本論文は昆虫に関わる生物活性物質の有機合成研究に関するもので二章よりなる。 昆虫関連生物活性物質は生物学上非常に重要であるのと同時に、環境に悪影響を与えない新たな害虫防除法開発への利用という実用的見地からもその研究のさらなる発展が望まれている。そして、その研究においては、構造の確認から生物学的研究、実用化研究など研究の各段階で有機合成による天然物および類縁体のサンプル供給が欠かせず、そのような見地から著者は昆虫関連生物活性物質の合成研究を行った。 まず、序論で研究の背景と意義について概説した後、第一章では世界中に分布する、松を枯らす害虫であるマツモグリカイガラムシの雌が生産する誘因性の性フェロモン3種のラセミ、ジアステレオマー混合物(1、2、3)の簡便合成について述べている。 まず、対称な3級アリルアルコール4へのルイス酸の作用により生じたペンタジエニルカチオンとシアニドイオンとの反応を鍵段階として、3種のフェロモンの共通骨格をすべて有した、、、-不飽和ニトリル5を酢酸エチルより2工程で調製した。最後にアルキル金属の付加反応によりそれぞれのフェロモンに対応したアルキル基を導入し、3種のフェロモンを合成した。1、2については全3工程、3についてはニトリル5よりアルデヒド6を経由して全5工程という短工程での効率的合成に成功し、生物活性試験のための試料を供与することができた。 第二章では強力な昆虫摂食阻害物質であるアザジラクチンの合成研究について、前半部では全合成に利用できる形での右側部分の光学活性体合成について述べている。 ラセミ体のジケトン8のパン酵母還元を利用した光学分割により得られるヒドロキシケトン9を光学活性原料として合成を進め、ラクトン10の段階で再結晶により光学純度を向上させた。その後の段階でも再結晶による精製を行い、11においてほぼ100%eeであることを確認し、ラクトンの半還元、オゾン酸化によるアセタール部の構築を経て目的物である12の合成に成功した。ジケトン8より12段階、全収率約5%であった。さらに12より3種の右側部分類似化合物を光学的にほぼ純粋な形で合成し、生物活性試験に供した。その結果、右側部分単独では摂食阻害活性は低く、左側デカリン骨格部分も活性に大きな寄与をしていることが明らかになった。 第二章後半部においてはアザジラクチン左側デカリン骨格の合成研究について述べている。A環およびA、B環と縮合した5員環エーテル部は、既知のケトン16より6工程で調製した17に対してルイス酸触媒による分子内ディールスアルダー反応を行うことにより一挙に構築した。以後9工程を経て調製した、右側部分として12の代わりにシクロペンチル基を有する環化前駆体19に対して、水素化トリブチルスズを用いたラジカル環化を行い、立体選択的に環化体20を得た。アザジラクチンの左右をつなぐC-C結合の形成にはこれまでだれも成功しておらず、今回の右側部分に相当する置換基を有した形でのアザジラクチン左側デカリン骨格構築は非常に意義深い。 以上本論文は、昆虫関連生物活性物質の合成研究に関するものであり、著者はジエン骨格の効率的構築によるマツモグリカイガラムシ性フェロモンの簡便合成法の開発、パン酵母還元によるビシクロ系ジケトンの光学分割を利用しての昆虫摂食阻害物質アザジラクチン右側部分の光学活性体合成、構築困難なアザジラクチン左側デカリン骨格のラジカル環化による形成に成功した。また、合成した試料を生物活性試験に供することにより昆虫関連生物活性物質研究の発展へも寄与し、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |