学位論文要旨



No 112590
著者(漢字) 今中,康貴
著者(英字)
著者(カナ) イマナカ,ヤスタカ
標題(和) 超強磁場サイクロトロン共鳴によるII-VI族半導体のポーラロン効果の研究
標題(洋)
報告番号 112590
報告番号 甲12590
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3868号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 教授 花村,榮一
 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 助教授 長田,俊人
内容要旨 1:研究の背景と目的

 青色の半導体レーザーの開発が注目を浴びるようになるにつれて、ワイドギャップの半導体であるII-VI族半導体の研究が盛んになってきたが、II-VI族半導体自体はそれほど新しい物質ではなく、過去に帯間吸収の実験を通して様々な物性、基礎物性量が調べられてきた。最近ではII-VI族半導体低次元系での磁気光学的研究などが行われており、良質な試料が作成できるようになってきた。

 しかしながらII-VI族半導体はワイドギャップという特徴だけでなくIII-V族半導体に比べてイオン結晶的な側面を持っていることで電子と縦型光学フォノンとの強い相互作用、すなわち大きなポーラロン効果を期待できる点においても非常に興味深い物質である。応用上の観点からもその基礎物性量に関する情報が必要不可欠になると考えられるが、特に有効質量に関しては不明な点が多かった。これはII-VI族半導体が低易動度で且つ有効質量が大きい為にサイクロトロン共鳴の実験が困難であったことやポーラロン効果が含まれてくるため必然的に解析が複雑になるといったことにあると思われる。実際、II-VI族半導体のサイクロトロン共鳴実験は縦型光学フォノンエネルギーよりはるかに低いエネルギー領域にのみ限られ、そこから得られる有効質量がポーラロン有効質量であるためにバンド端の有効質量を直接知ることが不可能であった。

 メガガウス領域の磁場を用いることはサイクロトロン共鳴条件を満たすことのみならず、更には縦型光学フォノンエネルギーを挟む広範なエネルギー領域(0.6meV〜230meV)での測定を可能とする。これより有効質量のエネルギー依存性についての情報を得ることができるので電子格子相互作用を表すFrohlichハミルトニアンを摂動として計算したサイクロトロンエネルギーと実験結果と比較することでバンド端の有効質量m*b及び電子格子相互作用結合定数を正確に決定することができる。そこで本研究はII-VI族半導体n-ZnS,n-ZnSe,n-CdS,n-CdSe及びその混晶系の超強磁場(〜500T)でのサイクロトロン共鳴の測定を通して有効質量を決定する事を一つの目的としている(図1)。

図1

 また縦型光学フォノンエネルギーの前後で起こる共鳴ポーラロン効果等、電子格子相互作用に関する知見も得ることができる(図2)。

図2

 これまでポーラロンの理論的研究は古くから行われており、特にFeynmannの経路積分の方法に基づく理論は結合定数を連続的に扱えるという点も含めて非常に成功をおさめている。最近の研究では特に興味深いのは強磁場中においてポーラロンの有効質量の相転移が起こることがベルギーのPeetersとDevreeseによって理論的に示されていることである。そこで本研究は電子格子相互作用の比較的大きいII-VI族半導体のサイクロトロン共鳴を通して、相転移を含めたポーラロンの研究を行うことをもう一つの目的とする。

 通常こうした研究は様々な条件的な制限(移動度、共鳴磁場、温度等)があるために通常発生しうるような磁場領域ではサイクロトロン共鳴実験はほとんど不可能であるが、100Tを越えるような超強磁場を用いることで初めてII-VI族半導体でこうした研究が可能となった。

2:実験方法

 本研究において様々な強磁場発生方法を用いた。特に100Tを越える超強磁場の発生方法は破壊的な方法でパルス幅も10sと短い。そのため特に高速の増幅器や検知器、記録機が必要となる。光源には炭酸ガスレーザーやFIRレーザーといった遠赤外及び赤外レーザーを用いた。

 試料は全てn型で、n-CdS,n-CdSeについては気相成長法で作ったものを用いている。キャリアー数は約3*10+15cm-3で主には試料中のvacancyから生成されていると思われる。またZnCdSe/ZnSeの多重量子井戸はMBEで成長させたものでキャリアーの面密度は4*10+12cm-2と推定される。

3:n-CdS,n-CdSeのサイクロトロン共鳴の異常と電子格子相互作用

 n-CdS,n-CdSeについては高エネルギー領域で非常に複雑な、通常考えられるような単純なモデルでは説明の付かないスペクトルの振る舞いが見られ、縦型光学フォノンを伴うPhonon Asisted Harmonicサイクロトロン共鳴と思われる吸収が見られている(図3)。

図3

 図3からは更にサイクロトロン共鳴の共鳴磁場の温度変化が著しいことも分かる。室温から低温に移るに連れてサイクロトロン共鳴の共鳴位置が高磁場側に移動して70K程度のところから急激に低磁場にシフトする。こうした異常が電子格子相互作用に関係していることが強磁場中のポーラロン理論から指摘されており、この温度変化がポーラロン有効質量の相転移に関連した変化であることが明らかになった。

 またn-CdSは圧電相互作用が比較的大きいということからも注目されており、低エネルギー領域においてピエゾポーラロンの存在が指摘されていた。しかしながら様々なフォノンとの相互作用が存在するためにその実験結果の解析は困難で、様々な異常を明らかにできないままになっていた(図4)。そこで今回サイクロトロン共鳴の波長依存性を詳しく調べることでT=4.2K近傍の共鳴は伝導帯の電子によるものではなく、伝導帯に極めて近い、非常に浅いトラップに束縛された電子による共鳴であることを明らかにした。またT=40Kまでの共鳴磁場の移動はそのトラップから伝導帯へ電子が励起されている様子に対応していることが明らかになった。

図4

 更にそれ以上の温度領域での共鳴磁場の変化は圧電相互作用と縦型光学フォノンとの極性相互作用との競合になっており、B⊥cの配置の時にはピエゾポーラロンの理論通りに温度の上昇と共に低磁場側へとシフトする様子が見られた。

 その他にもn-CdS特有の43cm-1フォノンによるPhonon Asistedサイクロトロン共鳴を見ることにも成功した。

 このようにn-CdS,n-CdSeにおいて電子格子相互作用に基づいた様々な興味深い現象を超強磁場下のサイクロトロン共鳴の実験を通して調べることができた。

4:ZnCdSe/ZnSeの多重量子井戸の超強磁場サイクロトロン共鳴と低次元におけるポーラロン効果

 MBEやMOCVDといった試料作成技術の向上に伴って低次元系の研究が半導体において盛んになってから久しいが、II-VI族半導体でも低次元系において重要になってくる様々な効果、例えば電子格子相互作用についての研究も盛んになってきた。

 理論的には早くから低次元系でのポーラロン効果は研究されていたが、実験的にはポーラロン効果の小さいIII-V族半導体で多く行われている。しかしながら低次元系では多体効果やキャリアーのスクリーニングによるポーラロン効果の減少などもあり、電子格子相互作用の小さな物質では3次元系ほど純粋にポーラロン効果を調べることができない。その点II-VI族半導体では結合定数が大きいことから他の効果にマスクされずに比較的大きなポーラロン効果を低次元系においても見ることが可能になると思われる。II-VI族半導体低次元系においてはまだサイクロトロン共鳴の測定はほとんどなされておらず、100Tを越えるような超強磁場下で初めてII-VI族半導体ZnCdSe/ZnSe多重量子井戸を用いてサイクロトロン共鳴実験を行った。

 それによって井戸層の厚みの変化に伴う有効質量の変化や顕著な有効質量の温度変化を2次元系においても観測することができ(図5)、Wigner-Brillouin摂動計算との比較を行った。縦型光学フォノンエネルギー近傍では著しい共鳴ポーラロン効果を見ることができ、全般的には理論との非常によい一致を見ることが出来た。ただし高エネルギー領域ではバンドの非放物線性によって理論曲線との不一致が見られた。

図5

 以上のように超強磁場下でのII-VI族半導体及びII-VI族半導体2次元系でのサイクロトロン共鳴の実験より相転移を含む強磁場中でのポーラロン効果について様々なことを明らかにした。またそれぞれの物質におけるバンド端の有効質量及び電子格子結合定数を決めることに成功した。

審査要旨

 II-VI族半導体は、最近短波長レーザーの材料として応用上脚光を浴びているが、一方、電子格子相互作用の大きい物質として、基礎物理学上の観点からも興味深い物質である。しかしながらIII-V族半導体に比べると、未だにその物性については十分に明らかにされていない点が多い。その理由の一つは、移動度が比較的低く、詳細な測定が困難であることによる。強磁場はランダウ準位の量子化エネルギーを大きくするので、移動度の低い物質においても、精度の高いサイクロトロン共鳴の実験を可能にする。また強磁場を用いたサイクロトロン共鳴では、LOフォノンエネルギーよりも大きいエネルギー領域を含め、非常に広いエネルギー範囲でのエネルギースペクトルの研究が可能になるので、特に電子格子相互作用の研究には非常に有力な手段となる。本論文は「超強磁場サイクロトロン共鳴によるII-VI族半導体のポーラロン効果の研究」と題し、超強磁場下のサイクロトロン共鳴測定を手段として、II-VI族半導体のポーラロン効果の研究をまとめたものである。著者はこれまでにZnS,ZnSe,CdS,CdSeについて、共鳴ポーラロン領域でのサイクロトロン共鳴の実験から、これらの物質の裸の電子の有効質量、および電子格子相互作用の大きさを表す結合定数の精密な決定を行ってきた。本論文は、これらのII-VI族半導体全般にわたる考察を含むものであるが、特に古くから研究が盛んに行われてきたCdS、CdSeについて種々のポーラロン効果の詳細な研究の結果を記述している。

 第1章「序論」では、本研究の目的、意義、論文の概要などが述べられている。

 第2章「強磁場中におけるポーラロンと有効質量の相転移」では、LOフォノンとの極性相互作用におけるポーラロン効果と、2次元系におけるポーラロン効果、ピエゾポーラロン効果、およびII一VI族半導体の結晶構造およびバンド構造についての従来の理論が要約されており、本研究の背景が述べられている。

 第3章「超強磁場及び強磁場におけるサイクロトロン共鳴の実験方法」では、本研究で使用した種々の実験技術が述べられている。電磁濃縮法(500T)、一巻きコイル法(200T)による超強磁場、非破壊型パルスマグネット(40T)による長時間パルス磁場、超伝導マグネットによる磁場発生法とその下でのサイクロトロン共鳴の実験法が詳しく述べられている。

 第4、5、6章は本論文の中心をなすもので、本研究で得られた実験結果とその考察が議論されている。

 第4章「低エネルギー領域におけるn-CdSのサイクロトロン共鳴のスペクトルの異常とピエゾポーラロン」では、比較的弱磁場(約50T以下)におけるCdSのサイクロトロン共鳴の実験結果と、これに基づいた、従来から未解決であった問題についての議論が述べられている。CdSでは、電子の不純物準位への凍結効果の起こる低温領域でもサイクロトロン共鳴がみられることが長い間謎であったが、本研究では、低温、低エネルギー領域の共鳴エネルギーと磁場の関係の詳細な測定から、ドナークラスターのような浅いトラップ準位の寄与が低温の共鳴を引き起こしていることを示唆する結果を得た。またサイクロトロン共鳴から得られる有効質量が、磁場がc軸に平行な場合には温度とともに増加するのに対して、垂直な場合には減少することを見出し、後者の場合の温度依存性が、弱磁場領域で現れることが理論的に予想されるピエゾポーラロン効果によるものであることを示唆した。

 第5章「超強磁場におけるn-CdS及びn-CdSeのサイクロトロン共鳴とポーラロン有効質量の相転移」では、最高500Tにおよぶ超強磁場の下でのサイクロトロン共鳴についての議論がなされている。サイクロトロン共鳴ピークの磁場位置が温度の減少とともにゆるやかに増加するが、ある温度で急激に減少することを見出した。そしてこれが理論的に予言されているポーラロンの磁気相転移に特徴的な温度依存性であることを指摘した。また超強磁場、低温では、吸収スペクトルに温度に依存する多数の吸収線を見出し、これを不純物準位間のフォノンに助けられた電子遷移によるものと同定した。これらは強い電子格子相互作用をもつ系でのポーラロンサイクロトロン共鳴に特徴的なものである。

 第6章「超強磁場におけるII-VI族半導体ZnCdSe/ZnSe多重量子井戸のサイクロトロン共鳴と2次元系におけるポーラロン」では、量子井戸構造における2次元電子系のポーラロン効果の実験結果と考察を述べている。LOフォノンエネルギーの近傍で3次元系に比べて大きい共鳴ポーラロン効果が見い出された。

 以上を要するに、本研究はメガガウス領域におよぶ広い磁場範囲で、遠赤外、赤外領域のサイクロトロン共鳴を手段として、電子格子相互作用の強い系であるII-VI族半導体の種々のポーラロン効果、およびサイクロトロン共鳴にみられる従来未解決であった諸問題の研究を行って多くの新しい知見を見出したものであり、物性物理学、物理工学の発展に寄与するところがきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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