学位論文要旨



No 112676
著者(漢字) 趙,雅婷
著者(英字)
著者(カナ) ツァオ,ヤーティン
標題(和) DNAマーカー利用による量的形質の選抜に関する統計遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 112676
報告番号 甲12676
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1739号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鵜飼,保雄
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 堤,伸浩
内容要旨

 作物の草丈、成熟期、収量などの農業上重要な形質の多くは量的形質である。個々には微少な効果をもちながら同一形質の表現型の発現に関与する多数の遺伝子をポリジーンとよぶ。量的形質はふつうポリジーンまたはポリジーンと主働遺伝子の共同した遺伝的システムによって制御されている。量的形質の表現型は環境条件の影響を受けやすく、同じ遺伝子型でもその表現型は連続的な変異を示す。このように関与する遺伝子の数が多く、しかもその表現型が変動することから、量的形質に関しては、分離集団における各個体についてその表現型から遺伝子型を推定することは通常の方法では著しく困難であった。最近分子生物学的技術の進歩により、制限酵素の認識部位におけるDNA配列の差を容易に検出できるようになり、それにともなって同じ生物種の個体間で、RFLP(Restriction Fragment Length Polymorphism、制限酵素断片長多型)やRAPD(Random Amplified Polymorphic DNA、ランダム増幅DNA多型)などのDNAレベルの多型が存在することが認められるようになった。この多型を質的形質における主働遺伝子のようにマーカーとして利用することにより、マーカーおよび質的遺伝子の連鎖地図を作成できるようになった。このようなDNAマーカー連鎖地図は、単に連鎖群におけるDNAマーカー座や通常の形質遺伝子座の相対的位置を示す情報を与えるだけでなく、育種、遺伝、生物進化、分類、生態学などのきわめて多方面な解析に利用できる。とくに品種改良の視点からみてそのうち最も期待される利用法は、QTL解析とその結果を用いた量的形質の選抜効率の向上である。高密度の連鎖地図を利用すれば、数多くの遺伝子座によって制御される量的形質についても、近接するDNAマーカーとの緊密な連鎖関係から個々の座の連鎖群上の位置を推定できるうえ、遺伝子型値を個々の遺伝子座の遺伝効果(相加効果、優性効果)またはその交互作用(エピスタシス)にまで分解できる。またマーカーとQTLの間に強い連鎖が検出されれば、その連鎖関係を利用することにより、マーカーの選抜を通した間接的な量的形質の選抜すなわちマーカー利用による選抜、略してMASを行うことができる。DNAマーカーの分離型は量的形質と異なり環境の影響がなくきわめて正確に判定できるので、連鎖による間接的選抜であっても量的形質の選抜の精度は直接選抜の場合より飛躍的に向上することが期待される。

 マーカー利用による量的形質の選抜を実行するためにはまずマーカーとQTLの連鎖関係の検出が必要である。これまでQTLのマッピングのための統計学的手法は、ほとんどの場合に解析対象とするQTLに隣接する1対のDNAマーカーの遺伝子型の情報を利用することを想定したモデルに基づいて開発されてきた。それは詳細な連鎖地図がすでに出来上がっている場合には確かに有効であるが、しかしマーカー数がまだ少ない、あるいは連鎖地図がまだ構築中である作物も現段階では少なくない。そこで本研究では、このような場合においても、作物の品種改良にMASを積極的に導入することができるよう、準備段階として、単一マーカーによるQTL検出のための手法としての分散分析法について理論的検討をおこなった。すなわち種々の育種方式集団について、F比にもとづくQTL検出効率とQTL検出のための必要個体数を求めた。その結果、マーカーとQTLの間の地図距離の減少(すなわちマーカー密度の増加)および標本個体数の増加にともないQTLの検出効率が高くなること、また地図距離に対して検出に必要な個体数の対数が直線的な関係をもつことが認められた。なおマーカーがQTLの真上にある場合に、必要個体数はそれぞれの遺伝率に対応する最低値を示す。同一遺伝率に対する必要個体数からみた効率あるいは同一個体数におけるQTLが検出可能なマーカーとQTLの間の距離からみた効率に基づいて比べると、標本個体数を増加するほうが、マーカー数を増加(すなわちマーカー間距離を減少)するよりQTL検出には有効であることが判明した。またQTL検出のための必要個体数を基準として、異なる集団における分散分析法の効率を比較すると、優性なしのQTLの場合では、効率の順番はDH>F2>劣性ホモの親系統への戻し交雑BC集団(BCr)=優性ホモの親系統への戻し交雑BC集団(BCD)となった。また完全優性の場合には、DHとBCr集団は同じ効率を示し、F2集団よりずっと少ない個体でQTLの検出が可能であった。超優性の場合には、効率の順番はBCr>DH>F2>BCDとなった。本研究で導かれた各種の平方和とF比の期待値の計算式は、組換型近交系(RI)や無作為交配集団など、他の種々の生殖様式をもつ集団にも直接応用できる。また無作為交配集団でも、マーカーとQTLの間に連鎖不平衡が存在すれば分散分析法の利用によるQTL検出が可能である。分散分析法の応用によって連鎖地図が未だ作出されていない作物でも、QTLの検出や、マーカーを利用したQTL選抜が可能と考えられる。

 次に自殖性作物を対象として、マーカー遺伝子型のみによる選抜(略してMS法)の場合に、優良個体の評価方法を定義し、選抜前の集団および選抜された個体の後代における全マーカー座に関して望ましい対立遺伝子をもつ個体(理想個体)の頻度と標本数の関係を導き、理想個体を95%の確率で少なくとも1個体えるために必要な最小個体数を求めた。これまで自殖性作物のマーカー利用選抜における個体評価法のほとんどは、マーカー遺伝子型のみで対象個体を評価している。マーカーとQTLの間の地図距離が小さい場合には、マーカー遺伝子型によってQTL遺伝子型を実際上代替することができる。しかし、地図距離が大きい場合には、マーカー遺伝子型については理想的個体でも対応するQTL遺伝子型が優良である確率は低くなる。実際の育種場面においては、マーカーとQTLの連鎖があまり緊密でない(たとえば地図距離が10cMより大)場合がよくある。そのような場合に、マーカー遺伝子型だけでなくQTLの表現型値も併せて情報を利用すれば、さらに高い効率で選抜が行えると考えられる。そこでこのような選抜システム(略してMPS法)における優良個体の評価のための総合指標を提案し、遺伝率、優性度などの遺伝パラメータの種々の条件における選抜効率を計算した。さらにこれらマーカー利用の選抜法と従来の表現型値のみに基づく選抜法(略してPS法)の効率を比較するため、シミュレーションによりコンピュータ上に作物集団を構築し、数世代の選抜を実行して目標のQTL遺伝子型個体が得られる割合を調べた。その結果マーカー利用による選抜は、早い世代において有効であること、とくに強選抜あるいはQTLに優性効果がある場合には有効性が高いことが判明した。マーカー遺伝子型のみによる選抜法の利点は、形質の遺伝率が低い場合、世代促進世代のように表現型値が計りにくい場合、ある種の病虫害抵抗性やストレス抵抗性のように必ずしも毎年正確な検定ができないような形質を対象とする場合などに適する。しかし遺伝率があまり低くなく、マーカーとQTLの連鎖がそれほど緊密でなければ、マーカーと形質表現型値の総合指標のほうが優れている。とくにMPS法では、最終的に得られる選抜個体の優良度がMS法より高く、その差はQTLとマーカーの距離が遠いほど大きい。以上の理論計算およびシミュレーションの結果に基づき、遺伝率および優性度の種々の条件に対してそれぞれの最適な選抜法を提案した。

 他殖性作物の選抜においては、自殖性作物の場合と異なり、分離世代集団における自然交雑の遺伝子流動を制御することが実際上むずかしいため、交雑における母側の遺伝子型の優良性を選抜することをねらいとした母系選抜法が利用されることが多い。この場合も従来は選抜が表現型のみに基づいて行われてきたため、選抜効果の確実性と再現性は保証されなかった。そこで他殖性作物における母系選抜を基本として、DNAマーカー利用の選抜法としてのMS法とMPS法および従来の表現型値のみに基づくPS法の効率比較をシミュレーションによって行った。また選抜前にQTL解析によりマーカーとQTLの連鎖群上の位置および各QTLの遺伝効果が明らかである場合に、マーカー遺伝子型と表現型値から選抜対象個体の遺伝子型値の期待値を求める式を示した。その遺伝子型値の期待値を用いて、他殖性作物におけるマーカー遺伝子型と表現型値の併用による優良個体の評価法(MPS法)として提案した。MS法ではマーカーとQTLの地図距離が増すと選抜反応がかなり低下することが認められた。しかしMPS法ではその地図距離が非常に大きくなっても高い効率で選抜が可能であることが示された。いっぽう他殖性作物においても、MS法およびMPS法は早期の選抜がPS法より効率が高かった。これらのマーカー利用の選抜法では、個体単位でも高精度で選抜が可能であり、従来のPS法のように1回の選抜に2世代を必要としないので、選抜世代数を大幅に短縮できる。マーカーとQTLの連鎖があまり緊密ではない場合にはマーカー利用選抜の相対効率はあまり高くはないが、そのような場合でも少数の選抜回数で目的が達成できるという利用価値がある。

 以上DNAマーカーを利用した選抜方式の効率を理論的に解明し、マーカー利用の新しい育種方式を提案することができ、農業上重要な量的形質の改良に今後有効に適用されると期待される。

審査要旨

 高密度の連鎖地図を利用すれば、数多くの遺伝子座によって制御される量的形質についても、近接するDNAマーカーとの連鎖関係から個々の座の連鎖群上の位置や遺伝効果を推定できる。またマーカーとQTLの間の連鎖を利用して、マーカーの選抜を通しての間接的な量的形質の選抜(マーカー利用による選抜、略してMAS)が可能となる。マーカー利用による量的形質の選抜を実行するためにはまずマーカーとQTLの連鎖関係の検出が必要である。そこで、単一のマーカーによるQTL検出のための手法としての分散分析法について理論的検討をおこなった。すなわち種々の育種方式集団について、F比にもとづくQTL検出効率とQTL検出のための必要個体数を求めた。その結果、マーカーとQTLの間の地図距離の減少および標本個体数の増加にともないQTLの検出効率が高くなること、また地図距離に対して検出に必要な個体数の対数が直線的な関係をもつことが認められた。また標本個体数を増加するほうが、マーカー数を増加すなわちマーカー間距離を減少するよりQTL検出には有効であることが判明した。またQTL検出のための必要個体数を基準として、異なる集団における分散分析法の効率を比較すると、優性なしのQTLの場合に、効率の順番はDH>F2>BCの順となった。また完全優性ではDHとBC集団は同じ効率を示し、F2集団よりずっと少ない個体でQTLの検出が可能であった。

 次に自殖性作物を対象として、マーカー遺伝子型のみによる選抜(MS法)の場合に、遺伝子型に基づいた優良個体の評価方法を定義した。それより選抜前の集団および選抜された個体の後代における全マーカー座に関して望ましい対立遺伝子をもつ個体(理想個体)の頻度と標本数の関係式を導き、理想個体を95%の確率で少なくとも1個体得るために必要な最小個体数を求めた。マーカーとQTLの間の距離が大きい場合には、マーカー遺伝子型については理想的個体でも対応するQTL遺伝子型が優良である確率は低くなる。そこでマーカー遺伝子型に加えて量的形質の表現型値の情報も併せて選抜を行うシステム(MPS法)における優良個体の評価のための総合指標を提案し、選抜率、遺伝率、優性度などの遺伝パラメータの種々の条件における選抜効率を計算した。さらにこれらマーカー利用の選抜法と従来の量的形質の表現型値のみに基づく選抜法(略してPS法)の効率をシミュレーションによって比較した。その結果マーカー利用による選抜は、早い世代において有効であること、とくに強選抜あるいはQTLに優性効果がある場合には有効性が高いことが判った。マーカー遺伝子型のみによる選抜法の利点は、形質の遺伝率が低い場合、世代促進世代のように表現型値が計りにくい場合、ある種の病虫害抵抗性やストレス抵抗性のように必ずしも毎年正確な検定ができないような形質を対象とする場合などに適する。しかし遺伝率があまり低くなく、マーカーとQTLの連鎖がそれほど緊密でない場合には、マーカーと形質表現型値の総合指標のほうが優れていた。とくにMPS法では、最終的に得られる選抜個体の優良度がMS法より高く、その差はQTLとマーカーの距離が遠いほど大きい。以上の理論計算およびシミュレーションの結果に基づき、遺伝率および優性度の種々の条件に対してそれぞれの最適な選抜法を提案した。

 さらに牧草類などの他殖性作物を対象として、母系選抜を基本とする従来の表現型値のみに基づくPS法に対するDNAマーカー利用の選抜法であるMS法とMPS法の効率をシミュレーションによって比較した。また選抜前にQTL解析によりQTLの連鎖群上位置および遺伝効果が明らかな場合に、マーカー遺伝子型と表現型値から選抜対象個体の量的形質についての遺伝子型値の期待値を求める式を示し、それを用いて他殖性作物におけるMPS法を提案した。解析の結果、MS法ではマーカーとQTLの地図距離が増すと選抜反応がかなり低下することが認められた。しかしMPS法では距離がかなり大きくても高い効率で選抜が可能であった。また他殖性作物においても、早期の選抜世代でとくにMS法およびMPS法の効率が高かった。マーカー利用の選抜法では、個体単位でも高精度で選抜が可能であり、従来のPS法のように1回の選抜に2世代を必要としないので、選抜世代数を大幅に短縮できることがわかった。

 以上要するに、本研究によってDNAマーカー利用による量的形質の選抜法理論について、学術上多くの重要な知見と考察を提供した。よって審査員一同は、本論文が農学博士の学位論文として価値あるものと認めた。

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