持続的な農業生産を行なう上で、病害防除は重要な要因となる。その主力が殺菌剤をはじめとする農薬である。しかし、近年、殺菌剤に対して耐性を獲得した植物病原菌類の出現によって、防除効果の低下が懸念されており、耐性菌対策が急務となっている。そこで本研究では、耐性菌に対処する新たな分子戦略の構築に向けて、そのための基礎的知見を得ることを目的として、主としてカンキツ緑かび病菌Penicillium digitatumの脱メチル化阻害剤(DMI剤)に対する耐性に関してその分子機構を解析した。
1.カンキツ緑かび病菌Penicillium digitatumにおける多剤耐性遺伝子の構造と機能 DMI剤は菌類のステロール合成系における脱メチル化反応を阻害する薬剤であり、抗菌スペクトラムが広いことから、多くの病害に適用されており、現在使用されている農薬の中で最も重要なもののひとつである。近年、本剤に対する耐性菌の出現が問題となっているが、その耐性機構の全容については未だ明らかでない。そこで本研究ではカンキツより分離したP.digitatumを供試し、DMI剤耐性の分子機構を明らかにすることを目的として実験を行った。
(1)薬剤感受性の検定 当研究室が圃場より分離・保存していたカンキツ緑かび病菌P.digitatumの6菌株、LC2、M1、I1、PD5、DF1およびU1について、DMI剤を含む種々の薬剤に対する感受性を調べた。その結果、DMI剤耐性株であるLC2、M1およびI1は、DMI剤感受性株であるPD5、DF1およびU1に比べ、トリフルミゾール、フェナリモルおよびビテルタノールなどのDMI剤に対してのみならず、タンパク質合成阻害剤シクロヘキシミド、突然変異誘起剤4-nitroquinoline-N-oxide(4NQO)およびアクリフラビンに対しても、いずれも高い耐性を示すことが認められた。すなわち、DMI剤耐性とその他の化学構造や作用機作の異なる薬剤に対する耐性との間に正の相関関係が認められ、DMI剤耐性菌は多剤耐性菌であることが明らかになった。
(2)P.digitatumの多剤耐性遺伝子のクローニングと構造解析 薬剤感受性検定の結果、DMI剤耐性菌は多剤耐性菌であることが示唆されたが、酵母などではこのような多剤耐性現象に多剤耐性遺伝子が関与しており、その遺伝子の翻訳産物であるP-glycoproteinが細胞膜上に分布して多種類の薬剤を細胞外に排出するポンプとして機能していることが知られている。そこで、これと同様な糖タンパク質がP.digitatumのDMI剤耐性に関わっている可能性について検討することとした。まず、酵母類における既報の多剤耐性遺伝子4種の塩基配列のうち、相互に保存性の高いATP‐binding domainをコードする領域をSaccharomyces cerevisiaeの多剤耐性遺伝子PDR5よりPCRで増幅し、このPCR断片をプローブとしてP.digitatumのゲノミックDNAについてサザンハイブリダイゼーションを行った。その結果、供試したP.digitatumの全菌株において約2.3kbのEcoRI断片にシグナルが得られた。この2.3kb EcoRI断片の部分塩基配列を調べたところ、酵母類の多剤耐性遺伝子と相同性が高いことが確認された。そこで、この2.3kb断片をプローブとして、LC2株のゲノミックDNAライブラリーをスクリーニングした結果、約13〜15.5kbの3個のポジティブクローンが得られた。制限酵素地図の解析から、これらのクローンはいづれも同一の領域を含む断片であることが明らかにされたので、そのうちのひとつpPD601について全塩基配列を決定した。その結果、本クローンは酵母類の多剤耐性遺伝子ときわめて相同性が高く、クローンDNA上にイントロンを含まない4446bpのひとつのopen reading frame(ORF)が存在することが明らかになった。このORFから推定されるアミノ酸配列中には、酵母類のP-glycoproteinと同様に、ATP-binding domainや2カ所の疎水性領域が存在し、さらにそれらの疎水性領域中にそれぞれ6カ所の膜貫通配列が含まれることから、本遺伝子はP-glycoproteinをコードする遺伝子と考えられ、この遺伝子をPMR1と命名した。また、同様の手順によりPMR1とはやや塩基配列の異なるひとつのホモログをクローニングし、これをPMR2と命名した。
(3)P.digitatumのPMR1遺伝子の破壊 PMR1がDMI剤耐性に関わっていることを証明するため、PMR1の転写開始コドンを含む領域をハイグロマイシンB耐性遺伝子で置換した遺伝子破壊用ベクターを構築し、ポリエチレングリコール法によりP.digitatumLC2株を形質転換した。得られた199株の形質転換株について薬剤耐性の低下を指標にスクリーニングした結果、トリフルミゾールに対する耐性が低下した株が3株得られた。これら3株についてゲノミックサザンハイブリダイゼーションを行い、PMR1に遺伝子破壊が生じていることを確認した。
こうして得られたPMR1遺伝子破壊株DIS07、DIS33およびDIS96について各種DMI剤に対する感受性の検定を行った結果、フェナリモル、ビテルタノールおよびトリフルミゾールの遺伝子破壊株に対する50%生育阻止濃度(EC50)は、いずれも感受性株PD5に対する値と同程度まで低下し、遺伝子破壊の効果が顕著であった。以上の結果は、P.digitatumのDMI剤耐性にPMR1遺伝子が関与しており、その翻訳産物であるP-glycoproteinによって薬剤が菌体細胞外へ排出されることによって耐性が発現している可能性を強く示唆している。なお、遺伝子破壊の効果はDMI剤以外ではシクロヘキシミドに対してわずかに認められたが、4NQOやアクリフラビンに対しては認められなかった。これらの薬剤耐性に関してはPMR1以外の他のホモログ遺伝子が関与している可能性が考えられる。
(4)PMR1遺伝子の発現解析 DMI剤を含まない液体培地で培養したDMI剤耐性株ならびに感受性株についてPMR1クローンをプローブとしたノーザンハイブリダイゼーション解析を行なった結果、耐性株では感受性株に比べてPMR1の構成的な発現量が多いことが示された。一方、50g/mlのトリフルミゾールを添加した液体培地で10分間培養した後、同様の解析を行なった結果では、DM1剤耐性株、感受性株の両菌株ともほぼ同程度にPMR1の発現が顕著に誘導されていることが明らかになった。このことから、耐性株ではPMR1遺伝子自体あるいはその発現を制御する遺伝子の何らかの変異によって、PMR1遺伝子の翻訳産物であるP-glycoproteinが構成的に大量生産されており、これによって細胞内に透過した薬剤分子がきわめて迅速に排出されるために、薬剤によるステロール生合成の阻害からまぬがれ、結果として高い薬剤耐性を示すようになるものと推定された。
2.植物病原菌類における多剤耐性遺伝子の存在 本研究によってP.digitatumにおいてP-glycoproteinの関与する多剤耐性機構が存在することが明らかとなった。このような薬剤の排出による耐性機構は、現在、ヒト、酵母、細菌など生物種全般にわたる普遍的な生体防御機構のひとつであることが、次第に明らかとなりつつある。そこで、P.digitatum以外の植物病原菌類におけるP-glycoprotein遺伝子の存在の有無を検討することにした。
植物病原菌類として、イネいもち病菌(Magnaporthe grisea)、イネ紋枯病菌(Thanatephorus cucumeris)、 トマト萎凋病菌(Fusarium oxysporum f.sp.lycopersici)、タバコ赤星病菌(Alternaria alternata tabocco pathotype)、キュウリ炭そ病菌(Colletotorichum lagenarium)および灰色かび病菌(Botrytis cinerea)を供試し、PMR1と酵母類のP-glycoprotein遺伝子との塩基配列との間で特に保存性の高い領域をプローブとしてゲノミックサザンハイブリダイゼーション解析を行った。その結果、全ての菌株においてポジティブなシグナルが得られ、PMR1と相同的な遺伝子が広く植物病原菌類に存在する可能性が示唆された。
以上、本研究によってカンキツ緑かび病菌P.digitatumのDMI剤耐性を中心に植物病原菌類の多剤耐性に関与するP-glycoprotein遺伝子の構造と機能を明らかにした。従来、植物病原菌類ではこのような多剤耐性の分子機構はまったく知られておらず、一方、多くの植物病原菌類においても同様の機構が存在する可能性が示唆されたことから、今後、薬剤耐性菌に対する新たな分子戦略を講ずる上できわめて重要な知見が得られたものと考えられる。