下水汚泥を肥料として農業利用する場合は、重金属の土壌集積が大きな問題とされており、これに関してはこれまでにも多くの研究がなされ、多くの情報が集積されている。しかし、汚泥の農地利用に関しては別のいくつかの問題があり、汚泥のカリウム濃度が低いこともその一つである。有機質肥料として、汚泥を単独に施用する場合には、窒素、リン、微量元素は問題にならないが、カリウムの少ないことが問題となる。その意味で、汚泥由来のカリウムの土壌-植物系における挙動の解析は重要であり、カリウムをいかに汚泥に補充するかも実際農業上重要なこととなる。 下水汚泥を長期連用したとき、カリウム欠乏は確実に発生すると思われる。即ち、下水汚泥のカリウム含有量は0.2%程度であり、窒素が平均3%、リン酸が平均4%程度含有されているのと比較すると格段に少ない。汚泥を通常10アール当たり1-2トン施用すると、これに伴って農地に施用されるカリウムはK2Oで2-4kg程度でしかない。通常栽培される作物のカリウム含有量は1-2%であり、作物の生育量は10アール当たり1トン程度なので、1回の栽培当たり10アールの農地から10-20kgのK2Oを奪うことになる。年に2回栽培すると、年間20-40kgのK2Oが収奪され、汚泥からの添加は4-8kgとなり、バランスをみると農地10アールあたり、毎年12-36kgのK2Oがマイナスとなる。従って、汚泥を長期連用するといずれ可給態のカリウムが不足し、植物がカリウム欠乏になると予想される。しかし、汚泥施用にともなうカリウムの動態に関する研究は少なく、特に長期連用に伴うカリウム欠乏発生については殆ど報告がない。 ところが、本研究室で1978年から東京大学多摩農場において開始し、現在も継続している下水汚泥コンポストの長期連用試験圃場のオオムギに本年異常症状が発生した。本研究はこの異常症状の原因を究明し、それがカリウム欠乏であると判定し、最近、開発された顕微X線蛍光法を用いて新たな欠乏判定法を発見提案し、併せて、汚泥施用土壌でのカリウム養分の動態について解析を試みたものである。 このために、二つの実験を実施した。第一実験では汚泥長期連用圃場で発生したオオムギのカリウム欠乏様症状の原因解明のために、圃場土壌および栽培作物を採取し、カリウム等の分析を行った。第二実験では圃場から採取した土壌を用いて、ポットによるオオムギ栽培試験を行った。以下、第一実験および第二実験の計画についてより詳細に記し、得られた結論の要約をまとめて示す。 第一実験:汚泥長期連用圃場で発生したオオムギのカリウム欠乏様症状 多摩農場の長期連用試験圃場はAndosolといわれる火山灰性黒ボク土壌からなる。ここに、後述のF、D、S、Hの4実験区を設けて汚泥を施用しながら、1978年以来、年2回作物(夏作:トウモロコシ、冬作:オオムギ)の栽培を継続してきた。各区の面積は270m2(4.5m×60m)である。各区の処理内容は以下のようである。 F区:1978年実験開始後の初期の2年間は無肥料で作物栽培を実施し、以後、1980年より春と秋それぞれに化学肥料を1haあたりNとして240kg、P2O5として360kg、K2Oとして320kgを施用して、作物を栽培している。 D区:1978年夏から1980年まで、重金属含有量の高い千葉市の乾燥汚泥を施用したが、土壌の重金属濃度の急増のため、汚泥施用を停止して、以後、化学肥料をF区と同様に施用して、作物を栽培している。 S区:天童市の下水汚泥とオガクズの混合物コンポストを年に2回、春および秋に1978年より連続的に施用を継続しF区と同様に作物栽培を継続している。 H区:秋田市の下水汚泥とモミガラの混合物コンポストをS区と同様に施用し、作物栽培を継続している。 S区とH区の1995年秋に播種したオオムギに生育の停滞とネクロシスなどの症状の発生が1996年5月に観察された。これらの両区ではF区やD区に比較した場合、生育が停滞していることは古くから認められていたが、葉に顕著な症状が現れたのは本年が初めてであった。葉身の症状は白斑クロロシスと褐変ネクロシスの両者が同時に発生しており、新葉より特に古い葉身に顕著な症状が現れていた。このような外観からカリウム欠乏の発生が推定された。この推定を確認するために土壌の可溶性カリウムおよび全カリウム濃度の測定、植物体のカリウム含有量および顕微X線蛍光法による葉身内カリウム等無機元素の分布の解明を行った。顕微X線蛍光法では採取葉身にアイロンをあてて平たく延ばしつつ熱乾燥し、この乾燥葉身を試料として試料表面に10径程度に絞った一次X線ビームを照射し、局部的に発生する蛍光を分光し観察するもので、試料の比較的表面部分での元素分布を実用的には1mm程度の分解能で知ることが出来る。土壌の可溶性カリウムの抽出には1M酢酸アンモニウム液(pH4.8)を用い、乾燥土壌粉末1gあたり10mlの抽出液を添加、混合し、液相に抽出されるカリウム濃度を定量した。カリウムの分析には原子吸光分析法を用いた。全カリウムは土壌を硝酸-硫酸-過塩素酸混合液で処理分解後溶出されるカリウムを測定して、全カリウムとした。また、過去に採取し保存してあった、各区の土壌についてもカリウム濃度を測定し、土壌中カリウム濃度の経年変化を調べた。また、オオムギ収穫後、H区およびS区にカリウム肥料(塩加)をK2Oとして10アールあたり20kg宛施用して夏作のトウモロコシを栽培し、その生育状況について観察した。 第二実験:異常発生区の土壌を用いたオオムギのポット栽培試験 ポット試験ではF区、H区、S区から採取した土壌を500ml容ポットに充填し、窒素とリン酸を均一に添加混合し、ガラス室内でオオムギの栽培を行った。その際、H区とS区の土壌を充填したポットの半数のポットにはカリウムを塩化カリウムで、10アールあたりK2Oとして20kg相当を添加し、オオムギ栽培を行い、カリウムを添加しない他のポットやF区のポットと植物の生育状況について比較観察し、併せて、土壌および植物体カリウム含有量を第一実験同様に測定した。 結果:得られた結果は以下の5項目に要約される。 1)下水汚泥の長期連用試験では汚泥を施用したH区、S区で17年目にオオムギに明瞭な生育障害が現れたが、これは症状から、重金属集積による障害ではなくカリウム欠乏による障害の発生と推測された。このことはオオムギ収穫後の圃場にカリウム肥料を施用して、トウモロコシを栽培したところ、トウモロコシの生育は健全になり、F区のトウモロコシの生育とそれほど遜色が無くなったこと、ならびに、症状発生土壌を用いたポット試験の結果(後述)や植物試料のX線蛍光分析結果(後述)から確認された。このことは汚泥の長期連用ではカリウム欠乏の発生に対する対策が必要であることを示している。 2)カリウム欠乏の顕著な障害が現れたのは施用開始後17年目であったが、生育の低下は施用開始後遅くとも10年目から認められ、土壌の可溶性カリウム濃度は8年目から明瞭に低下していて、カリウム欠乏症状が明瞭に現れた17年目の土壌のカリウム濃度が特に低いということは見られなかった。16年目、即ち、前年にカルシウムを施用したことがカリウム欠乏をより顕著にしたものと推定された。 3)障害発生区のH区およびS区の土壌を用いたポット試験では、特にS区でH区よりも激しい障害が観察された。S区ではカリウム塩の添加によりオオムギの生育の顕著な回復が認められ、植物体内のカリウム濃度の上昇も認められた。これに対して、H区ではF区のオオムギと比較し生育は幾らか低下していたが、S区程ではなく、カリウム塩の添加による生育の回復も目立たなかった。これらのことはS区、H区ともにオオムギの生育低下はカリウム欠乏によると判定されるが、その程度はS区で顕著でH区では少ない、換言すれば、カリウム栄養の観点から見たとき、汚泥と混合する資材としてはモミガラのほうがオガクズより優れていることを示している。 4)F、S、Hの各区から採取したオオムギ葉のX線蛍光分析では,生育障害の発生したSおよびH区と健全なF区で相異が認められたのはカリウムの分布のみであった。即ち、障害発生植物体ではカリウムは新葉に多く、成熟葉や旧葉には顕著に少ないという様相を呈したが、健全なF区の植物体では新葉、成熟葉、旧葉の間にカリウムの存在量に大きな違いが認められなかった。このような分布の違いはカリウム欠乏症状の判定基準になりうると考えられた。 5)他の元素に関するX線蛍光分析では区間の違いは認められなかった。塩素はカルシウム同様に旧葉に多く、新葉に少ないという分布を示し、旧葉と新葉の間での分布に関しては、塩素がカリウムよりもカルシウムと同様な挙動を示すことが観察された。しかし、一枚の葉身内での分布に関してはまた異なった様相が見られた。即ち、葉身内に均一に分布する元素として、リン、硫黄、塩素があげられ、不均一で葉脈に多く分布する元素としてカルシウム、ケイ素があり、カリウムは中間的な分布を示した。 |