II-VI族半導体は、最近短波長レーザーの材料として応用上脚光を浴びているが、一方、電子格子相互作用の大きい物質として、基礎物理学上の観点からも興味深い物質である。しかしながらIII-V族半導体に比べると、未だにその物性については十分に明らかにされていない点が多い。その理由の一つは、移動度が比較的低く、詳細な測定が困難であることによる。強磁場はランダウ準位の量子化エネルギーを大きくするので、移動度の低い物質においても、精度の高いサイクロトロン共鳴の実験を可能にする。また強磁場を用いたサイクロトロン共鳴では、LOフォノンエネルギーよりも大きいエネルギー領域を含め、非常に広いエネルギー範囲でのエネルギースペクトルの研究が可能になるので、特に電子格子相互作用の研究には非常に有力な手段となる。本論文は「超強磁場サイクロトロン共鳴によるII-VI族半導体のポーラロン効果の研究」と題し、超強磁場下のサイクロトロン共鳴測定を手段として、II-VI族半導体のポーラロン効果の研究をまとめたものである。著者はこれまでにZnS,ZnSe,CdS,CdSeについて、共鳴ポーラロン領域でのサイクロトロン共鳴の実験から、これらの物質の裸の電子の有効質量、および電子格子相互作用の大きさを表す結合定数の精密な決定を行ってきた。本論文は、これらのII-VI族半導体全般にわたる考察を含むものであるが、特に古くから研究が盛んに行われてきたCdS、CdSeについて種々のポーラロン効果の詳細な研究の結果を記述している。 第1章「序論」では、本研究の目的、意義、論文の概要などが述べられている。 第2章「強磁場中におけるポーラロンと有効質量の相転移」では、LOフォノンとの極性相互作用におけるポーラロン効果と、2次元系におけるポーラロン効果、ピエゾポーラロン効果、およびII一VI族半導体の結晶構造およびバンド構造についての従来の理論が要約されており、本研究の背景が述べられている。 第3章「超強磁場及び強磁場におけるサイクロトロン共鳴の実験方法」では、本研究で使用した種々の実験技術が述べられている。電磁濃縮法(500T)、一巻きコイル法(200T)による超強磁場、非破壊型パルスマグネット(40T)による長時間パルス磁場、超伝導マグネットによる磁場発生法とその下でのサイクロトロン共鳴の実験法が詳しく述べられている。 第4、5、6章は本論文の中心をなすもので、本研究で得られた実験結果とその考察が議論されている。 第4章「低エネルギー領域におけるn-CdSのサイクロトロン共鳴のスペクトルの異常とピエゾポーラロン」では、比較的弱磁場(約50T以下)におけるCdSのサイクロトロン共鳴の実験結果と、これに基づいた、従来から未解決であった問題についての議論が述べられている。CdSでは、電子の不純物準位への凍結効果の起こる低温領域でもサイクロトロン共鳴がみられることが長い間謎であったが、本研究では、低温、低エネルギー領域の共鳴エネルギーと磁場の関係の詳細な測定から、ドナークラスターのような浅いトラップ準位の寄与が低温の共鳴を引き起こしていることを示唆する結果を得た。またサイクロトロン共鳴から得られる有効質量が、磁場がc軸に平行な場合には温度とともに増加するのに対して、垂直な場合には減少することを見出し、後者の場合の温度依存性が、弱磁場領域で現れることが理論的に予想されるピエゾポーラロン効果によるものであることを示唆した。 第5章「超強磁場におけるn-CdS及びn-CdSeのサイクロトロン共鳴とポーラロン有効質量の相転移」では、最高500Tにおよぶ超強磁場の下でのサイクロトロン共鳴についての議論がなされている。サイクロトロン共鳴ピークの磁場位置が温度の減少とともにゆるやかに増加するが、ある温度で急激に減少することを見出した。そしてこれが理論的に予言されているポーラロンの磁気相転移に特徴的な温度依存性であることを指摘した。また超強磁場、低温では、吸収スペクトルに温度に依存する多数の吸収線を見出し、これを不純物準位間のフォノンに助けられた電子遷移によるものと同定した。これらは強い電子格子相互作用をもつ系でのポーラロンサイクロトロン共鳴に特徴的なものである。 第6章「超強磁場におけるII-VI族半導体ZnCdSe/ZnSe多重量子井戸のサイクロトロン共鳴と2次元系におけるポーラロン」では、量子井戸構造における2次元電子系のポーラロン効果の実験結果と考察を述べている。LOフォノンエネルギーの近傍で3次元系に比べて大きい共鳴ポーラロン効果が見い出された。 以上を要するに、本研究はメガガウス領域におよぶ広い磁場範囲で、遠赤外、赤外領域のサイクロトロン共鳴を手段として、電子格子相互作用の強い系であるII-VI族半導体の種々のポーラロン効果、およびサイクロトロン共鳴にみられる従来未解決であった諸問題の研究を行って多くの新しい知見を見出したものであり、物性物理学、物理工学の発展に寄与するところがきわめて大きい。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |