量子反強磁性体は低次元系において通常の古典スピン系や3次元系の反強磁性体とは著しく異なった性質を示すことがある。特に励起状態との間に有限のエネルギーギャップを伴った非磁性の基底状態は量子力学的スピンのふるまいに特有のものである。このエネルギーギャップのことをスピンギャップと呼ぶが、特に最近スピンギャップを持つ反強磁性体に注目が集まっている。 低次元量子反強磁性体で起こる現象のうちで特に面白い現象の一つにスピン・パイエルス転移がある。この相転移は、格子系とスピン系が結合した擬一次元系で発現すると考えられている相転移で、高温側の格子ひずみがなくスピンギャップを持たない相から低温側の格子ひずみ(格子のdimerization)とスピンギャップを持つ相への相転移である[1]。従来、スピン・パイエルス転移は数種類の有機物で観測されていただけだが1993年に長谷正司氏らによってGe系の銅酸化物CuGeO3で無機物質としては初めてのスピン・パイエルス転移が観測された[2]。 CuGeO3は結晶構造中にCuO2のチェインを含んでいて磁気的な相互作用の観点からも一次元系であることが分かっている。結晶構造が比較的簡単で良質かつ巨大な単結晶試料が作製できること、有機物と違って不純物置換効果の実験が可能であることなどから、これまであまり明らかにされていなかったスピン・パイエルス系の性質を調べることができると考えられて精力的な研究が続けられてきている。 本研究ではこのCuGeO3のCuサイト(スピンS=l/2を担う)にZn(S=0)を置換した試料Cu1-xZnxGeO3をfloating zone法で作製し、帯磁率測定、中性子散乱の実験を行なった。組成は0.042x4.7である。 不純物置換によってスピン・パイエルス転移が消失していき、低温でスピン・パイエルス転移とは別の3次元的な反強磁性転移が発現することが知られているが、これまで反強磁性転移の発現機構、反強磁性相の性質についてはあまり明らかにされていなかった。 図1:Cu1-xZnxGeO3の帯磁率。 作製した試料の帯磁率の測定結果の代表的なデータを図1に示す。x=0.0042やx=0.0091のサンプルでは10Kよりやや高温から帯磁率の下がりが観測される。これがスピン・パイエルス転移を表している。一方、x=0.032やx=0.047のサンプルでは4K付近に帯磁率の異常が観測される。これが反強磁性転移に対応している。Zn置換量とともにスピン・パイエルス転移温度が減少していき低温では反強磁性転移が発現するふるまいが見える。 Znを置換した単結晶試料CuGeO3で行なった中性子散乱の実験からは、思いがけない現象が観測された。図2に中性子弾性散乱の実験で、スピン・パイエルス転移と反強磁性転移のオーダーパラメータを観測した結果を示す。10K以下で格子のdimerizationに伴う超格子ピークが現れ、4K以下では反強磁性秩序に伴うmagnetic Bragg peakが現れている。注目するべきは、反強磁性秩序が生じる4K以下で、格子のdimerizationが有限に残っていることである。しかもこのとき両方のピークはresolution limittedで観測されていて、スピン・パイエルス、反強磁性の両方の秩序が長距離で起こっていることを意味している。 このことは一つの試料内で反強磁性の秩序とスピン・パイエルスの秩序が共存していることを意味している。従来、この二つの相は互いに排他的なものであると考えられていたのでこの結果は大変意外なものである。ここで問題点は、二つの秩序は空間的に同じ部分で生じているのか、それとも試料中で相分離を起こしているのかということである。理論的には福山らによって空間的に同じ場所で二つのオーダーパラメータが共存し得るということが示されている[3]。また実験的には極低温の帯磁率が測定されていて、反強磁性転移温度以下で磁化容易軸方向の帯磁率は0K近くまでほとんどCurie的なふるまいを示さないことが観測されているが[4]、これは試料全体が反強磁性転移を起こしていることを示唆している。これらのことから本研究で観測されたスピン・パイエルスと反強磁性の秩序が同時に生じている相は両方の秩序が同じ場所で生じているという非常に興味深い状態であると結論できる。 Zn濃度が高い組成と低い組成で反強磁性相がどのようにふるまうかという問題は興味深い。純粋試料では12mK以上では反強磁性転移は観測されないという実験結果がある[4]。本研究ではZnの組成x=0.0042という非常にZn濃度の低いサンプルでも600mKと低温だが、反強磁性秩序を意味するmagnetic Bragg peakが観測された。この結果は不純物濃度が有限であれば反強磁性転移が生じるという理論的予想と整合する結果である。 図2:Cu1-xZnxGeO3のスピン・パイエルス(SP)と反強磁性(AF)のオーダーパラメータの温度変化。 一方、高濃度では反強磁性相の性質が変化することがわかった。Zn濃度x=0.047の試料では、反強磁性相でスピン・パイエルスの長距離秩序がないことが確認された。つまりZnを置換したCuGeO3で観測される反強磁性相には二種類あって一つはスピン・パイエルスの長距離秩序を伴うもの、もう一つは伴わないものである。 Zn濃度が低い組成領域つまりスピン・パイエルスの秩序が生き残っている系では格子のdimerizationに由来するスピンギャップのある磁気励起と反強磁性秩序のために生じるギャップのないスピン波励起が存在すると考えられる。本研究では、Zn置換量xの増加にしたがってスピンギャップを持つスピン・パイエルスモードがオーバーダンプしていくふるまいを観測した。また、ギャップを持たない反強磁性モードはスピン・パイエルスの秩序が存在するx=0.032の試料の反強磁性相で観測され、散乱ベクトルQがmagnetic Bragg point(0,1,1/2)に極めて近い場所でしか観測されないことがわかった。このようなふるまいは通常の反強磁性体のスピン波では見られないものであり、この系の反強磁性状態が不純物置換によって誘起された極めて特殊な相であることを反映している。 次にスピン・パイエルス物質CuGeO3の研究の過程でスピンギャップを持つGe、Si系の酸化物を見い出したのでそれについて説明する。スピン・パイエルス系では相転移温度以下での格子のdimerizationに伴ってスピンギャップが生じたが低次元の反強磁性体の中にはもともとスピンギャップを持つものもある。このような物質として、本研究ではCaCuGe2O6とBaCuSi2O6を扱っている。どちらの物質も帯磁率測定と中性子散乱実験で非磁性の基底状態と有限のエネルギーギャップを持つことを確認した。ここでは図3にBaCuSi2O6の帯磁率の温度変化を示す。中性子非弾性散乱の実験で磁気励起の分散関係を調べた結果、この系は反強磁性dimerが強磁性的なdimer間相互作用を介して2次元的につながった系と見なせることが分かった。この系では磁気励起の分散に顕著な温度依存性が観測されるなど興味深い結果が見いだされている。 図3:BaCuSi2O6の帯磁率測定の結果。生データで帯磁率が、0Kに向かって磁場の方向によらず0に向かって落ち込んでいっているのがわかる。[1]M.C.Cross and M.E.Fisher,Rhys.Rev.B 19,402(1979).[2]M.Hase,I.Terasaki,and K.Uchinokura,Phys.Rev.Lett.70,3651(1993).[3]H.Fukuyama,T.Tanimoto,and M.Saito,J.Phys.Soc.Jpn.65,1182(1996).[4]K.Manabe et al.,in preparation. |