学位論文要旨



No 112602
著者(漢字) 徐,栄秀
著者(英字)
著者(カナ) ソウ,ヤンスウ
標題(和) 状態むだ時間系の安定性に基づく制御系設計法
標題(洋) Control System Design of State Delay Systems Based on Stability
報告番号 112602
報告番号 甲12602
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3880号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 新,誠一
 東京大学 教授 木村,英紀
 東京大学 教授 有本,卓
 東京大学 教授 舘,すすむ
 東京大学 助教授 石川,正俊
 東京大学 助教授 堀,洋一
内容要旨

 フィードバック制御に関する最近の発展はめざましいものがあるが、主に有理関数で表される制御対象を扱っている。しかしながら、輸送系など物質の移動が伴う場合にはシステムを有理関数で表せないむだ時間系になる。このむだ時間系の制御はまだ様々な未解決の問題があり、研究が必要な段階にある。このむだ時間系にはシステムの動特性からむだ時間部分を分離することができる入出力むだ時間系と分離できない状態むだ時間系がある。入出力むだ時関係の場合は、むだ時間部分を分離し、その影響を予測することによって効果的なフィードバック系を設計することが可能である。一方、状態むだ時間系の場合、むだ時間部分の分離ができないため、予測による制御がしにくい。本論文では次のような式

 

 で、表されるこの状態むだ時関系の制御系設計法を安定性の観点から論じる。ここで、xは状態変数、uは入力、yは出力である。状態むだ時間系は無限次元系であり、それに対して、実装できるコントローラは有限次元である必要がある。従って、状態むだ時間系の制御系設計には無限次元のシステムを有限次元のシステムに近似する段階が必要になる。従来の無限次元システム論に基づいた制御系設計では、オペレータ方程式の解からコントローラの式を導くが、ここでは、二つの問題点がある。本質的に偏微分方程式であるオペレータ方程式を解く解析的な方法がないことと、オペレータ方程式の解から得られたコントローラは無限次元なので、実装できないことである。そこで、オペレータ方程式の数値的な近似による解を求め、その解に基づいたコントローラを設計するのが従来のアプローチである。このアプローチには、得られたコントローラが閉ループの安定性を保証しない欠点がある。

 本論文では、このような欠点の解決を動機にした新しい制御系設計法を提案する。無限次元系である状態むだ時間系を有限次元部分と誤差部分とに対象を分離し、誤差部分の大きさを考慮した設計を行なうことで安定性を保証するのが基本的な原理である。誤差部分の大きさを考慮するのは、有限次元のロバスト制御理論を用いている。本論文では、この基本原理に基づいて、サンプル値制御及びメモリーレス制御を提案する。また、同じ原理を用いてシステムの低次元化を提案する。この低次元化手法を用いると最終的な制御装置の演算規模が小さくなり、本論文で扱っている制御系設計手法の応用範囲の拡大に繋がる。

 サンプル値制御:サンプル値制御は連続システムの信号を離散化し、その離散化に基づいて制御することで、計算機を用いた制御に向いた制御である。まず、状態むだ時間系を離散化周期がr=になるように離散化する。ここで、hは状態むだ時間の大きさ、Nは任意の整数である。非むだ時間系及び入力むだ時間系とは異なり、離散化されたシステムは有限次元にはならない。そこで、リフティングと呼ばれる周期rに同期した時間の刻み方を導入し、状態むだ時間系を離散時間形式の有限次元部分と最大値が評価できる誤差の部分に分ける。そして、この誤差部分の大きさを考慮したむだ時間系の安定性を保証する十分条件を導く。この安定性の十分条件は有限離散時間系のHノルム条件として与えられ、容易に計算できる。この安定性の十分条件が、rが0に近付いていくに従って(即ち、Nが無限に近付いていくに従って)、安定性の必要十分条件に近付いていくのを証明する。この安定条件に基づいて、次のような状態むだ時間系のHサンプル値制御提案する。

 

 ここで、は外部入力、は制御出力である。提案するサンプル値コントローラはサンプル周期rを使って、閉ループを内部安定かつ、wからzまでのHノルムをより小さくする。実際のコントローラの計算は、有限次元離散システムのH制御問題に変換して、計算する。そして、コントローラは次数はxの次数とサンプル周期に関わるNに比例する。

 メモリーレス制御:メモリーレス制御は制御装置として、現時点の状態フィードバックのみを考える。これは、むだ時間を持たない有限次元線形系に用いられている制御則である。基本的な手法はサンプル値制御と同様に、有限次元部分と最大値を押えた誤差部分に分ける。そして、誤差の最大値を考慮した安定性の十分条件を求め、その上でHメモリーレスコントローラを提案する。具体的には、まず、Lyapunov関数を用いて、状態むだ時間hが[0,hmax]の間のどんな値であっても、安定性を保証する条件を導く。この安定条件は(i)hが0のときシステムが安定、(ii)[0,hmax]区間の微分Riccati方程式の存在の二つの条件からなっている。この安定条件を元に、次のような状態むだ時間系のHメモリーレス制御を提案する。

 

 提案するメモリーレスコントローラ((t)=K(t))は、状態むだ時間hが[0,hmax]の間のどんな値であっても、閉ループを内部安定かつ、からまでのHノルムをより小さくする。このメモリーレスコントローラはhmaxが知られている場合、従来のhmaxの情報を無視したメモリーレスコントローラの保守性を改善する。

 状態むだ時間系である自動車エンジンモデルに対して、サンプル値制御、メモリーレス制御、むだ時間を無視した最適制御を使ってそれぞれシミュレーションを行ない、その結果を比較する。これは,実際にむだ時間制御を行う場合の,三つの制御方式の選択の指針を与えると共に,提案した両方式の応用上の特徴を明確にしている.

 低次元化:本論文で提案した制御則は制御対象の状態の次数の大きさに応じた計算量が必要である。計算機能力などの制限から許容できる計算量に制限がある場合には、制御対象の次数を下げる低次元化が必要である。従来の低次元化では、状態むだ時間の構造を保存しないが、本論文で用いている有限次元部分と最大値を押えた誤差による分解を用いると、状態むだ時間系の構造と安定性を保存した低次元化が可能である。具体的には、状態むだ時間系のグラミアンの上界を用いて平衡実現を提案する。オペレータ方程式を解かなければならないグラミアンに比べて、グラミアンの上界は効率よく計算できる線形行列不等式から求められる。平衡実現されたシステムの切捨てによる低次元化の性質を調べる。低次元化されたシステムは安定かつ平衡実現である。そして、低次元化されたシステムと元のシステムとの間の差のH上界をグラミアンの上界で表す。この性質に基づいて、低次元化誤差を小さくする平衡実現を求める計算的なアルゴリズムを提案する。すでに提案した制御系設計法と組み合わせると安定性を保証できる低次元の制御装置を設計できる.これにより,制御系の性能と計算の複雑さのトレードオフに応じた制御装置が設計可能である.

 以上、本論文は,状態むだ時間系の制御系設計法を、無限次元系であるむだ時間系を有限次元部分と最大値を押さえた誤差部分に分けるとという共通原理を基礎として、提案したものである。

審査要旨

 現在の制御理論の研究はフィードバック制御が中心であり,このフィードバッグは因果の流れを遡ることで性能を向上させる仕組である.しかしながら,輸送系など物の移動が伴う場合には必ずむだ時間が伴う.このため,制御対象がむだ時間を持てば簡単には因果の流れを遡れない.もっとも,むだ時間分だけ未来を予測すれば,効果的なフィードバック系を設計することは可能である.しかし,この場合はシステムの動特性からむだ時間部分を分離することが不可欠である.本論文では,制御対象自身が持つフィードバック経路にむだ時間が存在するというむだ時間部分が簡単には分離できない状態むだ時間系といわれる系を対象とした制御系設計を制御論の基礎である安定性の観点から論じたものである.特に計算機制御を想定し,実用的な観点からの理論構築を目指した点が特徴であり,全部で8章からなっている.

 第1章は「Introduction」であり,本研究の目的,手法などが概念的に述べられている.むだ時間系は無限次元系の一つであり,本論文が扱う状態むだ時間系は簡単にはむだ時間部分と有限次元部分とに分離できない.そこで,有限時間部分と誤差分とに対象を分離し,誤差部分の大きさを考慮した設計を行うことで安定性を保証する制御系が設計できる原理を紹介している.この原理に基づき,サンプル値制御およびメモリーレス制御系が設計できることを論じている.この二つの制御方式を本論文で扱った理由として計算機制御に適していることをあげている.また,同じ原理を用いてシステムの簡略化ができることも論じている.この簡略化手法を用いると最終的な制御装置の演算規模が小さくなり,本論文で扱っている制御系設計手法の応用範囲の拡大に繋がることを論じている.これらの設計法および簡略化手法の概略だけでなく,この原理に基づいてH∞最適制御などの既存のむだ時間制御系との違いを論じ,本制御系が計算機制御を想定した場合に実用的なことを論じている.

 第2章は「State Delay Sytems」であり,本論文で扱う制御対象である状態むだ時間系をガソリンエンジンと風洞を例に論じている.この二つの例の数学モデルも提示することで物理的特性と数学モデルとの関連を明確にしている.また,これらの具体例に基づいて,むだ時間の大きさが既知の場合に有効なサンプル値制御方式とむだ時間が未知な場合に有効なメモリーレス制御方式の利点,欠点を論じている.

 第3章は「Preliminaries」であり,本論文で用いるむだ時間系の安定性,オペレータ方程式,リアプノフ解析などの数学的道具の解説を行っている.これにより,本論文の共通原理が明確となっている.

 第4章は「Sampled Data Control of State Delay Systems」であり,提案する二つの設計法の内,サンプル値制御方式による状態むだ時間系の制御系設計を扱っている.ここでは,リフティングと呼ばれるサンプル周期に同期した時間の刻み方を導入し,むだ時間を持つ制御対象を離散時間形式の有限次元部分と最大値が評価できる誤差部分に分けられることを示す.そして,この誤差部分の大きさを考慮したむだ時間系の安定性を保証する十分条件を導出している.また,この十分条件は,サンプル周期を小さくしていくと必要十分条件に近づくことを示す.この安定性の十分条件を元に,有限次元部分に対しサンプル値制御装置を設計する.この制御装置は,誤差があっても不安定化しないように,H∞最適制御をベースとするロバスト設計を行う.サンプル値制御装置であるので,そのまま計算機に実装可能な制御方式である.

 第5章は「Memoryless Control of State Delay Systems」であり,制御装置としては,現時点の状態のフィードバックのみを考える.これは,むだ時間を持たない有限次元線形系に用いられている制御則である.つまり,むだ時間部分を無視したモデル化に基づく制御系設計に対応する.むだ時間部分を無視すると近似誤差が生じ制御系の安定性を崩す場合もある.本論文では,無視した部分の大きさを評価することで,むだ時間の存在や大きさに依存せずに安定性を保持できる制御系設計法を提案している.基本的な手法は第4章と同様に,モデル化部分と誤差の最大値を押さえた誤差部分に対象を分ける.そして,誤差の最大値を考慮した安定性の十分条件を求め,その上でロバスト設計を用いて制御装置を求めている.本制御は,簡便であるとともにむだ時間の変動に効果的という意味で,非常に実際的な制御方式である.

 第6章は「Sampled Data and Memoryless Controlles」であり,提案した両方式の比較に加え,むだ時間を零にした場合のLQ型との比較を第2章で論じたエンジン制御を例に行っている.これは,実際にむだ時間制御を行う場合の,三つの制御方式の選択の指針を与えると共に,提案した両方式の応用上の特徴を明確にしている.また,ここで取り上げた三つの方式を融合した新たな制御への多くの可能性を示唆するものである.

 第7章は「Balanced Truncation」である.第4章,第5章で提案してきた制御則は制御対象の有限次数部分の次数大きさに応じた複雑度が必要である.計算機能力などの制限から許容できる複雑度に制限がある場合には,制御対象の次数を下げる低次元化が必要である.従来の低次元化では,状態むだ時間の構造を保存しないが,本論文で用いている有限次元部分と最大値を押さえた誤差による分解を用いると,状態むだ時間の構造と安定性を保存した低次元化が可能である.本章では,この低次元化手法を提案している.提案した手法を用いると,低次元化誤差の最大値も押さえることができ,前章までの制御系設計法と組み合わせると安定性を保証できる制御装置を設計できる.これにより,制御系の性能と複雑さのトレードオフに応じた制御装置が設計可能である.

 第8章は「Conclusions」である.これまでの設計法および低次元化手法を見直し,これからの課題を論じている.

 以上,本論文は,むだ時間系の制御問題における制御則の複雑さと制御性能のトレードオフを提供する手段を理論的観点から提案したものである.しかも,無限次元系であるむだ時間系を有限次元部分と最大値を押さえた誤差部分に分けるとという共通原理を基礎としている.これらの意味で,制御工学にの研究に貢献するところが大きい,よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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