学位論文要旨



No 112684
著者(漢字) 戸田,雅子
著者(英字)
著者(カナ) トダ,マサコ
標題(和) -ラクトグロブリン由来ペプチドアナログによる免疫応答の修飾とその機構解析
標題(洋) Studies on Modulation of Immune Response by Substitution Analogs of -Lactoglobulin-Derived Peptide
報告番号 112684
報告番号 甲12684
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1747号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 免疫応答の調節において中心的役割を果たしているのはT細胞である。したがってT細胞応答を制御できれば免疫系全体を調節することが可能である。T細胞は、T細胞レセプター(TCR)を介して抗原ペプチド-MHC(主要組織遺伝子複合体)分子複合体を認識し、活性化される。近年、抗原ペプチド上のTCRとの結合に重要な残基を置換したアナログの中に、抗原ペプチドに対するT細胞応答を抑制するもの(TCRアンタゴニスト)や、T細胞の応答を部分的に活性化するもの(部分的アゴニスト)が存在することが報告されている。これらのアナログペプチドの効果はそのペプチドを認識するT細胞に特異的なものであり、免疫疾患の治療や予防への利用が期待されている。同時に、抗原ペプチドアナログによりT細胞応答が修飾されるという現象を解析することによってT細胞の抗原認識機構に関する知見が得られると期待できる。

 本研究では、抗原に最小限の変化を導入することによって免疫応答の制御を行うとともにT細胞の抗原認識機構に関する知見を得ることを目的として、最初に牛乳中の主要なアレルゲンである-ラクトグロブリン(-LG)に特異的なT細胞クローンの抗原アナログに対する応答性を解析した。その結果、各T細胞クローンの抗原認識に重要なペプチド残基を特定し、TCRアンタゴニスト活性を示すアナログペプチドを同定することができた。TCRアンタゴニストの生体内における免疫抑制効果については未だ十分に明らかにされていない。そこでT細胞クローンに対してTCRアンタゴニスト活性を示すペプチドを用いて、その生体内での抗原ペプチドに対する免疫応答の抑制効果に関する知見を得た。さらにTCRアンタゴニストを用いた抗原タンパク質に対する免疫応答の抑制を試み、TCRアンタゴニストの免疫疾患治療への応用の可能性について検討を行った。

1.T細胞クローンの抗原ペプチドアナログに対する応答性の解析

 当研究室では従来より-LGがどのように免疫系に認識されるかについて解析を行ってきた。C57BL/6(B6)マウスにおいては主要T細胞抗原決定基は119-133残基領域であることが明らかにされており、その領域に相当するペプチドp119-133に特異的な4種類のT細胞クローンが樹立されている。p119-133上のMHCクラスII(I-Ab)分子との結合に関与する残基は126Proと128Valであり、それ以外の122から130番目の残基がTCRとの結合に関与している。p119-133上のTCRとの結合に重要な残基を置換したアナログペプチドを36種類用意した。まず、これらのアナログペプチドに対する4種類のp119-133特異的T細胞クローンG1.19、F1.7、F2.8、F12.5の増殖およびサイトカイン産生を解析した。T細胞クローンのアナログペプチドに対する増殖応答及びサイトカイン産生はほぼ正の相関を示した。T細胞クローンの増殖応答を誘導せずにサイトカイン応答だけを部分的に誘導するようなアナログペプチドは見られなかった。次に、各アナログペプチドのTCRアンタゴニスト活性を調べた。その活性の同定には、p119-133をあらかじめ提示させた抗原提示細胞に対するT細胞クローンの増殖応答がアナログペプチドの存在下で抑制されるかどうかを指標とした。4種類のT細胞クローン全てに対してTCRアンタゴニスト活性を示すアナログペプチドは認められなかったが、R124Q(124Arg→Gln)はF1.7以外の、D129S(129Asp→Ser)はF2.8以外の、そしてD129K(129Asp→Lys)はG1.19以外の3種類のT細胞クローンに対してTCRアンタゴニスト活性を示した。

 Allenらによれば、抗原ペプチド上のTCRとの結合に関与する残基には、TCRとの結合に関して階層性が存在するといわれている。一次TCR結合残基は、抗原ペプチドとTCRとの結合に最も重要な残基である。この残基に相当するアミノ酸を置換したほとんどのペプチドは、同一の抗原ペプチドを認識する大多数のT細胞クローンに対して、抗原性を失う。一方、二次TCR結合残基は、TCRとの結合に対する寄与が一次TCR結合残基より小さい残基である。TCRアンタゴニストペプチドや部分的アゴニストは、二次結合残基に相当するアミノ酸残基を置換することにより得られやすい。アナログペプチドに対する応答性から、p119-133を認識する4種類全てのT細胞クローンにおいてその置換が抗原性に大きく影響を与えた残基である127Gluがp119-133上の一次TCR結合残基と考えられた。その置換によりTCRアンタゴニストが高頻度で得られた残基は、G1.19とF12.5では129Asp、F1.7では129Aspと130Asp、F2.8では124Argであり、これらが二次TCR結合残基と考えられた。また、物理的、化学的性質の似たアミノ酸で置換したペプチが、TCRアンタゴニスト活性を示す傾向にあることが判明した。

2.抗原ペプチドに対する生体内免疫応答のTCRアンタゴニストによる抑制

 TCRアンタゴニストのin vivoでの免疫応答抑制効果を検討するため、4種類のp119-133特異的T細胞クローンのうち3種類に対してTCRアンタゴニスト活性を示したD129Sに着目した。D129Sはp119-133をマウスに投与して得られるポリクローナルなT細胞群のin vitroでのp119-133に対する増殖応答を抑制することが明らかになった。このようにTCRアンタゴニストは生体内で既に活性化されたポリクローナルなT細胞応答を抑制できたことから、免疫疾患の治療への利用の可能性が示された。そこで様々な投与法でD129SをB6マウスに投与して抗p119-133特異抗体(IgG,M,A)産生に対する抑制効果を調べた。最も効果的にp119-133に対する抗体産生が抑制されたのは一次免疫時にp119-133と同時にD129Sを投与した場合であった。p119-133免疫の前にD129Sを投与した場合にも、同時投与の場合よりも効果は弱いものの抑制効果が認められた。また、p119-133の免疫後にD129Sを投与した場合には抑制効果が認められなかった。しかし、p119-133で既に活性化されているポリクローナルなT細胞の応答をD129Sは抑制できるので、詳細な条件検討次第で既に活性化された免疫系による抗体産生を抑制する可能性は残されている。

 次にD129Sで抑制される抗p119-133特異的IgGのサブクラスを解析したところ、D129SはTh1細胞によって誘導されるIgG2b、Th2細胞によって誘導されるIgG1の両方の産生に対して抑制効果を示した。IgE産生を誘導するTh2細胞の応答も抑制されたことから、D129S投与のIgE産生に対する効果を検討した。IgE誘導アジュバントである水酸化アルミニウムを用いて構築したBDF1マウスの抗p119-133特異的IgE産生系において、D129Sはp119-133との同時投与により抑制効果を示した。これらの結果から、TCRアンタゴニストの利用は免疫疾患、特にアレルギーの予防や治療において効果的である可能性が示唆された。

 さらに、より強い免疫応答抑制効果を得るためにD129Sとは異なるT細胞クローン群に対しTCRアンタゴニスト活性を示すR124Qの併用を試みた。R124QはT細胞応答に対してD129Sと同様の抑制効果を示したが、R124QとD129Sをp119-133と同時に投与したとき、p119-133に対する抗体産生は抑制されなかった。また、R124Qとp119-133を同時に投与した場合には抗p119-133抗体(IgG,M,A)の産生はむしろ増加していた。両ペプチドの効果の違いを調べるために抗p119-133特異抗体の両ペプチドに対する交差反応性を調べたところ、R124Qに対しては交差反応性を示したが、D129Sに対しては反応しなかった。以上の結果から、自己抗原やアレルゲンに対する抗体産生の抑制を目的とする場合、病因となる抗体と交差反応しないアナログペプチドを選択する必要があることが明らかとなった。

3.TCRアンタゴニストによる抗原タンパク質に対する免疫応答の抑制

 アレルギーや自己免疫疾患の原因抗原はタンパク質分子であり、通常T細胞抗原決定基を複数もつため、ペプチドを用いてタンパク質分子全体に対する免疫応答を抑制することは難しい。そこでD129Sの抗原タンパク質-LGに対する免疫応答抑制効果を検討した。-LGで免疫したB6マウス由来のT細胞に対するD129Sの抑制効果をin vitroで調べたところ、p119-133に対する増殖は抑制したが、-LGに対するT細胞の増殖に対しては抑制活性を示さなかった。また、D129Sを-LGとともにB6マウスに投与したところ、D129Sは抗-LG特異抗体の産生を抑制しなかった。D129Sが-LG全体に対する免疫応答を抑制しなかった理由として、-LG上の二番目に優勢なT細胞抗原決定領域、すなわち11-28残基領域に対する免疫応答の存在が考えられた。そこで11-28残基ペプチドp11-28で免疫したB6マウス由来T細胞のp11-28に対する増殖を抑制するアナログペプチドの同定を行ったところ、アナログペプチドY20S(20Thy→Ser)、L22S(22Leu→Ser)およびM24S(24Met→Ser)が抑制活性を示し、そのうちM24Sが最も強い抑制活性を有していた。-LGで免疫したB6マウス由来T細胞のin vitroでの-LGに対する増殖応答は、D129SとM24Sを共存させることにより抑制できることが明らかになった。以上のような手法は、ペプチドのみを用いることにより生体内におけるタンパク質分子全体に対する免疫応答を抑制する方針となる。

まとめ

 本研究では4種類のT細胞クローンの抗原認識に重要なペプチド残基を特定し、T細胞の抗原認識の機構解明に向けて礎を築いた。また、TCRアンタゴニストによる生体内免疫応答の効率的な抑制法を明らかにし、これにより抗原ペプチドに対するIgEの産生を抑制できたことは極めて重要な成果である。さらに、抗原タンパク質上の個々のT細胞抗原決定基に対するT細胞応答を抑制することで、抗原タンパク質全体に対する免疫応答の抑制が可能であることを示した。本研究で得られた知見は、抗原特異的な免疫系の制御によりアレルギーや自己免疫疾患の予防や治療を行う上で重要な指針になると考えられる。

審査要旨

 免疫応答の調節において中心的役割を果たしているのはT細胞であり、T細胞応答の制御により免疫系全体の調節も可能である。T細胞は、T細胞抗原レセプター(TCR)を介して抗原ペプチド-MHC(主要組織遺伝子複合体)分子複合体を認識し、活性化される。抗原ペプチド上のTCRとの結合に重要な残基を置換したアナログの中には、抗原ペプチドに対するT細胞応答を抑制するもの(TCRアンタゴニスト)や、T細胞の応答を部分的に活性化するもの(部分的アゴニスト)が存在する。これらのペプチドアナログの効果はそのペプチドを認識するT細胞に特異的なものであり、免疫疾患の治療や予防への利用が期待される。同時に抗原ペプチドアナログによるT細胞応答修飾の解析は、T細胞の抗原認識機構の解明につながる。

 本論文は、4章からなり、T細胞応答を修飾する機能を持つ抗原ベプチドアナログの検索を通じてT細胞の抗原認識機構に関する知見を得るとともに、そのベプチドアナログによる免疫応答の制御を行うことを目的としている。

 本論文では、牛乳中の主要なアレルゲンである-ラクトグロブリン(-LG)をモデルとして用いている。C57BL/6(B6)マウスにおいては-LG上の最も優勢なT細胞抗原決定基は119-133残基領域に存在する。研究の背景を述べた第1章に続き、第2章では-LG119-133残基領域に相当するペプチドp119-133上のTCRとの結合に重要な残基を置換したアナログペプチド36種類に対する4種類のp119-133特異的T細胞クローンG1.19、F1.7、F2.8、F12.5の応答性を調べている。その結果、3種類のT細胞クローンに対してTCRアンタゴニスト活性を有するR124Q(124Arg→Gln)、D129S(129Asp→Ser)、D129K(129Asp→Lys)を同定した。また、p119-133を認識する4種類全てのT細胞クローンにおいて127Gluがp119-133上の一次TCR結合残基であり、G1.19とF12.5では129Asp、F1.7では129Aspと130Asp、F2.8では124Argが二次TCR結合残基であることが示された。

 第3章では十分に明らかにされていないTCRアンタゴニストの生体内における免疫抑制効果を検討している。第2章でTCRアンタゴニスト活性を示したR124QとD129SはC57BL/6マウス生体内において抗原ベプチドp119-133に対するT細胞応答を抑制した。さらにD129Sがp119-133特異的IgG、M、Aの産生のみならず、IgE誘導アジュバントである水酸化アルミニウムを用いて構築したBDF1マウスのp119-133特異的IgE産生系において、p119-133特異的IgEの産生を抑制することが明らかとなった。IgEはI型アレルギーの原因とみなされる免疫グロブリン分子である。TCRアンタゴニストの利用は過剰なT細胞応答が原因で起こる免疫疾患のみならず、過剰な抗体産生が原因で起こる免疫疾患、特にアレルギーの予防や治療において有効である可能性が示唆された。

 アレルギーや自己免疫疾患の原因抗原はタンパク質分子であり、通常T細胞抗原決定基を複数もつため、ペプチドを用いてタンパク質分子全体に対する免疫応答を抑制することは難しい。そこで第4章ではTCRアンタゴニストの抗原タンパク質に対する免疫応答抑制効果を検討している。-LG上の二番目に優勢なT細胞抗原決定領域1-28残基領域に相当するペプチドp11-28に対するT細胞応答を抑制するp11-28アナログY20S(20Thy→Ser)、L22S(22Leu→Ser)およびM24S(24Met→Ser)を同定した。そしてR124QあるいはD129SとM24Sを共存させることで、in vitroでの-LGに対するT増殖応答を抑制できることを示した。抗原タンパク質上の個々のT細胞抗原決定基に対するT細胞応答を抑制することで、抗原タンパク質全体に対する免疫応答の抑制が可能であることが明らかとなった。したがって以上のような手法は、ペプチドのみを用いることにより生体内においてタンパク質分子全体に対する免疫応答を抑制するために有効であることが明らかとなった。

 以上本論文は、T細胞の抗原認識の機構解明に向けて重要な情報を提供し、また、TCRアンタゴニストの有用な機能と利用法を明らかにしたもので学術上応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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