学位論文要旨



No 112633
著者(漢字) 富永,剛
著者(英字)
著者(カナ) トミナガ,ツヨシ
標題(和) 高次組織化された有機積層および共蒸着薄膜の設計と電子機能
標題(洋)
報告番号 112633
報告番号 甲12633
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3911号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御園生,誠
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 堀江,一之
 山口東京理科大学 教授 戸嶋,直樹
内容要旨

 有機薄膜を機能素子にする試みは盛んに研究されているが、その大半は非晶系におけるものである。既存の有機物に修飾を加えたり、新規物質を合成するなどの分子構造の変化による特性の向上に力点が置かれ、分子配列、分子配向などを高度に制御することにより、有機分子本来の性質を最大限かつ特異的に発現させようという薄膜の高次組織化と特性に関する研究はほとんど行われていない。そこで、本研究では従来の無機材料には無い、有機分子に特徴的な機能が発現できる「場」の提供という観点から、蒸着法により高次組織化された薄膜を作製し、機能の特異的発現を目指した。具体的には、薄膜構造の高度な制御が期待でき、興味ある電子機能を有する電子系平面分子を用いて、分子配向のみならず、配列順序なども制御した高次組織化された蒸着薄膜を作製し、「連続ポテンシャル場」が形成された薄膜内での[ベクトル性」電子・ホール輸送などの特異な電子機能を示す有機薄膜システムの構築を目指した。

1金属フタロシアニン積層および共蒸着薄膜の構造

 金属フタロシアニン(MPc)は極めて安定な共役系大環状平面分子で、p型半導性や光伝導性を有することから、有機機能素子の素材として注目され、活発に研究されている。電子機能発現の際によく用いられるITOガラス基板上に作製したMPc単独蒸着膜の走査型電子顕微鏡(SEM)およびX線回折パターン(XRD)測定から、MPc蒸着膜は棒状結晶の多晶質膜で、結晶粒内でMPc分子が基板に対し分子面が垂直な構造を取って配列していることが分かった。そこで、中心金属がニッケルおよび亜鉛であるNiPcとZnPcの組み合わせで積層および共蒸着薄膜(これらをまとめて「複合薄膜」と呼ぶ)を作製し、SEMおよびXRD測定を行った結果、これらも同様の構造をとり、複合化による構造変化は起きていないことが明らかとなった。このことは、複合薄膜中の「Pc環配位子」が共通であることから予期された通りの結果である。

Fig.1 CuPc:H2Pc=1:1のESRスペクトル(a)共蒸着膜、(b)物理混合粉末

 次に、共蒸着膜中でのMPc分子の分散性をESRを用いて観察した。CuPc粉末のESRスペクトルでは隣接Cu原子との相互作用により一本の非対称な幅広いピークしか観測されない。このCuPc粉末を金属が配位していないメタルフリー・フタロシアニン(H2Pc)で希釈すると、例えばCuPc:H2Pc=1:100の割合に混合すると、中心金属のCu周りの窒素に由来する超微細構造(hyper fine structure:hfs)が観測される。CuPcが分散した結果Cu原子同士の相互作用が弱まり、ピークの広幅化が起こらなかったためと考えられる。一方、CuPcを石英ガラス上に蒸着し、薄膜化したものは、CuPc粉末同様一つのブロードなピークを与える。そこで、同じく石英ガラス上に様々な希釈度で両者を同時に蒸着し、CuPc-H2Pc共蒸着膜を作製してESR測定を行った。CuPc:H2Pc=2:1では窒素によるhfsは観測されないが、1:1ですでに観測されはじめ、さらに希釈度を増すにつれhfsが鋭くなっていく。粉末の1:1物理的混合物のスペクトルではhfsは観測されないので、この共蒸着膜中ではCuPc分子は分子レベルで分散していると理解される(Fig.1)。このことは、MPcが有機p型半導体であることを考えると有機半導体における「分子レベルでのドーピング」の可能性を示すものである。

2金属フタロシアニン積層および共蒸着薄膜のホール輸送特性

 第4周期遷移金属を中心に持つMPc(M=Ni,Cu,Co,Zn,Fe)蒸着膜は、水溶液中における酸化・再還元サイクルが従来不可逆といわれてきたが、測定系の工夫によりCuPcおよびNiPcにおいて酸化・再還元(膜の色変化:水色→青紫→水色)を極めて可逆的に起こさせることに成功した。CuPc蒸着膜を用いた詳細な考察の結果、可逆性は電位掃引幅および電解質アニオン種に依存することが明らかになった。また、中心金属により酸化電位が大きく異なり、酸化電位の低いCoPc,ZnPcおよびFePc蒸着膜では測定系を工夫しても不可逆な特性しか得られなかった。これら酸化・再還元の不可逆なMPc蒸着膜では、酸化に伴い分子の化学構造に変化が起きていることが、電位掃引に伴う近赤外付近の吸収スペクトル変化の測定などから示唆された。

 そこで、酸化電位が異なるNiPcおよびZnPcを用いて積層および共蒸着薄膜を作製し、高次組織化に伴うホール輸送特性の変化を考察した。まず、NiPc-ZnPc共蒸着膜の酸化・再還元に伴うCV曲線は、それぞれの単独膜のものとは異なることが明らかになった。すなわち、ZnPc単独膜で掃引ごとに減衰する酸化および還元ピークが、共蒸着膜では減衰せず、可視吸収スペクトル変化からも可逆的な酸化・再還元が達成されたことが分かった。このとき、ZnPc単独膜の化学構造変化を示唆する近赤外付近のピークは極く小さくしか出現しなかった。共蒸着膜においては均一に分散した両フタロシアニン間での相互作用により、単独膜で不可逆であるMPcの特性が向上したと考えられる。さらに、共蒸着により、新たな電流応答が観察されており、先に述べた「分子レベルのドーピング」の可能性を強く示唆する結果となった。単独膜ではそれぞれ可逆と不可逆であるCuPcとFePcの系でも、同様に可逆的酸化・再還元サイクルが観察された。

Fig.2 NiPc-ZnPc積層蒸着膜のCV曲線とバシド模式図

 次にNiPc-ZnPcの系において蒸着順序の異なる2種類の積層薄膜を作製し、特性を比較した(Fig.2)。その結果、可逆性に優れ酸化電位の高いNiPcを先に蒸着した積層膜では、NiPcおよびZnPcの両層が酸化されるが、可逆性に劣り酸化電位の低いZnPcを先に蒸着した積層膜では、1層目のZnPcのみが酸化され2層目のNiPcは酸化されないことが、CV曲線および可視吸収スペクトル変化から明らかになった。この特異な挙動は同程度の酸化電位差を持つCuPc-ZnPc系においても確認されたが、NiPc-CuPc系およびCoPc-ZnPc系のような酸化電位差の小さい組み合わせの系では観察されない。この差は積層膜中におけるホール輸送の違いで説明できる。即ち、基板側から見て、酸化電位の高いものから並んだ場合にはホールの移動が2層目までスムーズに行われるが、逆の場合には1層目と2層目の界面のエネルギー準位差が障壁となりホールの移動が行われないことを意味する。換言すれば、エネルギー準位が異なるMPcをエネルギー準位の順に規則正しく配置すれば、ベクトル性を持った促進ホール移動が可能であることを示す。

3金属フタロシアニンをホール輸送層に用いた有機エレクトロルミネッセンス素子

 MPc蒸着膜は、p型半導性を示すことから全固体型有機エレクトロルミネッセンス(EL)素子におけるホール輸送層として用いることが出来る。そこで、アルミニウムキノリノール錯体(Alq3)およびCuPcをそれぞれ発光層およびホール輸送層に用いたEL素子を作製したところ、従来高輝度が得られなかった結晶性薄膜を用いた素子でも、CuPc層の膜厚を薄くすることにより、高輝度発光(1000cd・m-2以上)を得ることに成功した。さらに、前章のMPc積層膜によるホール輸送促進をEL素子に適用したところ、CuPc-ZnPc積層化ホール輸送層を用いて、CuPuおよびZnPc単層をしのぐ高輝度を得(4000cd・m-2)、発光効率の向上に成功した(Table)。このことは、ホール輸送層内に「連続ポテンシャル場」による電位勾配が形成され、ホール輸送の高効率化が達成されたためと考えられる。NiPc-ZnPc積層系でも同様の結果が得られている。

Table 種々のホール輸送層を用いたEL素子の最高輝度
4n型半導性有機分子蒸着膜の構造と電子輸送特性

 ペリレンテトラカルボン酸(PTC)誘導体は、有機分子の中では数少ないn型半導性を示す安定な電子系平面分子である。そこで、種々の誘導体について蒸着膜を作製し、電子輸送特性の観点から還元側における電気化学特性の考察を行った。その結果、幾種類かの誘導体について、還元・再酸化に対して膜の色変化を伴った電流応答が得られた。また、繰り返しの電位掃引に対し、可逆的な還元・再酸化応答を示すものもあり、置換基の種類によって、蒸着膜の第一還元電位が異なることが明らかとなった。この還元電位の違いに着目し、2種のPTCの組合せによるPTC積層および共蒸着薄膜を作製し、電子輸送特性の特異的発現を試みたところ、共蒸着薄膜においてはMPc共蒸着膜の場合と同様の特異的な電流応答特性が得られたが、積層膜による電子輸送制御は観察されなかった。この系においては2種のPTC間の還元電位差が小さいため、積層界面におけるエネルギー準位差が電子移動に有効に作用しなかったと考えられる。

 そこで、同じくn型半導性を示す電子系平面分子であるテトラピリジルポルフィリン(TPyPor)と種々のPTCとの組み合わせによる積層膜を作製し、電子輸送制御を試みた。異種の有機分子による積層膜では、電子移動制御の鍵となる還元電位差が大きくなることは期待できるが、両分子の構造が大きく異なることから積層化自身が問題となる。実際にTPyPor-PTC系積層膜では、還元電位差は十分であるが、積層界面が強固に形成されていないためか、完全な電子輸送制御は実現できなかった。そこで、ITOガラスに直接蒸着するのではなく、KCl単結晶へき開面を基板に用いて分子配列が高度に制御された積層膜を作製し、基板溶解後、ITOガラスにうつした高次組織化膜について特性を考察した。この積層膜はITOガラスに移したあとも、良好な積層状態を保っていることがXRD測定などから明らかになった。この結果、TPyPor-PTCDA(ペリレンテトラカルボン酸二無水物)の積層膜で、アセトニトリル溶液中において、完全な電子輸送制御の実現を強く示唆する結果が得られた(Fig.4)。さらに、電位掃引に伴う可視吸収スペクトル変化の測定から、電子輸送制御が実現できていることを確認した。

Fig.4 TPyPor-PTCDA積層膜のCV曲線
審査要旨

 有機薄膜の機能素子化に関する研究は盛んに行われているが、その殆どは非晶質系のものである。多くの研究は分子構造の変化による特性の向上に力点が置かれ、分子配列、分子配向などを高度に制御することにより、有機分子本来の性質を最大限かつ特異的に発現させようという薄膜の高次組織化とその特性に関する研究はほとんど行われていない。本論文では、有機分子として半導性を有する電子系平面分子を選んで、蒸着法により分子配向、配列順序などを制御した高次組織化蒸着薄膜を作製し、その構造と電子・ホール輸送特性について考察している。これらの結果は、結晶性有機薄膜を用いた機能性素子開発の際に、有機分子に特徴的な機能の発現を可能にする「場」の提供により、機能の特異的発現が具体化できることを明らかにしたもので、全6章より構成されている。

 第1章は序論で、本論文のキーワードとなる「有機電子機能性素子」、「共役系平面分子」「有機薄膜」、「高次組織化」の考え方と特徴を関連する過去の研究事例とともに紹介し、本研究の目的について述べている。

 第2章ではp型半導性分子である第四周期遷移金属フタロシアニン蒸着薄膜の構造について述べている。この蒸着膜の構造はITOガラス上では、棒状結晶の多結晶質薄膜で、棒状結晶内でフタロシアニン平面分子は基板に対し垂直に配向していることを考察している。また、KCl単結晶へき開面上では基板と相互作用してエピタキシャル成長膜になるが、基板を溶解後、ITOガラスに移しとってもこの構造が保持されたままであることを明らかにしている。さらに、蒸着膜の構造を2種のフタロシアニンを用いた積層および共蒸着薄膜にまで拡張して考察し、結晶形態や結晶性は積層、共蒸着といった複合化に際しても変わらず、特に共蒸着膜においては2種のフタロシアニン分子が分子レベルで分散していることをESRを用いて証明している。すなわち、これらの方法により、金属フタロシアニン分子の高次組織化が可能であることを明らかにしている。

 第3章は、第四周期遷移金属フタロシアニン蒸着薄膜のホール輸送特性を分光電気化学測定から検討した結果を述べている。従来、不可逆であるとされてきた第四周期遷移金属フタロシアニン蒸着薄膜のエレクトロクロミズムで、測定系を工夫することにより銅フタロシアニンおよびニッケルフタロシアニン蒸着薄膜で、可逆的に酸化・再還元させることに成功している。この特性を蒸着膜の構造との関連から論じ、さらに、酸化電位の異なる2種の金属フタロシアニンを用いた共蒸着および積層蒸着薄膜の特性について考察している。共蒸着薄膜では、両単独膜および積層膜で観測されない電流応答が観測され、膜中で電荷移動錯体が新たに生成している可能性があることを明らかにしている。この挙動は、有機半導性分子蒸着膜における分子レベルのドーピングにつながる結果であると説明している。一方、積層蒸着薄膜では酸化電位差が十分な大きさの組み合わせの金属フタロシアニンを用いることにより、蒸着順序によって膜内の酸化層制御が行えることを明らかにしている。この挙動は詳細な考察から、積層膜内におけるベクトル性ホール輸送であると結論づけている。

 第4章では金属フタロシアニンをホール輸送層、アルミニウムキノリノール錯体を発光層に用いて全固体型有機エレクトロルミネッセンス素子を作製し、固体素子における金属フタロシアニンのホール輸送特性について検討している。まず、金属フタロシアニン層を薄くすることにより、従来高輝度が得られなかった結晶性薄膜を用いて、1000cdm-2を超える高輝度発光に成功している。さらに、酸化電位の高い順に積層した金属フタロシアニン積層ホール輸送層を用いることにより、それぞれの単層ホール輸送層よりも良好な特性を示す素子の作製に成功している。そして、この特性の向上を、積層膜内における「連続ポテンシャル場」という特殊な場の構築による高効率ホール輸送特性のためと結論づけている。さらに、「連続ポテンシャル場」について考察を加え、この場はp-p同型ヘテロ接合を有する積層膜を、正バイアス方向とキャリヤー輸送方向が一致するように積層化された結果産み出されたものであると説明している。

 第5章では、n型半導性分子を用いた蒸着薄膜の電子輸送特性について述べている。まず、ペリレンテトラカルボン酸誘導体蒸着薄膜は、還元・再酸化の際にエレクトロクロミック特性を示し、幾種類かについては、測定系の工夫により可逆的に応答を繰り返すことが可能であることを明らかにしている。また、誘導体の種類によって、蒸着膜の第一還元電位が異なり、2種の組合せによる共蒸着薄膜においては、[分子レベルのドーピング]を示唆する特異的な電流応答特性が得られることを示している。さらに、2種のn型半導性有機分子を用いた積層蒸着薄膜による電子輸送制御の実現には、両層間での十分な還元電位差および良好な積層界面を有する薄膜の作製が必要であることを明らかにし、テトラピリジルポルフィリンとペリレンテトラカルボン酸二無水物の組み合わせで、分子配列が高度に制御されたエピタキシャル成長による積層蒸着薄膜を作製することにより、薄膜内の電子輸送制御に成功している。

 第6章は結論で、第2章から第5章までの結果をまとめるともに、結晶性有機薄膜を用いた機能性素子の開発における本研究の位置づけと、今後の展望について論じている。

 以上本論文は、有機分子に特徴的な機能発現を可能にする「場」の提供という観点から、分子配向のみならず、配列順序なども制御した高次組織化蒸着薄膜を実際に作製し、「ベクトル性」電子・ホール輸送などの特異な電子機能を示す有機薄膜システムの構築を、基本的な特性の測定のみならず、具体的な固体素子においても実現したものである。これは、有機薄膜の機能素子化に対する新しい展開の方法を提示しており、有機結晶性薄膜を用いた新規な光・電子機能素子の開発に対して先導的役割を果たすものと期待され、工学上貢献するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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