植物が栄養素の欠乏等の環境ストレスに対して適応する能力を持っていることを示す研究は多く、特に硫黄欠乏条件に応じてダイズ種子貯蔵タンパク質の組成が変化する現象については研究が進んでいる。ダイズでは栄養条件に対する個々の種子貯蔵タンパク質遺伝子の応答パターンは異なっており、このパターンはこれらの遺伝子を導入した形質転換シロイヌナズナにおいても保存されることが示されているが、その制御機構に関しては未だ不明の点が多い。 本研究は、植物の持つ環境適応性を遺伝子レベルで解明するためのモデルとして、硫酸欠乏条件に対するダイズ種子貯蔵タンパク質遺伝子の発現制御の分子機構の解明を試みたものである。特に遺伝子発現に影響を与える代謝産物を究明し、またこの遺伝子を導入した形質転換シロイヌナズナを用いて発現制御機構を解析した。 Chapter 1では窒素を含む化合物で、システイン合成の前駆体であるO-アセチル-L-セリン(OAS)に着目し、OAS量の測定について述べている。従来は測定不可能であつたOASを、HPLCを用いたアミノ酸分析法を応用して測定することに成功した。硫黄欠乏条件で培養したダイズ子葉中のOAS量をこの方法を用いて調べたところ、対照区と比較して約7倍に増加しており、硫黄欠乏条件でOAS量が増加することが示された。 Chapter 2ではOASによるダイズ貯蔵タンパク質の遺伝子発現制御について論じている。形質転換シロイヌナズナの未熟種子中のOAS含量を測定したところ、硫酸濃度に対する窒素濃度の比が高くなるとOAS含量が増加し、導入遺伝子の発現パターンも同じ傾向を示した。また滅菌したダイズ未熟子葉をOAS添加培養液に入れてin vitro培養し、子葉中のタンパク質をSDS-PAGEで分析することでOASによるサブユニット遺伝子発現への影響を調べたところ、OASの添加によりサブユニット量は増加し、またグリシニン量は減少した。これにより窒素量と硫黄量とのバランスがOAS濃度を変化させ、ダイズ種子貯蔵タンパク質遺伝子の発現を制御している事を明らかにした。 Chapter 3では、種子登熟中期に出るアブシジン酸(ABA)のダイズ種子貯蔵タンパク質の蓄積に対する影響をin vitro培養系を用いて調べている。培地中へのABA添加によりサブユニット量は増加し、グリシニン量は減少した。この時大豆未熟種子の中のOAS量は増加する反面、硫酸濃度は変化しないことから、ABAはOAS濃度を変化させ、さらにダイズ種子貯蔵タンパク質、またはアミノ酸、アルギニン濃度に影響を与えることが判明した。 Chapter 4ではOASと他の化合物のダイズ種子貯蔵タンパク質遺伝子の発現に対する影響を論じている。OASとメチオニンの共存もしくは非共存下でin vitro培餐を行い、培養子葉中のタンパク質組成の変化を調べたところ、OASとメチオニンは独立にダイズ種子貯蔵タンパク質を制御することが分かった。またシステインから作られる化合物グルタチオンがダイズ種子貯蔵タンパク質の蓄積に影響する要素の一つであることが明らかになった。 Chapter 5ではサブユニット遺伝子の発現に対するトランス因子SEF4の影響について述べている。サブユニットプロモーターのdeletion seriesを導入した形質転換シロイヌナズナを用いて硫黄欠乏の効果を調べたところ、SEF4結合部位を欠く形質転換体では発現量が抑制されており、また窒素濃度の減少による効果は硫黄欠乏の場合と同様であった。更にSEF4が結合できないように改変したプロモーターを導入した形質転換体では硫黄欠乏に対する応答が見られず、SEF4が硫黄欠乏に応答して転写活性を調節する因子であることを明らかにした。 Chapter 6ではエンハンサーを用いて種子以外の組織で強制発現させたサブユニットプロモーターの硫黄欠乏に対する応答を調べた。得られた形質転換体を通常条件と硫黄欠乏条件で水耕栽培し、地上部におけるGUS活性を調べたところ、エンハンサーのみを持つ形質転換体では硫黄欠乏によるGUS活性の増加が見られないのに対し、キメラ遺伝子を持つ形質転換体では硫黄欠乏で活性が明確に増加していた。従って種子だけでなくシロイヌナズナ地上部にもサブユニットの硫黄欠乏応答を制御する機構が存在し、遺伝子発現調節機構には共通性があることが判明した。 以上、本論文は硫黄欠乏条件からダイズ種子貯蔵タンパク質の発現に至る情報の流れを代謝レベルで解析したものである。さらに形質転換植物を用いて分子生物学的に制御因子を解明したことは、学術的にも応用面においても寄与する部分が少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。 |