学位論文要旨



No 112608
著者(漢字) 半澤,有希子
著者(英字)
著者(カナ) ハンザワ,ユキコ
標題(和) 高温水系における腐食生成物の化学挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 112608
報告番号 甲12608
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3886号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石榑,顕吉
 東京大学 教授 山脇,道夫
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 助教授 寺井,隆幸
 東京大学 助教授 関村,直人
内容要旨 1

 軽水炉一次冷却系において、配管材料の腐食生成物の炉水中への溶解、炉心で放射化後の配管への再蓄積がプラント線量率増大の主な原因となっている。これらの腐食生成物の溶解析出挙動については様々な研究が行われて来ているが、基礎的理解が未だ不充分である。熱力学的アプローチは腐食生成物挙動解明の重要な手段の一つであるが、100℃以上の高温における金属化合物、特に金属イオンに関する熱力学データ整備は不充分である。

 ニッケルフェライトは炉水中の腐食生成物として最も重要な位置を占める化合物の一つであり、不定比化合物ともなる事が知られている。そこで本研究では高温水系でのニッケルフェライト挙動の熱力学的解明を目的の一つとし、高温純水中での溶解度測定並びに解析を行った。

 更に近年、炉水への亜鉛注入による配管線量率低減効果が注目されているが、その具体的機構は不明であり、解析に必要な亜鉛化合物の高温での熱力学データも未整備である。そこで本研究では、炉水中の亜鉛化合物挙動の熱力学的取扱いの基礎の確立並びに放射能蓄積抑制機構の解明を目的とし、亜鉛イオンの加水解離定数の測定、酸化亜鉛(ZnO)及び亜鉛フェライト(ZnFe2O4)の高温純水中での溶解度測定、高温水中Zn共存下における炭素鋼表面酸化被膜へのCo取り込みのモデル実験、並びにこれらの系についての熱力学的解析を行った。

2実験(1)亜鉛イオンの加水解離定数の測定

 市販のZnO試料のHClO4溶液を所定の温度(25℃、50℃、75℃、185℃、200℃、225℃)に保ち、Ar雰囲気下でNaOH溶液を段階的に添加し、添加の都度pH及び溶解亜鉛濃度を測定した。185℃以上においてはイットリア安定化ジルコニア(YSZ)センサー及びテフロン製容器を備えたオートクレーブ系を用いて、高温におけるpHを直接測定した。

(2)ニッケルフェライト、酸化亜鉛、亜鉛フェライトの溶解度測定

 上記化合物の溶解度測定を150℃、200℃、250℃において、テフロン製容器内蔵バッチ式高温濾別オートクレーブを用いて行った。市販のNiFe2O4、ZnO、ZnFe2O4試料を純水中に分散させ、酸素を含むアルゴンで加圧し所定の温度に数百〜数千時間保った。NiFe2O4及び合成したNi0.55Fe2.45O4は200℃水素共存条件(pH2=1〜2atm)での溶解度測定も行った。

(3)高温水中Zn共存下における炭素鋼表面酸化被膜へのCo取り込みモデル実験

 試料は市販の炭素鋼を用いた。取り込み実験はテフロン製容器内蔵のフロー式オートクレーブを用いて、Ar脱気系、250℃、流速2.3ml/min.の条件で、炭素鋼試料をCoとZnの混合溶液に100、200、500時間曝露させて行った。試料に曝露させた溶液はCo(NO3)2、Zn(NO3)2又はZnOの溶液を混合して調製した。実験後の試料片はXPS、GDSによる表面分析及びX線回折測定を行った。

3結果及び考察Iニッケルフェライトの高温純水中溶解度測定

 酸素共存系200℃におけるNiイオンの溶解度と酸濃度との関係を図1に示す。酸素系ではFeイオンは何れの温度でも検出限界以下であった。酸化還元反応のない条件下でのNiFe2O4の溶解機構としては、式(1)のNiFe2O4の溶解析出平衡のみが関与している場合(ケースI)及び、式(1)のNiFe2O4と式(2)のFe2O3との両方の溶解析出平衡が関与している場合(ケースII)の二通りが考えられる。

 

 

 そこでケースIとケースIIについて溶解度及び自由エネルギー変化の計算値を溶解度の実験値と併せて比較すると表1の様になり、酸化還元反応の起こらない条件下でのNiFe2O4の溶解ではNiFe2O4とFe2O3の溶解析出平衡が同時に成立している事が実験と解析の両方から結論づけられた。

表1 NiFe2O4の溶解平衡系毎の溶解度及び自由エネルギー変化の解析結果と実験結果との比較(150℃、初期条件 NiFe2O4:3g、H2O:2.5kg)図1 NiFe2O4の溶解度(酸素共存系、200℃)

 200℃、250℃についての、文献値を用いたケースIIの計算結果は図1に見られる様に実験値との間に乖離が見られ、高温でのGf0(NiFe2O4)の文献値の信頼性の低さに起因すると推測されたため、200℃、250℃の溶解度測定結果に対しフィッティングを行い、式(1)の溶解平衡定数からGf0(NiFe2O4)を評価した。その結果200℃についてGf0(NiFe2O4)=-9.02×105J mol-1、250℃についてGf0(NiFe2O4)=-8.79×105 Jmol-1の各値が得られた。

 水素共存系での実験では還元反応によりFe溶解度の増大が見られた。自由エネルギーの比較より金属Ni析出系が安定となる事が示唆されたが、実験結果と熱力学的解析結果との対比より、実験的に観測されたのは最終平衡に至る過程の準安定状態と考えられた。

 各系における溶解機構の簡便な理解のため図2に示す様な線図を用いる事を提案した。

図2 NiFe2O4溶解度の線(酸素系、150℃)
II亜鉛イオンの加水解離定数の測定

 225℃におけるアルカリ濃度と溶液pHとの関係を図3に示す。

図3 225℃におけるZn2+加水解離の際のpH変化

 亜鉛イオンの加水解離反応について次の様に考え、n=1〜3を考慮した。

 

 図3の結果に対しK1、K2、K3をパラメータとしてフィッティングを行い、各加水解離定数の値を求めた。各温度について得られた値を表2に示す。

表2 Zn2+の加水解離定数の実測値

 更に上で得られた各加水解離定数の温度依存性を評価した。"Principle of balance of identical like charges"1)に基づき反応のCp0がほぼ0に等しいと考えると、反応の平衡定数の対数と温度の逆数との間に直線関係が得られる。実験値と直線近似との比較より、この原理が各加水解離平衡の系に適用可能である事を確認した。

III酸化亜鉛の高温純水中での溶解度測定

 酸化亜鉛の200℃における溶解度測定結果を図4に示す。

図4 ZnOの溶解度(200℃)

 ZnOの溶解は式(3)のn=1〜3で表されるZn2+の加水解離及び式(4)により記述される。

 

 文献値2)による計算値と実験結果との間に乖離が見られたため、実験値に対する上で評価した各加水解離定数の値を用いたフィッティングによりZnOの溶解平衡定数K0を評価し、加水解離定数と併せて、中性〜弱酸性領域について高温でのZnOの溶解度を記述出来るデータセットを得た。ここからGf0(Zn2+)として、150℃について-1.38×105J mol-1、200℃について-1.35×105J mol-1、250℃について-1.29×105J mol-1の各値が得られた。

IV亜鉛フェライトの高温純水中での溶解度測定

 酸化還元反応の起こらない本実験の条件下でのZnFe2O4の溶解について、NiFe2O4の場合同様にケースI、ケースIIを想定し自由エネルギー及び溶解度の計算値を実験値と比較した所、ZnFe2O4の場合にもZnFe2O4とFe2O3の両方の溶解析出平衡が同時に成立している事が確認された。溶解度測定結果へのフィッティングによりf0(ZnFe2O4)の値の若干の修正評価を行った。

V高温水中Zn共存下における炭素鋼表面酸化被膜へのCo取り込みモデル実験

 酸化被膜のX線回折測定では何れの試料でもフェライトのピークが観察された。GDS、XPSによる深さ方向分析より、CoとZnとの被膜中分布は異なり、初期には表面にZnOが存在するが被膜中の元素分布は曝露時間につれ変化する事が分かった。図5に被膜中のCo、Zn取り込み量比を溶液中のZn、Co濃度比に対してプロットしたものを示す。

図5 溶液中のCo、Zn濃度比と被膜中のCo、Zn取り込み比との関係

 これより曝露溶液中の[Zn]/([Co]+[Zn])比が等しいものはCo濃度、Zn濃度の絶対値によらず同一の取り込み比を示し、Znが優先的に取り込まれるためにCo取り込みが抑制されている事が分かった。

 この系に関する、本実験で得られた熱力学データを用いた解析より、CoとZnのイオン、フェライト間の安定性を比較すると、不定比化合物CoxFe3-xO4はxの値が大きくなるとZnFe2O4より安定となる結果が得られた。腐食反応において時間の経過につれ腐食速度が低下しFe2+の供給が減少するとxの値は増大し、Coの被膜中への取り込みが安定となると考えられる事から、長期的には炭素鋼の場合ZnによるCo取り込み抑制効果は期待出来なくなる事が示唆された。実験的に見られた抑制機構には、酸化物の結晶構造や局所濃度等の因子も関与していると考えられた。

4結論

 本研究では以下の様な知見が得られた。

 I.ニッケルフェライトの高温純水中での溶解度測定を行い、併せて熱力学的解析手法を提案した。酸化還元反応が起こらない条件下ではFe2O3析出が関与する溶解機構を実験と解析の両面から明らかにした。更にGf0(NiFe2O4)を評価した。水素共存下では金属Ni析出系が安定であるが実験結果は準安定状態である事を示した。溶解反応系理解のための線図の利用を提案した。

 II.亜鉛イオンの室温及び高温における加水解離定数をpHの直接測定によって求め、その温度依存性を評価した。

 III.酸化亜鉛の高温純水中での溶解度測定並びに熱力学的解析を行い、中性〜弱酸性領域のZnO溶解を記述するデータセットを得た。又Gf0(Zn2+)を評価した。

 IV.亜鉛フェライトの高温純水中酸素共存系での溶解度測定並びに熱力学的解析を行い、Fe2O3析出が関与する溶解機構を確認し、Gf0(ZnFe2O4)を評価した。

 V.高温水系Zn共存下での炭素鋼表面酸化被膜中へのCo取り込みモデル実験及び熱力学的解析を行い、実験からはZnによるCo取込み抑制が見られたが、これは炭素鋼の場合、長期的には期待出来なくなる可能性を解析により示した。

5文献1)C.F.Baes,Jr.and R.E.Mesmer,American Journal of Science,281,935-962(1981)2)A.V.Plyasunov,et al.,Geokhimiya,3,409-417(1988)
審査要旨

 軽水炉一次冷却系において構造材料から放出される微量の腐食生成物はプラント配管線量の上昇の原因となり、その化学挙動の解明が求められている。従来、様々な研究が行われてきたが、基礎的立場からの研究は少なく、未だその理解は不充分である。近年、プラントの運転データの蓄積とともにプラント毎の最適化した水化学制御が求められるなかで、現象の基礎的理解を深めることの重要性が増している。本研究は原子炉冷却系での重要な腐食生成物である鉄、ニッケル、亜鉛系の酸化物を対象として、モデル実験により、高温水系での化学挙動を明らかにするとともに、その解析に必要な熱力学データの整備を行ったもので、全体は5章からなっている。

 第1章は序論であり、軽水炉一次冷却系における水化学技術の現状について述べ、高温水系における熱力学データの不足を指摘したうえで、本研究の目的と意義を述べている。

 第2章では一次冷却系の腐食生成物の中で最も重要なものの一つであるニッケルフェライトをとりあげている。先ず定比ニッケルフェライトについて、沸騰水型炉の条件に近い純水及び酸素共存系で250℃までの溶解度測定を行い、これまでの研究で得られている熱力学データを用いた解析を行って、この条件でニッケルフェライトの溶解度がニッケルフェライトの溶解・析出とヘマタイトの析出・溶解の2つの平衡反応によって決定されていることを示すととも、200℃以上ではニッケルフェライトの標準生成自由エネルギーの値について、これまでに報告されている文献値を多少修正する必要があることを指摘している。次に定比ニッケルフェライト及び合成によって得られた不定比ニッケルフェライトについて水素共存下で250℃までの溶解度測定を行っている。これらの系では水素による還元反応のため、溶解挙動は複雑となるが、熱力学的解析と鉄及びニッケルイオンの濃度で表わした線図による考察から、実験条件下で系は熱力学的に最も安定な状態には到達しておらず、その途中の準安定系に存在することを示すとともに、この系ではニッケル金属の析出と比率の異なった不定比ニッケルフェライトの生成が起こっていることを示している。

 第3章では、近年、一次系冷却系への添加が配管線量の低減効果をもたらすとして注目されている亜鉛を取り上げている。亜鉛イオンについては、ニッケルや鉄の場合と異なり、高温水系での水の加水解離反応の平衡定数に信頼できるデータが得られてないので、亜鉛イオンを含む溶液の高温でのpHを直接測定することによって第3段階までの加水解離平衡定数の測定を行っている。更に酸化亜鉛の高温純水中での溶解度の測定から、先に求めた加水解離平衡定数を用いて亜鉛イオンの250℃までの標準生成自由エネルギーの値を算出している。亜鉛フェライトの高温純水及び酸素共存系での溶解度測定を本研究で求めた熱力学データを用いて解析し、その溶解度がニッケルフェライトの場合と同じように、亜鉛フェライトの溶解・析出とヘマタイトの析出・溶解の2つの平衡によって決定されることを明らかにしている。また亜鉛フェライトの標準生成自由エネルギーの値は150-250℃で文献値と比較的よく一致していることを示している。

 第4章では小型ループ装置を用いてコバルト及び亜鉛イオン共存下に250℃で炭素鋼試料を腐食させ、表面酸化皮膜への各イオンの取り込み過程を表面分析によって明らかにしている。亜鉛とコバルトは主としてフェライトを形成して酸化皮膜中に取り込まれるが、亜鉛は表面で一部酸化亜鉛を形成し易く、全体として亜鉛がコバルトより酸化皮膜中に取り込まれ易いこと、更に皮膜厚みは亜鉛の取り込み量と共に増大するにもかかわらず、亜鉛はコバルトの取り込みを抑制しており、亜鉛とコバルトの取り込み比は水相中の亜鉛とコバルトの濃度比が同じであるならば一定であることを示している。熱力学的解析から、定比では亜鉛フェライトよりコバルトフェライトがより安定であるが、コバルト含量の比較的低い不定比フェライトに対しては、亜鉛フェライトかより安定となることを示している。また、コバルトフェライトは逆スピネル構造をとるため、正スピネル構造の亜鉛フェライトと異なり、2価の鉄イオンを多く含んだ不定比フェライトを形成し易いが、これは、長期的に見れば、腐食反応の速度の低下にともない、2価の鉄イオンのレベルが低くなった段階で、安定なコバルトフェライトへ移行していくことが考えられ、亜鉛のコバルト取り込み抑制効果は次第に低減することが予想されると指摘している。

 第5章は総括であり、本研究のまとめを行っている。

 以上要約すると、本研究は高温水系における腐食生成物の化学挙動を実験と熱力学解析によって明らかにするとともに、関連する熱力学データの集積を行ったもので、システム量子工学に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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