学位論文要旨



No 112618
著者(漢字) 安達,弘通
著者(英字)
著者(カナ) アダチ,ヒロミチ
標題(和) 金属中のSm3+の磁性
標題(洋)
報告番号 112618
報告番号 甲12618
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3896号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井野,博満
 東京大学 教授 梅田,高照
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 助教授 木村,薫
内容要旨 緒言

 Sm3+が、他の磁性イオンと異なる独自の磁性を発現する理由として、その4f電子が有する次の2つの性質を挙げることができる。1つは、4f電子のJ多重項間のエネルギー差が温度のエネルギーに対して十分大きくはないという性質である。基底多重項であるJ=5/2の準位と第1励起多重項であるJ=7/2の準位とのエネルギー差はおよそ1500K(130meV)である。従って、Sm3+は他の希土類イオン(Eu3+を除く)と異なり、その低エネルギー物性の議論に際しても励起多重項の存在を無視することができない。もう1つは、4f電子が有するスピン磁気モーメントと軌道磁気モーメントが互いに逆向きに結合し大きさも近いために4f電子の全体としての磁気モーメントが小さいという性質である。例えば、自由イオンの基底多重項のみを考えた場合の全磁気モーメントの大きさは、3.6Bのスピンモーメントと4.3Bの軌道モーメントとの打ち消し合いによって0.7Bとなる。4f電子のもつ磁気モーメントがスピン・軌道両磁気モーメントの大幅な打ち消し合いによって小さくなっているという性質は、外部磁場や固体中の結晶場、交換相互作用等による多重項間の混合や金属中における伝導電子のスピン偏極の影響がイオンとしての磁気モーメントの大きさや性質を大きく変化させる可能性があることを意味している。量子力学を用いたSm3+の磁性研究は1930年代にまでさかのぼることができるが、結晶場、交換相互作用、伝導電子のスピン偏極などの効果が複雑に絡み合う金属中における磁性の理解は末だ十分ではない。

 本研究は、純Sm金属を液体状態から急冷することによって作製されるhcp-Smが風変わりな強磁性体であることを見出したことに端を発する。hcp-Smは秩序状態における磁化の大きさが1イオン当たり僅か0.05B程度と極めて小さく、その温度依存性にフェリ磁性体の場合に見られるような幅の広い極大が現れるといった特徴をもち、また常磁性帯磁率の大きさ及び温度依存性もそれまでの標準的な理論では説明が困難なものであった。一方、Sm3+の秩序状態における磁気モーメントのスピン部分と軌道部分とは、前述のように互いに大きく打ち消し合って全磁気モーメントを構成していることに加え、交換相互作用や結晶場によって引き起こされるJ多重項間の混合の影響により各々異なる温度依存性を有することが予測され、hcp-Smの熱磁化曲線に現れる幅の広い極大が各Sm3+イオンのスピンモーメントと軌道モーメントとが織り成すフェリ磁性的な現象として説明できる可能性がある。本研究は、このような着眼に基づき、hcp-Smを含め、金属中のSm3+イオン一般の磁性を明らかにすることを目的として始められた。研究内容は(1)sfモデルに基づく磁化の数値的な検討、(2)Sm3+のみを磁性イオンとして含む強磁性金属の磁化測定及び解析、(3)放射光を利用したhcp-Smの磁気コンプトン散乱実験、(4)強磁性化合物SmAl2の磁化に及ぼす元素置換効果の研究の4つに大別することができる。以下各研究内容についてその目的と成果を述べる。

(1)磁化の数値計算

 金属中におけるSm3+イオンの磁性に普遍的な特徴を明らかにするため、励起多重項(第2励起多重項まで)、交換相互作用、結晶場、伝導電子のスピン偏極の効果を取り入れたsfモデルに基づくハミルトニアン(次式)を出発点として磁化の計算を行った。

 

 右辺第1項、第2項、第3項はそれぞれスピン軌道相互作用、結晶場ポテンシャル、ゼーマンエネルギーである。第4項及び第5項は4fスピンに働く交換相互作用項であり、第4項にみられるJはsf交換相互作用定数の波数が0のフーリエ成分、は1イオン当たりのフェルミ準位における状態密度である。

 秩序モーメントや常磁性帯磁率などの計算を行った結果、交換相互作用や結晶場を通しての励起多重項の混合及び伝導電子の偏極の効果がその大きさ及び温度依存性に劇的に作用することが明らかになった。この計算によって、hcp-Smの測定結果に見られるような磁化や帯磁率の異常な振る舞いが交換相互作用が働くSm3+に一般的に現れる現象であることが示され、また秩序モーメントの温度依存性がスピン.軌道両磁気モーメントの温度依存性の違いに起因したフェリ磁性的現象の結果であるという考え方が本質的に正しいものであることが結論された。さらに、スピンモーメントと軌道モーメントの温度依存性の相違が全磁気モーメントの多様な温度依存性として顕在化するにあたり、伝導電子の偏極効果によるスピンモーメントの増強が重要な役割を果たすことを明らかにした。

図1 秩序磁化の実験値(■)と計算値(実線)の比較
(2)磁化の測定及び解析

 計算によって明らかにされた磁化の多様な温度依存性は、逆にSm3+のみを磁性イオンとして含む強磁性物質の磁化の測定がSm3+イオンの局所環境に関する知見を得る有効な手段となり得ることを示唆している。そこで、hcp-Sm以外にも、SmZn、SmCd、SmAl2の各試料を作製して磁化の測定を行い、理論計算との比較によって測定結果の解析を行った。

 図1に解析結果の一例としてSmZn及びSmCdの秩序磁化に対する実験値と計算値との比較を示す。理論曲線は実験的に得られた秩序磁化のフェリ磁性的な温度依存性を見事に再現している。こうした解析から、通常ではX線や中性子線などを用いなければ観測することのできない4f電子のスピンモーメント、軌道モーメント及び伝導電子のモーメントといった全磁気モーメントの各構成成分を半定量的に評価することができた(表1)。hcp-Sm、SmZn、SmCdでは伝導電子の偏極によって増強されたスピンモーメントが軌道モーメントを僅かに上回って秩序モーメントを構成していること、SmAl2の秩序モーメントに関しては後者が前者を上回り、転移点近傍で両者が殆ど相殺することなどを本解析から結論することができた。なお、hcp-Sm、SmZn、SmCdにおけるスピンモーメントの全磁気モーメントに対する極性はSm3+自由イオンの場合とは逆になっている。

表1:秩序モーメントの解析から求まった絶対零度におけるモーメントの内訳:全磁気モーメントの極性を正としている
(3)hcp-Smの磁気コンプトン散乱

 巨視的な磁化の測定とはまた別の側面からSm3+モーメントを調べ、両者の整合性を検討することは重要である。特に磁化の計算や解析から明らかになったようにSm3+の特徴的な磁性を発現させている影の主役が全磁気モーメントの中に隠された4f電子のスピンモーメントや軌道モーメント、及び伝導電子の磁気モーメントであるので、これらを分解して測定する手段があればそれはSm3+の磁性研究において極めて有用である。そのような実験の1つとして高エネルギー物理学研究所の6.5GeV蓄積リング・ビームラインNE-1においてhcp-Smの磁気コンプトン散乱実験を行った。この実験は磁気モーメントのうちのスピン部分だけを観測し、かつスピン偏極電子の運動量空間における密度分布を与えるという特徴を持っている。即ち、得られたプロファイルの符号から磁化に対するスピンモーメントの極性を判別することができ、またプロファイルの形状から4f電子と伝導電子の寄与を分離することが可能である。この実験の目的は、磁化の解析結果から結論されたスピンモーメントの極性とその中に占める伝導電子のスピン偏極の寄与の割合(磁化の解析からは4f電子のスピンモーメントに対して15〜16%程度の大きさと見積もられている)とを検証することである。

図2 hcp-Smの磁気コンプトンプロファイル

 得られた磁気コンプトン散乱プロファイル(図2)の、符号はスピンモーメントが全磁気モーメントに対して正に寄与していることを示している。本実験においては極性判断の標準試料としてSmCo5を用い、両者の信号の符号を比較した。また、図中破線で示してあるのは理論的に計算された4f電子のコンプトンプロファイルであるが、低運動量領域に見られる計算値と実験値との差が伝導電子からの寄与であると考えられ、その面積強度比から伝導電子がスピンモーメントを(4f電子に起因したもののみに比べ)2割程度増強していることが導かれた。これらの結論は磁化の解析結果とよく一致しており、目的として述べた2つの項目を実証することができた。

(4)擬2元系化合物Sm1-xRxAl2の磁化(R:希土類元素)

 強磁性Sm物質の磁化がスピン・軌道両磁気モーメントの温度依存性の違いによりフェリ磁性体と同様の多様な温度依存性を発現させることが以上の研究により明らかになったが、これはSm3+に固有の性質であり、強磁性Sm化合物に他の物質では代替不能な材料機能を付与できる可能性を示唆している。特に両者が打ち消し合う温度(補償温度)では、漏洩磁界を発生させずに巨視的な領域におけるスピン磁気モーメントの強磁性的な配列を保つことが可能であり、電子スピン偏極度の測定素子などへの応用が期待できる。そこで、補償温度を人為的に制御するための指針を得るため、SmAl2を母化合物とし、そのSmの一部を他の元素で置換した場合の磁化の変動を調べた。

 非磁性元素(Sc、Y、La)による置換は単純な磁気希釈効果しか持たず、例えば、格子定数の変化を通して間接的に伝導電子の偏極度を操作するといった可能性は現実的でないことが分かった。一方、Nd及びGdの置換は磁化を大きく変化させ(図3)、Gdの置換によって補償現象を実現できることが分かった。

図3 Sm1-xRxAl2の熱磁化曲線:R=Nd,Gd.数値は置換量x.
結び

 Sm3+の磁気モーメントはそれ自体が大きさと性質を温度とともに変えていくものであり、その正しい物理的理解と材料としての機能制御には、まず4f電子のスピンモーメント及び軌道モーメント、そして伝導電子の偏極によるモーメントといった全磁気モーメントを構成する各成分の極性及び大小関係を把握することが重要であることが本研究によって明らかになった。基礎磁性の詳細な検討を進めていくと同時に、素子材料としての性能指数の評価などより実用に近い側の研究も着手可能な段階にきているものと思われる。

審査要旨

 本論文"金属中のSm3+の磁性"は、金属中のSm3+イオンが示す新しい磁気的振る舞いに関して、実験的及び理論的に解明したもので、6章よりなる。

 第1章は序論であり、Sm3-イオンの磁気的特徴及び本研究の発端について述べている。本研究は液体急冷によって得られる準安定hcp-Sm相が、磁気モーメントが小さいにもかかわらずキュリー温度が160Kと比較的高く、かつ磁化が温度に対し極大をもつという風変わりな強磁性体であることを著者が見出したことに端を発している。著者はその特性の原因が逆結合するスピン磁気モーメントと軌道磁気モーメントの温度依存性の違いによるのではないかと着眼し、理論的解析、実験的検証を行ったことを述べている。

 第2章では、Sm3+イオンによって構成される金属が示す磁性について、s-f相互作用に基づくモデルを用いて磁化の計算を行っている。この章は、以下の章の実験結果を解釈するための理論的解析方法及び計算結果を提供している。Sm3+イオンは、4f電子のJ多重項の間隔が温度のエネルギーに比べて十分大きくないため励起状態が磁性に大きく影響することや4f磁気モーメントのスピン成分と軌道成分が逆向きに結合し、大きさも近いため全体の磁気モーメントが小さいという特徴をもっている。このことに加え、金属中では伝導電子のスピン偏極の影響がイオンの磁気モーメントに重量される。以上の特徴を考慮したスピン・ハミルトニアンをもとに磁気モーメントや常磁性帯磁率の計算を行い、金属中のSm3+イオンの磁気的挙動の全体像を明らかにしている。

 第3章では、hcp-Sm、CsCl型化合物SmZn及びSmCd、Laves相化合物SmAl2についての磁化測定とその解析結果について述べている。第2章で得られた理論曲線は、実験によって得られたこれら試料の磁化の温度変化を見事に再現でき、その結果、4f電子のスピン磁気モーメント、軌道磁気モーメント及び偏極伝導電子の磁気モーメントの値を各試料について評価することができた。また、hcp-SmにGd、Ndを添加することによる磁化の変化を調べ、理論の予測通りの結果を得て、上記評価が正しいことを示した。

 第4章は磁気コンプトン効果の実験によって、hcp-Smのスピン磁気モーメントを直接計測し、上記理論解析の結果の検証を試みたものである。実験は高エネルギー物理学研究所における共同研究として行われ、強磁場反転システムを備えた試料台を低温域における測定が可能となるよう自ら工夫し磁気コンプトンプロファイルの観測に成功している。得られたプロファイルから、hcp-Smのスピン磁気モーメントは磁化に対し正の極性をもち、伝導電子の寄与が17±3%程度であるという結果が得られた。これらの結果は、磁化測定の理論解析の結果と非常に良い一致を示した。

 第5章は、上記研究結果を擬2元系化合物Sm1-xRxAl2に適用して補償温度の制御可能性について調べ、機能素子としての将来展望を示したものである。Smイオンの一部をGdまたはNdイオンに置換して磁性を制御し、スピンが完全に揃った秩序状態でありながら全磁化がゼロであるような補償温度が実現できることを実験的に明らかにした。これは電子線のスピン偏極度の検出器、あるいは、スピン交換相互作用を用いた磁気力顕微鏡などの素子としての応用可能性を示したものと言うことができる。

 第6章は総括である。

 以上を要するに、本論文は、hcp-Sm及びSm化合物の磁性に関する実験的及び理論的研究によって、新しいタイプの磁性の存在を明らかにし、かつその詳細な解明を行ったものであり、加えてスピン秩序を用いた新しい機能素子の可能性をも示した秀逸なる研究論文である。

 よって本論文は、材料科学とくに磁性材料物理学に寄与するところ大きく、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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