学位論文要旨



No 112668
著者(漢字) 新谷,喜紀
著者(英字)
著者(カナ) シンタニ,ヨシノリ
標題(和) キボシカミキリの幼虫休眠に関する研究 : その生態学的意義
標題(洋) Studies on larval diapause of the yellow-spotted longicorn beetle,Psacothea hilaris(Pascoe) : its ecological significance
報告番号 112668
報告番号 甲12668
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1731号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 教授 崎山,亮三
 東京大学 助教授 嶋田,透
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨

 キボシカミキリPsacothea hilaris(Pascoe)は、東アジアに広く分布する鞘翅目カミキリムシ科の昆虫である。その形態には著しい地理的変異があり、現在13亜種に分類されている。日本には北海道を除くほぼ全域に分布しているが、本州、四国、九州(南西諸島は除く)に分布する亜種P.hilaris hilarisはさらに前胸背斑紋の差異により2つの地方型(東日本型・西日本型)に区別されている。東日本型については、その形態学的比較研究から、海外からの侵入害虫であるとする説がある。本種は、幼虫、成虫ともにクワ、イチジク、ガジュマルなどのクワ科の木本植物を寄主とする。近年、桑園での発生が増大し、養蚕業における重要な害虫となっている。

 昆虫の生活環は、発育や繁殖が行われる時期(活動相)と、これらの活動が停止する時期(休止相)を季節的に配置することによって成り立っているが、この季節的配置を支配する主要因は休眠である。休眠は、種によって決まった発育ステージで起こる自律的な活動の停止であり、キボシカミキリでは日長(光周期)に反応して休眠が誘導され幼虫期間が延長する個体群があることが報告されている。しかし、一般に大型の鞘翅目の昆虫では、大量飼育が困難なことや1世代が長期間に及ぶことが障壁となり、休眠が実験的に詳細に研究されることは極めて稀である。さらに、カミキリムシ類は成虫期以外を植物体内で過ごすため、その生態に関しては未知な部分が多い。

 本研究では、人工飼料による大量飼育法が確立しているキボシカミキリを用いて、休眠の生理学的特質および生態学的意義を解明することを目的とした。また、日本各地(北緯24〜40度)で採集した個体群の休眠性や,各発育ステージにおける耐寒性を比較することにより,本種の生活環の進化や東日本型の起源について考察した。

1.光周期による幼虫発育の調節と休眠ステージ

 まず本種の基本的な光周期反応の様相を知るために、西日本型(高知県伊野町産)の幼虫を、孵化後25℃で種々の日長条件の下で飼育した。日長が14h以上(長日)のときは4令または5令を経て蛹化し、平均幼虫期間は51日であった。これに対し、日長が13.5h以下(短日)のときはこれらの令を経ても蛹化せず付加的な幼虫脱皮と摂食を繰り返し、最終的に5令から10令で摂食を停止した。この状態は数か月間継続されることから、幼虫は休眠に入ったものと考えられた。このような休眠前の付加的な幼虫脱皮は近縁種の幼虫休眠においても例がなく、本種に特徴的な現象だと考えられる。

 次に、幼虫発育に及ぼす日長変化の影響を調査した。幼虫期間中に短日から長日へ変更すると、変更時の発育ステージによらず蛹化が誘導されたが、蛹化には4令または5令を経ることが必要であることが判明した。長日から短日への変更では、変更の時期によって蛹化率が異なり、変更が遅れるほど蛹化率は増加した。また幼虫期の序盤の長日の効果はその後の短日によって完全に打ち消された。さらに、短日背景のなかで一時的に長日を与える実験を行ったところ、幼虫の光周期感受性が最も高いのは4〜5令であり、いったん付加的な幼虫脱皮が誘導されると光周期感受性は低下することが示唆された。

2.休眠の覚醒と回避

 休眠の覚醒に必要な条件を調べるため、西日本型の幼虫を短日で飼育し、休眠幼虫(最後の幼虫脱皮から60日以上経過)を得た。この休眠幼虫に対して、温度一定のままで種々に日長を変更したところ、14h以上では蛹化が起ったが、13.5h以下では休眠が維持された。この光周期反応から、休眠の誘導と覚醒には同じ生理的機構が関与しているものと考えられた。また、休眠幼虫を低温(10℃)で30日以上冷却するとほとんどの個体で蛹化が誘導され、ほぼ完全に休眠間発育が完了したものと考えられた。冷却期間が15日のときは休眠覚醒率は著しく低下し、蛹化個体においても冷却終了から蛹化までの日数は延びていた。短期間の冷却により途中まで進行した休眠間発育は、冷却終了後も低速度で継続するものと考えると、この現象を合理的に説明することができる。

 短日(12h)条件下で、休眠前の発育ステージに一定期間の低温を経験させると、休眠せずに最終的に蛹化が起こる現象(休眠回避)が観察された。しかしながら、低温にさらす発育ステージによってその反応は異なり、すでに幼虫発育終了の条件を満たしていると考えられる5令や6令幼虫(孵化後40から60日目)では、新たな幼虫脱皮をすることなく蛹化が起こった。また、冷却期間が長いほど蛹化に要する期間は短縮した。これらは、休眠幼虫で観察された現象と同様のものであり、短日下では幼虫はふ化後40日目から60日目ですでに休眠様の生理的特性を獲得しているものと考えられた。一方、3令または4令幼虫を冷却したところ、冷却期間が長いほど蛹化率は増加したが、蛹化は冷却後に幼虫脱皮をして4令または5令を経た後に起こった。このことから、本種若令幼虫は低温を経験することによって、それまでに蓄積した光周期情報やその後の発育における光周期感受性を喪失する性質をもっていることがうかがえた。

 本種における成虫の繁殖時期は初夏から秋にわたり、卵は休眠性を持たないことから、越冬時の幼虫の発育ステージは極めて不ぞろいであると考えられる。本研究で明らかとなった前休眠期の低温による休眠回避性には、若齢幼虫で越冬した個体が初春の短日に反応して休眠に入ることを防ぎ、結果的に個体群内の幼虫の発育を斉一化する働きがあるものと考えられた。

3.休眠性の地理的変異と温度依存性

 日本各地の6個体群(秋田市、栃木県小山市、京都府綾部市、高知県伊野町、鹿児島県名瀬市、沖縄県石垣市)について、25℃のもと日長11〜15hで幼虫を飼育し光周期反応を観察した結果、明瞭な地理的変異がみられた。

 伊野と同様に、綾部の個体群(西日本型)は日長14h以上では4令または5令を経て蛹化したが、13h以下では休眠した。名瀬の個体群(奄美大島亜種P.hilaris maculata)は長日型の光周期反応を示したが、西日本型に比べて蛹化・休眠にかかわらず、幼虫脱皮の回数が多く、臨界日長はやや短かった。

 東日本型(小山、秋田)と石垣の個体群(石垣島亜種P.hilaris ishigakiana)は、25℃では日長にかかわらず4令から蛹化する個体が多く、明瞭な光周期反応はみられなかった。休眠性は昆虫が季節適応として獲得した性質であり、地理的に隣接する個体群間では化性が変わらないかぎり、気候に対応して連続的に変化するのが普通である。名瀬と石垣の間にみられる光周期反応の急激な変化は、化性の違い(おそらく名瀬では1化性、石垣では2化性)を反映しているものだと考えられるが、西日本型と東日本型の間の差異は、その生息地の気候に大差がないことから、「東日本型侵入害虫説」を裏付けているものだと考えられる。また、東日本型と石垣個体群の光周期反応の類似性から、東日本型の起源は亜熱帯であることが示唆された。

 群馬県、山梨県などの両地方型の交雑地帯で採集した個体群では、両型の中間的な光周期反応がみられた。

 次に、本種幼虫の光周期反応の温度依存性を調べるために、温度条件(20,30℃)と日長条件(12,15h)の組み合わせからなる4種類の条件下で幼虫を飼育した。その結果、30℃では幼虫は25℃における光周期反応と同様の反応を示したが、20℃では25℃や30℃とは全く違った反応を示した。西日本型(伊野、綾部)では、日長によらず付加的な脱皮が誘導された。一方、高い温度では明瞭な光周期反応が現われなかった東日本型(秋田、小山)と石垣個体群では、20℃では明瞭な長日型の光周期反応がみられ、短日では付加的な脱皮が誘導された。

 以上から、東日本型や石垣個体群における幼虫発育の光周反応の適温は、西日本型より低いことが判明した。

4.各発育ステージにおける耐寒性

 卵を0℃以下の種々の温度にいろいろな期間さらしたところ、-16℃以下では過冷却点(約-27℃)以上であっても、短時間(10min)の冷却で孵化の阻害が起こった。過冷却点以下の温度では孵化が全く起こらないことから、卵は凍結感受性であると考えられた。また、西日本型は幼虫が休眠状態で越冬することが知られているが、卵またはふ化幼虫で越冬する東日本型との間に、卵や孵化幼虫の耐寒性に差異はみられなかった。亜熱帯の石垣個体群の卵は、他の個体群と同様に、低温馴化によって過冷却点付近の冷却に対しても高い孵化率を示すようになった。

 幼虫や蛹も凍結感受性であったが、ステージ間で過冷却点に違いがみられた。休眠を誘導しない長日で幼虫を飼育をしたとき、前蛹における耐寒性はその前後のステージと比較して弱いことが判明した。この現象は、本種の季節適応における休眠ステージ決定の一因となったと考えられる。

 以上より、キボシカミキリ幼虫は日長や温度に対して極めて柔軟な反応を示すことが明らかとなった。この性質は、潜在的に備えている強い耐寒性とともに、本種の分布拡大や優れた繁殖能力を支えているものと考えられる。

審査要旨

 キボシカミキリPsacothea hilaris(Pascoe)は、幼虫、成虫ともにクワ科植物を寄主とする養蚕業の重要害虫である。本種は地理的変異が顕著で、日本では北海道を除く全域に13亜種が分布する。本州、四国、九州(南西諸島は除く)産亜種P.hilaris hilarisは斑紋の差異からさらに2つの型(東日本型・西日本型)に区別される。

 昆虫の生活環における活動相と休止相の季節的配置は主に昆虫に特異的な休眠によって調節される。カミキリムシ類は生理生態的特性から休眠の詳細な研究は稀であったが、本研究ではキボシカミキリの休眠の生理学的特質と生態学的意義の解明、および各地の個体群の休眠性の比較による本種の生活環の進化や東日本型の起源の考察がおこなわれた。

1.西日本型の幼虫の光周期による発育の調節と休眠ステージ

 幼虫は長日では4〜5令を経て蛹化したが、短日ではこれらの令では蛹化せず、幼虫脱皮と摂食を繰り返したのち5令から10令で休眠に入った。休眠前の付加的な幼虫脱皮は本種に特異的な現象である。短日から長日への変更は蛹化を、長日から短日への変更は休眠を誘導した。いったん付加的な幼虫脱皮が誘導されると光周期感受性は低下した。

2.休眠の覚醒と回避

 西日本型の休眠幼虫に対して日長を長日に変更したところ休眠が覚醒されたが、短日では休眠が維持され、休眠の誘導と覚醒には同じ生理的機構の関与が示唆された。短日でも休眠前に一定期間低温を経験させると休眠が回避された。この際、短日下で5〜6令に達した幼虫はすでに休眠様の生理的性質をもつこと、若令幼虫は低温を経験するとそれまでに蓄積した光周期情報やその後の光周期感受性を喪失することがわかった。低温による休眠回避には若齢の越冬幼虫が初春の短日に反応するのを防ぐ役割が考えられた。

3.休眠性の地理的変異と温度依存性

 日本各地の6個体群(東日本型2、西日本型2、奄美大島、石垣島)の光周期反応には明瞭な地理的変異がみられた。西日本型と奄美大島産(亜種P.hilaris maculata)は長日では4〜5令を経て蛹化し、短日では休眠した。東日本型と石垣産(亜種P.hilaris ishigakiana)は25℃では明瞭な光周期反応はみられず、東日本型の亜熱帯起源が示唆された。奄美と石垣の差異は化性の違いの反映と思われた。西日本型と東日本型の差異は生息地の気候に大差がないことから、「東日本型侵入害虫説」を裏付けた。両地方型の交雑地帯で採集した個体群は両型の中間的な光周期反応を示した。

 異なる温度で幼虫の光周期反応の温度依存性を調べたところ、20℃で特異的な反応があらわれた。とくに高温で明僚な光周期反応がみられなかった東日本型と石垣産では明瞭な長日型の光周期反応がみられ、短日では付加的な脱皮が誘導された。

4.各発育ステージにおける耐寒性

 卵を過冷却点以下の温度にさらすと孵化が全く起こらないことから、卵は凍結感受性であると考えられた。西日本型は幼虫が休眠状態で越冬するが、卵または孵化幼虫で越冬する東日本型との間に、卵や孵化幼虫の耐寒性に差異はみられなかった。亜熱帯の石垣産の卵も低温馴化によつて過冷却点付近の冷却に対しても高い孵化率を示した。幼虫や蛹も凍結感受性であった。長日で幼虫を飼育をした前蛹の耐寒性はその前後のステージより弱く、本種の休眠ステージ決定の一因と考えられた。

 以上要するに、キボシカミキリ幼虫は日長や温度に対して極めて柔軟な反応を示すことが明らかとなり、この性質は潜在的に備えている強い耐寒性とともに、本種の分布拡大や優れた繁殖能力を支えているものと考えられた。これらの結果は従来不明な点が多かったカミキリムシ類の体眠性の生理生態を理解する上できわめて有益な知見を提供するとともに、地域に応じた本種の防除戦略を構築する上でも重要なものである。

 よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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