学位論文要旨



No 112685
著者(漢字) 萩原,知明
著者(英字)
著者(カナ) ハギワラ,トモアキ
標題(和) 食品タンパク質の凝集体に関するフラクタル解析
標題(洋) Fractal Analysis of Food Protein Aggregates
報告番号 112685
報告番号 甲12685
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1748号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨

 タンパク質溶液に対し加熱や酸添加などの操作を行なうと、しばしばタンパク質の凝集が起こり、タンパク質濃度が高い場合にはゲルを生じることがある。この現象は、食品の調理および製造・加工の場で、独特の食感を有するゲル状の食品を作る際に広く利用されている。これまでに、様々なタンパク質凝集ゲルに関して、弾性率などの巨視的な物性が、溶媒のpHや金属塩濃度などの凝集条件によって大きく左右されることが数多く報告されているが、その機構には不明な点が多い。こうしたゲルの巨視的物性の挙動は、タンパク質分子の集合体である凝集体の構造と密接な関係があることが予想される。従って、タンパク質凝集ゲルの巨視的な物性の挙動を統一的に把握するためには、前述のタンパク質の種類および凝集条件が凝集体構造に及ぼす影響を調べた上で、凝集体構造と巨視的物性との関連を明らかにすることが必要であると考えられる。

 近年、様々な不規則な形状を定量的に評価し得る方法として、フラクタル理論が注目されている。コロイドの凝集現象についても、フラクタル理論により金コロイドなど無機物質を中心として凝集過程の理解が進んでいるが、タンパク質凝集体に関する検討例は少ない。本研究では、加熱凝集等により生じるタンパク質の凝集体の構造をフラクタル理論により解析し、凝集体構造と巨視的物性の一つであるゲルの弾性率との関連について検討を行った。

 結果を以下に要約する。

第1章不規則構造解析のためのフラクタル理論の概要

 本章では、フラクタルの理論に関して説明を行なった。まず「自己相似性」として説明されるフラクタルの概念について述べた。次にフラクタルの種類として、数学上でのフラクタル、自然界において見られる代表的なフラクタルであるマス(質量)フラクタルおよびサーフェス(表面)フラクタルなどについて、実例を挙げながら説明した。更に、フラクタルな構造体を特徴付けるパラメーターであるフラクタル次元の算出法として用いられる、粗視化の度合を変える方法であるbox-counting法、光やX線などの電磁波の散乱を利用した散乱法などの各種方法について説明した。

第2章希薄BSA溶液の加熱凝集体のフラクタル解析1)

 希薄系における凝集体のフラクタル構造については、光散乱法等を用いた実験的アプローチに加えて、クラスター-クラスター凝集モデルによる理論的取り扱いも進んでいる。そうした希薄系についての検討は,ゲルなどの濃厚系における構造を理解するための基礎としても重要である。本章においては、光散乱法を用いて、牛血清アルブミン(BSA)希薄溶液を加熱することにより生じた凝集体のフラクタル解析を行ない、得られた結果をクラスター-クラスター凝集モデルによる予測と比較した。BSAの等電点(pH4.9)から比較的遠いpH7.0の条件下で生じた凝集体のフラクタル次元Dfおよび多分散指数の値は、それぞれ、およそ2.1、1.5となり、これらは典型的なクラスター-クラスター凝集モデルのひとつである反応律速型凝集モデルによる予測値と一致した。一方、pH5.1の条件下で生じた凝集体のフラクタル次元Dfの値は1.8で、クラスター-クラスター凝集モデルのひとつである拡散律速型凝集モデルの予測値と近かった。更に、pH7.0の条件下での凝集体の平均流体力学的半径の値の加熱時間依存性は、反応律速型凝集とされている既報のポリスチレン・コロイドの凝集の場合と同様の挙動を示した。以上の結果から、希薄溶液系において、タンパク質表面荷電量を制御することにより、クラスター-クラスター凝集モデルの典型例である拡散律速型および反応律速型の凝集体が、生じることが明らかとなった。

第3章タンパク質凝集ゲルのフラクタル解析法の検討2)

 ゲル中の凝集体のフラクタル構造に関しては、多重散乱等の影響で、前章で用いた光散乱法による解析が困難である。そこで本章においては、BSAの加熱凝集ゲルを用いて、ゲルに関するフラクタル構造の解析法を検討した。最初に、ゲルの単軸圧縮試験により求められた線型限界歪みおよび弾性率のBSA濃度依存性から、Shihらの理論に基づいてゲル中の凝集体のフラクタル次元を算出した。このBSAゲルは、Shihらの理論におけるweak-linkの挙動を示した。次に、レーザー共焦点顕微鏡を用いることによって得られるゲルの画像をbox-counting法で解析することによって凝集体のフラクタル次元を算出した。得られたフラクタル次元の値は、弾性率の濃度依存性から算出されたフラクタル次元の値とほぼ一致した。これらの結果から、このゲルの弾性率の挙動はゲル内部の凝集体のフラクタル構造の反映であることが確認された。更に、得られたフラクタル次元の値は2.6から2.8と、第2章において希薄系に関して求められた値より大きく、ゲル化過程においては、タンパク質凝集体の再構成等により希薄系とは異なるフラクタル構造が形成されることが示唆された。

 以上、本章で検討したフラクタル解析法の有効性が示されので、以下の章においては、これら二通りの解析法を用いることにした。

第4章各種食品タンパク質の凝集ゲルに関するフラクタル解析

 本章では、第3章で確立した手法により、各種食品タンパク質の凝集ゲルに関するフラクタル解析を行った。試料としては、-ラクトグロブリンの加熱凝集ゲル、グルコノ--ラクトン添加により調製した大豆タンパク質ゲル及びカゼインゲルを用いた。その結果、各試料に関してフラクタル次元が算出され、このことからタンパク質の種類によらず凝集ゲルに関してフラクタルの概念が適用可能なことが示唆された。

第5章添加塩がゲル内の凝集体構造に及ぼす影響の解析

 タンパク質の凝集ゲル内の凝集体の構造および弾性率などの力学物性はナトリウム塩、カルシウム塩などの添加金属塩により影響を受けることが知られている。そこで、BSAおよび-ラクトグロブリンの加熱凝集ゲルに関して、添加塩の種類がゲル内の凝集体構造およびゲルの弾性率の挙動に及ぼす影響についてフラクタルの観点から検討を行った。添加金属塩としては塩化ナトリウム、塩化カルシウムを用いた。レーザー共焦点顕微鏡により、添加塩の種類によるmオーダーにおける凝集物の性状の違いが観察された。その画像解析から得られたフラクタル次元は、添加塩の濃度・種類によって異なる値を示した。また、添加塩濃度を変えることにより、Shihらの理論におけるstrong-link、weak-linkの両方のtypeの弾性挙動を示すゲルが得られることが確認された。いずれのゲルに関しても、画像から得られたフラクタル次元の値は弾性率の濃度依存性から得られたフラクタル次元と近い値となり、金属塩添加による弾性率の挙動の変化は凝集体のフラクタル構造の変化の結果として理解できることが示された。

第6章小角x線散乱法によるゲルの内部構造の解析

 前章までに用いた共焦点顕微鏡によって観察できるゲル中の凝集体のスケールはおよそ1m以上であり、タンパク質1分子の大きさよりはるかに大きい。本章では、種々の凝集条件において調製したBSAゲルに関して、小角x線散乱法法を用いて数nmから数十nmのスケールでのゲルの構造解析を行なった。pH7、無添加塩で調製したゲルには散乱曲線にピークが認められ、またPorod則(散乱体が表面のなめらかな球の場合、散乱強度が散乱ベクトルの-4乗に比例する)の成立が確認された。このことからこのゲルは複数のタンパク質分子が緻密に集合して形成されている球を構成単位として持つことが示唆された。一方、金属塩が添加された系では、無添加塩系と比較して、タンパク質分子は分子間に隙間の多い状態で集合していることが示唆された。各々のゲル中で見かけ上構成単位と見なせるスケールの大きさは、いずれも数十nm以上のオーダーであった。以上のことから、これらのゲル化過程においては、複数個のタンパク質分子から成る構成単位が集合してフラクタル構造を有する凝集体を形成することが示唆された。

 以上、タンパク質の凝集体はフラクタルであることを見出すと共に、そのゲルの弾性率の挙動はゲル内部の凝集体のフラクタル構造の反映であることを明らかにした。本研究で得られた知見は、今後タンパク質の凝集現象を系統的に理解、制御するための一助になると考えられる。

参考文献1)T.Hagiwara,H.Kumagai,and K.Nakamura,Biosci.Biotech.Biochem.,60,1757-1763(1996).2)T.Hagiwara,H.Kumagai,and K.Nakamura,Food Hydrocolloids,submitted.
審査要旨

 球状タンパク質溶液に対し加熱や酸添加などの操作を行うと、しばしばタンパク質の凝集が起こり、タンパク質濃度が高い場合にはゲルを生じることがある。これまでに、様々なタンパク質凝集ゲルに関して、弾性率などの巨視的な物性が、溶媒のpHや金属塩濃度などの凝集条件によって大きく左右されることが数多く報告されているが、その機構には不明な点が多い。こうしたゲルの巨視的物性の挙動は、タンパク質分子の集合体である凝集体の構造と密接な関係があることが予想され、ゲルの巨視的な物性の挙動を統一的に把握するためには、凝集体構造に及ぼす凝集条件の影響を調べた上で、凝集体構造と巨視的物性との関連を明らかにすることが必要であると考えられる。

 本論文は、加熱凝集等により生じるタンパク質の凝集体の構造をフラクタル理論により解析し、凝集体構造と巨視的物性の一つであるゲルの弾性率との関連について検討を行ったものである。論文は6章から成る。

 第1章では、フラクタルの理論に関して説明を行っている。フラクタルの概念、次に自然界において見られる代表的なフラクタルの例について解説している。更に、フラクタルな構造体を特徴付けるパラメーターであるフラクタル次元の算出法についても説明を行っている。

 第2章では、光散乱法を用いて、牛血清アルブミン(BSA)希簿溶液を加熱することにより生じた凝集体のフラクタル解析を行っている。その結果、希簿溶液系において、タンパク質表面荷電量を制御することにより、クラスタークラスター凝集モデルの典型例である拡散律速型および反応律速型の凝集体が生じることを明らかにした。

 第3章では、BSAの加熱凝集ゲルを用いて、ゲルに関するフラクタル構造の解析法を検討している。ゲルの単軸圧縮試験により求められた線型限界歪みおよび弾性率のBSA濃度依存性からShihらの理論に基づいて算出したゲル中の凝集体のフラクタル次元の値と、レーザー共焦点顕微鏡により得られるゲルの画像解析から求めたフラクタル次元の値はほぼ一致した。従って、このゲルの弾性率の挙動はゲル内部の凝集体のフラクタル構造の反映であることが確認された。更に、得られたフラクタル次元の値は、第2章において希薄系に関して求められた値より大きく、ゲル化過程においては、タンパク質凝集体の再構成等により希薄系とは異なるフラクタル構造が形成されることが示唆された。

 第4章では、第3章で確立した手法により各種食品タンパク質の凝集ゲルに関するフラクタル解析を行っている。その結果、-ラクトグロブリンの加熱凝集ゲル、グルコノ--ラクトン添加により調製した大豆タンパク質ゲル及びカゼインゲルなどの各試料に関してフラクタル次元が算出され、タンパク質の種類によらず凝集ゲルに関してフラクタルの概念が適用可能なことが示唆された。

 第5章では、BSAおよび-ラクトグロブリンの加熱凝集ゲルに関して、添加塩の種類がゲル内の凝集体構造およびゲルの弾性率の挙動に及ぼす影響についてフラクタルの観点から検討を行っている。共焦点顕微鏡により添加塩の種類によるmオーダーにおける凝集物の性状の違いが観察され、その画像解析から得られたフラクタル次元の値は添加塩の濃度・種類によって異なった。また、添加塩濃度を変えることにより、Shihらの理論におけるstrong-link、weak-linkの両方のタイプの弾性挙動を示すゲルが得られることが確認された。いずれのゲルに関しても、画像から得られたフラクタル次元の値は弾性率の濃度依存性から得られたフラクタル次元と近い値となり、金属塩添加による弾性率の挙動の変化は凝集体のフラクタル構造の変化の結果として理解できることが示された。

 第6章では、小角X線散乱法を用いて種々の条件で調製したBSAゲルに関して、前章までに用いた共焦点顕微鏡より小さいスケール(数nmから数十nm)でゲル内部構造解析を行っている。各々のゲル中には見かけ上数十nmオーダーの構成単位が存在することが示され、これらのゲル化過程では、複数個のタンパク質分子から成る数十nmのオーダーの構成単位が集合してフラクタル構造を有する凝集体を形成することが示唆された。

 以上、本研究はタンパク質の凝集体はフラクタルであることを見出すと共に、そのゲルの弾性率の挙動はゲル内部の凝集体のフラクタル構造の反映であることを明らかにし、その結果タンパク質の凝集現象を系統的に理解制御するうえでの新たな視点を用意するに至ったもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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