学位論文要旨



No 112694
著者(漢字) 呉,建業
著者(英字)
著者(カナ) ウ,チェンイエ
標題(和) 台湾中部山地における針葉樹林の生態学的研究
標題(洋)
報告番号 112694
報告番号 甲12694
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1757号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 宝月,岱造
内容要旨

 東アジア・モンスーン湿潤気候帯の山岳地域における森林の垂直分布は,地域によって多少のちがいがあるものの,おおむね低地から森林限界に向かって,丘陵帯(亜熱帯・暖温帯)照葉樹林-山地帯(冷温帯)夏緑樹林-亜高山帯(寒温帯あるいは亜寒帯)針葉樹林と,森林相観が次第に変化することによって特徴づけられる。そのうち,低地部の照葉樹林については,日本から台湾,中国南西部,ヒマラヤ東部の山岳地域まで広範囲に発達し,主要構成種が属レベルで共通しているため,ほぼ同位的な帯として認められている。しかし,標高の上昇にともなって照葉樹林の上,すなわち冷温帯の森林垂直分布帯においては,夏緑樹林の代わりに針葉樹林が発達する例が多い。日本では,いわゆる「中間温帯林」あるいは夏緑樹林が発達するこの部分の森林帯においては,ヒマラヤでも地域によってさまざまな生活形の植物が混在した森林がみられる。一方,台湾ではこの森林帯においては,夏緑樹林が欠如して温帯性針葉樹林のみが広がっていることが顕著な特徴である。

 このような温帯性針葉樹林を含めた台湾山地の垂直森林帯の特質は古くから注目されてきた。本多(1912)は台湾における森林帯の垂直的配列について,低地は熱帯林,標高450〜1,800mは暖帯林,標高1,800〜3,000mは温帯常緑針葉樹林,標高3,000〜3,940mは寒帯林に分けられるとした。また,現在では標高2,000〜2,500mと2,500〜3,100mの範囲は,さらにそれぞれ温帯常緑広葉樹林上部と冷温帯Picea・Tsuga林に区分される場合もある。その他にも相観に基づき,フロラや森林帯について言及した報告などもいくつかみられるが,群落構造の解明や優占種の分布パターンに関する調査報告はほとんどなされていない。一方,日本をはじめとする東アジアの針葉樹林の研究資料が近年整備されてきたため,台湾における山地帯上部の針葉樹天然林の生態的特性およびその位置づけを解明できるようになった。そこで,こうした観点に立ち,台湾大学実験林沙里仙渓流域の上流部から山頂部にかけて存在する針葉樹天然林の垂直分布とその特性を明らかにすることを目的として,種組成,群落構造,種多様性に注目して解析を行なった。さらに,既存資料との比較検討を通じて,台湾の針葉樹林の東アジア地域における位置づけに関する考察を試みた。

 調査は,台湾最高峰の玉山(標高3,952m)の北西斜面にある実験林33〜37林班に位置する針葉樹原生林を対象として行なった。標高は2,000〜3,700mである。調査した範囲では,標高2,000mの年平均気温13.0℃,暖かさの指数(WI)は108℃・月であった。また,玉山北峰の3,850mでは年平均気温4.0℃,最寒月(1月)平均気温-1.5℃で,WIは9,9℃・月であった。

 群落構造の量的把握のため,ほぼ登山道に沿って視覚的に異なった組成・構造を有する林分,それぞれに調査プロット(5m×5mのコドラート20個を組み合わせたもの)一個ずつ,計15個を設置した。胸高直径(DBH)1cm以上のすべての立木の樹種名,DBH,樹高の測定を行なった。林床植生については全般にわたって優占度の高いものを記録した。各プロットについて,樹種ごとの胸高断面積合計(BA)を求め,優占構成種法を用いて各林分の優占種を決めた。各高度別にみた優占種の数は,1種のものから最高9種のものまであった。この優占種の分布パターンをみると,調査地域の樹種フロラが大きく3群から構成されていることがわかった。すなわち,海抜高の低い2,000〜2,200mでは主にナガバシイノキ,ホソバタブ,カワカミガシ,ミヤマクスノキなどの常緑広葉樹種が優占していた。標高2,200mから2,450mまでは,上述した常緑樹種とタイワンハンノキ,シマウリハダカエデなどの落葉性先駆樹種のほか,針葉樹のベニヒ,ニイタカトウヒも含まれた。標高2,450m付近を境にして,その上部では針葉樹のニイタカトウヒ,タイワンツガ,ニイタカトドマツが主要な林冠木となっていた。したがって,これらのグループは相観的に異なる垂直分布帯として,低海抜地から高海抜地に向かって常緑広葉樹林→混交林→針葉樹林という配置になっているのが特徴であった。なお群落の多様性と出現種数は高度が上がるにつれて単調減少の傾向にあった。

 次に,これらの主要な森林群落の構造的な特性について述べると,常緑広葉樹林では,常緑樹種がRBA(相対優占度)の9割を占め,林冠層の高さは20m程度で,下層には高木種の稚樹が密生していた。針広混交林では,大径木として量的に多いのはベニヒ,ニイタカトウヒとタイワンハンノキで,小径木はすべてミヤマクスノキなどの常緑広葉樹よりなる。同混交林では上層木の落葉樹種の後継稚樹が欠如することから,同所的更新は難しいものと推定される。針葉樹林では針葉樹種は樹高,BAの値がともに他の生活形より著しく高い値を占め,優占林型は海抜高の低いほうからニイタカトウヒ林→タイワンツガ林→ニイタカトドマツ林の順に配列し,森林限界の3,600m付近からはニイタカビャクシンの低木林になった。ニイタカトウヒ林ではDBH20cm以上のものはほとんどニイタカトウヒであり,DBH20cm以下の小径木の大多数は広葉樹で,ニイタカトウヒもわずかにみられた。これは天然林内でニイタカトウヒの稚樹の定着・生育が困難なことを意味すると考えられる。タイワンツガ林においては,単純な優占樹種からなり,中・下層に後継個体もみられるが,ヒサカキ類やニイタカヤダケなどがとくに多いことが特徴的であった。ニイタカトドマツ林の直径分布は,小径木ほど個体数の多いL字型に近いパターンであったが,ニイタカトウヒ林に比べ連続的な分布を示した。これらのことからタイワンツガとニイタカトドマツ2種が同所的更新を行っている可能性が示唆される。また全域における最大樹高45m,最大DBH280cmの個体はともに標高2,600m付近のニイタカトウヒ・タイワンツガ林にあったことから,針葉樹群落においてその林が比較的安定した個体群構成をもつことがわかった。

 そのニイタカトウヒ・タイワンツガ林の植生概観を得るために,標高2,400mから2,900mまで,四分法を用いて標高差ほぼ100mの間隔で調査を行なった。計24個の調査林分について,その中の主要樹種の標高傾度上におけるIP.(Importance Percentage)変化を加えて検討したところ,ニイタカトウヒはいずれの標高にも出現し,しかも相対的に高いIP.値を示すことがわかった。タイワンツガも広い範囲にわたって分布していたが,とくに高標高域の高木層において最も優占していた。ベニヒは,低・中標高域に集中的に分布し,そのIP.値は高度の増加に伴って急激に減少した。したがって,標高2,500m前後を境に低標高域は針広混交林で,高標高域はニイタカトウヒ,タイワンツガを主体とした温帯性針葉樹林帯を形成した。後者の下層はほとんど低木性常緑広葉樹あるいはニイタカヤダケに占められていた。

 以上の調査結果をふまえ,本研究では,台湾中部山地における一つの山の同一斜面上で,低海抜地から高海抜地に向かって常緑広葉樹林→混交林→ニイタカトウヒ林→タイワンツガ林→ニイタカトドマツ林→ニイタカビャクシン低木林という配列になっている垂直植生帯の変化を確認し,さらにその中の優占種の分布様式を明らかにした。一方,このような森林の垂直分布帯の特徴をWIによってみると,常緑広葉樹林帯の上限とされるWI85℃・月の線は調査地の標高2,400m付近にあたり,現実の森林分布とかなりよく一致した。しかし,この常緑広葉樹林の北限を決める制限要因として最寒月平均気温-1℃をみると,それは3,700m付近にあたり,現実の上限とほぼ1,300mずれている。日本では,富士山は両者がほぼ標高800m付近で一致しているが,屋久島では両者の間に120m程度の高度差があり,ほぼ同緯度の中国四川省峨眉山では両者の間に約400mの高度差があることから,低緯度の山岳ほど両者の差が広いことがわかった。しかし,さらに低緯度の亜熱帯・熱帯地方の山岳では,年間を通して温度の季節変化があまりなく,最寒月-1℃の等温線は森林限界のはるか上方にあるため,冬の低温が植物生長の制限にはならず,森林限界まですべて常緑広葉樹林となっている。以上のように,同じ常緑広葉樹林が分布する海抜を比較していくと,台湾付近でその夏の熱量(すなわち生育期間のWI)と冬の低温という二つの温度条件の指標差が急に変化することがわかる。つまり,赤道付近低緯度のスマトラのケリンチ山から北ボルネオのキナバル山を経て台湾玉山までは森林限界では常緑広葉樹林の分布が可能となるが,ここ以北の高緯度に向かうにつれて温度の季節変化が大きくなり,冬の低温が次第に厳しくなり,それに耐えしのげる樹木は生活形を変え,常緑広葉樹の高木から低木へ,または葉を落としたり耐凍性を高めたりする樹種にとって代わられる。たまたま台湾の場合には4,000mに近い高山があり,落葉広葉樹が優占しても更新困難のため,調査地域にみられるような山地帯から山頂部へ向かって上層針葉樹,下層常緑広葉樹という独特な森林群落が広範囲に成立したと考えられる。

審査要旨

 日本の温帯林は、ブナ、ミズナラ、カエデなどによって代表される落葉広葉樹が一般的であるが、なかにはツガやヒノキなどの温帯性針葉樹林が優占する地域も少なくない。東アジアモンスーン気候帯に位置する台湾山地の温帯性針葉樹林は、面積的にも林相美においても他に類するものがなくいままでも学術的に注目されてきたが、天然林の群落構造や優占種の分布域に関する研究はほとんどなされていない。そこで、本論文は、台湾山地沙里仙渓流域に存在する温帯性針葉樹林の特徴について、東アジアモンスーン地帯の他の温帯林と比較して、生態学的に明らかにした。

 玉山(標高3,952m)の北西斜面、標高2,000〜3,700mに位置する針葉樹天然林は、暖かさの指数が108℃・月〜9.9℃・月で、標高傾度によって3つの異なった優占種の分布パターンに区分される。標高2,000〜2,200mの低標高域ではナガバシイノキ、ホソバタブ、カワカミガシ、ミヤマクスノキなどの常緑広葉樹が優占し、標高2,200〜2,450mの中標高域では低標高域の常緑広葉樹に加えてシマウリハダカエデ、タイワンハンノキなどの落葉広葉樹とベニヒ、ニイタカトウヒの針葉樹が混成して針広混交林の様相を呈し、標高2,450mからの高標高域ではニイタカトウヒ、タイワンツガ、ニイタカトドマツが林冠層で優占して温帯性針葉樹林を形成している。これらの森林帯は相観的には低海抜地から高海抜地に向かって、常緑広葉樹林、針広混交林、針葉樹林という配置になっていて、出現種数は標高が上がるにつれて単調減少の傾向であった。

 これらの主要群落の構造的な特徴は、常緑広葉樹林では常緑樹種が相対優占度の9割を占め、下層には高木層の稚樹が密生していた。針広混交林では、大径木はベニヒ、ニイタカトウヒ、タイワンハンノキが量的に多く、小径木はすべてミヤマクスノキなどの常緑広葉樹であった。混交林の下層には上層木の後継稚樹が欠如することから、同所的更新は難しいものと推定された。針葉樹林では、針葉樹は樹高、相対優占度ともに他より著しく高く、優占種は海抜が上昇するにしたがってニイタカトウヒ、タイワンツガ、ニイタカトドマツの順に配列し、森林限界の3,600m付近からはニイタカビャクシンの低木林となった。

 針葉樹林の個体群構成についてみると、ニイタカトウヒ林内では小径木の大多数は広葉樹であることから、ニイタカトウヒ稚樹の定着・生育が困難なことが推測された。タイワンツガ林では、中・下層に後継個体も見られるが、ヒサカキ類やニイタカヤダケなどがとくに多いことが特徴的である。ニイタカトドマツ林は、林分内のDBHの頻度分布は小径木ほど個体数の多いL字型に近いパターンを示した。これらのことから、タイワンツガとニイタカトドマツの2種が同所的更新を行っているものと考えられた。

 ニイタカトウヒとタイワンツガ林の植生概観を得るために、標高差ほぼ100mの間隔で主要樹種のI.P.(Importance Percentage)について検討した結果、ニイタカトウヒはいずれの標高にも出現し相対的に高いI.P.値を示し、タイワンツガは広い範囲にわたって分布しとくに高標高域の高木層において最も優占し、ベニヒは低・中標高域に集中的に分布し、I.P.値は標高が上昇するに伴って急激に減少することが明らかにされた。

 以上の結果から、台湾中部山地の同一斜面上では、低海抜域から高海抜域に向かって常緑広葉樹林→針広混交林→ニイタカトウヒ林→タイワンツガ林→ニイタカトドマツ林→ニイタカビャクシン低木林という垂直植生帯の変化が確認され、標高2,500m前後を境として、ニイタカトウヒ、タイワンツガを主体とした温帯性針葉樹林が形成されていることが明らかにされた。このような台湾中部山地における森林の垂直分布の特徴を、同じ常緑広葉樹林が分布する東アジアモンスーン地帯の森林帯と比較していくと、台湾付近でその夏の熱量と冬の低温という2つの温度要因が急激に変化することが明らかにされた。

 以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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