学位論文要旨



No 112593
著者(漢字) 小山,一郎
著者(英字)
著者(カナ) コヤマ,イチロウ
標題(和) 鉄微粒子のX線核共鳴非弾性散乱
標題(洋)
報告番号 112593
報告番号 甲12593
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3871号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菊田,惺志
 東京大学 教授 河津,璋
 東京大学 教授 岡野,達雄
 東京大学 助教授 雨宮,慶幸
 東京大学 助教授 高橋,敏男
内容要旨 イントロダクション

 放射光光源を用いた核共鳴散乱による物性研究が近年盛んになってきている。この手法をオーソドックスなメスバウアー分光と比較した特徴は、パルス性の光源であること、指向性の強いビームであること、連続なエネルギースペクトル、などがあげられる。溶媒中に分散した微粒子のように反跳エネルギーの大きいものは、メスバウアー分光の手法で測定することが非常に困難であり、放射光光源のエネルギースペクトルの連続性を有効に利用できる。本研究では57Fe微粒子の試料を真空蒸着法のバリエーションを用いて作成し、この格子振動を核共鳴散乱の手法を用いて観測した。

 従来、微粒子の格子振動は電気抵抗率や融点降下などの間接的な方法や、X線、電子線などの直接的な方法で観測が試みられてきたが、いずれもデバイ温度、デバイワラー因子など格子の振動を平均化した一つの値を測定できるだけであった。ところが核共鳴散乱を用いると、状態密度分布をエネルギーの関数として測定することができ、微粒子の格子振動の理論を研究するための不可欠なデータを得ることのできる貴重な方法であるといえる。

試料作成

 57Feの微粒子の作成は金属材料研究所において真空蒸着法のバリエーションを用いて行なわれた。装置の概念図は図1のとおりである。ガラス性のドラムの中にオイルと界面活性剤を入れ、ドラム全体を回転させる。ドラムの表面に溶媒が膜状に張り付き、そこに蒸着源からのFe原子が飛び込み微粒子を形成する。微粒子の直径はほぼ20A、単結晶で格子定数などはバルクと全く同じである。低温でのメスバウアースペクトルは図2のとおり。室温での測定は現在行っているが、非常にシグナルが小さく奇麗なスペクトルは得るにいたっていない。室温の測定には放射光が必要であり、この方法の優位性を示唆している。

実験

 試料をポリエチレン性の袋にいれ、図3のような光学系を用いてincoherentな核共鳴散乱を測定した。実験回路図は図4のとおりである。測定は試料の温度を変化させて3回行なわれた。(80K、室温、摂氏100℃)結果は図5のとおりである。

考察

 室温のデータについて、既に瀬戸らによって測定されているバルクのFeとの比較をしてみる。それぞれのフォノンの状態密度分布は図6のようである。バルクのフォノンに比べて低エネルギー側にシフトし、ソフト化している様子が見られる。

 摂氏100℃の測定では、ちょうど塩酸の中に溶かしたFe原子のような反跳エネルギーに相当するピークのシフトが観測された。この試料は150℃から200℃あたりで微粒子同士が結合し成長することから考えて、微粒子の表面が溶けた状態に近くなっており、それによる反跳エネルギーを測定したと考えられる。

 80Kの測定では、フォノンの消滅に関係する低エネルギー側のスペクトルが温度を下げてもそれ程低下しないという異常が認められた。この結果はまだ合理的な説明はできていない。

まとめ

 57Feの微粒子の試料を作成し、そのフォノンの状態密度分布を核共鳴散乱を用いて測定した。バルクの状態密度と比較してフォノンがソフトニングしていることがわかり、またそのソフトニングの程度も理論が予測するものとほぼ一致することが確かめられた。試料の温度を摂氏100℃にあげた測定では、表面に存在するとおもわれる比較的freeな原子の存在が確かめられた。

図1 試料作成の概念図図2 試料のメスバウアースペクトル図3 光学系図4 実験回路図図5 測定結果図6 フォノン状態密度分布(上:バルク、下:微粒子)
審査要旨

 放射光光源を用いた核共鳴散乱による物性研究が近年盛んになってきている。この手法をオーソドックスな放射性同位元素を用いたメスバウアー分光と比較した場合、放射光がパルス性である、指向性が強い、連続なエネルギースペクトルをもつ、などの特性をもつことを反映して、時間スペクトルが得られる、散乱実験に適している、高エネルギー分解能の非弾性散乱の観測ができるなどの特徴がある。溶媒中に分散した金属微粒子のような試料では、X線の反跳エネルギーが共鳴核の準位幅に比べてはるかに大きいのでオーソドックスなメスバウアー分光の手法で測定することが非常に困難であり、放射光のエネルギースペクトルの連続性を有効に利用できる。本論文では57Feの微粒子の試料を特殊な真空蒸着法を用いて作成し、微粒子の格子振動を核共鳴散乱の手法ではじめて解析している。従来、微粒子の格子振動は電気抵抗率や融点降下、X線によるデバイ・ワラー因子の測定などの方法で観測が試みられてきたが、いずれもデバイ温度という一つのパラメーターだけで議論されてきた。それに対して核共鳴散乱の手法を用いるとフォノンの状態密度分布をエネルギーの関数として測定することができるので、微粒子の格子振動を研究する上で不可欠なデータを得ることのできる有力な方法であるといえる。

 本論文は7章から構成されている。

 第1章、第2章は序論として研究に関する基礎的な知識の説明、および従来の研究の背景における本研究の位置づけが述べられている。

 第3章は現在までに行われている核共鳴散乱を用いた格子振動の研究についてまとめられている。まず理論的な基礎となるメスバウアー線と格子振動の相互作用について自己相関関数からインコヒーレントな散乱断面積が導かれる過程を説明している。次に実験的な研究としてM.Setoら、W.Sturhahnらの成果を紹介したあと、複数の原子を含む結晶格子に関する線と格子振動の相互作用について理論的な考察を行っている。そこでW.Sturhahnらの研究でのデータ解析に問題があることを指摘し、正しい式の導出と実験結果との比較を行っている。

 第4章は金属微粒子の格子振動に関する理論的、および実験的な研究を紹介し、特に原田らの金の微粒子に関するX線を用いた格子振動の研究について言及している。

 第5章から第7章までが本論文の中核をなすもので、第5章では57Fe微粒子の作成法および核共鳴散乱を用いた57Fe微粒子の格子振動を観測した実験について詳述されている。ドラム状の真空槽内部にオイルと界面活性剤を入れ、ドラムを回転させながら57Feをるつぼから蒸発させる。回転するドラムには界面活性剤が含まれたオイルが膜状に付着し、そこに直接57Feの微粒子が蒸着される。この試料のインコヒーレントな核共鳴散乱の散乱断面積を常温で測定し、それがバルクの試料の散乱断面積とは大きく異なることを観測している。さらに試料の温度を変えて行った測定からバルクとは異なる次のような特徴があることが指摘されている。試料の温度を80Kにした時の低エネルギー側の散乱断面積がボーズアインシュタイン分布から予想される値よりも大きいこと、試料の温度を373Kにした時の散乱断面積の測定ではバルクの核共鳴散乱の散乱断面積のピークと微粒子のもののピークにずれがあること、である。

 第6章では、第5章で指摘されたこれらの点に考察を加えている。まず試料の温度が373Kのものの測定で見られたピークのずれは微粒子表面に存在する比較的自由な原子による反跳エネルギーであると考えると説明できることを示した。また常温および80Kの時の散乱断面積の変化は粒径が小さくなるにつれて起こる格子振動のソフト化と、格子振動の準位の離散化からくるマルチフォノンの散乱過程の強調というモデルで説明できることを示した。微粒子に含まれる原子の数が減少するにつれてフォノンのモードの数も減り、シングルフォノンによる散乱過程の断面積が減る一方、マルチフォノンのものはそれよりも遅い減り方をするために相対的にマルチフォノンの散乱過程が強調されることになる。この考え方で計算された散乱断面積と実験結果が一致することが示されている。

 第7章はまとめとして本論文で得られた成果を要約したものである。

 以上を要約すると、本研究では放射光光源の連続なエネルギースペクトルを利用し、金属微粒子の格子振動によるインコヒーレントな核共鳴散乱の散乱断面積をはじめて測定した。そしてこの散乱断面積がバルクとは異なった特徴を持つことを明らかにし、その原因について理論的な考察を行った。この研究は今後の金属微粒子などのメゾスコピックな系の研究への展望を拓いたものであり物理工学への貢献が大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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