序化によってバンド端が約6nm短波長側ヘシフトしたことが確認された.利得ピークのシフトにともなって閾値電流は17mAに上昇したが,無秩序化による屈折率の低下によって発振波長は閾値以下で0.23nm,閾値以上で0.36nm短波長側ヘシフトし,波長トリミングが可能であることが示された.本手法による波長トリミングの制御性を向上するために,YAGレーザ照射時のフォトルミネッセンスから量子井戸の温度を推定することも試み,無秩序化が約350℃という低温で生じている可能性を示した.独立に行ったキャップアニール実験の結果から,SiO2絶縁膜によって低温無秩序化が生じていると結論している.最後に,ファイバープローブを用いたエレクトロルミネッセンスおよびフォトルミネッセンス測定により,無秩序化のレーザ軸方向および水平横方向空間分布を評価し,軸方向には若干の分布があってそれが位相シフト効果を生んでいること,水平横方向には少なくとも端面部分ではほとんど分布のないことなどを明らかにした.

 第5章は"Wavelength trimming by magneto-optic effect"と題し,磁気光学効果を用いた波長トリミングの可能性について論じている.DFBレーザの回折格子を磁性材料で形成し,カー効果による共振条件の変化に依拠して波長制御を行う方法を提示した.理論解析を行った結果,この方法で十分な波長トリミングを行うには大きなカー効果が必要であることもわかったが,不揮発性,可逆性の点で優れるので,今後の進展が期待される技術である.

 第6章は結論であって,本研究で得られた成果を総括している.

 以上のように本論文は,波長多重光通信システムの主要光源である多波長集積DFBレーザアレイにおける最大の問題点,すなわち発振波長不確定性に対して,これを解決する新たな概念「波長トリミング」を提案し,同概念を光誘起屈折率変化,光吸収誘起量子井戸無秩序化,磁気光学効果に基づき具現化する技術を開示して,前二者については素子の試作を実際に行って波長トリミングに世界で初めて成功したものであって,電子工学分野へ貢献するところ多大である.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1883