本論文は、これまでほとんど明らかにされてこなかったイネの花の分化過程を遺伝学的に解剖し、重要な遺伝子を同定、解析するとともに、その制御機構を明らかにしたオリジナリティーの高いものである。内容の要旨は以下の通りである。 本研究を始めるまでに40以上のイネの花の突然変異が同定されていたが、更にそのスペクトルを拡大するために、M2約2500系統をスクリーニングし、新たに9系統の花の分化に関与する突然変異を得た。それらの表現型は、花の分裂組織の維持ができない突然変異、花器管のアイデンティティーのホメオティック突然変異、花器管数が増加する突然変異、花のオーガニゼーションの異常を示す突然変異、中肋を形成しない突然変異に分類された。これらの突然変異体の表現型から、イネの花の分化には複数の制御過程が存在することを確認した。 次に、各制御過程における遺伝学的解析を行った。まず、花が分化する最初のステップである花序の分裂組織から花の分裂組織への転換機構について解析した。花の分裂組織のアイデンティティーに関与すると考えられる2つの突然変異、fml-1及びfml-2を調査したところ、fml-1は、生殖生長に入るが、花を形成せず、無限に枝梗を分化し続けた。fml-2は温度感受性を示し、常温では正常に花を分化したが、20℃前後の低温ではfml-1と同様に花が形成されず、枝梗を無限に分化させた。低温下でもまれに花を分化したが、それらの花の中には、花器官が形態的に異常となるものの他に、花器官が形成された後に分裂組織から花序が分化するものが見られた。従って、FML遺伝子は、イネの花序分裂組織が花分裂組織へ転換するのに必要であるとともに、花の分裂組織を維持するのにも必要であると考えられる。 次に、花器官数の制御機構について解析した。花器官数の増加を示す3つの突然変異、fon1、fon2-1及びfon2-2では、花器官数の増加の程度は系統により異なったが、すべての変異体で、雌蕊の増加が最も顕著であり、雄蕊、鱗被の順に増加の程度が小さくなった。頂端分裂組織の大きさを計測したところ、すべての変異体で外穎分化後から頂端分裂組織の大きさは野生型より有意に大きくなり、雄蕊原基が分化する時期に野生型との差が最大になった。栄養生長期では野生型との違いが認められなかった。FON遺伝子は花の頂端分裂組織の大きさの制御を通して、花器官数を制御していると考えられる。 更に、花器官のアイデンティーの決定機構について解析した。まず、雌蕊のアイデンティティーに関わる突然変異を解析した。雌蕊が雄蕊に転換する突然変異はすべて垂れ葉となり、対立性検定の結果、既知のDL座に由来することが明らかになった。そこで、垂れ葉を示す5つの変異体を調査したところ、花の異常は系統により異なった。dl-2はほぼ正常な花を分化したが、dl-1では異常な雌蕊が観察された。dl-sup1とdl-sup2はどちらとも雌蕊が雄蕊に転換するホメオティックな異常を示した。従って、DL遺伝子の機能が損なわれるとまず中肋に異常が現れ、更に損なわれると雌蕊に異常が現れ、その機能がほとんど失われると雌蕊が雄蕊に転換すると考えられる。次に、dl-sup1とfon1の間で2重劣性突然変異を作出したところ、2重劣性突然変異体は両者の相加的な表現型を示した。従って、花の器官数とアイデンティティーの決定機構は独立であると考えられる。また他のイネ科植物でも、垂れ葉と雌蕊の異常を示す突然変異が見られることから、この遺伝子はイネ科植物の間で広く保存されていると考えられる。 最後に、雄蕊と鱗被のアイデンティティーの制御機構を解析した。鱗被と雄蕊のアイデンティティーに関わる突然変異superwoman1(spw1)では鱗被は穎様の器官に、雄蕊は外観から明らかな6個の雌蕊に転換した。従って、spw1は、雄蕊の位置の器官数は保存しながら、鱗被と雄蕊がそれぞれ穎と雌蕊に転換するホメオティックな突然変異であると考えられる。次にspw1と前に述べたdl-sup1との2重劣性突然変異体を作出したところ、2重劣性突然変異体は、spw1とは異なる表現型を示した。鱗被と雄蕊が頴様の器官に転換し、雌蕊が分化する位置にはアイデンティティーの不明な器官がラセン葉序で無限に分化した。従って、これらの結果は、イネの花の発生の遺伝的プログラムはシロイヌナズナとは異なることを示唆している。 以上、本論文は、イネの花の分化過程を遺伝学的に解剖し、極めて重要な知見を与えたもので、応用上のみならず学術上も価値が高い。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |