エルビウムドープ光ファイバ増幅器(Erbium-Doped Fiber Amplifier:EDFA)を直接光中継器として用いた、長距離光伝送システムが実用化されつつある。このような光増幅中継系では、中継器間における光ファイバの損失が光増幅器の利得により補償されるので、再生中継を行うことなく1,000kmを超える伝送距離が実現できる。しかし一方で、信号光パワーが光ファイバ全長にわたって高いレベルに維持されるため、光ファイバの3次非線形光学効果(カー効果)が無視できなくなる。このため、光ファイバの非線形性と群速度分散の相互作用によって「光パラメトリック不安定性」が生じ、伝送波形歪や光増幅器雑音(Amplified Spontaneous Emission:ASE)がパラメトリック増幅されることによるS/N比の低下がもたらされる。我々はこれらの問題を解決するために、図1に示すような光増幅中継伝送路の中点で信号光の位相共役(複素共役)をとる「位相共役光ファイバ通信システム」を提案し、その研究を進めてきた。本博士論文はこのシステムの原理、歪補償効率を高めるためのシステム設計理論、位相共役の実現法について述べている。 図1:位相共役光ファイバ通信システム 本博士論文の構成は以下の通りである。まず、光ファイバの非線形性と群速度分散によって生じる光パラメトリック不安定性を、小信号近似を用いた解析により整理する。次に、ほぼ完全に光パラメトリック不安定性を抑圧する手法として伝送路の中点で位相共役を行う方法を提案し、その原理とシステム設計の概要について述べる。最後に、光ファイバや半導体光増幅器を用いた光位相共役デバイスについて論じる。 光パラメトリック不安定性 まず、カー効果と群速度分散を持つ光ファイバ中を伝搬する光波の、微少な振幅変調(同相成分)および微少な位相変調(直交成分)に対する基本方程式を導出する。これを解析的に解くことにより、光パラメトリック不安定性の振る舞いを明確にする。この結果、長距離光伝送システムの動作状態を次のように分類できることが示された。 (1)正常状態(分散領域):同相成分と直交成分は、進行方向への伝搬に伴って正弦波状にパワーをやりとりする。しかし、全パワーは保存される。 (2)位相雑音状態(非線形領域、零および正常分散):同相成分と直交成分の正弦波状のパワーのやりとりが、正常状態と同様に起きる。ただし、直交成分のパワーはカー効果により増大するが、同相成分のパワーは減少する。 (3)変調不安定状態(非線形領域、異常分散):同相成分、直交成分ともに指数関数的に増大する。これは、変調不安定性と呼ばれる現象である。 位相共役を用いた光パラメトリック不安定性の抑圧 光ファイバを伝搬する信号光電界Aは、カー効果と群速度分散のもとで、非線形シュレーディンガー方程式 にしたがって変化する。Tは群速度で進行する座標系での規格化時間である。カー効果と群速度分散2の影響により、信号光の波形は歪みを受ける。しかし、伝送路の中点における位相共役により、これらの影響を除去し、歪みを補償できることを以下に示す。 上の式の複素共役をとると である。したがって損失あるいは利得がないという仮定(=0)のもとでは、A(T,z)が非線形シュレーディンガー方程式の解であれば-z方向に進むA(T,z)の複素共役もまた同じ方程式の解となる。 ここで入力端から光電界A(T,0)を送出したとしよう。伝送路のカー効果と群速度分散で歪みが生じた出力端での信号光を、複素共役をとったうえで入力端に逆行させると、入力端での光電界はA*(T,0)となる。すなわち入力端ではもとの送信波形が再現できることが分かる。この事実は、伝送路の中点に光位相共役デバイスを配置し、伝送路の前半と後半で光ファイバの分散分布が等しければ完全な歪み補償が可能となることを意味する。 これまでの議論は、均一な光パワー分布に基づく伝送波形歪の場合であり、この場合には位相共役を用いて歪みを除去することができる。しかし、実際の伝送路は、光増幅器によって損失が補償されているため、周期的に変動する光パワー分布を持つ。この周期的な光パワー分布は、ある特定のサイドバンド周波数においてサイドバンド変調不安定と呼ばれる新たな光パラメトリック不安定性が生じさせる。サイドバンド変調不安定によって生じた伝送波形歪は、位相共役によっても除去できないので、本システムの性能限界を支配する要因となる。したがって、歪み補償効率を高めるためには、システム設計によりサイドバンド変調不安定の影響を回避する必要がある。 本研究で明らかにされたシステム設計の要点を以下にまとめる。 図2:アイ開口劣化を抑えるための分散の窓 システム設計上の第一の留意点は、中継器間隔である。光増幅器の中継器間隔は、システムの非線形長より、十分短くする必要がある。この条件が満足されれば、サイドバンド変調不安定の影響は、信号光に対する小さな摂動とみなせる。第二の留意点は、伝送用ファイバの分散である。図2は、分散によるアイ開口劣化の概略を示したものである。正常分散領域と異常分散領域にそれぞれ、アイ開口劣化の小さい、分散の窓(Window I,II)が存在する。 窓の存在は、以下のように説明される。信号光スペクトルの一部は、サイドバンド変調不安定によりパラメトリック増幅され、伝送波形歪をもたらす。一般に分散が小さいほど、サイドバンド変調不安定の周波数が伝送信号帯域より外に出るため、アイ開口劣化が小さくなることが分かる。異常分散領域(2<0)では、信号光スペクトルは(通常の)変調不安定の影響により大きく広がる。変調不安定だけなら、これによる波形歪みは位相共役により補償される。しかし、変調不安定によって広がったスペクトルが、サイドバンド変調不安定の種になり、位相共役によっても補償できない歪みをもたらす。したがって、異常分散領域における変調不安定の影響を避けるためには、分散をある程度大きくし、変調不安定の帯域を、信号帯域に比べて十分狭くする必要がある。変調不安定の帯域が狭ければ、これによるスペクトル広がりも小さく、サイドバンド変調不安定は誘起されにくいからである。このようにして、異常分散領域での窓(Window II)の存在が理解できる。 次に、正常分散領域(2>0)を考える。正常分散領域では変調不安定は存在しないので、分散とカー効果によるスペクトルの変化は、異常分散領域ほど大きくはない。したがって、サイドバンド変調不安定が誘起されにくく、位相共役による歪み補償が効率的に行われる。既に述べたように、分散は小さい方が好ましいが、零分散波長の揺らぎや、正常分散領域から異常分散領域へのスペクトルのしみだしを考慮すると、分散値には下限が存在することが分かる。このようにして、正常分散領域での窓(Window I)の存在が説明できる。 光位相共役デバイス 光位相共役波は、縮退四光波混合を用いて発生させることができる。3次の非線形感受率X(3)を有する媒質にポンプ光(角周波数p)と信号光(s)とを入射させるとポンプ光と信号光のビートが生じ、X(3)の作用により媒質中に屈折率もしくは利得変動に基づくダイナミックグレーティングが形成される。ポンプ光がこのグレーティングによってブラッグ回折され、アイドラ光(i=2p-s)が発生する。ポンプ光と信号光によって生じる3次非線形分極は、ポンプ光電界をEp、信号光の電界をEsとすることにより で与えられる。したがって、この非線形分極により励振されるアイドラ光電界Eiは、信号光の位相共役となることが分かる。実際の光位相共役デバイスは、3次非線形媒質として光ファイバや半導体光増幅器を用いて実現できる。 石英ガラス光ファイバの3次非線形感受率は小さいが、分散シフトファイバを用いれば相互作用長を極めて長くとれるので比較的効率の良い四光波混合を行うことができる。本研究では、光ファイバを用いた光位相共役デバイスの設計理論を展開し、以下の結論を得た。 最大の変換効率を達成するためのファイバの最適長は、ファイバの損失係数をとして となる。また、このときの最大変換効率は、ファイバの非線形係数を、ポンプ光パワーをP0として である。ファイバの損失を0.2dB/kmとすると、最適長は約24km、変換効率を1とするのに要するポンプ光パワーは約60mWとなる。 半導体光増幅器を用いても、光ファイバの場合と同じように四光波混合による光位相共役が可能である。半導体光増幅器の3次非線形感受率は、光ファイバと比べると非常に大きい、それにデバイス自体が利得を有するため、短い相互作用長(約1mm)で高い変換効率が得られる。しかし、光ファイバを用いたデバイスより位相共役光のS/N比が劣化することは避けられない。また、キャリア密度変動により、位相共役光は歪みを受ける。本研究では、これらの問題を緩和するための手法について検討し、半導体光増幅器を利得飽和領域で動作させることにより、十分な性能を達成できるとの見通しを得た。 以上のように、本論文では光ファイバの分散とカー効果に基づく光パラメトリック不安定性を抑圧する手法として、伝送路の中点に光位相共役デバイスを挿入する方法を提案し、歪補償効率を向上させるためのシステム設計を行った。更に、光ファイバおよび半導体光増幅器を用いた光位相共役デバイスについて検討を行い、デバイス開発の指針を得た。 |