蚕の受精時の卵内には、1個の卵核と3個の極核および複数(4〜17個)の精核が存在している。それにも拘わらず通常1個の接合核だけが発生するのは、接合核以外の核の発生を抑制する機構が存在するためであると考えられる。この機構が欠失した場合、卵内に複数の核が発生することになり、決定卵である昆虫では複数の種類の核で構成された1個体、すなわちモザイク個体が出現することになる。従って、自然発生的にモザイク個体を生じる突然変異は、接合核の発生にかかわる突然変異と考えられ、初期発生の研究上、他の生物種には見られない極めて価値の高い対象となる。 本論文は、自然発生的にモザイク卵を産下する突然変異を遺伝的に固定し、その遺伝様式と遺伝子の連関、および致死性を発現する原因について解析したものである。 第1章は、新たに発見したモザイク突然変異を遺伝的に固定する過程を示している。すなわち、兄妹交配と検定交配を5世代にわたり繰り返した結果、モザイク卵を産生する雌蛾が一定の割合で出現する蛾区がえられ、遺伝的に固定されたと判断した。このモザイク卵は、同時に混産される正常色や白色の卵とともに孵化せず胚予期に致死することから、この突然変異をモザイク致死突然変異と名付けた。 第2章では、モザイク致死突然変異の遺伝的解析を行っている。「モザイク卵産生蛾頻度」(1蛾区の雌成虫のうちモザイク卵を産下する個体の割合)、「次代モザイク発現蛾区頻度」(1蛾区の雌成虫のうち兄妹交配した次代の蛾区でモザイク卵を産下する雌蛾が出現した個体の割合)、「兄妹交配における致死蛾区頻度」(兄妹交配によりえられた蛾区のうち受精しているにもかかわらず孵化してこない蛾区の割合)、「兄妹交配における不受精卵蛾区」(兄妹交配によりえられた蛾区のうち雄に起因する不受精により着色しない卵を多数含む蛾区の割合)を7世代にわたって調査した結果、それぞれ、92/301、23/46、104/348、47/200であった。また、検定交配に用いた雄は、-2、-3、pe、reのいずれを用いても正常色と白または赤のモザイク卵を産下した。以上の実験結果に適合する遺伝様式の仮説を、モザイク性の発現、致死性の発現、雄における発現の有無の3点から検討した。その結果、モザイク致死突然変異は、劣性のモザイク致死遺伝子(l-mo:lethal mosaicism)に支配され、遅発遺伝するものと考えられた。また、正常卵色の部分は接合核、その他の部分は雄核の単為発生によるものと推定した。 第3章では、モザイク致死遺伝子の連関検索を行っている。多数の遺伝子を標識形質として連関を調べた結果、狭胸遺伝子nbとの連関が認められ、第19連関群に属することが判った。更に、座位を決定するためnb,Glを用いて3点実験を行った結果、nbとの組換え価は7.1であったが、Glとの組換え価は、Gl遺伝子がホモ致死で発現が不安定であったことから求めることが出来なかった。第19連関群にはこの他に適当な遺伝子がないため、今後は分子マーカー等の利用による座位決定が必要と考えた。 第4章では、胚子期に致死する原因を解析している。フォイルゲン染色した胚子の切片を顕微分光測光法により細胞ごとのDNA量を比較したところ、細胞のDNA量が2:1の分布を示した。また、空気乾燥法により胚子の細胞当たりの染色体数を計測した結果、モザイク胚子は、接合核由来の2倍体の部分と精核由来の半数体の部分からなることが明らかになった。これらのことから、混数体となっていることが胚子期に致死する原因の一つであることを推定した。 更に、本論文では、モザイク性と致死性について考察を加えている。蚕のモザイク(mo)系統において、本来、致死遺伝子ではない第2着色非休眠卵遺伝子(pnd-2)についてモザイク個体を作成すると、モザイク卵が胚子期に致死することが知られており、本突然変異についても、2倍体の部分と半数体の部分において生存に関わる遺伝子の発現に不整合を生じ、発生初期に致死する可能性があると考察している。これは、混数性のモザイク個体にほぼ必然的に致死性が発現し、混数体モザイクを生ずる遺伝子あるいは人為操作が、致死性を結果として発現している可能性があることを示唆している。 以上要するに、本論文はカイコのモザイク突然変異を遺伝的に固定し、その遺伝様式と遺伝子の連関、および致死性を発現する原因について解析し考察したものである。審査委員一同は、他の生物種には見られない初期発生の突然変異遺伝子を解析した学術上価値の高い論文であり、博士(農学)の学位を授けるに値するものであると認めた。 |