学位論文要旨



No 112626
著者(漢字) 石井,啓策
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ケイサク
標題(和) 星間分子の構造と反応に関する量子化学計算
標題(洋)
報告番号 112626
報告番号 甲12626
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3904号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 御園生,誠
 東京大学 教授 幸田,清一郎
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 山下,晃一
 お茶の水女子大学 教授 平野,恒夫
内容要旨

 本論文では星間分子の構造と反応に関してab initio分子軌道(MO)法を用いて理論的に考察した。第2章では1986年に赤色巨星IRC+10216で発見された回転定数B0が約6GHzである2状態ラジカルの未同定スペクトルがMgNC(X2+)のものであることを、高精度ab initio MO計算でその分光学定数を理論的に正確に予測して、国立天文台野辺山の川口助教授の純回転スペクトルの実験と共同で明かにし、MgNCのMgを含む初の星間分子としての同定に成功した。第3章では未だ発見されてないCaを含む星間分子の第一候補と考えられCaNC(X2+)の回転スペクトルが等電子構造であるMgNCのものと違い、遠心力歪定数に異常を起こす原因を、両分子の変角ポテンシャルのab initio MO計算から明かにした。第4章では、星間空間でのHCNとその準安定な異性体HNCの主生成プロセスと考えられているHCNH+カチオンと電子との解離性再結合反応に関わるvalence性電子状態のCASSCF-MRCIレベルのab initio MO計算を行い、そのHCNとHNCへの解離の分岐比について考察した。その結果、反応の分岐比はオーダーでいえば約1になり、HNCの方がややでき易いことが分かった。これにより多くの星間空間でHNCがHCNと比肩する存在量を持つことを理論的に解明した。

審査要旨

 本論文は「星間分子の構造と反応に関する量子化学計算」と題し、ab initio分子軌道法に基づく量子化学計算によって星間分子の構造と反応を解析し、新しい星間分子の発見や星間空間における分子の存在度などを理論的に予測したもので、星間化学や分子分光学における新しい知見を提供したものであり、全5章からなる。

 第1章では、星間化学の発展や新しい星間分子の発見には、電波天文学、分子分光学とともに、定量的理論計算に基づく理論化学の果たす役割が大きく、3者の密接な共同研究の重要性が強調されている。それとともに、本論文の目的が述べられている。

 第2章は、世界で初めて同定されたマグネシウムを含む星間分子であるMgNC(X2+)ラジカルの分光学定数の理論的予測に関する理論研究である。1986年にGuelinらは炭素星である赤色巨星IRC+10216で回転定数B0=5966.8MHzの2状態のラジカルを観測した。これがMgNCのものであることを、国立天文台野辺山の川口助教授の純回転スペクトルの実験と共同で確定している。これはマグネシウムを含む星間分子としては、世界で初めて同定されたものである。また、準安定な異性体MgCN(X2+)への異性化反応の遷移状態のエネルギーは2150cm-1と予測された。この障壁はCN伸縮振動の振動数1=2100cm-1とほぼ等しい。CN伸縮モードの量子数を一つ励起させると、分子系を異性化反応のポテンシャル曲面の分岐点近傍に移行させることになると予測している。

 第3章はカルシウムを含む星間分子の第一候補と考えられるCaNC(X2+)の理論計算がまとめられている。CaNCの純回転スペクトルは等電子構造のMgNCのものとは大きく異なり、遠心力歪定数が通常の十倍も大きい。MgNCの変角ポテンシャルでは非調和性は小さいが、CaNCの変角ポテンシャルは電子相関の効果によって劇的にその姿を変え、ポテンシャルの非調和性・異方性が非常に強くなる。また、CaNC(X2+)の変角振動数は2=60cm-1とMgNCよりさらに小さく、CaNCの変角ポテンシャル上では振動の基底状態のみが調和的な領域に存在する。これがCaNCの遠心力歪定数の異常性の原因であると結論している。一方、準安定な異性体であるCaCN(X2+)の変角ポテンシャルは電子相関を取り入れても非調和性は大きくならない。このことから実験的には未だ検出されていないが、CaCN(X2+)の回転スペクトルはCaNC(X2+)で見られたような遠心力歪定数の異常性は起こらないものと予想している。

 第4章では星間空間におけるHNCとHCNの存在比に関する異常性を理論研究から解明している。HCNとその準安定な異性体HNCでは化学平衡が大きくHCNに片寄っているにもかかわらず、多くの星間空間ではHNCはHCNと比肩する存在量を持ち、また暗黒星雲の多くではHNCの存在量はHCNの存在量を上回っている。星間空間におけるHCNとHNCの主生成プロセスはそれらの前駆体であるHCNH+カチオンと電子との解離性再結合反応であり、HCNとHNCへの分岐比が約1であることが星間空間における両者の存在比の異常性の原因であると予測している。つまり、解離性再結合反応に関与できる解離性の原子価電子状態には二つの2+状態が存在し、これら二つの2+状態は無限個のRydberg状態の上限を表すHCNH+カチオンの基底状態のポテンシャル曲面と交差しないことから、反応はRydberg状態を経由する間接的なプロセスで進むと示唆している。二つの解離性2+状態のdiabaticなシームがHCNH+の零点振動の波動関数をほぼ二分すること、またHNCの方がHCNよりエネルギー的に不安定であるために、HNCに導くポテンシャル曲面の方がHCNに導くポテンシャル曲面よりもカチオンのポテンシャル曲面に近接しており、解離性再結合反応においては前者のHNCにのり移り易いことを明らかにしている。反応の分岐比はオーダーで言えば約1になり、もっとも近似の高いレベルの計算では両者の生成比である[HNC]/[HCN]は4以上である。これが原因で、熱化学的には平衡が大きくHCNに片寄っているにもかかわらず、多くの星間空間でHNCがHCNと比肩する存在量を持つこと、特に多くの暗黒星雲ではHNCの存在量がHCNの存在量を上回ることを説明している。

 第5章では本論文の結論をまとめるとともに、星間化学における理論化学の果たすべき役割りと今後の可能性について述べている。

 以上のように本論文は、ab initio分子軌道法に基づく量子化学計算によって星間分子の構造と反応を解析し、星間化学における新しい知見を提供したものであり、理論化学、星間化学、分子分光学、分子工学に貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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