学位論文要旨



No 112598
著者(漢字) 舛田,紀子
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,ノリコ
標題(和) 相分離と液晶化の競合下での秩序形成ダイナミクス
標題(洋)
報告番号 112598
報告番号 甲12598
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3876号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田中,肇
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 高木,堅志郎
 東京大学 助教授 伊藤,耕三
 東京大学 助教授 酒井,啓司
内容要旨 1.研究の背景・目的

 高分子・液晶混合系は、静的光散乱に基づく新しいタイプの表示素子への応用(PDLC、SSLC)を目指して広く研究がなされている。また、高分子・液晶混合系では保存、非保存の秩序変数(それぞれ組成と配向のオーダーパラメータ)が一つの系の中に共存しており、そうした系においてどのように秩序形成が進むのかという観点から学術的にも非常に興味深い系である。近年、保存、非保存各系における動的挙動に関する分野は実験、シミュレーションなどによって非常に精力的に研究され、既存の理論の検証にとどまらずさらに発展を続けている。しかし保存・非保存共存系での秩序形成過程については、われわれの知る限りでは液体ヘリウムの三重点近傍での相分離と超流動相転移の競合の初期過程についての研究を除いて例がなく、全体の理解には至っていない。

 さらに、高分子・液晶混合系は相分離と液晶化という二つの非平衡現象が競合する系という側面を持つ。このような系でのパターン形成は、液晶のもつ弾性エネルギーの寄与が無視できなくなり、通常の二成分流体系の場合のように界面積を最小とすることのみでは決定されずにより複雑な形態になることが予想される。

 このように、工業的重要性のみならず、様々な学術的重要性をもつ系における相分離ダイナミクスの本質を明らかにしていこうというのが、本研究の目標である。

2.相図

 試料は以下に示すような多成分系であるが、全体としては高分子・液晶擬二成分系となっている。高分子側は、揮発性に富んだモノマーEHA(2-ethyl-hexyl-acrylate)と粘度の高いオリゴマーUN1102(平均分子量3900)を1:1の比で混合した二成分系であり、液晶は一般的な混合液晶E8(TIN=72℃、n//=1.774、n=1.527、△n=0.247)で、室温ではネマティック相である。

 これを少量とって二枚のカバーガラスの間にはさみ、高温で等方相とした後、温度制御装置によって希望の温度に保たれた台上に素早く移動することによって温度クエンチを行う。これによって開始される構造形成過程を、屈折率分布を反映する位相差モード、光学的異方性を反映する偏光モードの両方が可能な顕微鏡下で観察することを中心に図1のようなUCST型の二相共存曲線と液晶相転移曲線が結合したかたちの相図を得た。

 液晶相転移曲線より高温側ではまったく変化がおきず、低温側では液晶相転移によってネマティック相(以降N相という)のドメイン形成がおこる。液晶の体積分率が小さい場合はドロップレットになって、等方相(I相)と共存するが、多い場合はほぼ全体がN相になる。その境界はI相が安定に存在する限界と考えられる。一方、液晶相転移曲線はN相の安定限界と考えられ、高分子の割合の増加は液晶相転移に対する不純物希釈効果となって急速に低温側に下がっていく。

 二相共存曲線より低温側では異方的なドメイン形成がおこる。このような核の出現に要する時間が0に漸近する温度からスピノーダル曲線を決定できた。液晶40〜50%ではドロップレットと大きな葉状構造が共存し、後者が次第に全体に広がってドロップレットを吸収していく様子が見られる。

 一方、液晶リッチな場合は液晶化の影響を大きくうけて現象の時間スケールが非常に短いため、静的な時分割偏光光散乱装置(図2)を制作し、これによって実験をおこなった。

図1 高分子・液晶混合系の相図図2 時分割偏光光散乱装置
3.液晶ドロップレットの構造

 VV散乱ではリングのほかに楕円、VH散乱では四つ葉のクローバー型のパターンがみられた。VV散乱は保存、非保存の両方の秩序変数の挙動を反映するのに対して、VH散乱は非保存の秩序変数の挙動のみを反映する。また偏光顕微鏡下での観察でドロップレットが小さいうちはbipolar型のコンフィギュレーション(図3)であることがわかる。このため、異方的な散乱は内部に配向状態をもつ小さなドロップレットからの孤立散乱であると考えられる。

 また、このような散乱パターンから散乱関数が得られ、スピノーダル分解では波数一定で強度が指数関数的に成長することなど、ピーク波数・強度の時間変化は秩序形成のダイナミクスを、またピーク波数は系に特徴的な長さを反映することが知られている。

図3 ネマティックドロップレット
4.秩序形成の駆動力

 相図のかたちから、基本的には相分離の駆動力と液晶化の駆動力とのバランスによって系の挙動が決定されると考えられる。相分離の駆動力が強い場合にはスピノーダル分解、弱い場合には核生成成長がおこる。同様に、液晶化の駆動力が強い場合には液晶化に対して系全体が不安定となってN相になり、弱い場合には準安定でI相との共存状態になる。

(1)液晶化の不安定領域

 液晶化の不安定領域では、全体が急速にN相になっていく。VV散乱では相分離領域ではないがリングが現れ、極めて明るくなりながら急速に小さくなり、VH散乱では特徴的なパターンはあらわれない。最初のリングはIN相転移直後に形成されるネマティックドメインの急速な粗大化を反映しているものと考えられる。相分離の駆動力がきいてくる領域では途中で時間発展がとまったように見える時間が存在する。

図4 液晶化の不安定領域でのスピノーダル分解(E8 70%,T=0℃)図5 液晶化の準安定領域でのスピノーダル分解(E8 50%,T=2℃)図6 液晶化の準安定領域におけるスピノーダル分解の模式図
(2)液晶化・相分離の不安定領域

 初期過程は非常に短く、VV散乱ではリング、VH散乱では四つ葉のクローバーがほぼ同時にあらわれて、通常の二成分流体系の場合と同様に粒子の拡散が支配的な時間の1/3乗則に従った挙動をする。また、むしろVH散乱の方がはやくあらわれる傾向すらあり、「クエンチ直後にまず配向秩序が形成され、その後通常のスピノーダル分解がおこる」ことを示していると考えられる(図4)。

(3)相分離の不安定領域かつ液晶化の準安定領域

 臨界組成付近では、クエンチ直後のVV散乱においてスピノーダルリングが現れるがすぐに小さくなって消えてしまい、新たに異方的な楕円が現れて明るくなりながら小さくなっていく。一方VH散乱では、スピノーダルリングが現れる時間帯にはなんら特徴的なパターンはみられず、ずっと遅れて四つ葉のクローバー型のパターンが現れて時間とともに小さくなっていく。このパターンが現れるのは、VV散乱で楕円が現れるのとほぼ同時刻である。すなわち、液晶リッチな組成での挙動とは異なり、異方的な散乱パターンは等方的なものよりずっと遅れて現れる(図5)。実空間では、まず双連結構造が形成されて、その一方の相において小さな液晶ドロップレットの核ができてくる様子が見られた。

 以上のことから、スピノーダル分解が液晶化の準安定領域で引き起こされる場合、「まず通常の二成分流体系におけるのと同様のスピノーダル分解がおこり、分かれた二相のうち、液晶リッチな相内の方がネマティックドロップレットの核の形成確率がはるかに高いために、こちらで液晶の核生成成長がおこる」と考えられる(図6)。

(4)相分離の準安定領域

 高分子リッチな組成では液晶の核生成・成長がおこる。顕微鏡下での観察からその形態は非常に異方的であることがわかる。これは液晶の弾性エネルギーの寄与が大きく、必ずしもなめらかな界面を形成しなくても安定に存在することを示唆していると考えられる。

 液晶40〜50%付近で相分離の不安定領域では、このような異方的な核がスピノーダル分解によるドロップレットと共存し、後者の存在によってスピノーダル線を確認することができる。その結果は核の出現に要する時間が0に漸近する温度による結果とよく一致した。

 また核の数の時間変化から、定常的な均一核生成と界面の状態やごみによって偶然出現する不均一核生成があることが明らかになった。深いクエンチの場合には組成・温度によらず時間でスケールすることができ、均一核生成であることが示唆される。

審査要旨

 高分子・液晶混合系は、ディスプレイ材料として工業的に広く研究されているが、組成という保存される秩序変数と液晶の配向のオーダーパラメータという非保存の秩序変数が共存する系での秩序形成という観点から、超流動相転移点近傍での3He-4He混合系などと類似点があり、学術的にも非常に興味深い系である。さらに、相分離と液晶化という二つの非平衡現象が競合するパターン形成では、界面エネルギーを最小とする条件だけでは決定されず、液晶の弾性エネルギーの寄与によって複雑なものになると予想される。本論文は、このような系での秩序形成ダイナミクスを明らかにすることを目的としておこなったものであり、全6章からなっている。

 第2章では、理論的背景として系の自由エネルギーを定義した。これは空間的に均一な平均場近似による自由エネルギー、界面での濃度勾配、配向によるエネルギー増加分、そして界面での液晶分子のアンカリングによるエネルギー増加分の4つの項を加えあわせたものであらわされるとした。第一項は、等方相のFlory-Hugginsの自由エネエルギーとLandau-de Gennes展開したネマティック相の自由エネルギーの線形結合であらわした。後者では、配向のオーダーパラメータの二次の係数は等方相の絶対不安定温度T°から求められる濃度°をあらわに含ませることによって、温度、組成いずれの条件によっても系全体がネマティック相に転移する効果が得られるようにした。また第三項はFrankの自由エネルギーに一定数近似を用いたものに相当する。このような表式を用いて、組成は連続の式から導かれる保存系の、また配向のオーダーパラメータは非保存のTDGL方程式にそれぞれ従うこと、また速度場を用いて力のバランスをあらわすことができることから、系のダイナミクスを記述することができる。

 第3〜4章では、試料と相図、実験方法について述べた。試料は高分子側は工業的に光重合法で製造する際の原料であるモノマーEHAとオリゴマーUN1102を1:1の比で混合したもの、液晶は混合液晶E8であり、全体として高分子・液晶擬二成分系をなしている。この系の相図は共存曲線、スピノーダル曲線と、液晶相転移曲線が結合した形であることが特徴である。液晶の割合が低下するにつれて液晶相転移温度が低下することは、高分子による希釈効果として理解できる。ネマティック相ドメインの形態は、液晶が多い場合にはドロップレット、少ない場合には針状構造であることが特徴的で、このような形態の変化は系のエネルギーに液晶の弾性エネルギーが大きく寄与していることを示唆する。実験は位相差、偏向両モード可能な顕微鏡観察及び時分割偏向光散乱法によっておこなった。ドロップレット内部の配向状態は多くの場合bipolar型であり、粗大化とともに試料をはさんでいるガラスとの相互作用によってガラスに対して垂直配向に変化することが明らかになった。理論的には先に定義された系の自由エネルギーを最小とするように決定される。さらにこれに対応した散乱パターンは異方的になることが知られており、本実験で初期には等方的であっても中・後期過程では異方的なパターンになることから、このような内部で配向状態をもつ液晶ドメインからの散乱であることが示唆される。

 第5章では、実験結果及び考察について述べた。まず、相分離の臨界温度より高いネマティック相転移領域では、最終的な平衡状態に達するまでの時間が比較的長い領域と短い領域とに分割され、その境界は等方相の安定限界に相当することが明らかになった。後者の領域で非常に深いクエンチでは途中で波数一定の領域があらわれる二段階の変化が見られ、速やかに配向秩序を形成した後にスピノーダル分解によって等方相・非等方相の間で相分離がおきていることが示唆されていると考えられる。次に相分離に対する不安定領域では、スピノーダル分解が等方相の安定限界より低温側、高温側のいずれで引起こされるのかによって、平衡状態に至るプロセスが異なることが明らかになった。すなわち低温側の場合には、まず速やかに配向秩序が形成された後、拡散が支配的な粗大化が進む。これに対して高温側では、まず通常の二成分流体系の場合と同様に双連結構造が形成され、わかれた二相のうち液晶リッチな相で液晶相転移がおきてドロップレットが形成されていく。さらに境界付近では、スピノーダル分解の特徴である線形近似の成り立つ時間が他の領域に比べて長く、その後は拡散が支配的な挙動を示す。このことは初期過程において両秩序変数が強く競合するが、その後は相分離していくことを示唆していると考えられる。最後に相分離の準安定領域では、核の出現に要する時間から、スピノーダル曲線の存在、均一、不均一核生成がおきること、さらに均一核生成にも急速なものとそうでないものがあることが明らかになった。また核の数の時間変化では、深いクエンチでは組成によらない急速な核生成があり、それより浅いクエンチでは液晶の割合によって次第にゆっくりとなる場合と明らかに遅い核生成にわかれる場合とがある。このような結果は以下のようにして理解することができる。核が出現するためにこえなければならないエネルギーバリアの大きさは、界面形成にともなうエネルギー増加分と相分離による自由エネルギーの低下分の差し引きであらわされるが、保存・非保存共存系では後者に両秩序変数からの寄与が含まれる。すなわち、液晶濃度が高くなることによって非保存の秩序変数が大きくなる場合には、それによるエネルギー低下が大きくなるため、配向秩序を形成しながら核生成がおきるのに対して、そうでない場合には通常の二成分流体系の場合と同様の核生成がおきてから配向秩序が形成されると考えられる。

 このように、先に定義した自由エネルギーによって、秩序形成の初期過程においては、等方相の安定限界より低温側ではまず配向秩序を形成する非保存系とみなすことができるのに対して、高温側では保存系と同様に相分離がおきること、また境界付近では両者が強くカップリングすること、さらに高分子・液晶混合系では液晶の弾性エネルギーの寄与が大きいことが、矛盾なく説明できることが明らかになった。このような考察は、保存・非保存共存系での秩序形成を理解する上で有意義な知見を与えると思われる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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