学位論文要旨



No 112628
著者(漢字) 永長,久寛
著者(英字)
著者(カナ) エイナガ,ヒサヒロ
標題(和) 酸化物クラスターおよびバイメタリッククラスター触媒の機能解析と設計
標題(洋)
報告番号 112628
報告番号 甲12628
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3906号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御園生,誠
 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 篠田,純雄
 東京大学 助教授 辰巳,敬
内容要旨

 金属錯体およびヘテロポリ化合物は、いずれも明確な構造を有し、活性サイトが均質なため、分子レベルでの触媒設計が可能であるという特徴を有する。本研究ではRu(II)-Sn(II)直接結合をもつバイメタリッククラスターを触媒としたメタノールのみからの酢酸(酢酸メチル)合成反応、およびKeggin構造を有するヘテロポリ化合物を触媒とした有害有機分子の光分解反応、という2つの液相均一系反応を行った。いずれの反応系においても、配位子あるいは構成元素を変えた一連の触媒を用い、反応機構解析を行うとともにそれらの効果と触媒活性との相関性について検討した。

1.バイメタリッククラスターによるメタノールのみからの酢酸合成反応

 SnCl3配位子を有するRu(II)バイメタリッククラスター錯体はメタノールのみから酢酸を生成する触媒となる。そこで、構造安定性の高いシクロペンタジエニル基を有する一連のRu(II)錯体CpRu(PPh3)2X(Cp=C5H5;X=Cl(1),SnCl3(2),SnF3(3))を触媒としてメタノール転化反応を試みた。

 新規錯体CpRu(PPh3)2SnF3はCpRu(PPh3)2ClおよびNH4F,SnF2をメタノール-水溶液中にて30分間加熱還流した後に水、メタノール、ジエチルエーテルで洗浄し、塩化メチレン-メタノール中で再結晶して得た。31P-NMRおよび元素分析により錯体の生成を確認した。

 1,2,3によるメタノール転化反応の経時変化をFig.1に示す。いずれも誘導期なしに酢酸メチルを生成した。特に3を用いた場合が最も効率良く酢酸メチルを生成したのに対し、1および2はより低い活性を示すに留まった。いずれの錯体においても、他の生成物は検出されず、高い選択性を示した。また、ホスフィン配位子をDPPEまたはP(OMe)3に変えた錯体を調製して同反応を試みた結果、活性の序列はSnF3>SnCl3>Clと求められ、SnF3配位子が有効であることが分かった。

Fig.1.Time course for the formation of methyl acetate from methanol alone with CpRu(PPh3)2X(X=SnF3(●),SnCl3(■),Cl(▲)).[cat.]=1.0mM,[MeOH]=12.3M,temp.=120℃.

 3によるメタノール転化反応の機構について知見を得るために速度論的な検討を行った。酢酸メチルの初期生成速度について120から160℃の範囲でアレニウスプロットを取ったところ良好な直線性を示した。従って、この温度範囲内で反応機構の変化は無いと考えられる。酢酸メチル生成速度は触媒濃度に対して一次、メタノール濃度に対して高濃度で飽和した。また、PPh3の添加により速度が低下し、SnF2またはSnF2とNEt4Fを添加すると活性が若干向上した。以上のことから、式(1)に示すようにPPh3の脱離を伴う触媒-基質複合体の形成が推定された。

 

2.H3PW12O40による4-クロロフェノール光分解反応の機構解析

 ポリ化合物は近紫外光の照射によりアルコールやアルカン、アミン、フェノール類を酸化することが報告されている。特にKeggin型タングストリン酸H3PW12O40(PW123-)は、水溶液中にて高い光酸化活性を有し、低濃度条件下においても4-クロロフェノール(4-CP)を効率良くCO2とHClに分解する。これに対し、中心原子あるいは配位原子の異なるKeggin型ヘテロポリ酸(XW12,X=Si,Ge,B,Fe,Co;PMW11,M=Mn,Co,Cu,Zn)は全く4-CP分解活性を示さなかった。そこでまず、4-CP光分解反応をプローブ反応とし、水溶液中でのPW123-の触媒機能特性について検討するとともに、同反応について反応機構解析を行った。

 PW123-および4-CPを含むO2飽和水溶液は暗所下では反応しなかった。同溶液を光照射すると4-CPは一次式に従って分解し、主にヒドロキノン、4-クロロカテコールを生成した。PW3-12が安定に存在するpH=1.0-2.0の領域では4-CP分解速度が一定であった。一方、pH=2.5では反応速度が約2/3に低下した。この条件では仕込み触媒量の約30%が欠損型ポリアニオンPW117-になっていることがUV-visスペクトルより確認されたため、反応に寄与するのはPW123-であることが分かった。

 次に、不活性ガス雰囲気下にて同反応溶液に光照射を施した。その結果、4-CPが分解するとともに一電子還元体PW124-のInter-Valence ChargeTransfer(IVCT)bandに帰属される新しい吸収帯が生成した。この際、Fig.2に示すように、PW124-の生成量と4-CPの分解量がほぼ同程度であった。光照射を止め、反応溶液にO2を導入するとIVCT吸収帯はすぐに消失するとともに若干量の4-CPが消費された。また、O2雰囲気下と同様にヒドロキノン、4-クロロカテコールが分解生成物として得られた。

Fig.2.Time course for photocatalytic decomposition of 4-CP with PW123- under deaerated condition.[PW123-]=0.7mM,[4-CP]=2.0mM.

 以上の結果から、反応は1)PW123-が光照射により励起され、2)励起したPW123-がPW124-に還元されるとともに4-CPが分解し、3)PW124-がO2により再酸化されてPW123-に戻るという酸化還元サイクル(Scheme1)により進行することが分かった。O2飽和雰囲気下での反応中ではPW124-が生成しなかったため、この条件下では還元過程が律速段階と考えられる。

Scheme1.Mechanism for 4-CP photodecomposition with polyanion.

 反応機構についてさらに詳細な知見を得るため、速度論的な検討を行った。その結果、4-CP分解初期速度はFig.3で示すように4-CPの高濃度条件で飽和した。PW123-が励起された後に4-CPと励起状態配位錯体を生成する拡散衝突機構を仮定して速度式を求めると二分子反応の速度定数は拡散速度よりも30倍大きく見積られた。さらに、アセトニトリル添加にょり4-CP分解速度は低下した。PW123-の励起状態寿命は水、アセトニトリル中でほぼ同じであること、拡散速度定数は水よりもアセトニトリル中の方が大きいことから、アセトニトリルによる阻害効果は拡散衝突機構では説明できない。従って、まずPW123-と4-CPが配位する予備的な平衡が存在し、この配位錯体が光励起されて反応が進行するLangmuir-Hinshelwood型の機構により進行すると推定された。アセトニトリル添加による活性の低下は、PW123-が4-CPアセトニトリルに競争吸着するために反応が阻害されたと考えられる。

 PW123-および4-CPを含む水溶液のUV-visスペクトルを測定したところ、可視光領域にPW123-,4-CPいずれにも帰属されない新しい吸収帯が生成した。H3P-NMRおよびHPLCで調べた結果、溶液中に分解生成物が見られず、この吸収帯はポリアニオンと基質の配位錯体の生成によるものと結論された。さらに、この配位錯体はアセトニトリル濃度の増加とともに減少し、速度論的な結果と一致する挙動を示した。

Fig.3.Dependence of the rate of 4-CP photo-decomposition by PW123- on 4-CP concentration..[PW123-]=0.7mM(○),0.5mM(□),0.35mM(△).
3.ポリ酸による有機化合物の光酸化反応-構成元素と触媒活性の相関性

 ヘテロポリ化合物は構成元素を変えることによって物性を制御できるという特性を有する。そこで、中心原子の異なるKeggin型ヘテロポリ酸XW12(X=Ge,B,Fe,Co)を用いて4-CP光分解反応、2-プロパノール(2-PrOH)光酸化反応を行い、構成元素と触媒活性の相関性について考察した。

 XW12(X=Ge,B,Fe,Co)は水溶液中、いずれも4-CPと配位錯体を形成し、可視光領域に新しい吸収帯を生成した。これらのヘテロポリアニオンは全く4-CP光分解活性を示さず、この吸収帯の挙動は速度論的な結果とは一致しなかった。

 次に基質を2-PrOHとして反応を行った。ヘテロポリアニオンXW12(X=P,Si,Ge,B,Fe)はいずれも2-PrOHを酸化してアセトンを生成した。基質濃度の増加に伴い反応速度が飽和したこと、ヘテロポリアニオンと2-PrOHの配位錯体がUV-visスペクトルにて観測されたことから、同反応もLangmuir-Hinshelwood型機構により進行することが分かった。光酸化触媒活性とUV-visスペクトルで観測される配位錯体の定量的な関係を調べたところ、ヘテロポリアニオンの種類および濃度条件を変えてもこの吸収強度と2-PrOH光酸化活性との間に良い比例関係が見られたため、ポリアニオンと2-PrOHの配位平衡定数が触媒活性を支配する因子であると推定された。

 以上の結果から、4-CP光分解反応、2-PrOH光酸化反応のいずれにおいても、触媒活性を示すためには1)ポリアニオン-基質配位錯体の形成、および2)励起されたポリアニオン-基質配位錯体の酸化還元反応、という2つのステップの進行が必要であると考えられる。PW123-が光分解反応、光酸化反応について高い活性を示すのは、1),2)いずれのステップも効率良く進行するためであることが分かった。

審査要旨

 本論文は、「酸化物クラスターおよびバイメタリッククラスター触媒の機能解析と設計」と題し、ヘテロポリ酸を光触媒とするクロロフェノール類の酸化分解反応およびルテニウム-スズバイメタリッククラスターを触媒とするメタノールからの酢酸合成反応において、反応機構、触媒機能に関する新しい知見を得た結果をまとめたもので、全5章からなる。

 第1章は序論でクラスターを用いる分子レベルの触媒設計に関する研究の意義とその中における本研究の位置づけおよび目的について述べている。

 第2章は、ルテニウムとスズからなるバイメタリッククラスターによるメタノールからの酢酸合成反応に関する研究をまとめたものである。構造安定性の高いシクロペンタジエニル基を有する一連のRu(II)錯体CpRu(PPh3)2,X(Cp=C5H5;X=Cl(1),SnCl3(2),SnF3(3))を触媒としてメタノールのみから酢酸を合成する反応を詳細に研究し反応機構を論じている。ここで、CpRu(PPh3)2SnF3は新規錯体である。1,2,3を触媒とするメタノール転化反応は、いずれも誘導期なしに酢酸メチルを生成し、特に3を用いた場合に効率良く酢酸メチルを生成したのに対し、1および2は低い活性を示すに留まった。いずれの錯体においても、選択性は非常に高い。また、ホスフィン配位子をDPPEまたはP(OMe)3に変えると、活性の序列がSnF3>SnCl3>Clとなり、SnF3配位子が有効であることを見い出している。さらに、3を触媒とするメタノール転化反応の機構について速度論的な検討を加えている。まず、酢酸メチルの初期生成速度に関する120から160℃の範囲のアレニウスプロットは良好な直線性を示し、この温度範囲内で反応機構の変化は無いことを推定した。酢酸メチル生成速度は触媒濃度に対して一次、一方メタノール濃度に対しては高濃度で飽和すること、また、PPh3の添加により速度が低下し、SnF2またはSnF2とNEt4Fを添加すると活性が若干向上することから、(1)式に示す触媒-メタノール複合体を活性種とする機構を推論している。

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 第3章では、H3PW12O40などヘテロポリアニオン酸化物クラスターを触媒とする4-クロロフェノール(4-CP)光分解反応の反応機構を解析した結果について述べている。Keggin型タングストリン酸H3PW12O40(PW123-)は、水溶液中にて高い光酸化活性を有し、低濃度条件下においても4-CPを効率良くCO2とHClに分解する。これに対し、中心原子あるいは配位原子のみが異なるKeggin型ヘテロポリ酸(XW12,X=Si,Ge,B,Fe,Co;PMW11,M=Mn,Co,Cu,Zn)は4-CP分解活性を示さないことを見い出した。この触媒活性序列を解釈するため、反応機構解析を行った。まず、反応およびポリアニオン種のpH依存性から反応に寄与するのはPW123-であることを示した。PW123-および4-CPを含むO2飽和水溶液は暗所下では反応しないが、同溶液を光照射すると4-CPは一次式に従って分解し、主にヒドロキノン、4-クロロカテコールを生成した。次に、不活性ガス雰囲気下にて光照射すると4-CPの分解とともに一電子還元体PW124-に帰属される新しい吸収帯が生成することを見い出した。この際、PW124-の生成量と4-CPの分解量がほぼ一致すること、光照射を止め、反応溶液にO2を導入すると若干量の4-CPの消費をともない、この吸収帯が直ちに消失することから、反応が1)PW123-が光照射による励起、2)励起PW123-のPW124-への還元とそれにともなう4-CPの分解、3)PW124-がO2により再酸化されてPW123-に戻るという酸化還元サイクルにより進行すること、本反応条件下では還元過程が律速段階であることを結論している。次に、反応機構について詳細な速度論的な検討を行い、4-CP分解初期速度は、4-CPの高濃度条件で飽和すること、アセトニトリル添加により低下することなどから、PW123-と4-CPの間で予備的な配位平衡が存在し、この配位錯体が光励起されて反応が進行するLangmuir-Hinshelwood型の機構により進行すると推定した。さらに、可視光領域にPW123-,4-CPいずれにも帰属されない新しい吸収帯が生成することを見い出し、他の結果を総合して、この吸収帯がポリアニオンと基質の配位錯体の生成によるものと結論した。この吸収帯の強度が速度論的な結果と一致する挙動を示すことから上記の反応経路上の配位錯体であると推論している。

 第4章は、ポリ酸による有機化合物の光酸化反応について構成元素と触媒活性の相関性を論じたものである。すなわち、ヘテロポリ化合物は構成元素を変えることによって物性を制御できるという特性を生かし、中心原子の異なるKeggin型ヘテロポリ酸を用いて2-プロパノール(2-PrOH)光酸化反応を行い、構成元素と触媒活性の相関性について考察している。まず、濃度依存性などから、2-PrOHの光酸化反応もLangmuir-Hinshelwood型機構により進行することを明らかにしている。ついで、光酸化触媒活性とUV-visスペクトルで観測される配位錯体の定量的な関係を調べ、ポリ酸の種類および濃度条件を変えてもこの吸収強度と2-PrOH光酸化活性との間に良い比例関係のあることを明らかにした。

 以上の結果から、4-CP光分解反応、2-PrOH光酸化反応のいずれにおいても、触媒活性を示すためには1)ポリアニオン-基質配位錯体の形成、および2)励起されたポリアニオン-基質配位錯体の酸化還元反応、という2つのステップの進行が必要であること、PW123-が光分解反応、光酸化反応に高活性を示すのは、1),2)いずれのステップも効率良く進行するためであることを結論している。

 以上、本論文はクラスター分子を例にとり酢酸合成、光触媒について触媒の分子設計の基礎となる反応機構、活性と構造の相関について重要な知見を得たもので、触媒化学、反応化学に貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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