球状タンパク質溶液に対し加熱や酸添加などの操作を行うと、しばしばタンパク質の凝集が起こり、タンパク質濃度が高い場合にはゲルを生じることがある。これまでに、様々なタンパク質凝集ゲルに関して、弾性率などの巨視的な物性が、溶媒のpHや金属塩濃度などの凝集条件によって大きく左右されることが数多く報告されているが、その機構には不明な点が多い。こうしたゲルの巨視的物性の挙動は、タンパク質分子の集合体である凝集体の構造と密接な関係があることが予想され、ゲルの巨視的な物性の挙動を統一的に把握するためには、凝集体構造に及ぼす凝集条件の影響を調べた上で、凝集体構造と巨視的物性との関連を明らかにすることが必要であると考えられる。 本論文は、加熱凝集等により生じるタンパク質の凝集体の構造をフラクタル理論により解析し、凝集体構造と巨視的物性の一つであるゲルの弾性率との関連について検討を行ったものである。論文は6章から成る。 第1章では、フラクタルの理論に関して説明を行っている。フラクタルの概念、次に自然界において見られる代表的なフラクタルの例について解説している。更に、フラクタルな構造体を特徴付けるパラメーターであるフラクタル次元の算出法についても説明を行っている。 第2章では、光散乱法を用いて、牛血清アルブミン(BSA)希簿溶液を加熱することにより生じた凝集体のフラクタル解析を行っている。その結果、希簿溶液系において、タンパク質表面荷電量を制御することにより、クラスタークラスター凝集モデルの典型例である拡散律速型および反応律速型の凝集体が生じることを明らかにした。 第3章では、BSAの加熱凝集ゲルを用いて、ゲルに関するフラクタル構造の解析法を検討している。ゲルの単軸圧縮試験により求められた線型限界歪みおよび弾性率のBSA濃度依存性からShihらの理論に基づいて算出したゲル中の凝集体のフラクタル次元の値と、レーザー共焦点顕微鏡により得られるゲルの画像解析から求めたフラクタル次元の値はほぼ一致した。従って、このゲルの弾性率の挙動はゲル内部の凝集体のフラクタル構造の反映であることが確認された。更に、得られたフラクタル次元の値は、第2章において希薄系に関して求められた値より大きく、ゲル化過程においては、タンパク質凝集体の再構成等により希薄系とは異なるフラクタル構造が形成されることが示唆された。 第4章では、第3章で確立した手法により各種食品タンパク質の凝集ゲルに関するフラクタル解析を行っている。その結果、-ラクトグロブリンの加熱凝集ゲル、グルコノ--ラクトン添加により調製した大豆タンパク質ゲル及びカゼインゲルなどの各試料に関してフラクタル次元が算出され、タンパク質の種類によらず凝集ゲルに関してフラクタルの概念が適用可能なことが示唆された。 第5章では、BSAおよび-ラクトグロブリンの加熱凝集ゲルに関して、添加塩の種類がゲル内の凝集体構造およびゲルの弾性率の挙動に及ぼす影響についてフラクタルの観点から検討を行っている。共焦点顕微鏡により添加塩の種類によるmオーダーにおける凝集物の性状の違いが観察され、その画像解析から得られたフラクタル次元の値は添加塩の濃度・種類によって異なった。また、添加塩濃度を変えることにより、Shihらの理論におけるstrong-link、weak-linkの両方のタイプの弾性挙動を示すゲルが得られることが確認された。いずれのゲルに関しても、画像から得られたフラクタル次元の値は弾性率の濃度依存性から得られたフラクタル次元と近い値となり、金属塩添加による弾性率の挙動の変化は凝集体のフラクタル構造の変化の結果として理解できることが示された。 第6章では、小角X線散乱法を用いて種々の条件で調製したBSAゲルに関して、前章までに用いた共焦点顕微鏡より小さいスケール(数nmから数十nm)でゲル内部構造解析を行っている。各々のゲル中には見かけ上数十nmオーダーの構成単位が存在することが示され、これらのゲル化過程では、複数個のタンパク質分子から成る数十nmのオーダーの構成単位が集合してフラクタル構造を有する凝集体を形成することが示唆された。 以上、本研究はタンパク質の凝集体はフラクタルであることを見出すと共に、そのゲルの弾性率の挙動はゲル内部の凝集体のフラクタル構造の反映であることを明らかにし、その結果タンパク質の凝集現象を系統的に理解制御するうえでの新たな視点を用意するに至ったもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |