内容要旨 | | 本研究では,半世紀以上の長期にわたって水文資料を蓄積している数少ない流域の中から,東京大学愛知演習林の白坂流域,東山流域,穴の宮流域の3流域と,岡山県にある森林総合研究所の竜の口山流域を選び出して,流域環境の変化が森林流域の流況に与える影響を明らかにした。 良好な森林の存在は,地域規模から地球規模に至るまで,その環境にさまざまな役割を果たしていることが認識されている。中でも,森林が水の量と質にとって良い影響をもたらすという期待は森林関係者だけではなく,一般の人々にも広範にある。従って,森林の環境が変化したとき,流域からの流出量がどう変わるかを把握することは極めて重要である。これまで森林と流出の関係は主として流域試験によって検討されてきた。 世界各地で多くの試験流域が設置された結果,(1)森林の洪水緩和機能は主に森林土壌の役割である。(2)森林を伐採すると,流出量が増える。従って,(3)森林は水を消費することが認識された。しかし,森林の変化は伐採などほとんど瞬間的なものが多く,長期的な変化を取り扱ったものは少ない。従って,森林の水資源涵養機能の評価はまだ十分とはいえない(第I章)。 第II章においては,解析した各試験流域の概況と気象状況を記述した。また,それぞれの試験流域での流量測定法も合わせて記述した。さらに,各流域の水文特性を整理し,その長期的変化特性を簡単に検討した。 その結果として,(1)年降水日数は年降水量と関係なく,ほぼ一定の範囲内にある。年降水量の総量は日降水量50mm以上の発生日数に大きく左右されている。すなわち,日降水量50mm以上の降水の発生頻度が多雨年と寡雨年の差を決めている。年降水日数,年損失量が,ともに年降水量に関係しないと言うことは,森林の状態によって,年降水量に関係なく流域特有の貯留,蒸発散作用を行っていることを示している。また,竜の口山流域では,愛知演習林の3流域に比べると,年降水量,年間降水日数とも少なく,気候の違いを示している, (2)愛知3流域の損失量は共に年降水量に大きく連動せず,穴の宮流域が白坂流域や東山流域と比べると,それぞれ242.3mm,166.8mm程度少ない。年代ごとの流出率を見ると,穴の宮流域は他の2流域よりやや高いが,その差が少しつつ縮小していることが認められた, (3)竜の口山流域では,1959年の南谷での山火事の影響で,それ以後,南谷の年流出量が増えた, 等が検出された。 第III章においては,流域内の裸地面積率の経年変化を把握するとともに,流域周辺の環境の経年的変化を分析することとした。長期間の水文資料には,流域植生の変化の影響と,地域規模の土地利用変化,植生変化の影響が含まれる。愛知演習林内に試験流域を設置してから約70年間の間に,各流域とも森林は回復し,閉鎖状態に至った。また,周辺の都市化が進むに連れ,流域周辺の環境は大きく変わった。そこで地域規模の土地利用変化を詳しく把握した。 愛知演習林の3流域の林相図,航空写真,地形図を用い,さらに実地調査を加えて,流域内の植生状況や裸地面積率,流域周辺の環境の経年的変化を検討した。その結果,流域内の植生の回復により,林相は良い方向に向かって変化していることが分かった。また,3流域のうち,白坂流域の林相は最も良好であることが確認された。その一方で,流域内の裸地面積率は年々減少傾向にあり,とくに穴の宮流域は他の2流域に比べると,30%から4%まで著しく減少した。また,地形図上での解析結果をみると,都市化により流域周辺の環境が大きく変わりつつあり,とくに穴の宮流域が,瀬戸市に近いため,2km範囲内では他の2流域と比べると著しく変化した。時間的に見ると,1954年(昭和29年)以後,開発面積率は約5%から35%まで増加し,都市化が急激に加速していることが示された。 第IV章においては,森林など流域の土地被覆の流況への影響(トレンド)を論じるには,その前に(1)流域の地形,地質と気候(平年の降水パターン)から定まる平均的流況,(2)年毎の降雨の影響が流況曲線にどうのように現れるか,を明らかにしておく必要がある。降雨に起因する流況の変化を除いた後に,明瞭に植生の変化の影響が他の要因から分離して検出できると考えられるからである。 平均的流況として,同じ花崗岩の地質に属する愛知3流域の流況曲線が極めて良く似ている。中古生層にある竜の口山流域の流況曲線は愛知3流域より,低水流量,渇水流量が1桁低くなっている。 次に,流域の流況が定義されると同様に雨況という概念も考えられるため,解析対象とする各流域の雨況曲線を分析した。愛知3流域の年降水量は岡山県の竜の口山流域より平均的多く,降水日数も30日前後多くなっていることが示され,10年雨況曲線の分析でも,その関係は変わらない。また,年降水量とN日目雨況の関係を検討し,白坂流域,竜の口山流域とも年降水量に影響を与える部分と影響しない部分が確認された。 第3に,各流域の流況曲線から得られた流況指標の年間での分布を調べた。結果として,渇水流量は愛知演習林3流域,竜の口山流域とも冬期に多く発生し,夏期に少なく分布している。35日目流量は,冬期に発生が少なく,夏期に発生頻度が多いことが示された。 第4に,年降水量と日流量の関係や雨況指標と流況指標の関係は,流域の場所による雨の降りかたの違いによってかなり大きく異なる。流況指標の2≦N≦10日までの日流量は,40日目雨量に,すなわち,まとまった雨の大きさに影響され,25≦N≦275日までの流況は年間降水量に関与する。275日目以後の日流量は,年間降水量とまとまった雨量の大きさの両者ともに関係がなく,雨が降ったあとの無降水期間の出現状況に関わると考えられる。しかしながら,これに関する具体的な決定指標は,ここでは検出されていない。今後の重要な研究課題の一つであろう。 第V章においては,森林流域の植生の変化が流出に与える影響を二つの観点から検討した。まず,竜の口山流域では山火事により植生が大きく変化したので,それが流況曲線にどう影響するかを検討した。結果は,山火事があった南谷では,蒸発散が少なくなった原因で,10年間にわたって年損失量に影響が生じた。その後植生の回復したため,南谷と北谷の年損失量の差が山火事の前に戻る傾向があった。流況曲線上では,35日目流量から275日目流量までが,大きい影響を受けていることが示された。 次に,愛知演習林の白坂,東山,穴の宮流域のデータを用いて,裸地が多く見られる荒廃した流域に森林が回復していく長期的変化を検討した。流況曲線上の第M日目流量を移動平均などの方法を用いて検討し,6日目流量より365日目流量までは,年降水量との相関が高いことが示された。年間の最大日流量は年降水量,年流出量ではなく,台風など個々の降雨の大きさに関係している。3流域の流況指標の長期的変化では,白坂,東山流域では35日目流量から185日目流量が,穴の宮流域では35日目流量が経年的に増加している結果が得られた。白坂流域では,第35日目流量は4.6mm/dayが60年間で1mm/day増加し,185日目流量は1.6mm/dayが60年間で0.2mm/day増加している。また東山流域もほぼ同様の結果が得られた。 本章での解析より森林が流出を平準化する効果は,まず洪水流量を減らし平水流量から低水流量附近までを増加させるところに現れ,年最低流量を含む渇水流量には流出の一様化による流量が増加する傾向と大きい蒸発散による流量が減少する傾向の両者が影響されると結論された。渇水流量が増減どちらに働くかは,降雨条件と流出特性との関係で一概には定まらないと考えられる。 |