本論文は「Theoretical Study on Excitonic Bose-Condensate and Its Transport Phenomena(邦題励起子ボーズ凝縮とその輸送現象の理論的研究)」と題し、Cu2O単結晶で観測された励起子のボーズ凝縮の結果生ずると思われる、波束の形成を伴うバリスティックな輸送現象を記述する理論の構築を行ったものである。 ボーズ凝縮は、巨視的な数の粒子が1つの量子状態を占有することによって発現する現象であり、その研究は理論・実験共にきわめて精力的に行われている。しかしながら、理論・実験両者の対応は必ずしも良くない。その理由の1つには、ボーズ凝縮を起こす実験系としては、近年まで液体ヘリウムのみが存在し得たのだが、この系は強い相互作用を行っている系である為に、ボーズ系の理論の中心である「弱く相互作用するボーズ粒子の理論」によって記述することは困難であった。そこで、弱く相互作用するボゾン系として励起子系が注目されるようになり、そこでのボーズ凝縮、さらには超流動現象に興味が持たれるようになった。従って、本論文の取り扱う系、及び現象はきわめて重要であると言える。 論文は6つの章と2つのAppendixからなっている。 第1章では「Introduction」と題して、液体ヘリウム・アルカリ原子系・励起子系の3つを中心に、ボーズ凝縮という観点から現在行われている研究を概観している。特に、ボーズ凝縮に対して標準的な系である液体ヘリウムと励起子系を比較し、その差異が相互作用の大きさだけではなく、液体ヘリウム系が断熱過程であるのに対し励起子系は結晶の格子振動という大きな熱浴と接した等温過程に従う点を強調し、本研究の目的について述べている。 第2章では「Experiments on Excitonic BEC and Superfluid」と題してCu2O単結晶中で観測された、ボーズ凝縮、および波束の形成を伴うバリスティックな輸送現象に関する測定結果のまとめが行われ、これの持つ意味と重要性を指摘している。 第3章では「Theoretical Tools」と題して、現在までに確立されている弱く相互作用するボーズ粒子系の理論と、励起子ボーズ凝縮に関する理論を概観し、第4章で用いる道具立ての整理を行っている。 第4章では「Transport Equation--Description of Excitonic Flow--」と題して、励起子が従う輸送方程式を導き、それを数値的に解くことによって、実験結果との良い一致を見ることを示している。本章は、本博士論文の主たる部分である。まず、非平衡状態下にある実験系に対して、励起子のフォノン緩和を記述するナノ秒の動力学的時間と、局所平衡に達した励起子系のマイクロ秒の流体力学的時間という特徴的な時間スケールを導入し、局所平衡に達した系に対しては、平衡状態の統計力学の結果を利用できる形にした。その後、一般化されたボルツマン方程式を経由することによって、励起子が流体力学的時間スケールで従う輸送方程式を導き出した。本論文では、(1)励起子のボーズ凝縮が存在しない場合と、(2)凝縮成分が存在する場合の2つのモデルを考察している。(1)の場合では、励起子の輸送特性が拡散型であることを示した。一方(2)の場合においては、2流体モデルを応用することにより、励起子の密度分布が、非線形の移流拡散方程式と、凝縮成分に対するポテンシャル流方程式の2つからなる連立方程式で記述されることを導いた。さらに、局所平衡に対してボーズ凝縮の判定を行いつつ、この連立方程式の初期値問題を数値的に解くことによって、実験で観測されている特徴的なバリスティックな励起子系の伝播を説明することに成功した。 第5章では「Discussion」と題して、一般には平衡状態下で定義される超流動の概念を拡張することにより、波束の形成を伴う励起子のバリスティックな輸送現象が超流動と見なせることを論じた。また、現在までに報告されている励起子のバリスティックな輸送現象に対する他の理論との比較検討を行っている。凝縮成分の伝播速度が結晶の音速で頭打ちする実験事実は、現理論においても励起子系の集団運動を記述する音速が結晶の音速を越えると凝縮成分が破壊される事実と符合していると思われる。 第6章では「Conclusion and Further Looking」と題して、本論文のまとめと、今後考えられる実験手段の提案、さらには将来望まれる光物性理論の展望を与えている。 「General Review of Non-equilibrium Theory」、「Derivation of Generalized Boltzmann’s Equation」と題する2つのAppendixでは一般化されたボルツマン方程式を導くための準備と、その導出が与えられている。 以上を要約すると、本研究はCu2O単結晶で観測された励起子のボーズ凝縮と波束の形成を伴うバリスティックな輸送現象に対する理論の構築を目的に遂行され、2流体モデルの概念を援用して直感的な概念を導入することなく、励起子の従う輸送方程式を微視的な観点から導き出し、実験結果を説明することに成功した。 本研究の結果は物理工学への貢献が大である。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |