学位論文要旨



No 112682
著者(漢字) 香山,雅子
著者(英字)
著者(カナ) コウヤマ,マサコ
標題(和) CD8陽性T細胞の機能とその制御に関する研究
標題(洋) Studies on the function of CD8+T cells and the regulation of its responses
報告番号 112682
報告番号 甲12682
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1745号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 免疫機構とは、生体が自己と非自己を認識し、外界から異物や自己の異常な細胞を排除することにより、生命の恒常性を保つ機構である。その中でCD8+T細胞は細胞傷害活性が主な機能と考えられてきた。しかし、最近では調節性T細胞の一つとしても抑制性のサイトカインを産生するCD8+T細胞は注目されてきている。このような調節性T細胞の応答を制御することは、免疫疾患の治療等には重要である。そこで本研究ではCD8+T細胞に注目し、CD8+T細胞クローンを用いて抑制性のサイトカインの産生を中心に、その産生および、その制御の解析を行った。また、他の末消リンパ組織ではCD4+T細胞が優勢であるが、小腸上皮内リンパ球(IELs)では逆にCD8+T細胞が多く含まれており、マウスではIELsのうち30〜70%がCD8+T細胞である。さらにT細胞は発現するT細胞抗原受容体(TCR)の種類によってT細胞とT細胞に分類されるが、IELsのT細胞はその大半がCD8+T細胞で構成されている。そこで、この未だにその機能及び生体内における役割について明らかにされていないIELsに注目し、種々のTCR遺伝子欠損マウス及びMHCクラスI欠損マウスを用いて、その機能および生体内での役割について検討した。

1.CD8+T細胞クローンからの抑制性サイトカイン産生

 由来や性質の異なる様々なCD8+T細胞からの抑制活性を有するサイトカイン(IFN,IL-10,IL-4)を中心にその産生パターンを検討した。7種類の異なるCD8+T細胞クローンを用いて検討した結果、全てのクローンはIFN-に加えてIL-10を産生した。クローンの種類には関係がなかったことより、IFN-とIL-10の産生は特定のクローンのみならずCD8+T細胞一般の性質であると考えられた。IFN-はアレルギーの原因となるIgEの産生を抑制し、IL-10は炎症反応が関与している自己免疫疾患を抑制する作用があることが知られており、これらのサイトカインの産生機構の解明とその制御は応用面を考えても意味のあることである。そこでIFN-とIL-10を産生しうる能力を持つCD8+T細胞からの、IFN-とIL-10産生制御を試みた。

2.cAMPによるCD8+T細胞クローンからのIL-10の産生誘導

 T細胞はTCRを介して抗原とMHC分子の複合体を認識すると、細胞内にシグナルが伝わる。いくつかのシグナル伝達経路のうちcAMPによって活性化されるPKA経路がサイトカイン産生誘導に関わっている可能性が考えられたので、cAMPのアナログであるN6,O2-dibutiladenosine cAMP(Bt2cAMP)を用いてIL-10産生の制御を試みた。Bt2cAMP刺激に対してIL-10産生は促進されたが、IFN-産生や増殖応答は、影響を受けないか逆に抑制された。cAMPがIL-10産生のみに促進的に働くことが考えられたので、細胞内のcAMP濃度を測定したが、IL-10産生量との相関関係は認められなかった。これに対し、cAMPの分解酵素であるホスホジエステラーゼ(PDE)活性を測定したところ、IL-10を高産生するクローンではその活性が低く、産生量の低いクローンではその活性は高かった。これらのことより、CD8+T細胞からのIL-10産生の誘導にはcAMPを介したPKA経路が関与し促進的に働き、その産生調節にはcAMPの濃度変化が重要であることが推測された。PKA経路を活性化することによりIL-10産生を選択的に制御する可能性が示された。

3.アナログペプチドによるCD8+T細胞クローンの応答性の制御

 抗原ペプチドに変異を加えたアナログペプチドを用いて、T細胞の抗原認識を変えることによってT細胞応答を制御しようとする試みが最近報告されている。s1-カゼイン特異的CD8+T細胞クローンは、s1-カゼインの142番目から149番目の8アミノ酸残基(p142-149)をT細胞抗原決定基として認識している。そこで、この8アミノ酸残基のうちMHC分子との結合部位と考えられる残基には変異を加えず、残りの残基を1残基ずつ他のアミノ酸に置換した90種のアナログペプチドを作製し、s1-カゼイン特異的CD8+T細胞クローンの応答性の制御を試みた。その結果、IL-10のみの産生を誘導するアナログペプチド、IFN-産生を促進するアナログペプチド、さらに抗原ペプチドp142-149によるT細胞の活性化を阻害するTCRアンタゴニストペプチドを同定し、CD8+T細胞クローンの抗原特異的な制御に成功した。アナログペプチドによる応答性の制御は、免疫疾患の予防や治療に応用できるだけではなく、CD8+T細胞のTCRを介した抗原認識機構の解析という基礎免疫学的な側面においても重要な知見を与えるものである。

4.小腸上皮内リンパ球(IELs)の小腸上皮細胞(IECs)に及ぼす効果

 IELsの生体における機能については未だ明らかにされてはいない。しかし、小腸上皮内に存在していることから、IELsはIECsに何らかの作用を及ぼしているのではないかと考えられてきた。そこで、TCRを発現しているT細胞の約半数が、そしてTCRを発現しているT細胞の大半がCD8+T細胞であるIELsのIECsに及ぼす効果について、TCR鎖欠損(-/-)マウスおよびTCR鎖欠損(-/-)マウスを用いて解析した。はじめに、IELsとIELsからの上皮系の細胞に作用する能力を有するサイトカインのmRNAの発現について検討した。分離直後のIELsとIELsからは、IFN-とTNF-のmRNAの発現が認められた。さらにin vitro刺激によって、IELsはIFN-とTNF-に加えてTGF-1、TNF-のmRNAの発現も認められたが、一方IELsのIFN-とTNF-のmRNAの発現は弱く、またTGF-1、TNF-の発現は認められなかった。さらにIELsから産生されるサイトカインのMHCクラスII分子の発現に与える効果についてin vitro系で検討した。その結果、IELsの培養上清はラット小腸上皮細胞株であるIEC-6のMHCクラスII分子発現を促進したが、IELsの培養上清は促進しなかった。またこの促進効果は抗IFN-抗体によって完全に阻害された。一方、IELsの培養上清中のIFN-産生量がIELsそれと比べて10から20倍多かった。以上の結果からIELsは腸管上皮細胞に作用しうることが考えられ、またその活性はIELsの方がIELsよりも優れていることが明らかとなった。

5.遺伝子欠損マウスを用いたIELsの機能解析

 以上の結果より、IELsとIELsではサイトカイン産生能が異なることが考えられた。一方で、-/-マウス由来のIELsと比較して、野生型マウス由来のIELsにおいてはT細胞の割合が少ないにも関わらず、そのIFN-の産生が高かった。そこでT細胞、T細胞の比率が異なる-/-マウス、TCR鎖欠損(-/-)マウス、-/-マウス、およびMHCクラスI欠損(2TA)マウスを用いて、その反応性をIFN-産生および細胞傷害活性を指標として詳細に検討した。その結果、IELsからのIFN-産生及び細胞傷害活性は、T細胞の全く存在しない-/-マウスでも、存在している野生型マウス由来でも認められた。一方、T細胞が若干存在する-/-マウス、2TAマウス、もしくは野生型マウス由来のIELsではIFN-産生および細胞傷害活性認められたが、T細胞の全く存在しない-/-マウス由来のIELsでは著しく低かった。これらのことより、IELsはT細胞が存在しなくてもIFN-産生及び細胞傷害活性を有するが、IELsがこれらの機能を獲得するには、TCRもしくはTCR鎖を発現しているT細胞が必要であることを初めて明らかにした。

6.p142-149の経口投与によるIELsの活性化

 IELsの存在する小腸は食物を消化吸収する器官である。従って経口的に侵入してくる抗原に対してIELsが応答し、腸管内の恒常性の維持や異物を排除する免疫機構に関与していることが考えられた。そこでIELsがCD8+T細胞を多く含むことより、s1-カゼイン特異的CD8+T細胞が認識するs1-カゼインの部分ペプチドp142-149を経口投与し、IELsからのIFN-産生を検討した。その結果、腸管内の他のリンパ組織であるパイエル板や腸管膜リンパ節細胞では、経口投与群でも対照群のPBS投与群でも全くIFN-産生は認められなかった。しかしペプチドの経口投与群のIELsからはIFN-産生量の増加が認められ、経口抗原に対してIELsが反応してIFN-を産生することが初めて明らかになった。これらの結果から、経口抗原に対して応答したIELsが腸管上皮細胞や他の腸管免疫系の細胞に作用する可能性が示された。

まとめ

 本研究は、CD8+T細胞のサイトカイン産生とその制御、および腸管内での役割を明らかにすることを目的とし、CD8+T細胞クローン及び遺伝子欠損マウスを用いて解析を行った。その結果、IFN-だけではなくIL-10の産生はCD8+T細胞の普遍的な性質であることを明らかにした。さらに、cAMPおよび抗原アナログを用いてCD8+T細胞クローンからのサイトカイン産生の制御にも成功した。また遺伝子欠損マウスを用いることによって、CD8+T細胞が含まれているIELsの応答性の解析にも成功した。本論文で得られた知見はCD8+T細胞の応答性、及び抗原認識と活性化を解析した基礎的な研究として重要な意味を持つことはもちろんのこと、CD8+T細胞を利用した免疫疾患の予防や治療のための有用な情報となると考えている。

審査要旨

 免疫応答の調節において重要な役割を担っているCD8+T細胞の機能はいまだに充分に解明されていない。本研究ではこのCD8+T細胞の抑制作用の解析、およびその応答性の制御を目的として行われている。特に応答性の制御は基本的な免疫系の作用機序を明らかにするのみならず、アレルギーや自己免疫疾患といった免疫系の異常によって生じる疾患の治療や予防への応用に重要な知見を与えてくれるものである。また本研究は、腸管内のCD8+T細胞に注目して、CD8+T細胞クローンおよび遺伝子欠損マウスを用い、抑制活性を有しているサイトカインのCD8+T細胞クローンからの産生を中心に、その産生パターン、産生機序、産生の制御、さらには生体における役割についての解析を行ない新しい知見を得た。本論文は2章よりなる。

 第一章第一節では、免疫系の調節のうち抑制制御に注目し、様々な特異性を有するCD8+T細胞からの抑制活性を有するサイトカイン(IFN-、IL-10、IL-4)を中心にその産生パターンを検討した。その結果、IFN-とIL-10がすべてのCD8+T細胞クローンにおいて産生されることを明らかにした。

 第二節では、第一節で明らかにされたIFN-とIL-10の産生機構の解析を行い、CD8+T細胞クローンからのIFN-とIL-10の産生誘導のメカニズムは異なっており、cAMPを介したPKA経路を使い分けている可能性を示している。

 第三節では、CD8+T細胞クローンの応答性の抗原特異的な制御を、これらのクローンが認識するT細胞抗原決定基に変異を加えたアナログペプチドを用いて試みている。その結果、IL-10のみの産生を誘導するパーシャルアンタゴニスト、また応答性を阻害するTCRアンタゴニスト、さらにはIFN-産生の促進を誘導するアナログペプチドの同定に成功し、CD8+T細胞の反応性を制御することに成功している。同時に、クローンレベルだけではなく、ポリクローナルなCD8+T細胞でも、その応答性の制御に成功しており、応用面上意義深い結果が得られている。以上、アナログペプチドを用いたCD8+T細胞応答性の制御で得られた結果は、アレルギーの予防や治療に応用できだけではなく、CD8+T細胞のTCRを介した抗原認識機構の解析という基礎免疫学的な側面においても重要な知見を与えるもである。

 さらに、本研究の第二章では、CD8+T細胞の構成割合が高いことは周ねく知られているが、未だにその機能および腸管内における役割が全く明らかにされていない小腸上皮内リンパ球(IELs)に注目して研究を行っている。

 第二章第一節では、IELsが小腸上皮内に存在していることから、IELsと小腸上皮細胞(IECs)の相互作用について遺伝子欠損マウスを用いて解析し、IELsおよびIELsは小腸上皮細胞の分化発達に作用しうること、更にその活性はIELsがIELsよりも高いことを初めて明らかにしている。

 第二節では、IELsおよびIELsの相互作用ついて解析しており、IELsはIELsが存在しなくても、サイトカイン産生及び細胞傷害活性を有するが、IELsがこれらの機能を獲得するには、TCRもしくはTCR鎖が必要であることを初めて明らかにしている。

 第三節ではIELsのペプチドの経口投与による活性化を検討している。その結果、IELsはペプチドの経口投与群で高いIFN-の産生が認められ、経口抗原に対してIELsが反応してIFN-を産生することを初めて明らかにしている。

 以上、本研究で得られた知見はCD8+T細胞の抗原に対する応答性、及び抗原認識と活性化についてを解析したもので免疫学において基礎的な研究として重要な意味を持つことはもちろんのこと、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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