学位論文要旨



No 112695
著者(漢字) 則定,真利子
著者(英字)
著者(カナ) ノリサダ,マリコ
標題(和) スギの成長にともなう葉の水分環境の変化とガス交換
標題(洋)
報告番号 112695
報告番号 甲12695
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1758号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 助教授 鈴木,雅一
 東京大学 助教授 丹下,健
内容要旨

 木本類は、形成層の内側が木質化するために支持機構が発達しており、草本類に比べてはるかに高さが高くなるという特質がある。樹高が高くなると、根から葉までの通水経路が長くなるために経路全体の通水低抗が大きくなり、また樹冠を構成する葉の位置が高くなるために葉の水の重力ポテンシャルが高くなる。根と葉の間の水ポテンシャルの勾配が駆動力となって樹液が上昇するため、樹高が高くなる結果として、根から葉に水が流れるのにより大きな水ポテンシャルの低下が必要となり、葉が水ポテンシャルの低い状態になる。樹高の増大によって葉の水分環境が乾燥した環境へと変化するといえる。

 樹木の成長は生育環境の影響を受け、尾根などのように水分供給量が制限要因となるところで生育すると、沢地に生育する場合に比べて低い樹高でとどまることが観察されている。このことは、それぞれの環境で達しうる樹高に対する実際の樹高の相対的な大きさを環境飽和度とすると、樹高そのものが増大することに加えて、環境飽和度が増大していくことも、成長にともなって樹木の生理状態が変化する要因となることを示唆している。

 葉への水の供給が不足すると葉の気孔が閉じて光合成速度が減少することが多くの種で知られていることから、樹高の増大や環境飽和度の増大による葉の水分環境の変化によって葉の気孔開度や光合成速度も変化している可能性がある。

 本研究では、日本の主要な造林樹種であるスギの造林木を対象に、まず葉の水分環境が樹高や環境飽和度の増大にともなってどのように変化するかを調べた。さらに、葉の水分環境の変化が、気孔開度や光合成という葉のガス交換特性におよぼす影響を調べた。

 樹高成長量を環境飽和度の指標として供試木を選んだ。樹高が高いが環境飽和に達していない「高樹高木」(樹高:約30m、年樹高成長量:約30cm)と樹高が低い段階で環境飽和に達した「飽和樹高木」(樹高:約16m、年樹高成長量:約5cm)、対照として樹高が低く環境飽和度が低い「若齢木」(樹高:約5m、年樹高成長量:約50cm)を供試木とし、自然状態の葉の水ポテンシャルと蒸散速度、光合成速度を計測した。蒸散速度と大気飽差から葉の気孔を通じたガス交換のしやすさを表す気孔コンダクタンスを算出した。

 葉の水ポテンシャルが最も高くなる夜明け前の葉の水ポテンシャルを比較したところ、若齢木で最も高く、高樹高木で最も低かった。いずれの供試木でも日中の大気の乾燥によって葉の水ポテンシャルが低下したが、飽和樹高木では、高樹高木よりも水ポテンシャルが下がりやすく、日中の葉の水ポテンシャルは若齢木で最も高く、飽和樹高木で最も低かった。すなわち、高樹高木で葉の水ポテンシャルが恒常的に低く、飽和樹高木では日中の葉の水ポテンシャルが低下しやすいことが明らかになった。

 いずれの供試木についても、大気飽差が小さいほど気孔コンダクタンスが大きかったが、高樹高木や飽和樹高木では、若齢木に比べて大気飽差が小さいときの気孔コンダクタンスが小さかった。飽和樹高木のほうが高樹高木の葉よりも、大気飽差が小さいときの気孔コンダクタンスが大きかったが、大気飽差の増大にともなって急激に気孔コンダクタンスが減少した。高樹高木や飽和樹高木では、若齢木に比べて光合成速度が小さく、気孔コンダクタンスの増加に対する光合成速度の増加が小さかった。

 各供試木の葉を切り取り水差しして、一時的に水ポテンシャルを高くした状態でのガス交換を測定した。若齢木や高樹高木の葉を水差し状態にしても、自然状態の葉に比べて葉の気孔コンダクタンスや光合成速度は増加しなかった。一方、飽和樹高木の葉では、一時的な水ポテンシャルの上昇により若齢木の葉と同じ程度まで気孔が開き、光合成速度もやや増加した。これらの結果から、自然状態において、高樹高木で気孔コンダクタンスや光合成速度が小さいのは、その時々の葉の水分状態による一時的な影響によるものではないこと、また飽和樹高木では、その時々の葉の水分状態が気孔コンダクタンスや光合成速度の制限要因となっていることがわかった。

 葉を水ポテンシャルが恒常的に高い水分環境におくために、各供試木の新梢を苗木に接いで、その後に展開した葉のガス交換を測定した。その結果、いずれの供試木の葉についても母樹の葉に比べて気孔コンダクタンスが増加した。光合成速度については、若齢木の葉を接いだ場合は母樹の葉と比べて変化がなかったが、高樹高木と飽和樹高木の葉を接いだ場合では母樹の葉に比べて増加した。樹高の増大による葉の水分環境の乾燥化が、外気が湿っていても気孔コンダクタンスが小さくて光合成速度が小さいという葉のガス交換特性をもたらしたことが確かめられた。また飽和樹高木の葉を接いだ接ぎ木の葉では、母樹の葉を水差し状態にした場合よりも気孔コンダクタンスや光合成速度が大きかった。飽和樹高木の気孔コンダクタンスや光合成速度の減少は、その時々の葉の水分状態による一時的な影響だけでなく、葉の水分環境の乾燥化による葉のガス交換特性の変化も原因となっていることが確かめられた。

 さらに高樹高木と飽和樹高木の葉での光合成の低下が気孔コンダクタンスの減少のみによるものなのか、あるいは光合成反応系の活性の低下も原因となっているのかを解析した。まず葉の周囲と葉内の二酸化炭素濃度から、気孔開度による光合成速度の低下の度合いを表す光合成の相対気孔制限を算出した。次いで若齢木と高樹高木について、自然状態の葉の葉内二酸化炭素濃度とクロロフィルあたりの光合成速度から、光合成反応系の活性の高さの指標となるカルボキシル化効率を求めた。高樹高木の葉は、若齢木の葉に比べてカルボキシル化効率が低く、光合成反応系の活性が低下していることが示された。高樹高木や飽和樹高木では、若齢木よりも全般的に気孔コンダクタンスが小さいために光合成の相対気孔制限が大きかった。いずれの供試木についても、気孔コンダクタンスが大きいほど光合成の相対気孔制限が小さかったが、高樹高木や飽和樹高木の葉では、気孔コンダクタンスの増加に対する光合成の相対気孔制限の減少が大きく、気孔コンダクタンスが大きいときには、若齢木の葉よりも光合成の相対気孔制限が小さかった。高樹高木の葉は、若齢木の葉に比べて光合成反応系の活性が低かったために気孔コンダクタンスが大きいときに光合成速度に対する気孔開度の影響が小さかったと考えられる。飽和樹高木でも、気孔コンダクタンスが大きいときの光合成速度が若齢木の葉に比べて小さかったことから、高樹高木の葉と同様に若齢木の葉に比べて光合成反応系の活性が低下していると考えられる。高樹高木の葉で、飽和樹高木の葉よりも気孔コンダクタンスが大きいときの光合成速度が小さかったことから、飽和樹高木の葉よりも光合成反応系の活性が低いことが示唆された。これらのことから、樹高の増大や環境飽和度の増大による葉の光合成の低下は、葉の気孔コンダクタンスの減少だけでなく光合成反応系の活性の低下も原因となっていることがわかった。また、樹高の増大は、環境飽和度の増大よりも光合成反応系のより大きな低下をもたらすことが示唆された。

 高樹高木や飽和樹高木の葉の光合成反応系の活性の低下が葉の水分環境の変化によってもたらされたものであるかどうかを調べるために、供試木の葉を水差し状態にした場合と苗木に接いだ場合とで気孔コンダクタンスが同じときの光合成速度を比較し、また接ぎ木の葉のカルボキシル化効率を調べた。その結果、高樹高木の葉を水差し状態にしても自然状態の葉に比べて気孔コンダクタンスが大きいときの光合成速度が増加しなかったが、苗木に接ぐと光合成速度が増加した。また高樹高木の葉では接ぎ木により光合成のカルボキシル化効率が高まり、光合成反応系の活性が高まったことが示された。飽和樹高木の葉でも、高樹高木の葉と同様に、水差し状態にしても気孔コンダクタンスが大きいときの光合成速度が増加せず、接ぎ木をすると増加した。このことは、飽和樹高木の葉でも、光合成反応系の活性が水差し状態によって変化せず、接ぎ木によって高まったことを示唆している。これらのことから、樹高の増大や環境飽和度の増大による葉の光合成反応系の活性の低下は、その時々の葉の水分状態の一時的な影響によるものではなく、葉が乾燥した水分環境におかれるようになったためであることが確かめられた。

 従来、樹木の葉のガス交換の環境応答や樹種特性などに関する研究は苗木を対象としていたが、樹木の特質である個体の巨大化が葉のガス交換に与えうる影響について実際に調べた本研究により、樹高が高い木や環境飽和度が高い木の葉は、樹高が低く環境飽和度の低い木の葉に比べて水ポテンシャルが低い水分環境にあり、その結果として気孔コンダクタンスが小さく光合成反応系の活性も低下しているために光合成速度が小さくなっていることがわかった。樹高の増大と環境飽和度の増大とでは、前者が恒常的な葉の水ポテンシャルの低下と気孔コンダクタンスの減少をもたらすのに対して、後者は日中の葉の水ポテンシャルの低下と葉の水ポテンシャルの低下による一時的な気孔コンダクタンスの減少をもたらすという違いがあった。今後、樹木の葉のガス交換特性に関する研究を進めるにあたっては個体の大きさや環境飽和度による影響を考慮する必要がある。

審査要旨

 樹木は、加齢に伴って個体サイズを増大させるという特性を持つ。日本の代表的造林樹種であるスギは、立地環境によっては50mを越す樹高に達する。樹高が高くなることは、根から葉までの通水経路が長くなり葉へ水が供給されにくくなることを意味する。本研究は、東京大学千葉演習林の樹高や樹齢の異なるスギ造林木を供試木として、水分生理学的な観点から、樹高が高くなることが葉の気孔反応や光合成などのガス交換特性に与える影響を実験的な手法を用いて明らかにしたものである。

 一日のうちで最も葉の水欠差が解消される夜明け前の葉の水ポテンシャルは、樹高が高いほど低く、日中の葉のポテンシャルは、樹高成長がほとんど止まっている供試木(樹高16m、以降、飽和樹高木)で最も低く、樹高が高く樹高成長が続いている供試木(樹高30m、高樹高木)、樹高が低く樹高成長の盛んな供試木(樹高5m、若齢木)の順であることを示した。葉の水分特性の測定から、高樹高木と飽和樹高木の葉は、幼齢木の葉よりも強い水ストレス条件下におかれているため、水ポテンシャルが低下しても葉の膨圧が維持されやすく、水ストレスに対する適応能力が高くなっていることを明らかにした。

 次に、自然状態での測定から、高樹高木や飽和樹高木の着生葉は、若齢木に比べて大気が湿っていて水分が失われにくい環境でも、また水ポテンシャルが高く水分状態が良好な生理状態でも気孔開度が小さく、また光合成速度も低いことを明らかにした。

 高樹高木と飽和樹高木の着生葉の気孔開度と光合成速度が低かったことが、それぞれの葉のおかれた水分環境の影響によるものかを明らかにするために、以下のように実験的に葉の水分環境を変えて測定した。

 まず、各供試木の葉を切り取り水差しして、一時的に葉の水ポテンシャルを高くしてガス交換を測定した。飽和樹高木の葉では、自然状態の着生葉に比べて気孔開度が増大するが、若齢木と高樹高木では変化がないこと、光合成速度も飽和樹高木のみ増加することを明らかにした。以上から、日中に起きる水ポテンシャルの低下の影響は、若齢木と高樹高木の着生葉で小さく、飽和樹高木の着生葉で気孔開度低下の原因となっていることを示した。

 次に、新梢を2年生苗(樹高:0.3m)に接ぎ木することによって、葉の恒常的な水分環境を改善し、接ぎ木後に展開した葉のガス交換を測定した。接ぎ木の葉の気孔開度は、それぞれの母樹の着生葉や水差しした葉よりも大きく、若齢本の接ぎ木の葉と変わらないこと、光合成速度は、若齢木の接ぎ木では変化しないが、高樹高木と飽和樹高木の接ぎ木では、母樹の着生葉や水差しした葉よりも大きく、若齢木の場合と変わらなくなることを明らかにした。以上のように接ぎ木の葉は、母樹によらず同様な気孔開度や光合成速度を示したことから、高樹高木や飽和樹高木の着生葉が示したガス交換特性は、それぞれの葉がおかれている水分環境の影響によって付与された特性であることを明らかにした。

 さらに、若齢木に比べて高樹高木や飽和樹高木の着生葉の光合成速度が小さかったことの原因について検討した。

 まず、気孔開度と光合成の気孔制限との関係をみた。高樹高木や飽和樹高木の着生葉では、若齢木の着生葉よりも頻繁に気孔閉鎖による炭酸ガスの取り込み制限が光合成速度の低下要因となっていることを示した。

 次いで、光合成の反応系の活性を評価するために、若齢木と高樹高木の着生葉及び接ぎ木の葉で、二酸化炭素濃度を100〜2,000ppmまで変えて光合成速度を測定し、二酸化炭素飽和光合成速度とカルボキシル化効率を求めた。二酸化炭素飽和光合成速度とカルボキシル化効率のいずれも、若齢木の場合には着生葉と接ぎ木の葉で差が見られないが、高樹高木の場合は、接ぎ木によって葉の恒常的な水分環境を改善すると増大することを示した。このことから、高樹高木の着生葉では、個体サイズの増大によって葉が水を得にくい水分環境にあることが光合成の反応系の活性低下を招き、それが光合成速度が小さいことの原因となっていることを明らかにした。

 本論文は、樹木が成長することによって、葉はより水を得にくい環境におかれ、その結果、気孔開度や光合成速度の低下が起こることを実験的な手法を用いて初めて明確に示したものであり、長寿命・巨大化という特性を持つ樹木の生理的特性を解明していく上で貴重な知見を与えるものである。また、近年、森林の持つ様々な機能に対する要請が高まっており、それぞれの機能に応じた森林の効率的な取り扱い方法を開発していく上でも、大いに貢献すると思われる。

 以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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