学位論文要旨



No 112701
著者(漢字) 佐藤,成美
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ナルミ
標題(和) 魚類の成熟促進のための新しいホルモン投与法の開発
標題(洋) Development of a novel method of hormone administration for inducing maturation in fish
報告番号 112701
報告番号 甲12701
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1764号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 助教授 小林,牧人
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 魚類の生殖現象は、日長や水温などの外部環境要因と生理的要因、特に内分泌要因によって調節されている。最近、飼育環境下で自然産卵を行なう魚種が増えているが、いまだ飼育環境下では産卵しない魚種も多い。これらの魚種では、生殖腺刺激ホルモン(GtH)やその他の生殖関連ホルモンを繰り返し投与することにより、成熟を促進し産卵誘発を行なわざるを得ない。飼育環境下で成熟が進行しない代表的な魚であるウナギでは、成熟を促進させるためにGtH水溶液の投与が毎週繰り返されている。しかしこうしたホルモンの水溶液投与では、投与されたホルモンは急速に血中に移行した後、消失する。この様な血中ホルモンの急激な変化は、自然産卵時にのみ見られ、成熟進行時には見られないことから、これが卵質の安定しない一因ではないかと懸念されている。このため、自然に近い形で成熟を促進するためのホルモン投与法の開発が望まれている。

 本研究では、ホルモン投与剤として乳化性を有するリポイル化ゼラチン(LG)を用いたエマルジョンに着目し、LGの簡便な調製法を開発するとともに、至適乳化条件を検討した。また、LGエマルジョンに包含させたサケ生殖腺刺激ホルモン(sGtH)とステロイドホルモンである17ヒドロキシプロゲステロン(17P)の放出特性を調べた。さらに、LGエマルジョンを用いて未熟な雌ウナギにsGtHを投与し成熟促進効果を検討した。最後に卵黄蓄積が完了した個体にsGtHと17Pを同時に包含させたLGエマルジョンを投与して排卵・産卵の誘発を試みた。

(1)投与基剤としてのLGエマルジョンの開発(1)LGの作製

 ゼラチンに脂肪酸を付加させたLGは徐放性を示すことが知られているが、従来のLGの調製法は高コストで煩雑であった。そこで、マイクロ波を用いた低コストで簡便なLG調製法を考案した。ゼラチンに種々の直鎖脂肪酸(炭素数2〜22)を各々結合させ、乳化活性を比較した結果、パルミチン酸(C16:0)を付加させたLGの乳化性が最も優れていた。パルミチン酸を付加させたLGの分子量は2,000kDa以上であり、パルミチン酸の結合率は5mg/gであった。LGの終濃度を1、2、4%、生理食塩水と綿実油の比を2:1、1:1、1:2、1:3に変えてエマルジョンを作製し乳化活性とグルコース放出特性を比較した。乳化活性は顕微鏡観察によるエマルジョンの形態を指標に4段階に分けて評価した。放出特性は水溶性であるグルコースをLGエマルジョンに包含させて、透析膜に装填後、透析外液へのグルコース放出量を経時的に測定することにより調べた。その結果、LGを用いたエマルジョンの至適乳化条件は、LGの終濃度が2%、生理食塩水と綿実油の比が1:2であった。

(2)LGエマルジョンの特性

 水溶液のpHを2、3、5、7、9、11およびNaClの濃度を0、1、2、4%に変えてLGエマルジョンを調製し、静置法により乳化安定性を調べた結果、LGエマルジョンはpHやNaClによる影響を受けず安定であった。また、LGエマルジョンは、W/O/W(Water in Oil in Water)型多相エマルジョンであることが共焦点レーザースキャン顕微鏡による観察からわかった。W/O/W型のLGエマルジョンのグルコース放出特性をW/O型のフロイントの不完全アジュバントで調製したエマルジョン(FIAエマルジョン)及び水溶液と比べた。グルコースはLGエマルジョンからは10時間後までに約60%が放出されたが、水溶液からは2時間以内に95%以上が放出された。一方、FIAエマルジョンからは10時間後でもほとんど放出されなかった。また、10℃、20℃および30℃の各温度で、LGエマルジョンのグルコース放出特性を調べ、水溶液と比較した結果、温度の上昇に伴い水溶液からのグルコースの放出速度は上昇したがLGエマルジョンからのグルコース放出は温度が変化しても大きな変化を示さなかった。

(2)In vivoにおけるLGエマルジョンのホルモン放出特性(1)水溶性ホルモンであるsGtHの単独投与

 生体内でのLGエマルジョンのホルモン放出特性を明らかにするために、水溶性であるsGtH画分(5mg/kg体重)をLGエマルジョン、FIAエマルジョンおよび生理食塩水中にそれぞれ包含させて、未熟な養殖ウナギに投与し、経時的に血液中のsGTHIIの濃度をラジオイムノアッセイ(RIA)で測定した。LGエマルジョン投与群では血液中のsGTHIIの濃度は投与後12時間で最大(5g/ml)に達した後、徐々に減少した。水溶液投与群では血液中のsGtHII濃度は急速に上昇し、投与後3時間で最大値(20g/ml)を示し、その後、急速に減少した。FIAエマルジョン投与群では常に低レベル(0.7g/ml)であった。LGエマルジョンからの水溶性ホルモンの放出は、FIAエマルジョンや生理食塩水とは異なる中間的な変化を示した。

(2)脂溶性ホルモンである17Pの単独投与

 脂溶性の17P(2mg/kg体重)をLGエマルジョンおよび綿実油に包含させて未熟な養殖ウナギに投与し、経時的に血液中の17P濃度をRIAで測定した。綿実油による投与では、ホルモンの血中濃度は投与後30分〜1時間で最大値(300ng/ml)を示した後、急速に減少したが、LGエマルジョンによる投与では投与後6時間で最大値(200ng/ml)を示し、その後緩やかに減少した。この結果、LGエマルジョンでは脂溶性ホルモンの放出も、綿実油に比べて緩やかなことがわかった。

(3)水溶性ホルモンと脂溶性ホルモンの同時投与

 未熟な養殖ウナギにsGtH画分(2mg/kg体重)と17P(2mg/kg体重)を同時に包含させたLGエマルジョン、sGtH画分、17Pをそれぞれ包含させたLGエマルジョンを投与し、経時的に血液中のホルモン濃度を調べた。その結果、sGtH画分と17Pを同時にLGエマルジョン内に包含させて投与しても、単独に投与した時と変らず、血液中の各ホルモン濃度は緩やかに変化した。また、同様の実験を10℃、20℃および30℃でそれぞれ行った結果、水溶液や油による投与での血液中のホルモン濃度の変化は、温度が高くなるほど急激となったが、LGエマルジョンによる投与では、温度の影響は小さかった。

(3)LGエマルジョンを用いたホルモン投与による成熟促進・排卵誘発効果(1)ウナギにおける成熟促進効果

 sGtH画分をLGエマルジョン、FIAエマルジョン、生理食塩水中にそれぞれ包含させ、エストラジオール17(E2)により雌化処理した未熟なウナギ(体重566g〜1017g)に週1回、計10回投与(2mg/kg体重)し、成熟促進効果を比較した。毎週投与時に体重測定と採血を行なった。最終成熟の開始に伴うウナギの急激な体重増加は、LGエマルジョン投与群では全個体で9〜10週目にみられた。卵黄蓄積の促進、血液中のE2、テストステロン(T)、ビテロゲニン(Vg)濃度の増加も全個体で認められた。FIAエマルジョン投与群では、個体差が大きく、7週目で急激に体重が増加した個体が見られたが、未熟な個体もあった。卵黄蓄積が進行した個体では血液中のE2、T、Vg濃度が増加したが、卵黄蓄積の進まなかった個体では血液中のE2、T、Vg濃度の増加は見られず、投与したsGtHに対して抗体が産生されていることが確認された。sGtH水溶液投与群では一部の個体のみ9週目に体重増加が見られたが、その他の個体では、未熟な卵が多く見られ、血液中のE2、T濃度の大きな変化は見られなかった。この結果、LGエマルジョンによるホルモン投与では、他の投与法に比べて平均して成熟が促進されることが判明した。

(2)ホルモン投与間隔の検討

 未熟な養殖雌ウナギ(体重438g〜886g)と海産下り雌ウナギ(体重366g〜557g)を用いて、LGエマルジョンに包含させたsGtH画分を毎週(2mg/kg体重)または隔週(4mg/kg体重)投与し、ホルモン投与間隔の検討を行った。毎週投与時に体重測定と採血を行なった。毎週投与群の養殖ウナギ(N=12)では10個体が9〜14週目に、海産下りウナギ(N=7)では6個体が5〜8週目に体重が急増し、これらの個体は最終成熟を開始していた。血液中のE2、T濃度の増加も見られた。隔週投与群では、養殖ウナギ、海産下りウナギともホルモンを投与した翌週には体重が増加し、その翌週には減少するという変動を示した。血液中のE2、T、sGtHII濃度も体重と同様の増減を繰り返した。養殖ウナギ(N=10)では4個体が12〜14週目に、海産下りウナギ(N=10)では4個体が8〜10週目に体重が急増した。毎週投与群では、体重や血液中のE2、T、sGtHII濃度に隔週投与群の様な変動は見られず、より短期間で最終成熟に至った。この結果、毎週投与の方が効果的に成熟が促進されることが判明した。

(3)血中性ホルモン濃度に及ぼすsGtH投与法の影響

 sGtH画分をホルモン放出特性の異なるLGエマルジョン、FIAエマルジョン、生理食塩水中にそれぞれ包含させ、雌化ウナギ(体重506g〜1065g)に週1回投与(2mg/kg体重)し、1、2及び8回目投与後、経時的に採血を行ない、血液中のE2、T、Vg濃度の変動を調べた。各投与群とも血液中のT、E2及びVg濃度は同様の変化を示したことから、sGtHの投与法の違いはE2、T、Vgの産生に大きく影響しないことがわかった。しかし、LG投与群では全個体とも、9〜10週後に最終成熟を開始したのに対し生理食塩水投与群では10〜14週後に最終成熟を開始した。FIAエマルジョン投与群では成熟の進まない個体が存在した。この様に血中性ホルモン濃度に差は見られなかったものの、成熟の促進効果には違いが見られたことから、投与法が異なることによる血中sGtHの動態の違いにより卵巣へのVg取り込みなどに差が生じている可能性も考えられる。

(4)最終成熟及び排卵誘発

 LGエマルジョンを用いてsGtH画分を繰り返し投与し、卵巣卵が核移動期に達した雌ウナギにsGtH画分(2mg/kg体重)と17P(2mg/kg体重)を同時に包含させたLGエマルジョンを投与し、最終成熟及び排卵誘発を試みた。この実験は養殖ウナギ雌(N=14、体重438g〜886g)、海産下りウナギ雌(N=11、体重366g〜557g)および雌化ウナギ(N=12、体重506g〜1065g)を用いて3回行った。その結果、全個体で排卵が誘発され、人工受精により孵化仔魚も得られた。また、海産下りウナギでは自然産卵も1例認められ、多数の孵化仔魚が得られた。

 以上、LGエマルジョンを用いた新たなホルモン投与法を確立し、この方法によりウナギの成熟や排卵が効率的に促進されることを明らかにした。本研究により得られた知見が今後、水産増養殖や魚類の生殖機構の解明に応用されることが期待される。

審査要旨

 魚類の生殖現象は、日長や水温などの外部環境要因と生理的要因、特に内分泌要因によって調節されている。最近、飼育環境下で自然産卵を行なう魚種が増えているが、いまだ飼育環境下では成熟・産卵をしない魚種も多い。これらの魚種では、生殖腺刺激ホルモン(GTH)やその他の生殖関連ホルモンを繰り返し投与することにより、成熟を促進し産卵誘発を行なわざるを得ない。これまでにいくつかのホルモン投与法が開発されているが、必ずしも充分な成果は得られていないのが現状である。そこで本研究では、ホルモン投与基剤として乳化性を有するリポイル化ゼラチン(LG)に着目し、新たなホルモン投与法を開発するとともに、ウナギにおいてその効果を検討した。本論文は3章から構成されている。

 第1章においては、ホルモン投与基剤としてのLGエマルジョンの開発を行っている。まず、種々の直鎖脂肪酸(炭素数2〜22)の中でパルミチン酸(C16:0)を付加させたLGの乳化性が最も優れており、至適乳化条件はLG水溶液と綿実油の比が1:2、LGの終濃度が2%であることを明らかにした。このLGエマルジョンは、W/O/W(Water in Oil in Water)型多相エマルジョンであった。LGエマルジョンからのグルコース放出特性をフロイントの不完全アジュバントで調製したエマルジョン(FIAエマルジョン:W/O型)及び水溶液と比べた結果、水溶液とFIAエマルジョンとの中間的な放出速度を示すことが判明した。また、LGエマルジョンからのグルコース放出速度は、水溶液とは異なり温度が変化しても大きな変化を示さないことも明らかにした。

 第2章では、ウナギを用いてLGエマルジョンのホルモン放出特性を調べた。まず、水溶性ホルモンであるサケ生殖腺刺激ホルモン(sGTH)をLGエマルジョン、FIAエマルジョンおよび生理食塩水中にそれぞれ包含させて、未熟な養殖ウナギに投与し、経時的に血液中のsGTHIIの濃度をラジオイムノアッセイ(RIA)で測定した。その結果、LGエマルジョンからは、FIAエマルジョンと水溶液との中間的な速度で水溶性ホルモンが放出されることがわかった。

 次に、脂溶性ホルモンである17-hydroxyprogesterone(17P)をLGエマルジョンおよび綿実油に包含させて未熟な養殖ウナギに投与し、経時的に血液中の濃度をRIAで測定した。この結果、LGエマルジョンでは脂溶性ホルモンの放出も綿実油に比べて緩やかなことがわかった。

 さらに、未熟な養殖ウナギにsGTHと17Pを同時に包含させたLGエマルジョン、sGTH、17Pをそれぞれ包含させたLGエマルジョンを投与し、経時的に血液中のホルモン濃度を調べた。その結果、sGTHと17Pを同時にLGエマルジョン内に包含させて投与しても、単独に投与した時と変らず、血液中の各ホルモン濃度は緩やかに変化した。また、同様の実験を10℃、20℃および30℃でそれぞれ行った結果、水溶液や油による投与に比して、LGエマルジョンによる投与では温度の影響は小さいことが判明した。

 第3章ではLGエマルジョンを用いてホルモンを投与しウナギに対する成熟促進・排卵誘発効果を調べた。sGTHをLGエマルジョン、FIAエマルジョン、生理食塩水中にそれぞれ包含させ、雌化処理した未熟なウナギ(体重566〜1,017g)に週1回、計10回投与(2mg/kg体重)し、成熟促進効果を比較したところ、LGエマルジョンによるホルモン投与では、他の投与法に比べて平均して成熟が促進されることが判明した。

 次に、未熟な養殖雌ウナギ(体重438〜886g)と海産下り雌ウナギ(体重366〜557g)を用いて、LGエマルジョンに包含させたsGTHを毎週(2mg/kg体重)または隔週(4mg/kg体重)投与し、ホルモン投与間隔の検討を行った。毎週投与群では、体重や血液中の性ホルモンとsGTHII濃度に隔週投与群の様な大きな変動は見られず、より短期間で最終成熟に至った。この結果、毎週投与の方が成熟促進には効果的であることが判明した。

 さらに、LGエマルジョンを用いてsGTHを繰り返し投与し、卵巣卵が核移動期に達した雌ウナギにsGTHと17Pを同時に包含させたLGエマルジョンを投与し、最終成熟及び排卵誘発を試みた。その結果、全個体で排卵が誘発され人工授精により孵化仔魚も多数得られた。

 以上、本論文はLGエマルジョンを用いた新たなホルモン投与法を開発するとともに、この方法によりウナギの成熟・排卵が効率的に促進されることを明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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