学位論文要旨



No 112638
著者(漢字) 橋本,公太郎
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,コウタロウ
標題(和) ディーゼル燃料のセタン価向上効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 112638
報告番号 甲12638
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3916号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田村,昌三
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 辰巳,敬
 東京大学 助教授 齋藤,猛男
 東京大学 助教授 新井,充
内容要旨

 欧米ではディーゼル燃料が不足しているため着火性の低い分解軽油が使用されている。日本では現在は着火性の高い直留軽油のみ使用されているが、将来は軽油の不足のため分解軽油の使用が予想される。ディーゼル燃料の着火性はセタン価で表されるが、セタン価の低いディーゼル燃料は低温での始動性が悪くディーゼルノックをおこすなど実用上問題がある。このためセタン価向上剤の添加が必要である。従来の研究によると硝酸エステルや有機過酸化物にセタン価向上効果があることが知られており、米国では硝酸エステルの一つであるイソオクチルナイトレイトがセタン価向上剤として実用化されている。しかしながら、セタン価向上剤に関する系統的な研究はなされておらず、セタン価向上のメカニズムも十分には理解されていない。また、優れた性能を有する新規セタン価向上剤の開発も期待されている。本論文ではセタン価向上剤の向上のメカニズムの解明と新規セタン価向上剤の開発を目的としている。

 本論文では、セタン価向上剤として知られている硝酸エステル、亜硝酸エステルおよび有機過酸化物のセタン価向上効果について系統的に検討し、セタン価向上剤の向上メカニズムの探索を試みた。今回測定した硝酸エステル、亜硝酸エステルおよび有機過酸化物はそれぞれセタン価向上効果が認められた。硝酸エステルおよび亜硝酸エステルの熱分解では、まず酸素-窒素結合が開裂してアルコキシラジカルとNO2およびNOが生成することが知られている。一方、有機過酸化物の熱分解ではまず酸素-酸素結合が開裂してアルコキシラジカルが生成し、生成したアルコキシラジカルは他の分子と反応しなければ-開裂をおこしアルデヒドまたはケトンとアルキルラジカルになると考えられている。熱分解で生成すると考えられるアルデヒドおよびケトンのセタン価向上効果を調べたが、いずれもセタン価向上効果を示さないことを確認した。ジ-t-ブチルペルオキシドは熱分解によりt-ブトキシラジカルを生成し、一方t-ブチルナイトライトは熱分解によりt-ブトキシラジカルとNOを生成する。この二つの物質のセタン価向上効果を生成するt-ブトキシラジカルの濃度で比較したところセタン価向上効果がほぼ同じになることから、NOはセタン価向上効果を示さないと考えられる。また、イソアミルナイトレイトとイソアミルナイトライトの熱分解生成物の違いはNO2とNOである。しかしながら両者のセタン価向上効果がほぼ同じであることから、NOのみならずNO2も顕著なセタン価向上効果を示さないことがわかる。以上のことからセタン価向上剤は熱分解によって生成するラジカルがセタン価向上に寄与しており、ケトン、アルデヒド、NO、NO2等の生成物はセタン価向上効果に寄与しないものと推定される。燃料の前着火段階ではラジカル連鎖反応がおこっていることが知られており、セタン価向上剤は、熱分解によりアルキルラジカルを発生し、この連鎖反応を促進することによりセタン価を向上させていると考えられる。上記の仮説を確認するためにラジカル捕捉剤であるジフェニルアミンおよび2,6-ジ-t-ブチル-4-メチルフェノールを燃料に配合し、セタン価測定を行ったところこれらのラジカル捕捉剤がラジカルを捕捉することによりラジカル連鎖反応を抑えてセタン価を低下させることが示された。炭素数が3から8の直鎖の亜硝酸エステルのセタン価向上効果を比較すると炭素数とセタン価向上効果の間に正の相関があった。また、同じ炭素数の亜硝酸エステルのセタン価向上効果を比較すると熱分解で生成するアルキルラジカルの炭素数が一番大きい直鎖の亜硝酸エステルのセタン価向上効果が最大で、生成するアルキルラジカルの炭素数が小さくなるほどセタン価向上効果が小さくなることがわかった。これは、熱分解で生成するアルキルラジカルの炭素数が大きいほど、酸素付加により生成するアルキルペルオキシラジカルの反応性が大きく、ディーゼル燃料の前着火段階の連鎖反応をより促進するものと考えられる。

 次に、本論文ではセタン価向上剤は熱分解で生成するアルキルラジカルがセタン価向上に寄与しているという知見をもとに、ラジカル発生剤として知られているアゾ化合物のセタン価向上効果を検討した。その結果、本研究で使用したアゾ化合物はそれぞれセタン価向上効果が認められ、アゾ化合物は新規セタン価向上剤として有望である。アゾ化合物は熱分解でアルキルラジカルを生成し、生成したアルキルラジカルが燃料から生成したアルキルラジカルとともに連鎖成長反応を促進するためセタン価が向上するものと考えられる。同じ置換基をもつアゾ化合物のセタン価を比較すると炭素鎖の長いアゾ化合物がセタン価向上効果が大きいことがわかった。これは、熱分解で生成するアルキルラジカルの炭素数が大きいと、酸素付加して生成するアルキルペルオキシラジカルの反応性が大きくなるためであると考えられる。同じ基本骨格をもち、置換基の異なるアゾ化合物のセタン価向上効果を比較すると、シアノ基を置換基に有するアゾ化合物はセタン価向上効果が小さいのに対し、メトキシ基を有するアゾ化合物では最大のセタン価向上効果を示すことがわかった。これは、アゾ化合物の熱分解で生成するアルキルラジカルの酸素付加しやすさが、置換基により変化するためと考えられる。

 有機過酸化物にセタン価向上効果が認められているが、炭化水素の自動酸化においてヒドロペルオキシドが生成することが知られている。従って、自動酸化したディーゼル燃料はセタン価向上効果が期待される。そこで、本論文ではディーゼル燃料を自動酸化しそのセタン価向上効果を検討した。その結果、自動酸化によりセタン価向上効果が認められた。酸化時間、温度とも大きいほどセタン価が大きくなることがわかった。自動酸化法は新規セタン価向上法として有効であると考えられる。自動酸化を行った燃料についてヒドロペルオキシドの濃度を測定したところ、ヒドロペルオキシドの生成が確認された。生成したヒドロペルオキシドがセタン価向上に寄与していると考えられる。

 次に、本論文ではセタン価向上剤の反応メカニズムを解明することを目的として、n-ブタン自然発火モデルを用い、セタン価向上剤の化学反応を組み込みn-ブタンの着火遅れ時間減少効果をシミュレートした。その結果、セタン価向上剤添加により着火遅れ時間減少効果が確認された。このことから、このモデルで、セタン価向上剤の着火遅れ時間減少効果をシミュレートできることが分かった。硝酸エステル、亜硝酸エステルおよび有機過酸化物はこの条件下では着火遅れ時間と比較して圧倒的に速く熱分解する。硝酸エステルおよび亜硝酸エステルは熱分解によりアルコキシラジカルとNO2およびNOが生成する。有機過酸化物の熱分解からはアルコキシラジカルが生成する。生成したアルコキシラジカルもすばやく-開裂をおこす。計算では生成するアルデヒドおよびケトンは着火遅れ時間に影響を与えなかった。これはアルデヒドやケトンはセタン価向上効果に寄与しないという研究結果と一致する。NO2はメタンの着火遅れ時間を著しく減少するという実験結果が報告されているが、本研究によるとNO2はセタン価向上効果に寄与しないと考えられている。そこで、n-アミルナイトレイトのn-ブタンの着火遅れ時間に与える影響を、NO2の反応を含む場合と含まない場合で比較した。その結果、この二つの場合の着火遅れ時間はそれほど差がなく、NO2の着火遅れに与える影響は重要でないことが分かった。以上のことからn-ブタンの着火遅れ減少に関わるのは熱分解で生成したアルキルラジカルであると考えられる。亜硝酸エステル添加のn-ブタン着火遅れ時間減少効果を比較するとn-アミルナイトライトが一番高く、n-プロピルナイトライトとt-アミルナイトライトは同じ着火遅れ減少となっている。これは、セタン価向上効果と同じ傾向を示している。また、セタンカ向上剤の熱分解で生成するアルキルラジカルのn-ブタン着火遅れ時間減少効果に寄与する反応を感度計算により抜き出した。

 セタン価向上剤を開発する上において簡便なスクリーニング試験が期待されている。本論文では発火温度試験に注目し、発火温度とセタン価との関係を検討した。その結果、セタン価が小さくなるにつれて最低発火温度(Tmin)は高くなり、セタン価とTminとの間に相関があることがわかる。セタン価はディーゼルエンジン内での燃料の自然発火性を表しており、大気圧下で行う発火温度測定とは圧力や温度条件が異なる。しかしながらいずれの場合においても燃料分子の前着火段階においてラジカル連鎖反応が起こり、この連鎖反応が着火遅れを支配しているため発火温度とセタン価との間に相関があると考えられる。次にセタン価向上剤を配合した燃料についてTminを検討したところ、セタン価向上剤を配合したものは配合していないものと比べてTminが低下しており、発火性が向上していると言える。これは、セタン価向上剤の熱分解で生成したラジカルが燃料の前着火段階のラジカル連鎖反応を促進するためと考えられる。セタン価とTminとの関係を検討したところセタン価が高くなるとTminは低くなる傾向にあり、セタン価と発火温度の間に相関があることを示している。従って、発火温度試験はセタン価向上剤開発におけるスクリーニング試験として有効であるといえる。

審査要旨

 本論文は、「ディーゼル燃料のセタン価向上効果に関する研究」と題し、ディーゼル燃料のセタン価向上剤の作用機構を解明し、新しいセタン価向上剤および向上法を開発することを目的として行った研究成果をまとめたもので、7章から成っている。

 第1章は序論であり、本論文の研究の背景および既往の研究を概説し、本論文の目的と方針を明らかにしている。

 第2章は、既存のセタン価向上剤として知られている硝酸エステル、亜硝酸エステルおよび有機過酸化物のセタン価向上効果について系統的に検討した結果をまとめている。硝酸エステル、亜硝酸エステルおよび有機過酸化物によるセタン価向上効果は、これらの熱分解により生成するアルキルラジカルが、ディーゼル燃料の前着火段階のラジカル連鎖反応を促進することによるものであること、またその効果は熱分解により生成するアルキルラジカルの炭素数が大きいほど、酸素付加により生成するアルキルペルオキシラジカルの反応性が大きくなり、ラジカル連鎖反応がより促進するため増大することを明らかにしている。

 第3章は、アゾ化合物のセタン価向上効果について検討した結果をまとめている。筆者は、熱分解でアルキルラジカルを生成する物質がセタン価向上効果をもつという知見を基に、ラジカル発生剤として知られているアゾ化合物のセタン価向上効果について検討した結果、アゾ化合物にセタン価向上効果が認められ、新たなセタン価向上剤として有望であることを見出している。さらに、異なる化学構造や置換基をもった種々のアゾ化合物についてセタン価向上効果を詳細に検討した結果、熱分解で生成するアルキルラジカルの化学構造が、ディーゼル燃料の前着火段階のラジカル連鎖反応に影響を与え、セタン価の向上効果を大きく変化させることを明らかにしている。

 第4章は、自動酸化によるディーゼル燃料のセタン価向上について検討を試みた結果を述べている。炭化水素の自動酸化により有機過酸化物であるヒドロペルオキシドが生成することに着目し、ディーゼル燃料の自動酸化により生成するヒドロペルオキシドが、ディーゼルエンジン内においてラジカル発生源になることによりセタン価向上効果をもたらす方法を提案し検討している。その結果、自動酸化したディーゼル燃料のセタン価向上効果を確認し、この方法が添加剤等を用いない、クリーンかつ安価な新しいセタン価向上法として有望であることを示している。

 第5章は、セタン価向上剤の作用機構について検討した結果を述べている。n-ブタンの自然発火に関する反応モデルに、セタン価向上剤の熱分解反応を組み込み、n-ブタンの着火遅れ時間の減少効果、すなわち、セタン価向上効果をシミュレートすることを試みている。その結果、この方法がセタン価向上剤の添加によりn-ブタンの着火遅れ時間減少をシミュレートできることを明らかにするとともに、n-ブタンの着火遅れ時間の減少に寄与する化学種がアルキルラジカルであることを指摘するとともに、アルキルラジカルが関与する主要な反応過程を感度計算により検討し、セタン価向上剤の着火遅れ時間の減少効果を説明する反応メカニズムを提案している。

 第6章は、発火温度によるディーゼル燃料の着火性予測について検討した結果を述べている。セタン価向上剤探索におけるスクリーニング試験として発火温度試験に着目し、各種炭化水素燃料の発火温度とセタン価との関係およびセタン価向上剤の添加がディーゼル燃料の発火温度に与える影響について検討した結果、発火温度とセタン価との間に相関があることを見出し、発火温度試験がセタン価向上剤探索のスクリーニング試験として有効であることを示している。

 第7章は、総括であり、本論文の成果をまとめるとともに、今後の展望について述べている。

 以上要するに、本論文はディーゼル燃料のセタン価向上剤の作用機構を解明するとともに、そのメカニズムを基に新しいセタン価向上剤および新しいセタン価向上法を提案したものであり、燃料工学ならびに化学システム工学の発展に貢献するところが少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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