学位論文要旨



No 112659
著者(漢字) 相原,健郎
著者(英字)
著者(カナ) アイハラ,ケンロウ
標題(和) 研究メモの蓄積効果を増幅する思考支援システム
標題(洋)
報告番号 112659
報告番号 甲12659
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3937号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 堀,浩一
 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 助教授 溝口,博
 東京大学 助教授 中須賀,真一
 東京大学 助教授 久保田,晃弘
内容要旨

 近年,計算機を人間の思考活動のパートナーとして利用することが考えられるようになった.発想支援と呼ばれる研究がなされているが,これらの研究には,既存の発想法をベースにして,それを単に計算機上に載せただけのものも多い.しかし,計算機が記号処理機械としてだけでなく,個人と外界を結ぶメディアとしての機能や,対話的に振舞う機能,環境としての機能を持つようになった今日,人間の創造的な思考を支援するために,我々は人間の思考過程において,どの部分を機械に行わせ,どの部分を人間が行ったらいいのか,また,機械は何をすべきで何をすべきでないのか,などをひとつひとつ明らかにする必要がある.

 本論文では,人間の創造的な思考を支援するために,日常の研究活動において書き貯められる研究メモを用いた方法論を提案し,支援システムの構築と実験を行った.

 まず,創造的思考過程に関する研究を挙げ,創造性が心理学・認知科学でどう扱われてきたのかを述べた.また,人間と機械とのインタフェースが人間の創造的思考に及ぼす影響について述べた.それらの考察に基づいて,本論文での思考過程のモデル,思考のモデルを提案し,本論文での創造性の支援の位置づけをそのモデルを用いて説明した.

 次に,人間の創造的な思考を支援するための方策を提案した.

 工学的に創造的な活動を支援するためには,いまだ解明されていない思考の枠組みに強く依存した方法論をとるよりも,実際のユーザの思考や日常の操作に基づいた方法論が有効だと考える.したがって,本論文では,Youngの分類における秘書レベルに基本を置き,それに思考のアイデアやヒントをユーザ自身が気づけるように機能を付加していくというアプローチで思考支援システムを構築することが有効であると考える.

 システムが扱う情報源として,ユーザの日常の研究活動において書き貯められる研究メモを利用した.これは,紙というメディアが持っている性質が人間の生成的な思考に適していること,人間の創造的な思考活動が自らの知識に基づいて行われるということ,ユーザが関知しない外界の膨大な情報を扱うことが無駄な情報をユーザに与えてしまう危険性を生じること,などを理由としている.

 本論文では,思考過程の制約のうち,記憶の想起の障害となっていると考えられる,思い込みによる想起の障害,時間的経過・順序による制約を対象とした.これらの制約を変更することで,忘れていたことを思い出したり,関係ないと思い込んでいたことを別の視点から見直すきっかけをユーザに与え,ユーザが新たな思考を展開することができると考えた.

 これらの方針に基づいて思考支援システムEn Passant 1を構築した.ユーザは,ノートをスキャナでシステムに入力し,入力したノートに後でそのノートを見つけられるように,ユーザが思いつくインデックスをつける,ということを日常行う.システムはページ間の類似性をユーザがシステムを使用していない時に計算しておく.この類似性は,ユーザがノートにつけたインデックスと,ユーザが宣言するインデックスに関する関係を利用して算出する.ユーザはじっくりとノートを見直して考えたい時は,システムが提示するリストや類似性を距離にしたページの空間配置を参照して,現在の問題意識に合った過去のページを探して参照することができる.

 En Passant 1を用いて行った予備実験によって明らかになったシステム上の問題点を解決し,更に使い勝手を良くするために改めて支援システムEn Passant2を構築した.

 実験は,大学院学生4人の被験者がシステムを継続的に使用することで行った.En Passant1を用いた予備実験とEn Passant2を用いた実験を通して,

 ・ 過去のページを現在の文脈で参照することで新たな思考が進む

 ・ 時間的な順序が被験者に大きな制約となっていて,その順序を変更することが被験者に思考の刺激として作用することがある

 ・ システムの使用によって,思いがけない記述を自分のノートに見つけ,思考が進む

 ・ ページにつけるインデックスとしてのマークを,その使用を通して整理していくことが,その後の思考に有効な軸として作用する

 ・ 自らの過去の記述をまとめて参照することで,自分の研究を大局的にとらえることができ,それが次に思考を発展させる上での礎となる

 などのシステム使用の効果が観察された.

 最後に,本研究で明らかにした点に基づいて,思考支援システム構築への指針として,

 ・ 出力と入力の比を大きくするための機構

 ・ 生成過程における即応性

 ・ 多様な表現形式を扱えるような機構

 ・ 探索過程における関連の透過性

 ・ システムによる視点の変更

 ・ 適切な情報源と,そこから有用な情報を抽出する機構

 を提案した.

審査要旨

 相原健郎提出の論文は、「研究メモの蓄積効果を増幅する思考支援システム」と題し、11章から成る。

 近年、人間の創造的思考を計算機により支援しようとする試みが盛んになってきている。その背景には、マルチメディア処理技術の進歩と、創造性こそが企業や個人が生き伸びるために必要な要素であると考えることからの社会的要請とがある。さまざまな思考支援システムが構築され、実験されるようになってきている。しかしながら、それらの多くは、十分な理論的背景を持つことなく構築されてきており、また、その効果についてもあまり科学的に実証されていなかった。本論文においては、人間の思考のモデルについて、従来の認知科学の研究を十分に検討し、創造的思考を支援するための確たる理論的裏付けを与えた上で、紙や鉛筆などの文房具の延長上に、計算機による支援システムを構築し、8ヵ月の継続使用の実験により、思考支援の効果を実証したものである。

 第1章は序論であり、研究の目的、研究の背景と位置づけ、および論文の構成について述べている。

 第2章では、思考支援および創造性支援に関する従来の研究をまとめ、思考支援のためには、適切なメディアの選択が重要であることを指摘している。

 第3章では、従来の認知科学の研究成果を踏まえた上で、思考過程のモデルを提案し、創造的な思考支援のために、計算機が何をなしうるかを検討している。

 第4章では、本論文で提案する創造的思考支援の方式について述べている。従来の紙と鉛筆の長所を生かしつつ創造的思考を促す方法として、紙に書かれた研究メモをスキャナから計算機の中に取り込み、そのメモへの操作系を提供するという方式を提案している。

 第5章では、En Passant1と名付けたシステムの構成について述べている。スキャナから読み込んだ研究メモに、インデクスやリンクを付加したり、知識処理によってメモ間の関連を処理したりする方法が与えられている。

 第6章では、システムを用いた予備実験を行っている。研究者が書き貯めた研究メモをシステムEn Passant1に入力し、システムの基本機能を確認している。

 第7章では、前章の予備実験の結果を受けて、システムの機能を改良し、En Passant2と称するシステムを作成している。このシステムは、ユーザが研究メモに付加するマークの取扱いの機能に特徴を有している。ユーザは自由にマークを定義し、それをメモ間の関係の計算に用いることができる。これにより、システムは、ユーザのいつもの思考空間とは異なる思考空間に思考をジャンプさせるための刺激となる情報を、ユーザの研究メモをもとに提供することができる。

 第8章では、システムEn Passant2を用いた実験について述べている。被験者3人に、8ヵ月間、システムを継続使用してもらうことにより、システムの効果を検証している。システム利用と被験者の思考の推移の関係を詳細に分析している。

 第9章では、前章の実験結果について考察と評価を行っている。システムの利用により、通常の記憶想起と異なる想起が研究メモに対して行われ、それが新しい思考空間形成の刺激となっていることを、詳細に示している。

 第10章では、将来の思考支援システム構築への指針を与えている。

 第11章は、結論であり、本研究の成果をまとめている。

 以上を要するに、本論文は、研究者の通常行う研究活動の中で書き貯められる研究メモを、計算機により有機的に処理することにより、研究者の創造的思考が促進されることを、実験的に示したものであり、今後の計算機利用の新しい領域を開拓しており、工学上、寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54580