金属錯体およびヘテロポリ化合物は、いずれも明確な構造を有し、活性サイトが均質なため、分子レベルでの触媒設計が可能であるという特徴を有する。本研究ではRu(II)-Sn(II)直接結合をもつバイメタリッククラスターを触媒としたメタノールのみからの酢酸(酢酸メチル)合成反応、およびKeggin構造を有するヘテロポリ化合物を触媒とした有害有機分子の光分解反応、という2つの液相均一系反応を行った。いずれの反応系においても、配位子あるいは構成元素を変えた一連の触媒を用い、反応機構解析を行うとともにそれらの効果と触媒活性との相関性について検討した。 1.バイメタリッククラスターによるメタノールのみからの酢酸合成反応 SnCl3配位子を有するRu(II)バイメタリッククラスター錯体はメタノールのみから酢酸を生成する触媒となる。そこで、構造安定性の高いシクロペンタジエニル基を有する一連のRu(II)錯体CpRu(PPh3)2X(Cp=C5H5;X=Cl(1),SnCl3(2),SnF3(3))を触媒としてメタノール転化反応を試みた。 新規錯体CpRu(PPh3)2SnF3はCpRu(PPh3)2ClおよびNH4F,SnF2をメタノール-水溶液中にて30分間加熱還流した後に水、メタノール、ジエチルエーテルで洗浄し、塩化メチレン-メタノール中で再結晶して得た。31P-NMRおよび元素分析により錯体の生成を確認した。 1,2,3によるメタノール転化反応の経時変化をFig.1に示す。いずれも誘導期なしに酢酸メチルを生成した。特に3を用いた場合が最も効率良く酢酸メチルを生成したのに対し、1および2はより低い活性を示すに留まった。いずれの錯体においても、他の生成物は検出されず、高い選択性を示した。また、ホスフィン配位子をDPPEまたはP(OMe)3に変えた錯体を調製して同反応を試みた結果、活性の序列はSnF3>SnCl3>Clと求められ、SnF3配位子が有効であることが分かった。 Fig.1.Time course for the formation of methyl acetate from methanol alone with CpRu(PPh3)2X(X=SnF3(●),SnCl3(■),Cl(▲)).[cat.]=1.0mM,[MeOH]=12.3M,temp.=120℃. 3によるメタノール転化反応の機構について知見を得るために速度論的な検討を行った。酢酸メチルの初期生成速度について120から160℃の範囲でアレニウスプロットを取ったところ良好な直線性を示した。従って、この温度範囲内で反応機構の変化は無いと考えられる。酢酸メチル生成速度は触媒濃度に対して一次、メタノール濃度に対して高濃度で飽和した。また、PPh3の添加により速度が低下し、SnF2またはSnF2とNEt4Fを添加すると活性が若干向上した。以上のことから、式(1)に示すようにPPh3の脱離を伴う触媒-基質複合体の形成が推定された。 2.H3PW12O40による4-クロロフェノール光分解反応の機構解析 ポリ化合物は近紫外光の照射によりアルコールやアルカン、アミン、フェノール類を酸化することが報告されている。特にKeggin型タングストリン酸H3PW12O40(PW123-)は、水溶液中にて高い光酸化活性を有し、低濃度条件下においても4-クロロフェノール(4-CP)を効率良くCO2とHClに分解する。これに対し、中心原子あるいは配位原子の異なるKeggin型ヘテロポリ酸(XW12,X=Si,Ge,B,Fe,Co;PMW11,M=Mn,Co,Cu,Zn)は全く4-CP分解活性を示さなかった。そこでまず、4-CP光分解反応をプローブ反応とし、水溶液中でのPW123-の触媒機能特性について検討するとともに、同反応について反応機構解析を行った。 PW123-および4-CPを含むO2飽和水溶液は暗所下では反応しなかった。同溶液を光照射すると4-CPは一次式に従って分解し、主にヒドロキノン、4-クロロカテコールを生成した。PW3-12が安定に存在するpH=1.0-2.0の領域では4-CP分解速度が一定であった。一方、pH=2.5では反応速度が約2/3に低下した。この条件では仕込み触媒量の約30%が欠損型ポリアニオンPW117-になっていることがUV-visスペクトルより確認されたため、反応に寄与するのはPW123-であることが分かった。 次に、不活性ガス雰囲気下にて同反応溶液に光照射を施した。その結果、4-CPが分解するとともに一電子還元体PW124-のInter-Valence ChargeTransfer(IVCT)bandに帰属される新しい吸収帯が生成した。この際、Fig.2に示すように、PW124-の生成量と4-CPの分解量がほぼ同程度であった。光照射を止め、反応溶液にO2を導入するとIVCT吸収帯はすぐに消失するとともに若干量の4-CPが消費された。また、O2雰囲気下と同様にヒドロキノン、4-クロロカテコールが分解生成物として得られた。 Fig.2.Time course for photocatalytic decomposition of 4-CP with PW123- under deaerated condition.[PW123-]=0.7mM,[4-CP]=2.0mM. 以上の結果から、反応は1)PW123-が光照射により励起され、2)励起したPW123-がPW124-に還元されるとともに4-CPが分解し、3)PW124-がO2により再酸化されてPW123-に戻るという酸化還元サイクル(Scheme1)により進行することが分かった。O2飽和雰囲気下での反応中ではPW124-が生成しなかったため、この条件下では還元過程が律速段階と考えられる。 Scheme1.Mechanism for 4-CP photodecomposition with polyanion. 反応機構についてさらに詳細な知見を得るため、速度論的な検討を行った。その結果、4-CP分解初期速度はFig.3で示すように4-CPの高濃度条件で飽和した。PW123-が励起された後に4-CPと励起状態配位錯体を生成する拡散衝突機構を仮定して速度式を求めると二分子反応の速度定数は拡散速度よりも30倍大きく見積られた。さらに、アセトニトリル添加にょり4-CP分解速度は低下した。PW123-の励起状態寿命は水、アセトニトリル中でほぼ同じであること、拡散速度定数は水よりもアセトニトリル中の方が大きいことから、アセトニトリルによる阻害効果は拡散衝突機構では説明できない。従って、まずPW123-と4-CPが配位する予備的な平衡が存在し、この配位錯体が光励起されて反応が進行するLangmuir-Hinshelwood型の機構により進行すると推定された。アセトニトリル添加による活性の低下は、PW123-が4-CPアセトニトリルに競争吸着するために反応が阻害されたと考えられる。 PW123-および4-CPを含む水溶液のUV-visスペクトルを測定したところ、可視光領域にPW123-,4-CPいずれにも帰属されない新しい吸収帯が生成した。H3P-NMRおよびHPLCで調べた結果、溶液中に分解生成物が見られず、この吸収帯はポリアニオンと基質の配位錯体の生成によるものと結論された。さらに、この配位錯体はアセトニトリル濃度の増加とともに減少し、速度論的な結果と一致する挙動を示した。 Fig.3.Dependence of the rate of 4-CP photo-decomposition by PW123- on 4-CP concentration..[PW123-]=0.7mM(○),0.5mM(□),0.35mM(△).3.ポリ酸による有機化合物の光酸化反応-構成元素と触媒活性の相関性 ヘテロポリ化合物は構成元素を変えることによって物性を制御できるという特性を有する。そこで、中心原子の異なるKeggin型ヘテロポリ酸XW12(X=Ge,B,Fe,Co)を用いて4-CP光分解反応、2-プロパノール(2-PrOH)光酸化反応を行い、構成元素と触媒活性の相関性について考察した。 XW12(X=Ge,B,Fe,Co)は水溶液中、いずれも4-CPと配位錯体を形成し、可視光領域に新しい吸収帯を生成した。これらのヘテロポリアニオンは全く4-CP光分解活性を示さず、この吸収帯の挙動は速度論的な結果とは一致しなかった。 次に基質を2-PrOHとして反応を行った。ヘテロポリアニオンXW12(X=P,Si,Ge,B,Fe)はいずれも2-PrOHを酸化してアセトンを生成した。基質濃度の増加に伴い反応速度が飽和したこと、ヘテロポリアニオンと2-PrOHの配位錯体がUV-visスペクトルにて観測されたことから、同反応もLangmuir-Hinshelwood型機構により進行することが分かった。光酸化触媒活性とUV-visスペクトルで観測される配位錯体の定量的な関係を調べたところ、ヘテロポリアニオンの種類および濃度条件を変えてもこの吸収強度と2-PrOH光酸化活性との間に良い比例関係が見られたため、ポリアニオンと2-PrOHの配位平衡定数が触媒活性を支配する因子であると推定された。 以上の結果から、4-CP光分解反応、2-PrOH光酸化反応のいずれにおいても、触媒活性を示すためには1)ポリアニオン-基質配位錯体の形成、および2)励起されたポリアニオン-基質配位錯体の酸化還元反応、という2つのステップの進行が必要であると考えられる。PW123-が光分解反応、光酸化反応について高い活性を示すのは、1),2)いずれのステップも効率良く進行するためであることが分かった。 |