放射光光源を用いた核共鳴散乱による物性研究が近年盛んになってきている。この手法をオーソドックスな放射性同位元素を用いたメスバウアー分光と比較した場合、放射光がパルス性である、指向性が強い、連続なエネルギースペクトルをもつ、などの特性をもつことを反映して、時間スペクトルが得られる、散乱実験に適している、高エネルギー分解能の非弾性散乱の観測ができるなどの特徴がある。溶媒中に分散した金属微粒子のような試料では、X線の反跳エネルギーが共鳴核の準位幅に比べてはるかに大きいのでオーソドックスなメスバウアー分光の手法で測定することが非常に困難であり、放射光のエネルギースペクトルの連続性を有効に利用できる。本論文では57Feの微粒子の試料を特殊な真空蒸着法を用いて作成し、微粒子の格子振動を核共鳴散乱の手法ではじめて解析している。従来、微粒子の格子振動は電気抵抗率や融点降下、X線によるデバイ・ワラー因子の測定などの方法で観測が試みられてきたが、いずれもデバイ温度という一つのパラメーターだけで議論されてきた。それに対して核共鳴散乱の手法を用いるとフォノンの状態密度分布をエネルギーの関数として測定することができるので、微粒子の格子振動を研究する上で不可欠なデータを得ることのできる有力な方法であるといえる。 本論文は7章から構成されている。 第1章、第2章は序論として研究に関する基礎的な知識の説明、および従来の研究の背景における本研究の位置づけが述べられている。 第3章は現在までに行われている核共鳴散乱を用いた格子振動の研究についてまとめられている。まず理論的な基礎となるメスバウアー線と格子振動の相互作用について自己相関関数からインコヒーレントな散乱断面積が導かれる過程を説明している。次に実験的な研究としてM.Setoら、W.Sturhahnらの成果を紹介したあと、複数の原子を含む結晶格子に関する線と格子振動の相互作用について理論的な考察を行っている。そこでW.Sturhahnらの研究でのデータ解析に問題があることを指摘し、正しい式の導出と実験結果との比較を行っている。 第4章は金属微粒子の格子振動に関する理論的、および実験的な研究を紹介し、特に原田らの金の微粒子に関するX線を用いた格子振動の研究について言及している。 第5章から第7章までが本論文の中核をなすもので、第5章では57Fe微粒子の作成法および核共鳴散乱を用いた57Fe微粒子の格子振動を観測した実験について詳述されている。ドラム状の真空槽内部にオイルと界面活性剤を入れ、ドラムを回転させながら57Feをるつぼから蒸発させる。回転するドラムには界面活性剤が含まれたオイルが膜状に付着し、そこに直接57Feの微粒子が蒸着される。この試料のインコヒーレントな核共鳴散乱の散乱断面積を常温で測定し、それがバルクの試料の散乱断面積とは大きく異なることを観測している。さらに試料の温度を変えて行った測定からバルクとは異なる次のような特徴があることが指摘されている。試料の温度を80Kにした時の低エネルギー側の散乱断面積がボーズアインシュタイン分布から予想される値よりも大きいこと、試料の温度を373Kにした時の散乱断面積の測定ではバルクの核共鳴散乱の散乱断面積のピークと微粒子のもののピークにずれがあること、である。 第6章では、第5章で指摘されたこれらの点に考察を加えている。まず試料の温度が373Kのものの測定で見られたピークのずれは微粒子表面に存在する比較的自由な原子による反跳エネルギーであると考えると説明できることを示した。また常温および80Kの時の散乱断面積の変化は粒径が小さくなるにつれて起こる格子振動のソフト化と、格子振動の準位の離散化からくるマルチフォノンの散乱過程の強調というモデルで説明できることを示した。微粒子に含まれる原子の数が減少するにつれてフォノンのモードの数も減り、シングルフォノンによる散乱過程の断面積が減る一方、マルチフォノンのものはそれよりも遅い減り方をするために相対的にマルチフォノンの散乱過程が強調されることになる。この考え方で計算された散乱断面積と実験結果が一致することが示されている。 第7章はまとめとして本論文で得られた成果を要約したものである。 以上を要約すると、本研究では放射光光源の連続なエネルギースペクトルを利用し、金属微粒子の格子振動によるインコヒーレントな核共鳴散乱の散乱断面積をはじめて測定した。そしてこの散乱断面積がバルクとは異なった特徴を持つことを明らかにし、その原因について理論的な考察を行った。この研究は今後の金属微粒子などのメゾスコピックな系の研究への展望を拓いたものであり物理工学への貢献が大きい。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |