学位論文要旨



No 112674
著者(漢字) 永澤,信洋
著者(英字)
著者(カナ) ナガサワ,ノブヒロ
標題(和) イネにおける花の分化の遺伝的解剖
標題(洋) Genetic dissection of flower development in rice
報告番号 112674
報告番号 甲12674
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1737号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 堤,伸浩
内容要旨

 花の発生は古くから興味を持たれてきたが、その制御機構については数年前までほとんど解明されていなかった。近年、シロイヌナズナやキンギョソウなどの双子葉植物を材料として、多数の突然変異を作出、解析することにより、花の発生の遺伝的制御機構が明らかにされつつある。特に花器官と花の分裂組織のidentityの決定機構はよく研究され、遺伝的モデルが構築されている。これらのモデルはシロイヌナズナとキンギョソウで保存されていることから、少なくとも双子葉植物で広く保存されていると考えられている。しかし単子葉植物において花の発生の遺伝的制御機構を解明した例はほとんどなく、これらのモデルが単子葉植物にも適用できるかどうかは不明である。重要な穀類はほとんどが単子葉植物であり、その発生過程を遺伝的に解剖することは、植物生産を人為的に制御するために極めて重要な課題と言えるだろう。なかでも花の発生は、雌雄の生殖器官を分化する過程でもあり、種子生産と密接に関係しているため重要な研究対象と考えられる。

 本研究はイネの花の分化過程を遺伝的に解剖し、それを制御する遺伝的プログラムを明らかにする目的で行われたものである。まず、花の発生に関与する突然変異を新たに単離した。次に花序の分裂組織が花の分裂組織に転換できない突然変異を用いて、分裂組織のidentityの制御機構について検討した。さらに花器官数に関する突然変異を解析し、その制御機構を明らかにした。最後に花器官のホメオティック突然変異を利用し、雌蕊のidentityの決定及び雄蕊と鱗被のidentityの決定について解析した。

1:新たなイネの花の発生に関与する突然変異の単離

 約2500系統のM2集団をスクリーニングし、9系統の花の分化に関係する突然変異を得た。得られた突然変異をその表現型から分類すると、花の分裂組織のidentityの維持に関する突然変異、花器官のidentityの異常を示す突然変異がそれぞれが1系統、また花の器官数の制御に関与する突然変異2系統、花のorganizationの制御に関与する突然変異が2系統及び中肋を形成しない突然変異2系統が得られた。得られた突然変異体の表現型からイネの花の発生もシロイヌナズナなどと同様に、いくつかの独立したプログラムによって制御されていることが確認された。

2:花序の分裂組織から花の分裂組織への転換

 -花の分裂組織のidentityを制御するFLORAL MERISTEMLESS遺伝子-

 花の発生は花序の分裂組織が花の分裂組織へと転換することではじまる。花の分裂組織のidentityに関与すると考えられる突然変異はこれまでに2系統(floral meristemless-1(fml-1),floral meristemless-2(fml-2))が得られており、対立性検定の結果、これらの突然変異は対立関係にあることが判った。fml-1突然変異では、花は形成されず、無限に高次枝梗を分化し続けた。従って、fml-1突然変異は花序の分裂組織が花の分裂組織に転換することができない突然変異であると考えられる。fml-2は温度感受性を示し、低温(17℃-20℃)ではfml-1と同様に花の代わりに枝梗を無限に分化させ、まれに異常な花を形成した。しかし、30℃前後の高温では正常に花を分化した。分裂組織の発生運命が花の経路に入った後、どの時期まで花序の経路に戻ることができるかは、花の分裂組織のidentityの決定機構を考える上で重要な点であろう。そこでfml-2が花の原基を分化した後、、さまざまな時期に低温処理することにより、花の発生段階のどの段階まで花序の分裂組織に戻りうるかを調べた。その結果、イネの花の分裂組織は内穎を作った後でもまれに花序へ転換するが、基本的には内穎を作った後は花序に転換しなかった。以上よりFML遺伝子は、イネの花の分裂組織のidentityの決定と維持に必要であると考えられる。

3:花器官数の制御機構-器官数を制御するFLORAL ORGAN NUMBER 遺伝子-

 花器官数は植物の分類形質にもなり、その制御機構には興味が持たれている。イネでは、花器官数に異常を示す突然変異が3系統が得られており、対立性検定を行ったところ2遺伝子座に由来することが分かり、floral organ number1(fon1)と、2つの対立遺伝子であるfloral organ number2-1(fon2-1),floral organ number2-2(fon2-2))と命名した。これらの突然変異では、鱗被、雄蕊、雌蕊いずれの器官数も増加した。また、花器官数の増加は、より内側の器官ほど強く影響される傾向が見られた。雌蕊の増加の程度はfon1がもっとも小さかったが、鱗被の増加する程度は最も大きかった。花器官のidentityにはすべての系統で異常が見られたが、その頻度は低く、恐らく器官が増加したために生じたものであろうと考えられる。従ってこの突然変異は基本的には花の器官数にのみ影響を与えるものであった。次に花器官分化期及び栄養生長期における頂端分裂組織の大きさを計測したところ、すべての突然変異で外穎分化後から頂端分裂組織の大きさは野生型より有意に大きくなったが、栄養生長期では野生型と違いが認められなかった。従って、シロイヌナズナのclavatal突然変異と同様に、イネでも花器官数は分裂組織の大きさによって決まると考えられる。しかし、clavatalが栄養生長期でも異常を示すのに対し、fonでは栄養生長期での異常が認められなかったので、CLAVATAとFONでは発現時期の制御が異なっていると考えられる。

4:花器官のidentityの制御(1)イネの雌蕊のidentityを制御するDROOPING LEAF遺伝子

 中肋の発達と雌蕊の分化に関与するDROOPING LEAF(DL)座の4つの突然変異を解析した。すべての突然変異体は例外なく垂れ葉を示したが、花の異常は系統により異なった。drooping leaf-2(dl-2)は、基本的には正常な花を作り、希に柱頭の数か増加した花を付けた。それに対してdl-1(HO788)はdl-2よりも高い頻度で、柱頭の数の増加が観察され、雌蕊の増加、雄蕊と雌蕊の両方の特徴を持った器官の出現や雄蕊の増加などより激しい異常も示した。dl-1を台中65号に導入したdl-1(T-65)は、雌蕊の増加、雄蕊と雌蕊の両方の特徴を持った器官、雄蕊の増加などが、dl-1(HO788)よりも高い頻度で観察された。drooping leaf-superman1(dl-sup1)とdrooping leaf-superman2(dl-sup2)はどちらとも雌蕊が雄蕊に転換するホメオティックな異常を示した。初期発生を調べると、6個の雄蕊原基は正常に作られ、発達するが、雌蕊の原基からは互生葉序で多くの雄蕊が分化した。このように、対立遺伝子により花の表現型は変異し、またdl-suplとdl-1(T-65)との間のF1の花は、両者の中間の形質を示した。従って、DL遺伝子の機能が一部損なわれるとまず中肋に異常が現れ、更に損なわれると雌蕊に異常が現れ、その機能がほとんど失われると雌蕊が雄蕊にホメオティックに転換すると考えられる。次に、dl-sup1と前章で述べた花の器官数の制御に関与する突然変異fonlの間で2重劣性突然変異を作出したところ、2重劣性突然変異体は両者の相加的な形質を示した。従って、花の器官数の制御と花器官のidentityの決定機構は独立であると考えられる。また他のイネ科植物でもdlと同様に、垂れ葉と雌蕊の異常を示す突然変異が見られることから、この遺伝子はイネ科植物の間で保存され、栄養生長期と生殖生長期のいずれでも重要な働きをしている遺伝子であると考えられる。

(2)雄蕊と鱗被のidentityを制御するSUPERWOMAN遺伝子

 シロイヌナズナでは花器官のidentityを決定している遺伝的機構は詳細に調べられ、ABCモデルが提出されているが、その中でB機能を担う遺伝子としてAPETALA3(AP3)とPISTILLATA(PI)がある。ap3とpiではどちらも花弁と雄蕊がそれぞれ萼と心皮へ転換する。イネでもこれと類似した、鱗被と雄蕊が穎と雌蕊に転換する突然変異が1系統得られており、superwoman1(spw1)と命名した。spw1では鱗被は全く認められず、鱗被が転換してできた穎様の器官は鱗被よりも長く、緑色を呈し、また表面の細胞の形態からも穎化していることが示唆された。雄蕊が転換してできる雌蕊は子房が開いたままで内部が露出するなどの異常が見られるものの、柱頭、花柱、緑色の子房壁から明らかに雌蕊であった。穎様の器官は鱗被よりも増加したが、雄蕊が転換してできた雌蕊の原基の数は6個で保存されていた。従ってspw1は雄蕊と雌蕊の位置での器官数は保存しながら、隣り合った2つのwhorlである鱗被と雄蕊がそれぞれ穎と雌蕊に転換するホメオティックな突然変異で、ap3またはpiと相同な突然変異であると考えられる。シロイヌナズナでは、ap3またはpiとsupermanとの間の2重劣性突然変異体は、ap3またはpiと同じような表現型を示すことが知られている。そこでspw1と前に述べたdl-sup1との間の相互作用を調べるために両者の2重劣性突然変異体を作出した。2重劣性突然変異体は、spw1とは明らかに異なる表現型を示した。2重劣性突然変異体は穎様の器官を数多く作り、更にその内側に雌蕊でも雄蕊でもない器官を基本的には無限にラセン葉序で作った。これらのことからイネにはシロイヌナズナとは異なる花の発生の遺伝的プログラムが存在することが明らかとなった。

 以上、本研究では、花の分化のうち、花序分裂組織から花分裂組織への転換、花器官数の制御、花器官のidentityの決定という3つの重要な過程について、遺伝的プログラムの解析を行い、それぞれで重要な遺伝子を明らかにするとともに、イネと双子葉植物との遺伝的システムの相違を指摘した。

審査要旨

 本論文は、これまでほとんど明らかにされてこなかったイネの花の分化過程を遺伝学的に解剖し、重要な遺伝子を同定、解析するとともに、その制御機構を明らかにしたオリジナリティーの高いものである。内容の要旨は以下の通りである。

 本研究を始めるまでに40以上のイネの花の突然変異が同定されていたが、更にそのスペクトルを拡大するために、M2約2500系統をスクリーニングし、新たに9系統の花の分化に関与する突然変異を得た。それらの表現型は、花の分裂組織の維持ができない突然変異、花器管のアイデンティティーのホメオティック突然変異、花器管数が増加する突然変異、花のオーガニゼーションの異常を示す突然変異、中肋を形成しない突然変異に分類された。これらの突然変異体の表現型から、イネの花の分化には複数の制御過程が存在することを確認した。

 次に、各制御過程における遺伝学的解析を行った。まず、花が分化する最初のステップである花序の分裂組織から花の分裂組織への転換機構について解析した。花の分裂組織のアイデンティティーに関与すると考えられる2つの突然変異、fml-1及びfml-2を調査したところ、fml-1は、生殖生長に入るが、花を形成せず、無限に枝梗を分化し続けた。fml-2は温度感受性を示し、常温では正常に花を分化したが、20℃前後の低温ではfml-1と同様に花が形成されず、枝梗を無限に分化させた。低温下でもまれに花を分化したが、それらの花の中には、花器官が形態的に異常となるものの他に、花器官が形成された後に分裂組織から花序が分化するものが見られた。従って、FML遺伝子は、イネの花序分裂組織が花分裂組織へ転換するのに必要であるとともに、花の分裂組織を維持するのにも必要であると考えられる。

 次に、花器官数の制御機構について解析した。花器官数の増加を示す3つの突然変異、fon1、fon2-1及びfon2-2では、花器官数の増加の程度は系統により異なったが、すべての変異体で、雌蕊の増加が最も顕著であり、雄蕊、鱗被の順に増加の程度が小さくなった。頂端分裂組織の大きさを計測したところ、すべての変異体で外穎分化後から頂端分裂組織の大きさは野生型より有意に大きくなり、雄蕊原基が分化する時期に野生型との差が最大になった。栄養生長期では野生型との違いが認められなかった。FON遺伝子は花の頂端分裂組織の大きさの制御を通して、花器官数を制御していると考えられる。

 更に、花器官のアイデンティーの決定機構について解析した。まず、雌蕊のアイデンティティーに関わる突然変異を解析した。雌蕊が雄蕊に転換する突然変異はすべて垂れ葉となり、対立性検定の結果、既知のDL座に由来することが明らかになった。そこで、垂れ葉を示す5つの変異体を調査したところ、花の異常は系統により異なった。dl-2はほぼ正常な花を分化したが、dl-1では異常な雌蕊が観察された。dl-sup1とdl-sup2はどちらとも雌蕊が雄蕊に転換するホメオティックな異常を示した。従って、DL遺伝子の機能が損なわれるとまず中肋に異常が現れ、更に損なわれると雌蕊に異常が現れ、その機能がほとんど失われると雌蕊が雄蕊に転換すると考えられる。次に、dl-sup1とfon1の間で2重劣性突然変異を作出したところ、2重劣性突然変異体は両者の相加的な表現型を示した。従って、花の器官数とアイデンティティーの決定機構は独立であると考えられる。また他のイネ科植物でも、垂れ葉と雌蕊の異常を示す突然変異が見られることから、この遺伝子はイネ科植物の間で広く保存されていると考えられる。

 最後に、雄蕊と鱗被のアイデンティティーの制御機構を解析した。鱗被と雄蕊のアイデンティティーに関わる突然変異superwoman1(spw1)では鱗被は穎様の器官に、雄蕊は外観から明らかな6個の雌蕊に転換した。従って、spw1は、雄蕊の位置の器官数は保存しながら、鱗被と雄蕊がそれぞれ穎と雌蕊に転換するホメオティックな突然変異であると考えられる。次にspw1と前に述べたdl-sup1との2重劣性突然変異体を作出したところ、2重劣性突然変異体は、spw1とは異なる表現型を示した。鱗被と雄蕊が頴様の器官に転換し、雌蕊が分化する位置にはアイデンティティーの不明な器官がラセン葉序で無限に分化した。従って、これらの結果は、イネの花の発生の遺伝的プログラムはシロイヌナズナとは異なることを示唆している。

 以上、本論文は、イネの花の分化過程を遺伝学的に解剖し、極めて重要な知見を与えたもので、応用上のみならず学術上も価値が高い。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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