学位論文要旨



No 112681
著者(漢字) 岩城,正典
著者(英字)
著者(カナ) イワキ,マサノリ
標題(和) 食餌およびホルモンによる骨格筋タンパク質合成の制御機構
標題(洋)
報告番号 112681
報告番号 甲12681
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1744号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 日高,智美
内容要旨

 タンパク質は、糖や脂質とともに、動物の生命活動の維持には欠くことのできない物質であり、その合成・分解のバランスは巧妙に調節される必要がある.骨格筋のタンパク質合成は、食餌のタンパク質栄養状態や種々のホルモンによって、大きな影響をうけることが知られている.しかしin vivoで、種々の生理的状態の変化に応答して骨格筋に直接信号を伝達する因子は何であるのか、また筋細胞での多段階にわたるタンパク質合成機構のなかでどの過程が制御の標的であるのか、分子的な詳細について未だに不明な点が多い.

 本研究の目的は、タンパク質同化促進作用を有するホルモンIGF-I(Insulin-like Growth Factor-I)とその結合タンパク質IGFBP-1(IGF Binding Protein-1)、また翻訳開始因子eIF-4E(eukaryotic Initiation Factor-4E)とその調節タンパク質PHAS-I(Phosphorylated Heat-and Acid-Stable Protein regulated by Insulin)に着目し、これら因子の骨格筋タンパク質合成制御における意義、特にin vivoでの役割を解明することである.

 IGFBPは現在6種類が同定されており、それぞれ異なる様式でIGF-Iの生理作用を調節すると考えられている.そのうちIGFBP-1については、インスリンやグルココルチコイドにより主要産生器官である肝臓での遺伝子発現量が調節されることから、主に糖代謝との関連に注目して研究がなされてきた.しかし筆者は、ラットIGFBP-1のラジオイムノアッセイ法を確立し、体タンパク質代謝異常がみられるが、少なくとも血糖値やインスリンの血中濃度には顕著な変化が認められない無タンパク質食摂取ラットにおいて、IGFBP-1の血中濃度が著しく上昇することを既に明らかにしており、IGFBP-1とタンパク質代謝との関わりについて解析しなければならないと考えた.一方eIF-4Eは、mRNA5’末端のcap構造と直接結合し、リボソームとmRNAの複合体形成を仲介する翻訳開始の鍵を握る因子である.PHAS-IはeIF-4Eに結合する活性を持ち、その結合は、増殖因子などの刺激に基づいたリン酸化により調節される.PHAS-Iは、eIF-4Eとcapの結合を妨げないが、eIF-4Eとリボソームの複合体形成を妨げ、翻訳開始を阻害する.両因子については、培養細胞や酵母を用いた研究の結果から、以上のような分子的性質が明らかとなっていたが、in vivoでの意義についてほとんど研究されていなかった.

 本研究ではまず、in vivoでの上記因子の動態を解析する手法を確立した.次に、3種の動物モデル(無タンパク質食摂取ラット、インスリン欠乏型糖尿病ラット、グルココルチコイド投与ラット)において、血中および骨格筋の各因子の動態について詳細な解析を行った.そして各因子の相関を明らかにすることで、骨格筋タンパク質合成制御における役割について考察した.本研究で対象としたモデル動物では、それぞれ異なる要因により体タンパク質代謝異常が引き起こされ、そのタンパク質合成・分解はそれぞれの系に特徴的な様式で変化するが、共通して骨格筋タンパク質合成速度の低下がみられる.

骨格筋のeIF-4EとPHAS-Iの検出定量法の確立

 IGFBP-1については前記のように、すでにラジオイムノアッセイ法を確立している.骨格筋のeIF-4EとPHAS-Iの動態を解析するために、特異抗体を利用した検出定量法を確立した.まずラットのeIF-4EとPHAS-IのcDNAを取得し、大腸菌を用いて大量発現を行った.精製したタンパク質を免疫原としてウサギに免疫し、特異的な抗血清を取得した.ラット骨格筋をホモゲナイズし、遠心分離により得られた可溶性画分中のeIF-4Eを、capアナログである7mGTPレジンとの特異的結合を利用して回収し、抗eIF-4E抗体を用いたイムノプロッティング法により検出定量した.また画分中のPHAS-Iを、抗PHAS-I抗体を用いた免疫沈降法により回収し、同じ抗体を用いたイムノプロッティング法により検出定量した.さらに7mGTPレジンにより、eIF-4Eと結合したまま共沈するPHAS-Iの量を、抗PHAS-I抗体を用いたイムノプロッティング法により測定した.以上の手法により、骨格筋のeIF-4EとPHAS-Iそれぞれの量、両者の複合体形成量を測定することが可能となった.

無タンパク質食摂取ラットについての解析

 無タンパク質食摂取ラットでは、骨格筋タンパク質代謝回転の低下、つまりタンパク質合成および分解速度両者の低下が生じることが特色である.本研究では、無タンパク質食を1週間摂取させたラット、また3日間無タンパク質食を摂取させた後通常の食餌を4日間再摂取させたラット、さらに無タンパク質食摂取を開始してから3、8、24時間経過したラットを用い、特に食餌のタンパク質栄養状態の変化によって引き起こされる、各因子の経時的変動について詳細に解析を行った.まず骨格筋のタンパク質量、RNA量を測定し、RNA/タンパク質比を算出した.この比は筋肉中のリボソーム濃度を反映しており、タンパク質合成速度とよく相関すると一般には解釈されている指標である.測定の結果、無タンパク質食摂取開始後24時間でもこの比に変化はみられなかったが、1週間では対照の72%に低下していた.また再摂取群では対照と同じ水準であった.血中のIGF-I濃度、IGFBP-3、30KIGFBP、IGFBP-4の量は、摂取開始後24時間では変化がみられないものの1週間では有意な減少がみられ、また再摂取群では対照と同じ水準であり、IGFBP-4はむしろ対照より高い水準であった.それに対し血中のIGFBP-1濃度は、IGF-Iや他のIGFBPとは異なり、摂取開始後8時間ですでに対照の3倍に、1週間では10倍にまで上昇していた.また再摂取群では対照と同じ低い水準に低下していた.このようにIGFBP-1については、食餌のタンパク質栄養状態の変化に応じた、急速でかつ顕著な血中濃度の変動が観察された.さらに骨格筋のRNA/タンパク質比とIGFBP-1の血中濃度の相関を調べたところ、有意な負の相関が認められた.

 1週間無タンパク質食を摂取させたラットにおいて、骨格筋の翻訳因子について調べたところ、eIF-4E量自身には対照と差がみられなかった.一方免疫沈降されるPHAS-I量、およびレジンと共沈するPHAS-I量はともに著しく増加していた.そこで共沈するPHAS-I量の変化が、無タンパク質食摂取開始から何時間で生じるのか調べたところ、開始後8時間でも既に増加傾向が観察され、24時間では2倍に増加していた.そして共沈量の経時的変化は、IGFBP-1の血中濃度の変化と一致していることが明らかとなった.

インスリン欠乏型糖尿病ラットについての解析

 インスリンもまたタンパク質同化促進作用を示すホルモンであり、インスリン欠乏により骨格筋タンパク質量の急速な減少、合成速度の低下、分解速度の上昇が引き起こされる.本研究では、ストレプトゾトシン投与により誘導したインスリン欠乏型糖尿病ラット、そして糖尿病ラットに3段階の濃度(0.8、2.4、6.4U/日)でインスリンを6日間投与した系を用い、特にインスリン濃度に依存した各因子の変動について詳細に解析した.まず骨格筋のRNA/タンパク質比は、糖尿病群で対照の63%に低下していた.また0.8U投与群では糖尿病群同様低い水準であったが、2.4U、6.4U投与群では対照と同じ水準に回復していた.血中のIGF-I、IGFBP-3、30KIGFBP、IGFBP-4量は、RNA/タンパク質比と同様な変化を示した.それに対しIGFBP-1の血中濃度は、糖尿病群で対照の20倍にまで上昇していた.一方0.8U投与群では糖尿病群と比較して、対照の2.5倍の水準にまでに低下しており、2.4U、6.4U投与群では対照と同水準であった.さらに骨格筋のRNA/タンパク質比との相関を調べたところ、本モデル動物でも有意な負の相関が認められた.

 骨格筋のeIF-4E量は、どの群においても対照と比べて変化はみられなかったが、eIF-4Eと共沈するPHAS-I量は、糖尿病群で顕著に増加しており、対照の6.6倍であった.一方0.8U投与群では糖尿病群と比べて対照の1.8倍の水準まで低下しており、さらに2.4、6.4U投与群では対照と差がみられなかった。そして本モデル動物でもインスリン濃度に依存したIGFBP-1の血中濃度の変化と、PHAS-I共沈量の変化が一致していた.

グルココルチコイド投与ラットについての解析

 グルココルチコイドは骨格筋タンパク質の異化を引き起こすホルモンであるが、その合成・分解に対する作用については.必ずしも統一的な見解が得られていない.本研究では、合成グルココルチコイドであるデキサメタゾンを、3段階の濃度(0.01、0.1、1mg/kgBW/日)で4日間投与したラットについて解析を行った.骨格筋のRNA/タンパク質比は、1mg投与群でのみ対照の70%に低下しており、この群では骨格筋のタンパク質合成速度が低下していると考えられた.血中のIGF-I濃度は、1mg投与群で対照の87%であり有意な低下がみられたが、前述の2つの系での低下と比較すると顕著なものではなかった.IGFBP-3、30KIGFBP量も1mg投与群で減少していたが、IGFBP-4量には変化がみられなかった.それに対してIGFBP-1濃度はグルココルチコイド投与量に依存した上昇がみられ、特に1mg投与群では対照の11倍であった.さらに本モデル動物でも血中のIGFBP-1濃度と骨格筋のRNA/タンパク質比の有意な負の相関が認められた.

Table 1:Summary of results.
まとめ

 3種類の動物モデルについて解析した結果から、次のことが明らかとなった.

 1)IGFBP-1の血中濃度は、骨格筋のタンパク質合成速度が低下するような生理状態において、IGF-Iや他のIGFBPsの濃度が低下するのとは逆に、対照の10-20倍にも上昇する.2)IGFBP-1の血中濃度は、IGF-Iや他のIGFBPsとは異なり、食餌のタンパク質栄養状態の悪化に応じて極めて短時間のうちに上昇する.3)骨格筋のeIF-4E量は、無タンパク質食摂取やインスリン欠乏によって変化しない.4)骨格筋のPHAS-I量は、無タンパク質食摂取により顕著に増加する.5)骨格筋のeIF-4Eに結合したPHAS-I量は、無タンパク質食摂取やインスリン欠乏によって顕著に増加する.6)IGFBP-1の血中濃度は、骨格筋のRNA/タンパク質比と統計的に有意な負の相関を示す.しかし経時的あるいは濃度依存的な変化を詳細に解析したところ、RNA/タンパク質比とは必ずしも一致しない場合が存在する.7)IGFBP-1の血中濃度、および骨格筋のeIF-4E・PHAS-I結合量の、無タンパク質食摂取による経時的な変化の様式が非常によく一致する.8)IGFBP-1の血中濃度、および骨格筋のeIF-4E・PHAS-I結合量の、インスリン濃度依存的な変化様式が非常によく一致する.

 以上の結果をまとめると、IGFBP-1は、in vivoで食餌のタンパク質栄養状態やホルモンに応答して血中濃度が変動し、骨格筋のタンパク質合成を負に制御する因子であること、さらにその制御の標的は、リボソーム濃度の調節よりもむしろ、PHAS-Iを介したeIF-4Eの活性調節の段階であることが強く示唆された.そこで食餌および種々のホルモンによる骨格筋のタンパク質合成制御に関して、次のような機構が考えられる(Fig.1).食餌のタンパク質栄養状態の悪化、インスリンの欠乏、グルココルチコイド濃度上昇といった要因が、1)まずIGFBP-1の血中濃度を上昇させ、2)IGFBP-1はIGF-Iと結合することでIGF-Iの骨格筋に対する生理作用を阻害し、3)IGF-I活性の阻害により骨格筋のeIF-4E・PHAS-Iの結合量が増加して翻訳開始に必要なeIF-4E量が制限され、4)その結果mRNA翻訳の阻害、タンパク質合成速度の低下を引き起こすというものである.

 本研究によって、血中のIGF-IおよびIGFBP-1と、IGF-Iの最大の標的器官と考えられる骨格筋のタンパク質合成、およびタンパク質合成の調節因子である翻訳開始因子とのin vivoでの関連がはじめて明らかにされた.本研究は、タンパク質栄養と血中のホルモン、および標的器官におけるタンパク質合成の関係を、分子レベルで証明することにはじめて成功したとものいえる.

Fig. 1 Working hypotheals for regulation of protain syntheals in skeletal muscle
審査要旨

 骨格筋のタンパク質合成は、タンパク質栄養状態や種々のホルモンによって大きな影響をうけるが、in vivoでの制御因子やその主たる制御の標的については不明な点が多い.

 本研究は、タンパク質同化ホルモンであるIGF-I(Insulin-like Growth Factor-I)とその結合タンパク質IGFBP-1(IGF Binding Protein-1)、および骨格筋でのタンパク質合成調節機構の標的として、翻訳開始因子eIF-4E(eukaryotic Initiation Factor-4E)とその調節タンパク質PHAS-I(Phosphorylated Heat-and Acid-Stable Protein regulated by Insulin)に着目し、これらの骨格筋タンパク質合成制御におけるin vivoでの役割を解明することを目的とした.

 序論に続く第1章では、骨格筋のeIF-4EとPHAS-Iの検出定量法を記した.ラットのeIF-4EとPHAS-IのcDNAを取得し、大腸菌を用いて大量発現を行い、ウサギに免疫して特異的な抗血清を取得した.この抗体を用いて、ラット骨格筋のeIF-4EおよびPHAS-Iの定量法を確立し、さらにcapアナログであるm7GTPレジンとeIF-4Eとの特異的結合を利用したeIF-4EとPHAS-Iの複合体の定量法を確立した.

 第2章では、無タンパク質食摂取ラットについて解析した.無タンパク質食を1週間摂取させたラット、また3日間無タンパク質食を摂取させた後通常の食餌を4日間再摂取させたラット、さらに無タンパク質食摂取を開始してから3、8、24時間経過したラットを用い、各因子の経時的変動について解析した.無タンパク質食摂取開始後24時間でRNA/タンパク質比に変化はみられなかったが、1週間では対照の72%に低下していた.また再摂取群では対照と同水準であった.血中のIGFBP-1濃度は、摂取開始後8時間で対照の3倍に、1週間では10倍にまで上昇していた.また再摂取群では対照と同水準に復した.このようにIGFBP-1の血中濃度は、食餌のタンパク質栄養状態の変化に応じ、急速かつ顕著に変動し、それは骨格筋のRNA/タンパク質比と高い負の相関を示した.さらに、1週間無タンパク質食を摂取したラット骨格筋において、eIF-4E量自身には対照と差がみられなかったが、PHAS-I量、およびeIF-4E-PHAS-I複合体量はともに著しく増加した.このPHAS-Iの経時的変化は、IGFBP-1の血中濃度の変化とよく相関していた.

 第3章では、インスリン欠乏型糖尿病ラットについて解析した.ストレプトゾトシン投与によるインスリン欠乏型糖尿病ラット、およびそれに3段階の濃度(0.8、2.4、6.4U/日)でインスリンを6日間投与した系を用い、各因子の変動を解析した.骨格筋のRNA/タンパク質比は、糖尿病群で対照の63%に低下していたが、2.4U、6.4U投与群では対照と同じ水準に回復していた.IGFBP-1の血中濃度は、糖尿病群で対照の20倍にまで上昇し、2.4U、6.4U投与群で対照と同水準に回復した.本モデル動物でも、血中IGFBP-1濃度と骨格筋のRNA/タンパク質比に、高い負の相関が認められた.骨格筋のeIF-4E量は、どの群においても変化しなかった.それに対し、eIF-4EとPHAS-I量の複合体量は、糖尿病群で対照の6.6倍に増加したが、インスリン2.4、6.4U投与で対照群の水準にまで抑制され、インスリン濃度に依存したIGFBP-1の血中濃度の変化と、eIF-4EとPHAS-I複合体の量の変化がよく相関していた.

 第4章ではグルココルチコイド投与ラットについて解析し、このモデル動物でも血中のIGFBP-1濃度と骨格筋のRNA/タンパク質比の間に有意な負の相関を認めた.

 総合討論では、骨格筋のタンパク質合成活性におよぼすIGF-Iの生理的意義が極めて大きいこと、さらにIGF-Iの作用点の一つがmRNAの翻訳開始段階にあること、そしてIGFBP-1はIGF-Iの作用を負に制御するのであろうと結論した.

 以上本研究は、血中のIGF-IおよびIGFBP-1と、IGF-Iの最大の標的器官の一つである骨格筋のタンパク質合成、およびタンパク質合成の調節因子である翻訳開始因子とのin vivoでの関連をはじめて明らかにし、タンパク質栄養と血中のホルモン、および標的器官におけるタンパク質合成の関係を分子レベルで証明することに成功したもので、学術上、応用上意義が少なくない.よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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