学位論文要旨



No 112643
著者(漢字) 須藤,篤
著者(英字)
著者(カナ) スドウ,アツシ
標題(和) 新規人工不斉補助剤の創製とその応用
標題(洋) Development and Application of New Artificial Chiral Auxiliaries
報告番号 112643
報告番号 甲12643
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3921号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 教授 白石,振作
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
内容要旨 緒言

 これまで用いられてきた不斉補助基や不斉反応剤の多くは,天然のキラル化合物の化学修飾により開発されてきた。そのため,それらの両対掌体の同等な入手が困難であったり,今後,さらに有用な反応剤等のデザインを行なう場合,構造上の制約を受ける可能性がある。一方,合成,光学分割により得られる人工のキラル化合物を不斉合成に用いる手法は,上記の諸問題の有力な解決策であると思われる。このような観点に基づき,新規人工不斉補助剤の開発を目的に,人工キラルアミノアルコールのデザイン,合成,および光学分割を行ない,それらの不斉合成への応用を行なった。

1.シス-2-アミノ-1-アセナフテノールの開発

 堅固な骨格を有するキラルアミノアルコールの開発を目的に,シス-2-アミノ-1-アセナフテノール(1)をデザインし,その開発を行なった。

 rac-1は,アセナフチレンから得られるトランスブロモヒドリン2をシスアジドアルコールへ変換し,さらにそのアジド基を還元することにより,完全にシス選択的に合成することができた(Scheme 1)。

Scheme 1

 rac-1をその(R)-2-フェニルプロピオン酸とのジアステレオマー塩対へと誘導し,これを水-エタノール(2:1)もしくは酢酸エチルを用いて再結晶し,得られたそれぞれの塩より,(-)-(1R,2S)-1および(+)-(1S,2R)-1を得た(Scheme 2)。

Scheme 2
2.シス-2-アミノ-1-アセナフテノールの不斉合成への応用

 1由来のキラルオキサゾリンを不斉補助基として有する基質3の不斉[2,3]-Wittig転位反応を行なったところ,立体選択的に転位生成物4が得られた(Scheme 3)。

Scheme 3

 また,1から得られるキラルオキサザボロリジン5はケトンの不斉還元における有用な不斉触媒であった。(Scheme4)。

Scheme 4
3.シス-2-アミノ-3,3-ジメチル-1-インダノールの開発

 上記シス-2-アミノ-1-アセナフテノール(1)は歪んだナフチルアミン骨格を有するため,1およびその誘導体が不安定な場合があった。そこで,この問題を解決しつつ,アミノ基近傍の立体的なかさ高さをさらに増強することを目指して,シス-2-アミノ-3,3-ジメチル-1-インダノール(6)をデザインし,その開発を行なった。

 rac-6は,3,3-ジメチル-1-インダノンから得られるジアセテート7のボラン-THF錯体による還元により,完全にシス選択的に合成することができた(Scheme 5)。

Scheme 5

 rac-6とその(S)-および(R)-マンデル酸とのジアステレオマー塩対をエタノールを用いて再結晶し,得られた塩をアルカリで処理することにより,6の両対掌体をいずれも光学純度>99%e.e.で得た。(Scheme 6)。

Scheme 6
4.シス-2-アミノ-3,3-ジメチル-1-インダノールの不斉合成への応用(1)

 6から得られるキラルオキサゾリジノンを不斉補助基として有する基質8の金属エノラートと求電子剤との反応や,基質9の不斉Diels-Alder反応を行なったところ,従来の天然物由来のキラルオキサゾリジノンを用いた場合よりも,高立体選択的に生成物が得られた(Scheme 7)。

Scheme 7
5.シス-2-アミノ-3,3-ジメチル-1-インダノールの不斉合成への応用(2)

 6から得られるホスフィンーオキサゾリン型配位子10を遷移金属の不斉配位子として用い,アリルアルコール誘導体11の触媒的不斉アミノ化や,ケトンの触媒的不斉ヒドロシリル化を行なったところ,対応する生成物が高エナンチオ選択的に得られた(Scheme 8)。

Scheme 8

 以上のように,合目的的にデザインされた人工不斉補助剤を合成,光学分割し,これらを不斉反応へ利用することにより,これまで用いられてきた天然のキラル化合物から誘導した不斉補助基もしくは不斉反応剤を用いた場合よりも高い立体選択性が実現できることが明かとなった。また,適切な光学分割法を用いることによりその両対掌体が同等に入手可能であることも,これら人工不斉補助剤を用いる場合の利点である。これら一連の手法は,さらに詳細な光学分割手法およびその機構に関する研究の発展とともに,さらに有用となることが期待される。

審査要旨

 本論文は,不斉合成反応における有用な不斉補助剤の開発を目的として,新規人工キラルアミノアルコールのデザイン,合成,光学分割,ならびにそれらの不斉合成反応への応用に関する研究の成果について述べたものであり,3章より構成されている。

 第1章は序論であり,不斉合成における不斉補助剤としてのキラルアミノアルコールの重要性について述べるとともに,その開発に当たっては,従来の天然キラル化合物の利用に代えて,より高い不斉誘起能と汎用性を有しうる人工キラル化合物の創製,およびそれらの光学分割による両対掌体の大量入手が必要であることを論じ,本研究の目的と意義を述べている。

 第2章第1節では,新規人工キラルアミノアルコールであるシス-2-アミノ-1-アセナフテノールのデザインおよびその開発について述べている。本化合物は,極めて堅固な骨格を有し,そのアミノ基および水酸基のコンホメーションの固定による複素環型誘導体の安定化や堅固な不斉反応場構築による高選択性の実現を目的にデザインされたものである。

 本節では,アセナフチレンから得られるトランスブロモヒドリンを経由することにより,ラセミ体のシス-2-アミノ-1-アセナフテノールを完全にシス選択的に合成可能であることを見出している。さらに,光学活性2-フェニルプロピオン酸とのジアステレオマー塩法による簡便な光学分割法を確立している。

 第2章第2節では,上記アミノアルコールから誘導したキラルオキサゾリンをキラルテンプレートとして用いたジアステレオ選択的[2,3]-Wittig転位反応を行った結果について述べている。反応条件を種々検討した結果,最適条件下では良好な選択性で対応するキラルホモアリルアルコールが得られることを見出している。また,反応基質および生成物はアミノアルコールの構造に由来して極めて安定であったことから,本オキサゾリンは実用的なテンプレートであることを明らかにしている。

 第2章第3節では,同アミノアルコールから誘導したキラルオキサザボロリジンをキラル触媒として用いたケトンのエナンチオ選択的還元を行った結果について述べている。本反応の選択性は極めて高く,また本オキサザボロリジン触媒は単離精製の必要がないことから,実用的な触媒的不斉合成に応用可能であることを明らかにしている。

 第3章第1節では新規人工キラルアミノアルコールであるシス-2-アミノ-3,3-ジメチル-1-インダノールのデザインならびにその開発について述べている。本化合物は堅固な骨格を有し,さらにそのアミノ基周辺にかさ高い置換基を導入することを目的にデザインされたものである。

 本節では,酢酸2-アセトキシイミノ-3,3-ジメチル-1-インダニルをボラン・THF錯体によって還元することにより,ラセミ体のシス-2-アミノ-3,3-ジメチル-1-インダノールを完全にシス選択的に合成できることを見出している。さらに,光学活性マンデル酸を分割剤として用いるジアステレオマー塩法による簡便な光学分割に成功している。

 第3章第2節では,上記アミノアルコールから誘導したキラルオキサゾリジノンをキラルテンプレートとして用いたジアステレオ選択的反応を行った結果について述べている。種々のアキラルなカルボン酸に本オキサゾリジノンを導入し,それらのエノラートと種々の求電子剤の反応を行った結果,いずれの場合にも極めて高ジアステレオ選択的に対応する生成物が得られることを見出している。また,脱テンプレートも容易であり,高純度の光学活性カルボン酸誘導体が入手可能であることを明らかにしている。

 第3章第3節では,同アミノアルコールからホスフィン-オキサゾリン型配位子を合成し,そのパラジウムおよびロジウム錯体が触媒的不斉アミノ化反応および触媒的不斉ヒドロシリル化反応においてそれぞれ極めて有用な不斉触媒であることを見出している。

 以上のように,本研究で開発された2つの新規人工キラルアミノアルコールは,それぞれ種々のキラルテンプレートやキラル触媒へと誘導可能であり,それらは従来広く用いられてきた天然のキラル化合物から誘導した同種のものと比較して高い不斉誘起能を有することを見出している。さらに,これらアミノアルコールは,合成が容易でかつ光学分割により簡便にそれらの両対掌体の入手が可能であることから,実用上極めて有用な不斉補助剤であることを明らかにしている。これらの結果は,モレキュラー・キラリティーを中心とする有機合成化学および有機工業化学の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53957