1.はじめに 補酵素PQQ(Pyrroloquinoline quinone)は、1979年にメタノール資化性細菌のメタノール脱水素酵素の補酵素として構造決定がなされ、その後PQQを補酵素とする多くの酵素が微生物から見いだされた。1989年にマウス・ラットにおいてPQQ欠乏症が報告され、現在ではビタミンの一種と考えられており、酵素学的・薬理学的に重要な化合物である。 著者は、微生物を用いるPQQの高生産性培養法を確立し、取得したPQQの物性を調べ、フタバネゼニゴケに対するPQQの生育促進作用を明らかにし、さらに生体中にPQQ及び酸素の存在下でPQQとグリシンから容易に生成するイミダゾピロロキノリン(IPQ)が存在する事を明らかにした。そこでPQQとグリシン以外の各種のアミノ酸から合成されるIPQ化合物の構造解析を行うと共に、PQQ及びIPQの各種のエステル化合物を合成し、それらの薬理活性を調べ、医薬としての開発の可能性を検討した。 2.補酵素PQQの培養生産及び取得したPQQの性質 数多くのメタノール資化性細菌についてPQQの生産性を検討し、PQQ生産株として分離菌株であるHyphomicrobium denitrificans(新菌種)を選出し、PQQの高生産性培養法を検討した。PQQの生産量は、培地に添加するFe2+濃度に大きく影響され、Fe2+の添加量を減少させ、細菌の生育を制限する事によりPQQの生産を大幅に増大させる事が出来た。最も好ましい培地-つまりFe量を1mg/L,Mg量を150mg/Lとし、かつI,Mo,Co,B,Naを加えた培地-を用い、培養液中のメタノール濃度を0.1〜0.2wt%になるように添加することにより、PQQの生産量を約1mg/ml、かつ培養液中に生成する蛋白質量を低く抑えることが出来た。さらに、培養液中のPQQの回収・精製方法を検討し、高純度のPQQを取得した。 この精製標品は、NMR、MS、UV、蛍光スペクトル、液体クロマトグラフィー、イオンクロマトグラフィー分析からPQQ・Na2であった。これは、結晶のX線回析の結果からも確認された。又、グルコース脱水素酵素の補酵素活性及びPQQを生育に要求すると報告されているPVA資化性細菌に対する促進効果等の生理活性の点からもPQQである事を確認した。さらに、このPQQ標品は、フタバネゼニゴケのクロロフィルを生成する培養細胞に対して、生育促進効果を示した。植物細胞に対する生育促進作用に関す報告は本研究が最初である。 3.生体中からのPQQ及びIPQの検出 ウマ血液中に含まれるPQQを酵素法で分析し、約1.3ng/mlのPQQを検出した。この結果をより確実にする為に、PQQのGC/MS分析法を検討し、PQQとphenyl trimethylammonium(PTMA)を反応させてPQQをPTMA誘導体とし、かつ(U-13C)のPQQを内部標準物質として用いる分析法を確立した。この方法で人の組織・体液(血液、尿)及びラットの組織から数ng/g(ml)のPQQを検出し、生体中にPQQが微量ではあるが存在することを証明した。又、IPQは、酸素の存在下でPQQとグリシンから容易に生成する事から、生体中に存在する可能性がある。そこで、ニューロケムシステムを用いて生体試料中からIPQの検出を試み、脾臓から5-7ng/g wet・tissueのIPQを検出した。 4.IPQ化合物の合成及びPQQ・IPQエステル化合物の合成 マウス・ラットにおけるPQQのビタミン活性及び本研究で哺乳類からPQQ及びIPQが検出された事から、これら化合物が生体中で重要な役割を担っている可能性がある。そこで、PQQ及びIPQの薬理活性を調べる為にIPQ化合物及びPQQ・IPQのエステル化合物を合成した。 PQQと種々のアミノ酸からIPQ化合物を合成し、その構造と性質を調べた。PQQとグリシン、L-トリプトファン、L-スレオニンあるいはL-チロシンのいずれかと反応する事によりIPQが生成した。一方PQQとL-セリンの場合は、反応pHで生成するIPQ化合物は異なり、アルカリ条件でIPQ、酸性条件でhydroxylmethyl-IPQが生成した。その他のアミノ酸の場合は、アミノ酸[(R-CH(NH2)-COOH]のRを有するIPQ化合物が生成した。IPQ化合物は、グルコース脱水素酵素の補酵素活性を示さなかった。 PQQ・IPQエステル化合物として、各々メチルエステル化合物5種類(モノエステル2種類、ジエステル2種類、トリエステル1種類)及びより長鎖のエステルであるアリルエステル2種類(モノエステル、トリエステル)、さらにステアリルエステル2種類(モノエステル、トリエステル)を合成した。これらのPQQ・IPQエステル化合物の水溶液中での安定性を調べたところ、PQQエステル化合物の加水分解は、C-9→C-7→C-2の順序で、IPQエステル化合物の加水分解は、C-1→C-3→C-9の順序でおこり、加水分解のされ易い部位はPQQエステル化合物とIPQエステル化合物とで同一であった。PQQ・IPQエステル化合物の内、PQQ-2-エステル化合物及びIPQ-9-エステル化合物は比較的安定な化合物であり、さらに中性以下では特に安定であった。 5.PQQ・IPQ化合物の薬理作用 (1)ラジカル消去作用:PQQ・IPQ化合物についてラジカル消去活性をESRを用いて調べ、さらに細胞及びラット・マウスを用いてラジカルに対する防御作用を調べた。in vitroのESR分析で、PQQ化合物は、O2-及び・OHに対する強い消去活性を示したが、IPQ化合物は弱い活性しか示さなかった。しかし、肝細胞を用いるCCl4の化学発光、ヒドロコーチゾン誘発鶏卵の白内障及びマウスのエンドトキシン・ショックに対する抑制効果は、PQQ化合物とIPQ化合物で共に同等の活性が見られた。又、ラットのCCl4誘発肝障害では、全てのPQQ・IPQ化合物が腹腔内投与で抑制効果を示したが、経口投与ではPQQ・IPQエステル化合物のみが抑制効果を示した。これは、生体吸収性の差によるものと思われる。 (2)神経成長因子の生産促進活性:PQQ・IPQ化合物について、L-M細胞を用いる培養系でNGF生産促進作用を調べ、さらにラットを用いる動物実験系(坐骨神経の再生実験及び脳内-大脳新皮質、海馬、顎下腺のNGF含量)でその効果を調べた。 培養細胞系でPQQ化合物は強いNGF生産促進活性を示し、その活性はNGF生産促進物質として報告されている化合物に比べて著しく強いものであった。一方、IPQ化合物のNGF生産促進活性は著しく低下したが、その活性はNGF生産促進物質として報告されている化合物とほぼ等しかった。しかし、ラットの坐骨神経の再生実験では、PQQ化合物とIPQ化合物でその効果にin vitroほどの差異は見られず、又脳内の大脳新皮質のNGF含量を増加させる効果がIPQ化合物で認められたが、PQQ化合物では認められなかった。これらの事から、PQQは生体中でPQQ-蛋白質付加体となり血液脳関門を通過出来ないのに対し、IPQ化合物は低分子の状態で血液脳関門を通過して脳内に達しPQQに変換されて活性を示すものと考えられる。なお、IPQをPQQに変換する酵素は、微生物において見い出されている。つまり、IPQ化合物は、生体内で蛋白質等と結合しやすいPQQのプロドラッグとして機能していると考えられる。 (3)アルドース還元酵素阻害活性:PQQは、アルドース還元酵素阻害活性(ARI活性)を示さなかったが、IPQ化合物はARI活性を示し、特にIPQは、ARI剤として開発されている薬剤と同等の強い活性を示した。又IPQの3個のカルボキシル基のいずれかをエステルとした5種類の化合物についてARI活性を比較し、ARI活性と構造の関連を調べた所、IPQのARI活性には3位のカルボキシル基が特に重要である事が明らかとなった。このIPQ化合物のARI活性は、赤血球を用いるソルビトールの蓄積阻害実験で確認し、さらにガラクトース白内障に対するIPQの点眼投与で形態学及び生化学的に確認された。 6.PQQ・IPQ化合物の医薬としての開発の可能性 IPQ化合物は、in vivoにおいてラジカル消去及びNGF生産促進活性を有している事から、安定性及び生体吸収性に優れるIPQ-9-エステル化合物はNGFの欠乏がその発症の一原因と考えられているアルツハイマー型痴呆の治療薬としての開発が期待される。又、末梢神経系の疾病の治療薬としては、血液脳関門を通過しない薬剤が好ましい事から、PQQ-2-エステル化合物が有望と考えられる。 ARI剤は、その適用疾患から長期間の投与が必要であるので、特に薬剤の安全性が求められる。IPQは、ビタミン活性を有するPQQのアミノ酸付加体で生体中に存在し、ARI活性以外にラジカル消去活性及びNGF生産促進活性を有する事から、糖尿病合併症治療薬として好ましい薬剤である。つまり、糖尿病合併症の発症は、ポリオール代謝異常の他にラジカルも関与しており、また糖尿病性神経障害の治癒にNGF生産促進活性は有効に働くものと思われる。 本研究により、PQQ及びIPQの誘導体の医薬としての開発の糸口をつかむ事が出来たが、これを成功させるためには、各々の活性についてその機作を含めたより基礎的な研究の積み重ね及び主として動物実験によるデータを詳細に取りそれを解析する必要がある。 |