近年の超短パルス高出力レーザー技術の進展は目覚ましく、研究室規模でTW(1×1012W)クラスのレーザーシステムが開発されるようになった。このようなレーザーのもつ短パルス性と高集光性により、その集光点において強力な光電場を得ることが可能である。 超短パルス高出力レーザーと物質との相互作用を調べる研究は、超高光電場下の物理(High Field Physics)として知られている。このときのレーザー電場は、ボーア半径における原子内クーロン電場[5.1×1011V/m(レーザー強度にして4×1016W/cm2)]と同じくらいか、あるいはそれ以上である。このような高出力レーザーによって作り出される強力な光電場により、様々な非線形光学現象が観測されるようになった。その中に高次高調波発生、イオン化、電場誘起軟X線レーザーなどがある。高次高調波とは、非線形光学過程によって入射光の整数倍の振動数の光を出す現象であり、コヒーレントな軟X線源として注目されている。従来、原子内電場に比べ光電場が十分に弱い場合、高調波発生は摂動論で扱われ、強度は次数とともに急激に減少した。しかしながら、レーザー電場が原子内電場をこえてくると非摂動論的に扱われるようになり、高次までほとんど強度が変化しないプラトー(plateau)という現象が観測された。またイオン化についても、従来では、原子が複数の光子を同時に吸収してイオン化する多光子イオン化が支配的であり、イオン発生量の測定や光電子分光などが行われた。多光子イオン化の注目すべき現象として、イオン化に必要な光子数よりも多くの光子を吸収してイオン化するAbove Threshold Ionization(ATI)が、電子のエネルギースペクトルより観測された。このときの電子は、光子エネルギーごとに量子化された状態(dressed state)にあり、高次高調波への寄与としても注目された。またレーザーの超短パルス性(10ps以下)を用いることで、ポンデロモーティブポテンシャル(UP)に相当する電子のエネルギーシフトや、原子内準位との共鳴効果が観測された。ここで、UPは電子が振動場から受ける平均的な振動エネルギーでレーザー強度と波長の2乗に比例する。またレーザー強度の増加に伴い、トンネリングイオン化の現象が可視域において報告されるようになった。このようにイオン化には、多光子領域とトンネリング領域があり、Keldyshのパラメータ=(IP/2UP)0.5が一つの指標となっている。ここで、1Pはイオン化ポテンシャルであり、≫1で多光子イオン化が、≪1でトンネリングイオン化が支配的となる。また最近では、高強度光電場による軟X線レーザーが提案され、レーザー動作が報告された。 この論文では、まず二電子同時イオン化の波長依存性をはじめて観測し、その結果からquasistaticモデルの妥当性について述べる。従来イオン化において、あるイオンはそれよりも必ず1価少ない価数のイオンから生成されるという、逐次的なイオン化が常識とされてきた。しかし最近、Fittinghoffらは、波長614nmパルス幅120fsの直線偏光を用いてHeのイオン化実験を行い、2価イオンが逐次イオン化を仮定したトンネリングイオン化の理論(ADK理論)より低強度側で観測されることを見出し、この結果を二電子同時イオン化によるものとした。この現象を説明する為に、彼らはshake-offモデルを提案している。これは、超短パルス効果により同じレーザーサイクル中に、二電子が同時にイオン化するというものである。このモデルが正しいとすると円偏光やすべての波長において同じ現象が起こる。これに対して、Corkumはquasistaticモデルを提案した。このモデルは、半古典的なtwo-stepモデルであり、まず電子は、電場の瞬時値によりトンネリングでイオン化する。その後電子は、初速度0でレーザー電場中を古典力学に従って運動する。直線偏光の場合、ある位相でイオン化した電子は、レーザーサイクル内に再びもとの原子核を通過する。この戻り電子が、原子内電子と衝突して2個の電子が同時に飛び出すというものである。このモデルに従えば、戻ってきた電子の最大エネルギーは3.17UPであり、長波長(745nm)の場合、He+のIP(54.4eV)を十分越える為、電子衝突による二電子同時イオン化が起こるが、短波長(248nm)ではHe+のIPをこえない為、二電子同時イオン化はおこらないことになる。また円偏光の場合も、放出された電子は、原子核に戻ってこないので二電子同時イオン化はおこらないことになる。 両モデルの妥当性を検証する為、Ti:sapphireレーザー(波長745nm,パルス幅200fs)とKrFレーザー(波長248nm、パルス幅440fs)を用い、二電子同時イオン化の波長依存性と偏光依存性を測定した。直線偏光におけるレーザーのピーク強度に対するHeイオンの発生量を、図1(a)と図1(b)に示す。図1(a)の実線はquasistaticモデルであり、点線はADK理論である。図1(b)の実線はADK理論である。745nmで実験を行うと、2価イオンの発生強度が逐次イオン化を仮定したADK理論よりも低強度側にずれることが観測された。これは二電子同時イオン化によるものと考えられる。これに対し248nmでは、低強度側のずれは観測されず、波長依存性のあることが確認された。また、745nmの円偏光によるイオン化実験において、低強度側のずれは観測されず、偏光依存性のあることも確認された。以上の結果は、quasistaticモデルの妥当性を証明するものである。 図1:レーザーのピーク強度に対するHeイオンの発生量.(a)Ti:sapphireレーザー,(b)KrFレーザー 次に光電子分光の実験より、紫外域における共鳴イオン化とトンネリングイオン化を観測し、Keldyshのパラメータとの比較について述べる。これまで長波長レーザーでは、=1を境にイオン化領域が分かれることがわかっているが、短波長レーザーでは未だトンネリングイオン化が観測されていない。また低強度でのイオン化が、共鳴か非共鳴かの論争がある。 実験は、高出力KrFレーザー(波長248nm、パルス幅300fs)を用いて希ガス(Ar,Ne,He)の光電子分光をTime-of-Flight(TOF)を用いて行った。図2(a)にArから生成された電子のエネルギースペクトルを示す。このときのレーザー強度は3.1×1014W/cm2である。多光子イオン化により、光子エネルギー(5eV)毎のATIピークが観測された。最初のATIピークを拡大したものを図2(b)に示す。各ピークの位置が、レーザー強度の増加(ポンデロモーティブポテンシャルの増加)によらず変化しなかった。このことは、原子準位との共鳴効果によるものとして説明でき、各ピークはそれぞれ3d,5s,6sと同定される。これより、低強度でのイオン化が、共鳴であると結論できる。NeとHeを高強度でイオン化させた場合に注目すると、ATIの構造は徐々につながったものとなった。レーザー強度6.5×1015W/cm2でのHeの結果を図2(c)に示す。図2(c)でのの値は中性原子のイオン化が飽和する強度で計算し、=0.73となる。これは、トンネリング領域に相当する。さらに点線は、トンネリングイオン化を仮定したquasistaticモデルをレーザー強度3.5×1015W/cm2で計算したものであり、スペクトルの外形とおおよそ一致している。このことは、短波長レーザーにおいてトンネリングイオン化が観測されたことを示している。また、イオン化領域が1で分かれることから、Keldyshのパラメータが紫外域においてもよい指標であると結論できる。 図2:(a)Arのエネルギースペクトル,(b)Arの拡大図,(c)Heのエネルギースペクトル図3:Heの光電子スペクトル.(a)円偏光.番号NはN-1次からN次へのイオン化を示す,(b)直線偏光 最後に多価イオンから生成された電子のエネルギー分布を測定し、多価イオン領域でのquasistaticモデルの妥当性について述べる。これまで、中性原子がイオン化した際に発生する電子のエネルギー分布については精力的に研究されている。しかしながら、トンネリング領域において、非常に多価のイオンから発生する電子を価数ごとに区別して測定している例はほとんどない。観測されていない理由として、励起レーザーを直線偏光とした場合、quasistaticモデルによると、電子のエネルギースペクトルは指数関数的に単調減少し、2UPまで分布する。この場合エネルギー分布が連続なので、普通に観測するだけでは親イオンの区別がつかない。これに対して円偏光パルスにすると、レーザー電場の大きさが常に一定な為、電子のエネルギー期待値は一定(UP)になる。従って、親イオンが異なれば、発生する電子のエネルギーも大きく異なるので、エネルギースペクトル中に、親イオンに対応するピークが生じることが期待される。 Ti:sapphireレーザー(波長745nm,パルス幅100fs)の円偏光を用い、トンネリング領域における光電子スペクトルの計測を行った。図3にHeでの光電子スペクトルを示す。図3(a)と図3(b)がそれぞれ円偏光と直線偏光に対応し二つの間に明確な違いが現れた。直線偏光での分布は電子エネルギーに対してほとんど単調に減少する。一方、円偏光の場合、高エネルギー側に直線偏光にはなかった二つ目のピークが現れた。円偏光での二つのピークの信号量を比較すると、1価イオンからの信号量が、中性原子からのものに比べて圧倒的に少ないことが確認でき、quasistaticモデルによるイオン化レートだけでは説明できない。そのため、レーザー強度の空間分布を考慮に入れる必要があり、照射強度2.0×1016W/cm2での結果を図3(a)の点線で示す。各ピークの高エネルギー側での計算値とのずれは、レーザー集光径が小さいことに起因する電場強度勾配中でのポンデロモーティブ加速によるものと考えられる。電子スペクトルとquasistaticモデルの比較から、Heで2価、Neで3価、Arで6価、Krで7価、Xeで8価までイオン化していることがわかり、空間積分とポンデロモーティブ加速を考慮すればこのモデルの妥当性を証明できる。またXeの結果は、最近報告された電場誘起による衝突励起型軟X線レーザーの成功を裏づけるものである。 |