学位論文要旨



No 112592
著者(漢字) 奥田,哲治
著者(英字)
著者(カナ) オクダ,テツジ
標題(和) 超流動3He-Bの自由表面におけるアンドレーエフ反射
標題(洋)
報告番号 112592
報告番号 甲12592
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3870号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石本,英彦
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 助教授 永長,直人
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
 東京大学 助教授 河野,公俊
内容要旨

 アンドレーエフ反射とは、ロシアの物理学者Andreevが1964年に提案した超流体特有の散乱過程のことで、Andreevはこの散乱過程を導入することにより中間状態の超伝導体の熱抵抗が超伝導状態の時のそれより非常に大きくなることを説明した。この反射はクーパー対を持つ超流体が存在し、そのオーダーパラメーターが空間変化する領域で起きる。の空間変化する領域に運動量の準粒子が入射すると近くにある運動量-の準粒子とクーパー対を作って超流体に加わる。運動量の準粒子が超流体に加わることにより反対向きの速度をもつ運動量-の準正孔ができ入射した準粒子のたどった軌跡を逆向きに戻っていく。反射面に垂直な運動量成分のみが逆になる通常の反射と異なり反射波は入射波と逆向きに出ていくのである。

 この様な反射が超伝導体と正常金属、あるいは異なる超伝導体との接触面で起こっていることは現在までに多種多様な方法で直接的にも間接的にも観測されその理論と比較されてきた。一方、P波のクーパー対を持つ超流体である超流動3Heの場合もその様々な境界面でアンドレーエフ反射が起きることが期待され、理論家により準古典的な理論計算が行われ様々な可能性が指摘されてきた。また実験においては間接的には粘性係数などの輸送係数にその異常という形で捉えられてきたのだが、最近まで有効な実験手法がなかったために直接的に観測するところまではいたっていなかった。ところが最近ランカスター大学の超低温のグループが"Blackbody Radiator"という超流動3HeB中で準粒子ビームを生成・検出する装置を開発し、それを用いて"流れ"に起因するの仮想的な空間変化によって起こるアンドレーエフ散乱を超流動3HeB相中で直接的に観測した。この様に超流動3He中でもアンドレーエフ反射を直接的に観測しようという動きは最近になってようやく起きてきた。本論文の実験もその一つであり、この方法をさらに発展させ理想的に"なめらか"な面が形成されていると考えられる超流動3HeB相の自由表面でのアンドレーエフ反射を直接的に観測するのに成功した。特に、エネルギーギャップより高いエネルギーを持つ準粒子の起こすアンドレーエフ反射を量子アンドレーエフ反射と区別すれば、超流動3He中で量子アンドレーエフ反射を直接的に捉えた例としては初めてのものである。

 超流動3HeB相では、準粒子間の散乱がほとんど無いバリスティックな温度領域になると準粒子一個一個の挙動があらわになりアンドレーエフ散乱を直接的にとらえることができるようになる。Blackbody Radiatorはこの様なバリスティックな温度領域の超流動3HeB中に置かれる。このBlackbody Radiatorは小さい穴の開いた箱の中に二つの"Vibraitng Wire"を設置したものである。Vibrating Wireとは超伝導線を半円状に曲げてその両端の足に銅線を取り付けたもので、その半円面に平行に磁場がかけられて交流電流が流される。磁場中を電流が流れるのでローレンツ力により半円面に垂直に振れ、磁場中をWireが振動するのでその両端に誘導起電圧が生じ、その起電圧をシグナルとして銅線から取り出すのである。正弦波の強制力による強制振動なのでシグナルはローレンティアンとなり、その線幅と共鳴周波数からVibrating Wireが浸かっている液の情報を得る事ができる。Blackbody Radiatorの中に置かれた二つのVibrating Wireのうちの一つは箱の中の液に熱を加えるヒーターとして用いられる。もう一つは非常に微細に振動させて箱の中の温度を計る温度計として用いられる。図1に示してある本実験のBlackbody Radiatorは外径6mm、内径4mmの高純度銀でできた半球の頭を持っている。半球頭部にはヒーター用のVibrating Wireで作られる準粒子フラックスを自由表面に斜め(20度)にあてることができる様にできるだけ小さい長さ1mm直径0.2mmの穴が放電加工で開けられている。斜めに入射する理由の一つは、通常の反射(normal reflection)をした準粒子が箱に戻ってこない様にしてやり、アンドレーエフ反射した準粒子だけを検出するためである。もう一つの理由は理論計算により入射角が浅いほどアンドレーエフ反射が大きくなることが予想されているので、アンドレーエフ反射を検出しやすくなると考えられるためである。

Fig.1 Blackbody Radiator

 次に、このBlackbody Radiatorを用いてどの様にアンドレーエフ反射を検出するかについて述べる。まず(a)自由表面が穴より離れたところにある時には、ヒーター用のVibrating Wireで加えた熱(Qap)は定常状態では箱に開けられた穴より全て放出されるので

 

 となる。ここでQbeamは穴より放出されるエネルギーフラックスである。一方、(b)箱の穴の近くに自由表面がある時には、同じヒーターパワーに対してアンドレーエフ反射がある分だけ穴より放出されるエネルギーフラックスが大きくなる。そのために

 

 となる。ここではオーバーオールのアンドレーエフ反射の反射率である。故にアンドレーエフ反射の反射率は(a)、(b)のそれぞれの場合のヒーターパワー(Qap)と穴より放出されるエネルギーフラックス(Qbeam)の比例関係を測定してその比例定数を比べることにより求めることができる。

 ヒーターパワー(Qap)は、ヒーター用のVibrating Wireのシグナルの電圧をV0とすると

 

 の関係から求めることができる。また、穴より放出されるエネルギーフラックス(Qbeam)は

 

 と計算される。ここでWは

 

 である。また、Aは穴の断面積で、NFはフェルミ面での状態密度で、vFはフェルミ速度で、=1/(kBT)である。TとT0は箱の中の温度と外の温度で、温度計用のVibrating Wireの液からくる線幅(f2)1から

 

 の関係式より求まる。測定では線幅を直接に測定しないで

 

 の関係式を用いて共鳴周波数の電圧V0から求める。そのため測定ではそれぞれのVibrating Wireのシグナルの電圧を測定すれば良い。また、実際QapとQbeamを求める時にはシグナルの電圧に乗るクロストークの補正とVibrating Wire自身の線幅の補正を加えなければならない。

 測定は自由表面のレベルを変えながら行った。自由表面はBlackbody Radiatorの外に置かれたもう一つのVibrating Wireでその位置を検出し、室温部に置かれた標準ボリュウムを用いて微調整を行い、自由表面が穴の近くにある場合をまず測定した。その次に室温部の標準ボリュウムを用いてサンプルを加えて自由表面の高さを上げてやり、穴から離れたところに自由表面がある場合を測定した。測定に際しアンドレーエフ反射を直接に観測するにはまず液体3Heを十分超低温まで冷却して平均自由行程が実験装置の大きさより十分長いバリスティックな温度領域にする必要がある。本実験では熱交換器を工夫し約170Kまで液体3Heを冷却した。また、アンドレーエフ反射を箱の中の微細な温度変化という形で捕えるので箱が浸かっている液全体の温度を一定に保つ必要がある。そこで測定中は箱の外に置かれた液全体の温度を見るための温度計用のVibrating Wireで常時液の温度をモニターして±0.2Kの精度で温度を一定に保つ様にした。

 その測定結果を図2に示す。図2の横軸はヒーターパワー(Qap)を示し縦軸は穴より放出されるエネルギーフラックス(Qbeam)を示している。これらの結果は箱の外の温度が約170Kのもので(a)は自由表面が穴より離れた所にある時の結果で(b)は自由表面が穴の近くにある時の結果である。明らかに両者には差があり、この差が超流動3HeBの自由表面で起こる量子アンドレーエフ反射の証拠となっている。この図で特に注意しなければならないのは(a)の場合の直線の傾きQbeam/Qapの値が約5.4と1以上になっていることで、箱の中の夜に入れたエネルギーよりも多いエネルギーが穴より放出されることになってしまう。これは前述したQbeamの見積りがAの断面積の所を通過するエネルギーを計算しているだけのところにある。実際には穴には有限の長さがありAの断面積の所を通過した準粒子・準正孔のほとんどが穴の内壁で散乱され、そのうちのかなりの部分が再び箱の中に戻ってしまう。この穴の内壁での散乱による損失のため前述の様に見積もると実際よりも通過するエネルギーを大きく見積もってしまうわけだ。本実験結果は穴での損失を約81.4%と見積もるとつじつまが合う。この値は平均自由行程無限大の分子流の計算による値約80%に近くなっている。この穴での損失を補正したQbeam/Qapの170K〜185Kの各温度での測定結果が図3に示されている。(a)の穴より離れたところに自由表面がある時は定常状態であれば箱の中に入った熱はすべて穴より放出されるのでその値は1となる。(b)の穴の近くに自由表面がある時は自由表面でアンドレーエフ反射が起こるので1/(1-)のファクターだけ大きくなっている。このファクターからアンドレーエフ反射の反射率が見積もられ、その結果が図4に示されている。この図から反射率は5±2%となることが分かる。

 最後にこの測定結果を理論と比較する。本実験の実験状況下で観測されるべくアンドレーエフ反射の反射率を見積もるのは系が複雑すぎて容易ではない。そこで、幾つかの近似を行い計算したところ約23%となり観測値よりかなり大きい計算結果を得た。これにはいくつかの考えられる原因があり、その中で最も内因的なものは準粒子間散乱による損失である。この損失は、準粒子・準正孔が穴から飛び出し、自由表面に到達してアンドレーエフ反射を受けてまた箱の中にに戻ってくるまでの間に、平均自由行程が有限であることから別の準粒子・準正孔と衝突して散乱されて戻ってこなくなる損失である。この損失を見積もるには経験的に反射率にexp(-2d/1(T))というファクターをかければよい。ここで2dは穴から自由表面までの往復の距離で、1(T)は準粒子・準正孔の平均自由行程である。超流動3HeBのこの温度領域での準粒子・準正孔の平均自由行程はEinzel et.al.の理論計算を用いると170K〜185Kの温度領域では10%〜17%の損失が見積もられる。このため準粒子間散乱による損失では実測と計算値の食い違いを十分に説明できない。もう一つ考えられる原因は、穴の内壁での散乱による損失である。準粒子・準正孔が箱の中から出て行くときにかなりの部分が穴の内壁で散乱されて再び箱の中に戻ってしまう事を前述したが、当然アンドレーエフ反射を受けて戻ってくる準粒子・準正孔の場合もそのかなりの部分が穴の内壁で散乱を受けて再び箱の外に追いやられてしまう。この損失を考慮して観測されるべきアンドレーエフ反射の反射率を見積もると約6%になり、これに準粒子間散乱の損失を加味すると約5〜6%となり観測値をかなり良く説明する。

 本実験は超流動3He中で起こる量子アンドレーエフ反射を初めて直接的に観測した。観測された反射率は準粒子間散乱による損失と穴の内壁での散乱による損失を考慮に入れれば準古典的な理論から計算される値とかなり良く一致した。またBlackbody Radiatorの動作においては生成する準粒子・準正孔ビームの指向性の問題と準粒子・準正孔ビームの検出効率の問題は矛盾しており、さらなる工夫が必要であることが判った。

図2 放出されるエネルギーフラックスのヒーターパワー依存図3 補正後のヒーターパワーと放出されるエネルギーフラックスの比図4 アンドレーエフ反射の反射率
審査要旨

 超流動3Heは2個の3He原子がP波のクーパー対を作り凝縮した超流体で、零磁場ではA相、B相、磁場中では別のAl相が発見されている。こららの超流動の相境界や表面ではそのエネルギーギャップ(D)が空間的に変化しており、この領域に3He準粒子・準正孔が入射されると、ほとんど同じ運動量を持つ準正孔・準粒子として元の行跡を戻るアンドレーエフ反射が存在することが知られている。しかし超伝導体の場合と異なりその存在を直接に検証する適当な方法がなく、実験はほとんど行われてこなかった。最近Blackbody Radiatorという準粒子・準正孔を生成および検出する装置が開発され、色々な界面に適用できるようになりつつある。本論文は、この技術を用いて等方的なエネルギーギャップを持つ超流動3He-B相の自由表面という最もきれいでなめらかな界面において、アンドレーエフ反射を検出しようという初めての試みをまとめたものである。

 第1章の序論では、超流動3Heおよびアンドレーエフ反射について概説した後、本研究の背景、目的が述べられている。

 第2章は本研究に関係する理論の章である。超流動3Heの自由表面近傍におけるエネルギーギャップ(D)の空間変化をself-consistentに求める準古典的方法について簡単に触れた後、なめらかな表面での量子アンドレーエフ反射率の計算結果が紹介されている。

 第3章では実験方法が述べられている。冷凍機および測温システムについて簡単に述べた後、実験的に重要な試料セルの詳しい説明が行われている。先ず超流動3Heを準粒子散乱のほとんどないバリステツクな温度領域まで冷却するための熱交換器、本研究で様々な役割を果たすvibrating wireの作製とその測定法が述べられている。

 ついでこのvibrating wireを用いた超流動3He自身の精密な温度決定、液面の位置制御に触れた後、準粒子・準正孔を生成し検出する半球型の銀製密閉容器であるBlackbody Radiatorの詳細が示されている。最後にこの容器内に設置された2個のvibrating wireによるアンドレーエフ反射率の測定原理が述べられている。

 第4章はBlackbody Radiatorに投入されたheater powerとRadiatorのオリフィスから放出されたenergy fluxの理論的計算およびそれらを測定データから求める具体的な方法が示されている。

 第5章は実験結果が超流動3He自由表面の有無について示されている。放出されたenergy fluxはheater powerに比例しているが、超流動3He自由表面の無い場合の測定から、heaterで励起された準粒子・準正孔はオリフィスの壁での散乱にために約19%しかRadiatorの外へ放出されないことが判った。一方自由表面がオリフィス近くに有る場合、この放出された準粒子・準正孔の約5%が再びRadiator内に戻ってくることが認められた。これは超流動3He-B相の自由表面において準正孔・準粒子のアンドレーエフ反射が存在することを明瞭に示している。

 第6章では、放出準粒子・準正孔の角度分布が分子流の場合と同じであると仮定して、超流動3He-B相の自由表面でのアンドレーエフ反射率のエネルギー依存性についての理論値を用い、実際の実験条件における平均のアンドレーエフ反射率の近似計算が行われている。その結果は、オリフィスの壁での損失を考慮すると実験結果をかなり良く再現することが示されている。

 第7章は本論文のまとめと意義が述べられている。

 以上要するに、本論文は熱抵抗の大きなオリフィスを持つBlackbody Radiatorを開発し、超流動3He-B相の自由表面において量子的アンドレーエフ反射が存在することを初めて実験的に直接検証したものである。その業績は物性物理、物理工学に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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