内容要旨 | | 人は何かに触っただけで,その大まかな形・軽重や硬さ等の特性が判別できる.触覚はこの世のものには奥行きと輪郭があることを教える.このような触覚を通じた知覚・認識をロボットに付与したり,人工装置により仮想的に生成したりするには,人の触知覚の仕組みを十分に理解しなければならない. 圧力二次元分布の獲得により人の優れた触知覚の殆どが実現しうるという期待から1980年代にロボット工学の分野において精力的に圧力分布用二次元アレイセンサの開発が行われたが,その情報処理は単一の接触像への画像処理アルゴリズム適用にとどまり,実際に検出できる触覚情報は輪郭等にとどまった.1990年代,触覚は本質的に動作を伴うという観点から,弾性体としてのセンサ特性や接触における動的情報の意味が弾性体理論に基づいて考察され,新しい構造を有しテンソル情報の時間信号を積極的に処理することでテクスチャー・滑り速度等の有用な触覚情報を検出する触覚センサが提案されている. 大きさ10〜200mmと対象物が指先との接触面より大きく,接触状態が十分高密度で分かるケースは人にとり最も日常的だと思われるが,現在までのロボット触覚研究には該当する領域の研究が進んでいない.その理由として,高分解能のため膨大な触覚情報への弾性体理論の適用が難しいこと,またセンサ(指先)の三次元運動が可能なために触覚情報と多自由度運動の関連が絞り込めないことがあり,このために皮膚(cutaneous)感覚と運動(kinesthetic)感覚が一体になり,能動運動が本質的な役割を果たす人間型触知覚(haptics)には到達しなかったと考えられる. 触覚情報は面積のごく限られた二次元情報に変換された三次元世界情報であるにもかかわらず,我々は触覚を通じて三次元的認識を得ている.それは,人の触知覚が能動的に触覚情報を収集し,何らかの空間的情報の推定計算を行うためである.人間型の触知覚を十分理解するには,この逆プロセスを計算機とロボットにより再現できるレベルにまで理解しなければならない.D.Marrは,投影変換後の二次元網膜像から外界三次元構造を再現する情報処理課題として「視覚」を定式化し,このような情報処理システムを理解するために,これまでの「ハードウェア実装」のレベル・「表現とアルゴリズム」のレベルにおける理解に,「計算理論」レベルでの理解を加えることを提唱した. 本論文では,能動的に制御される指において観測される応力分布,特に表面圧力分布像とその時間変化・指運動情報から,触っている対象の情報すなわち局所形状・硬さ・動き・表面テキスチャー等を認識する情報処理として「触知覚」を定義することを提案する.計算論的に触知覚を理解するには,第一に,視覚での投影変換に対応する「順プロセス」すなわち接触により外界環境が圧力分布に変換される物理的プロセスとその性質が明確にされなければならない.第二に,順プロセスと密接に関連する「逆プロセス」すなわち運動・触覚情報からの三次元的情報の回復における指の能動性や複数性が果たす役割が明確にされ,第三に触知覚情報処理の入出力表現と変換アルゴリズムが考えられなければならない. 第2章では,均一材質でモデル化した指先と環境が接触したときの圧力分布をHerz接触理論に基づいて考察し,単一の接触像からは曲率と硬さが独立に定まらないため,硬さ・角・丸み等の認識には能動運動が本質的であることを示した.Herz接触理論に基づいて,接触面楕円パラメータによる圧力分布表現を選択し,能動運動による楕円パラメータ変化からの対象曲率と硬さの推定法を導いた.感圧導電ゴム型圧力分布センサ及び三軸ロボットからなる実験系により,これを検証した. LaMotteとSrinivasanは,速度と接触力を一定に保つサーボ制御装置をもちいて曲率の変化していく板でマカクザルの指先をなぞり,触覚受容器の応答を神経生理学的に調べた.現時点では皮膚内三次元応力場を十分高分解能で計測することが技術的に不可能なため,呈示刺激から神経出力への変換をブラックボックスモデルとして扱うことで,(1)遅順応性機械受容器(SA)は,接触している対象物の曲率を符号化している(2)速順応性機械受容器(RA)は,皮膚表面の垂直変形速度を主に符号化している,という仮説に到達した.そして有限要素法に基づく解析と実データとの比較検証の繰返しを通じて精緻な皮膚モデルを構成し,仮説を検証する研究方針を提案している.第3章では,SA・RAを均一な弾性体内に埋め込まれた垂直圧及び垂直圧変化レートの感知器としてモデル化しHerzの接触理論に基づいて弾性体内での垂直圧と対象曲率との関係,弾性体内での垂直圧変化と表面垂直変位速度の関係を求めることで,有限要素法のように大規模で複雑な計算機モデルを構成することなく,この仮説を説明する一モデルが得られることを示した. 手と目の間に遮蔽物があるために,環境情報の収集を触覚にのみ依存するような場合でも,われわれは日常的に触っている物の大まかな形状・硬さ・それが動いているかどうかを知覚できる.しかし従来のロボット触覚研究は,変形の無視できる静止対象物を扱い,対象物運動を陽に扱ってこなかった.第4章では,先端に搭載した圧力分布センサで対象に接触している二本のロボットアームを想定し,対象の運動に伴う接触面楕円パラメータ変化からの運動推定を考察した.そして位置姿勢の異なる二つのセンサにより観測された圧力分布変化から,(1)対象物の硬さが既知であれば,並進及び回転運動の大きさが推定可能なこと(2)硬さと曲率の未知な対象物についても対物速度の検出が可能であれば,対象の6自由度の運動・硬さ・曲率のすべてが推定可能であることを示した. ロボットシステムや人工現実感システムのように,リードタイムやサンプリングレートが異なる複数のセンサから構成されるシステムでは,すべてのセンサを高サンプリングレートで同期させられず,各瞬間でのセンサ組合せは限定される.第5章では,各時点でのセンサ組合せを定める固定長観測シーケンスの導入により全センサ情報の同期を回避し,高い推定レートでセンサ情報を時々刻々融合すること提案する.このシーケンスによる定式化に基づけば「より良いセンサ融合系の構成」は,与えられたセンサ資源の範囲内での「より良い観測シーケンスの設計」になり,その比較・設計のためにはシーケンス妥当性の理論的検証と性能の理論的予測が可能でなければならない.観測シーケンスの妥当性は,シーケンス適用時の推定誤差共分散行列の挙動すなわち離散周期系リカッチ方程式の議論に帰着し,その安定判別法により検証できることを示した.また,単位時間当りの相互情報量により,シーケンスの性能を理論的に評価することを提案し,人工現実感とロボット触覚の事例について,観測シーケンス性能の理論的予測及び複数観測シーケンスの比較検討が可能であることを示した. 触覚受容器が高密度なのは指先のごく限られた部分であるため,十分な触覚情報を得るには接触面をこの高分解能部位で反射的に捉え続ける制御が必要である.第6章では,この問題に特徴量サーボ法を適用することを提案し,正規化された接触面楕円パラメータを特徴量としてもちいることを提案した.そして正規化接触面楕円パラメータに基づく特徴量サーボ手法を,圧力分布センサを先端に搭載した三自由度DDロボットに実装し,その有効性を検証した. 本研究による主要な結果は次の五点にまとめられる. 1.外界環境の圧力分布への物理的変換をHerz接触理論によりモデル化することを提案し,この枠組により神経生理学上の触覚受容器に関する仮説に一モデルを与えた. 2.接触面での圧力分布とその変化を,Herz接触理論に基づいて接触面楕円パラメータもしくは正規化された接触面楕円パラメータの形で表現し,6自由度の運動パラメータとその変化の関係を求めた. 3.楕円パラメータで表現された触覚情報と運動の関係に基づいて,情報の量・情報の質・空間的に制約されている触覚センサからの接触対象の硬さ・曲率・運動の推定法を提案し,能動運動と複数指情報がその推定において本質的であることを示した. 4.楕円パラメータで表現された触覚情報と運動の関係に基づいて,触覚センサ高密度部位で圧力分布を反射的に捉え続ける触覚サーボ法を定式化した. 5.固定長観測シーケンスによる複数センサ融合法と理論的な性能評価法を定式化し,サンプリング密度の異なる走査の組合せによる圧力分布観測レートの向上に適用した. コンピュータの高性能化は,身体運動の人-計算機間インタフェイスへの取込みを可能にし,CADシステムでは触覚・力覚を介した直接的で自然な仮想三次元物体操作が研究されはじめ,(1)人の触知覚はいかなる入力と機構を通じて成立するのか.(2)仮想触知覚のためには何をシミュレートするべきか,という問題を考える必要が生じている.触知覚の計算理論の確立により,はじめて計算機モデルから多彩な接触状態をシミュレートする方法が明確になり,その妥当性の評価・検討が可能となろう. |