学位論文要旨



No 112667
著者(漢字) 後藤,孝一郎
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,コウイチロウ
標題(和) 家蚕のモザイク致死に関する遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 112667
報告番号 甲12667
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1730号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 助教授 石川,幸男
 東京大学 助教授 嶋田,透
 東京大学 助教授 永田,昌男
内容要旨

 一般に昆虫では、多くの精子が卵内に入る多精受精が普通である。カイコの受精も多精受精であり受精の際複数の精核が精孔から卵細胞内に侵入する。また、卵内には卵母細胞が分裂した第一極核と第二極核が卵細胞外に放出されることなくとどまっている。それにも拘わらずカイコが通常1つの接合核だけを発生させるのは、卵の中で接合核だけを発生させ、残りの核の発生を抑える機構が存在するためと考えられる。この機構が欠失した場合、卵内に複数の核が発生することになり、その結果としてモザイク個体が出現してくることになる。

 過冷却モザイクの発生機構の研究の対照区に使用していたCre系統(T(W:2)pSa,re,から自然発生的にモザイク卵を産む個体が現れた。この突然変異を解析することはカイコの初期発生を研究する上で大きな意義があると考え、これを遺伝的に固定し、性状と遺伝的機構について解析した。

1モザイク致死突然変異の遺伝的固定

 Cre系統からモザイク致死卵を産生する突然変異形質を遺伝的に固定するための交配実験を行った。

 Cre系統を1蛾育し、雌蛾を系統維持用と検定用の2つに分けた。系統維持のためには兄妹交配を行い、モザイク性発現の検定のためには白卵系統の雄との交配を行った。検定交配の結果、モザイク卵を産下した雌蛾と同蛾区の兄妹交配卵のみを突然変異を固定する目的で継代した。当初モザイク卵を産下する雌蛾は出現しなかったが3世代の継代の後6蛾中1蛾にモザイク卵を産生する雌が出現した。その後5世代検定交配と兄妹交配を繰り返し、モザイク卵を産下した雌蛾と同蛾区の兄妹交配卵を数蛾区1蛾育すれば一定の割合でモザイク卵を産生する雌蛾が出現する蛾区が出るようになったのでこの突然変異が固定されたと考えられた。またモザイク卵率は20蛾区平均42.8%であった。このモザイク卵は同時に混産される正常色や白色の卵とともにふ化してこなかった。ここでこの突然変異をモザイク致死突然変異と名付けた。

2モザイク致死突然変異の遺伝的解析

 モザイク致死突然変異がどのような遺伝的支配によって発現しているのかを解析した。

 固定したモザイク致死突然変異系統のモザイク卵産生蛾頻度、兄妹交配における致死蛾区頻度、次代モザイク発現蛾区頻度を7世代に渡って調査した。その結果、モザイク卵産生蛾頻度は92/301、兄妹交配における致死蛾区頻度は104/348、次代モザイク発現蛾区頻度は23/46となった。検定交配に用いた白卵系統の雄はw-2、w-3、peのどれを用いても正常色と白色のモザイク卵を産下した。

 またモザイク致死突然変異系統と正常系統との交配から得たF1,F2におけるモザイク性の出現割合を調査した。その結果、F1からはモザイク卵を産下する雌蛾は出現しなかったが,F2の66蛾中16蛾がモザイク卵を産下した。このF2以降から+reを選抜しreホモ雄を交配したところ、正常色と赤色のモザイク卵を産下する雌蛾が出現した。このことから、このモザイクは受精に関与しなかった精核が単為発生して接合核とのモザイクとして発生してくると考えられた。

 またモザイク卵を産下した雌蛾と同一蛾区の兄妹交配卵をとるとき、受精卵数が30以下で他は不受精卵となる不受精卵蛾区が41/164出現した。正常な雌と、モザイク卵を産下した雌蛾と同一蛾区の雄との交配では47/200が不受精卵蛾区であった。不受精卵を産下した雌を解剖したところ、47蛾中42蛾の雌に交尾のう、受精のうともに精子が入っているのが確認された。

 以上からこの突然変異は劣性の単一遺伝子に支配され遅発遺伝すると考えられた。つまりこの遺伝子をホモに持つと雌雄とも交尾はするが、雌ではモザイク致死卵を産生し、雄では受精能力が低くなると考えられた。ここでこの遺伝子をl-mo(lethal mosaic)とおいた。

3モザイク致死遺伝子の連関群検索と座位決定のための交配実験

 モザイク致死遺伝子の連関群検索とその座位決定のための交配実験をした。

(1)連関群検索

 モザイク致死突然変異系統と連関群検索用の劣性遺伝子を持つ個体とをかけあわせF2を作成し、白卵系統の雄をかけて連関群検索をした。その結果、lem(3)、w-2(10)、ch-2(18)との独立を確認した。nb(19)とモザイク致死突然変異系統のF2世代におけるnb個体からは12蛾中モザイク卵を産生する雌がまったく現れなかったのに対し、+nbからは23蛾中11蛾にモザイク卵を産生する雌が出現した。そこで、+nb個体のF3を作成し8蛾区を1蛾育したところ、全ての蛾区にモザイク卵産生雌が出現したことから、モザイク致死遺伝子は第19連関群に所属すると考えられた。

(2)座位決定

 (1)(l-mo+/+nb)×(l-mo+/+nb)の交配を行い2世代に渡って蛾区単位でl-moとnbの遺伝子発現を52蛾区調べた結果、l-moとnbの組換え価は7.1であった。

 (2)3点実験のため(+l-mo+/++nb)×(Gl++/+++)の交配を行いF1を作成し、F1のGl個体同士でF2を作成したところ、このF2の9蛾区からモザイク卵産生雌は出現しなかった。また上記のF1のGl個体を(+l-mo+/++nb)に戻し交雑した8蛾区からもモザイク卵産生雌は出現しなかった。

 以上からモザイク致死遺伝子の正確な座位はわからなかった。

4モザイク致死卵から得た胚子の倍数性の解析

 モザイク致死卵の胚子の染色体観察を行い、モザイク卵の精核由来の単為発生の部分が半数性か倍数性かを調べた。

 モザイク卵から得た胚子の染色体を直接観察して染色体数と細胞数のヒストグラムを作成した。同時にモザイク卵と共に混産される正常色の卵から得た胚子の染色体も観察した。

 その結果、モザイク卵から得た胚子の染色体観察では多数の半数体を確認した。このことからモザイク卵の単為発生の部分は半数体であることが示唆された。またモザイク卵と共に混産される正常色の卵から得た胚子にも多数の半数体を確認した。このことから見かけは正常色の卵も細胞は半数体と倍数体との混数体となっている可能性が示唆された。またこれらの胚子から倍数体と思われる細胞が確認された。

 以上要するに本研究はカイコのモザイク致死突然変異について、この突然変異は劣性の単一遺伝子l-moに支配されl-moホモの個体は雌雄とも交尾はするが、

 (1)l-moホモの雌は、正常な雄との交配において、接合核と、受精に関与しなかった半数性の精核由来の単為発生核とのモザイク卵を産生する。モザイク卵は同時に混産される正常色や白色の卵とともにふ化してこない。

 (2)l-moホモの雄は受精能力が低くなる。

 (3)l-mo遺伝子は第19連関群に所属する。

 ということを明らかにしたものである。

審査要旨

 蚕の受精時の卵内には、1個の卵核と3個の極核および複数(4〜17個)の精核が存在している。それにも拘わらず通常1個の接合核だけが発生するのは、接合核以外の核の発生を抑制する機構が存在するためであると考えられる。この機構が欠失した場合、卵内に複数の核が発生することになり、決定卵である昆虫では複数の種類の核で構成された1個体、すなわちモザイク個体が出現することになる。従って、自然発生的にモザイク個体を生じる突然変異は、接合核の発生にかかわる突然変異と考えられ、初期発生の研究上、他の生物種には見られない極めて価値の高い対象となる。

 本論文は、自然発生的にモザイク卵を産下する突然変異を遺伝的に固定し、その遺伝様式と遺伝子の連関、および致死性を発現する原因について解析したものである。

 第1章は、新たに発見したモザイク突然変異を遺伝的に固定する過程を示している。すなわち、兄妹交配と検定交配を5世代にわたり繰り返した結果、モザイク卵を産生する雌蛾が一定の割合で出現する蛾区がえられ、遺伝的に固定されたと判断した。このモザイク卵は、同時に混産される正常色や白色の卵とともに孵化せず胚予期に致死することから、この突然変異をモザイク致死突然変異と名付けた。

 第2章では、モザイク致死突然変異の遺伝的解析を行っている。「モザイク卵産生蛾頻度」(1蛾区の雌成虫のうちモザイク卵を産下する個体の割合)、「次代モザイク発現蛾区頻度」(1蛾区の雌成虫のうち兄妹交配した次代の蛾区でモザイク卵を産下する雌蛾が出現した個体の割合)、「兄妹交配における致死蛾区頻度」(兄妹交配によりえられた蛾区のうち受精しているにもかかわらず孵化してこない蛾区の割合)、「兄妹交配における不受精卵蛾区」(兄妹交配によりえられた蛾区のうち雄に起因する不受精により着色しない卵を多数含む蛾区の割合)を7世代にわたって調査した結果、それぞれ、92/301、23/46、104/348、47/200であった。また、検定交配に用いた雄は、-2-3、pe、reのいずれを用いても正常色と白または赤のモザイク卵を産下した。以上の実験結果に適合する遺伝様式の仮説を、モザイク性の発現、致死性の発現、雄における発現の有無の3点から検討した。その結果、モザイク致死突然変異は、劣性のモザイク致死遺伝子(l-mo:lethal mosaicism)に支配され、遅発遺伝するものと考えられた。また、正常卵色の部分は接合核、その他の部分は雄核の単為発生によるものと推定した。

 第3章では、モザイク致死遺伝子の連関検索を行っている。多数の遺伝子を標識形質として連関を調べた結果、狭胸遺伝子nbとの連関が認められ、第19連関群に属することが判った。更に、座位を決定するためnb,Glを用いて3点実験を行った結果、nbとの組換え価は7.1であったが、Glとの組換え価は、Gl遺伝子がホモ致死で発現が不安定であったことから求めることが出来なかった。第19連関群にはこの他に適当な遺伝子がないため、今後は分子マーカー等の利用による座位決定が必要と考えた。

 第4章では、胚子期に致死する原因を解析している。フォイルゲン染色した胚子の切片を顕微分光測光法により細胞ごとのDNA量を比較したところ、細胞のDNA量が2:1の分布を示した。また、空気乾燥法により胚子の細胞当たりの染色体数を計測した結果、モザイク胚子は、接合核由来の2倍体の部分と精核由来の半数体の部分からなることが明らかになった。これらのことから、混数体となっていることが胚子期に致死する原因の一つであることを推定した。

 更に、本論文では、モザイク性と致死性について考察を加えている。蚕のモザイク(mo)系統において、本来、致死遺伝子ではない第2着色非休眠卵遺伝子(pnd-2)についてモザイク個体を作成すると、モザイク卵が胚子期に致死することが知られており、本突然変異についても、2倍体の部分と半数体の部分において生存に関わる遺伝子の発現に不整合を生じ、発生初期に致死する可能性があると考察している。これは、混数性のモザイク個体にほぼ必然的に致死性が発現し、混数体モザイクを生ずる遺伝子あるいは人為操作が、致死性を結果として発現している可能性があることを示唆している。

 以上要するに、本論文はカイコのモザイク突然変異を遺伝的に固定し、その遺伝様式と遺伝子の連関、および致死性を発現する原因について解析し考察したものである。審査委員一同は、他の生物種には見られない初期発生の突然変異遺伝子を解析した学術上価値の高い論文であり、博士(農学)の学位を授けるに値するものであると認めた。

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