学位論文要旨



No 112703
著者(漢字) ウディン モハメッド ナイム
著者(英字)
著者(カナ) ウディン モハメッド ナイム
標題(和) 魚類病原細菌の発育とプロテアーゼ産生に対する温度の影響
標題(洋) Temperature effect on growth and protease production of bacterial fish pathogens
報告番号 112703
報告番号 甲12703
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1766号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 小川,和夫
内容要旨

 魚類が変温動物であるために、魚類の病気の推移は生活環境の温度の影響を強く受ける。養魚場のおける病気の発生に季節性がみられるのも、環境水温の変化によるところが大きいと考えられる。寄生性の病気においては、環境温度は魚側だけでなく、病原体側にも影響を及ぼす。これまでに数多くの魚類病原細菌が報告されており、それらの発育温度域は種類によって異なることが知られている。高い水温環境下で流行する病気の原因菌の発育温度域は低い水温環境下で流行する病気の原因菌のそれよりも高いのが通常である。しかし、原因菌の発育の最も良い温度が必ずしもそれによる病気が頻繁に発生したり、病勢の激しい温度条件ではない。一般的には、病気の流行し易い環境水温は、病原菌が最良の発育を示す温度よりも低い傾向にあることが知られている。しかし、このことを実証する実験的研究は殆どなく、詳細は不明のままである。そこで、本研究では先ず、これまでそれぞれ別個に測定され、報告されている種々の魚病細菌の発育温度を温度勾配培養装置を用いて、統一的に測定し、比較した。次に、好適発育温度の比較的高い魚病細菌の代表としてAeromonas hydrophilaを、また、低いものの代表としてCytophaga psychrophilaを選び、両菌種について主要病原因子の1つであるプロテアーゼの産生量と培養温度との関係を調べた。そして、発育至適温度とプロテアーゼ産生至適温度とをそれぞれの菌種について比較した。

1.主な魚病細菌の発育温度

 先ず、-80℃で凍結保存された主要魚病細菌の菌株をそれぞれ適当な液体培地で前培養した。つぎにL字試験管に18mlずつ分注された液体培地に1白金耳ずつ接種し、温度勾配培養装置(東洋、TN3)に掛けて振盪培養した。分光光度計(日立、U-2000)を用いて波長480nmで吸光度を計ることによって各試験管の菌の発育を時間を追って測定した。測定時間毎に培養温度に対する発育量(吸光度)をプロットし、ピークを示す温度を求めた。1つの菌株について実験を3回繰り返し、ピーク温度の平均値を発育至適温度とした。その結果得られたそれぞれの魚病細菌の発育至適温度は以下の通りであった。C.psychrophilaの2株は20.1℃と21.0℃、Flavobacterium branchiophilumの2株は24.1℃と24.4℃、コイの細菌性白雲症原因菌Pseudomonas sp.の2株は25.4℃と26.8℃、Aeromonas salmonicidaの3株は25.6℃と25.7と26.4℃、Vibrio ordaliiの1株は26.7℃、Pasteurella piscicidaの2株は27.2℃と27.8℃、Vibrio anguillarumの1株は28.2℃、Pseudomonas fluorescensの2株は28.2℃と29.5℃、アユの細菌性出血性腹水病原因菌Pseudomonas sp.の1株は29.2℃、Cytophaga columnarisの2株は29.4℃と29.5℃、Enterococcus seriolicidaの2株は30.0℃と30.7℃、A.hydrophilaの2株は33.0と33.4℃、Edwardsiella tardaの3株は35.5℃と36.5℃と36.5℃、Citrobacter freundiiの1株は36.4℃であった。すなわち、供試した魚病細菌の発育至適温度は菌種によって異なり、およそ20℃から37℃の範囲に分布していることが明らかになった。また、それぞれ菌種の発育至適温度は、これまでに報告されていた温度より多少高いものがいくつかあったが、概ねそれらに近い値であった。なお、C.psychrophila、C.columnaris、Pseudomonas sp.の3つの菌種を選んで、前培養の温度を変えて発育至適温度を求めてみたが、いずれの菌種においてもその影響は認められなかった。

2.A.hydrophilaのプロテアーゼ産生と温度の関係

 魚類由来のA.hydrophila 12株について培養温度とプロテアーゼ産生との関係を調べた。前節と同様に温度勾配培養装置で供試菌を培養し、発育量を吸光度で測定するとともに、培養上清中のプロテアーゼ量をMorihara(1963)に準じ測定した。すなわち、被検培養菌液の一部を1.5mlマイクロチューブに採り10,000xg、4℃、15分間遠心して得た培養上清に2%ハンマステンカゼイン溶液(0.1Mリン酸緩衝液、pH7.4)を1:1の割合で加え、37℃、20分間インキュベートした。続いて6倍量の0.1Mトリクロル酢酸を加え、8,000xg、10分間遠心して未消化カゼインを沈殿除去し、上清をBio-Rad DCタンパク定量キットにより測定した。なお、チロシン標準液で検量線を作成し、吸光度とチロシン量との比例関係を確認した。

 供試菌株の培養上清中のプロテアーゼは、菌の発育の対数期には殆ど検出されず、対数期を過ぎる頃から検出されるようになり、定常期に入ってから数時間後に最高値に達し、以後ほぼ一定の値を維持した。各培養温度における培養上清中のプロテアーゼの増加曲線は互いにほぼ平行したが、発育の至適温度において培養菌が定常期に入る18時間前後に温度間の差が最も明瞭に認められた。そこで、供試12菌株について培養を開始してから約18時間後の各培養温度に対するプロテアーゼ産生量をプロットし、ピークの温度を求めたところ26℃から30℃の範囲(平均27.3℃)にあった。一方、菌の発育量のピークは33℃から35℃の範囲(平均34.6℃)にあった。また、各菌株の発育のピークとプロテアーゼのピークの温度差は1℃から17℃であった。すなわち、A.hydorophilaのプロテアーゼ産生の至適温度は発育の至適温度よりも平均で7.3℃低いことが明らかとなった。また、至適温度における各菌株のプロテアーゼ量を比較したところ、菌株によりかなりの差のあることが分かった。

3.C.psychrophilaのプロテアーゼ産生と温度の関係

 前節で述べたようにA.hydorophilaの発育至適温度が33から35℃の比較的高温であることから、発育至適温度の低い魚病細菌について培養温度とプロテアーゼ産生の関係を調べることにした。供試菌としてサケ科魚類やアユの冷水病原因菌であるC.psychrophilaを6株選んだ。温度勾配培養装置で供試菌を培養し、発育量を吸光度で測定するとともに、培養上清中のプロテアーゼ量を測定した。予備試験においてプロテアーゼの測定をA.hydrophilaの場合と同じ方法で行ったが安定した値を得ることができなかった。そこで測定方法を変え、Sarath et al.(1989)の方法に依った。すなわち、被検培養菌液の一部を1.5mlマイクロチューブに採り10,000xg、4℃、15分間遠心して培養上清を得た後、その150lに2%アゾカゼイン溶液(0.1Mトリス塩酸緩衝液、pH7.2)を250l加え、25℃で4時間インキュベートした。続いて10%トリクロル酢酸を1.2ml加え、8,000xg、5分間遠心して未消化カゼインを沈殿除去した。上清1.2mlに1M水酸化ナトリウム液1.4mlを加えて発色させ、波長440nmで吸光度を測定した。なお、トリプシン標準液で検量線を作成し、吸光度とトリプシン量との比例関係を確認した。

 C.psychrophilaの培養上清中のプロテアーゼも、A.hydorophilaの場合と同様に菌の増殖の対数期には殆ど検出されず、対数期を過ぎる頃から検出されるようになり、定常期において一定量となった。供試6菌株の発育至適温度はいずれも19.5℃であり、発育至適温度付近では約56時間培養で定常期に入った。そこで約56時間培養後のプロテアーゼ産生量を各培養温度に対してプロットし、ピークの温度を求めたところ12.5℃から15.5℃の範囲(平均13.5℃)にあった。各菌株の発育のピークとプロテアーゼのピークの温度差は4℃から7℃であり、C.psychrophilaのプロテアーゼ産生の至適温度は発育の至適温度よりも平均で6.0℃低いことが明らかとなった。また至適温度における各菌株のプロテアーゼ量を比較したところ、菌株によりかなりの差のあることが分かった。

 以上、本研究は、多数知られている魚病細菌の中から発育至適温度が比較的高いA.hydorophilaと低いC.psychrophilaを選び、また、病原因子の代表としてプロテアーゼを選び、それらと温度との関係を比較検討したものである。その結果、病原菌の発育至適温度の高低に係わらず、プロテアーゼ産生の至適温度は発育至適温度よりも6-7℃も低いことが判明した。このことは、一般的に知られている「魚類の細菌感染症の流行し易い環境水温が、それらの原因細菌の発育至適温度よりもかなり低い」という事実と符号するものであり、プロテアーゼ以外の種々の魚病細菌病原因子にも当てはまるのではないかと推察される。

審査要旨

 魚類の病気の流行し易い環境水温は、一般に、病原菌が最良の発育を示す温度よりも低い傾向にあることが知られている。しかし、このことを実証する実験的研究は殆どなく、詳細は不明のままである。そこで、本研究では、先ず、種々の魚病細菌の発育温度を温度勾配培養装置を用いて、統一的に測定し、比較した。次に、好適発育温度の比較的高い魚病細菌の代表としてAeromonas hydrophilaを、また、低いものの代表としてCytophaga psychrophilaを選び、両菌種について主要病原因子の1つであるプロテアーゼの産生至適温度と菌体の発育至適温度の関係を明らかにすることを試みた。論文内容の概要は以下のとおりである。

1.主な魚病細菌の発育温度

 先ず-80℃で凍結保存された主要魚病細菌の菌株をそれぞれ適当な液体培地で前培養し、つぎにL型試験管に18mlずつ分注された液体倍地に1白金耳ずつ接種し、温度勾配培養装置(東洋、TN3)で振盪培養した。

 一定時間後の菌体発育量(吸光度)を培養温度に対してプロットし、ピークを示す温度を求めた。その結果、供試したC.psychrophila、Flavobacterium branchiophilum、コイの細菌性白雲症原因菌Pseudomonas sp.、Aeromonas salmonicida、Vibrio ordalii、Pasteurella piscicida、Vibrio anguillarum、Pseudomonas fluorescens、アユの細菌性出血性腹水病原因菌Pseudomonas sp.、Cytophaga columnaris、Enterococcus seriolicida、A.hydrophila、Edwardsiella tarda、Citrobacter freundiiの発育至適温度は菌種によって異なり、上記の順におよそ20℃から37℃の範囲に分布していることが明らかになった。まお、3つの菌種を選んで、前培養の温度を変えて発育至適温度を求めてみたが、いずれの菌種においてもその影響は認められなかった。

2.A.hydrophilaのプロテアーゼ産生と温度の関係

 魚類由来のA.hydrophila 12株について培養温度とプロテアーゼ産生との関係を調べた。前節と同様に温度勾配培養装置で供試菌を培養し、発育量を吸光度で測定するとともに、培養上清中のプロテアーゼ量をMorihara(1963)に準じ測定した。

 供試菌株の各培養温度における培養上清中のプロテアーゼの増加曲線は互いにほぼ平行したが、発育の至適温度において培養菌が定常期に入る18時間前後に温度間の差が最も明瞭に認められた。そこで、供試12菌株について培養を開始してから約18時間後の各培養温度に対するプロテアーゼ産生量をプロットし、ピークの温度を求めたところ26℃から30℃の範囲(平均27.3℃)にあった。一方、菌の発育量のピークは33℃から35℃の範囲(平均34.6℃)にあった。また、各菌株の発育のピークとプロテアーゼのピークの温度差は1℃から17℃であった。すなわち、A.hydrophilaのプロテアーゼ産生の至適温度は発育の至適温度よりも平均で7.3℃低いことが明らかになった。また、至適温度における各菌株のプロテアーゼ量を比較したところ、菌株によりかなりの差のあることが分かった。

3.C.psychrophilaのプロテアーゼ産生と温度の関係

 発育至適温度の低いC.psychrophila 6株について培養温度とプロテアーゼ産生の関係を調べた。Morihara(1963)の方法では安定した値を得ることができなかったので、プロテアーゼの測定はSarath et al.(1989)の方法によった。

 供試6菌株の発育至適温度はいずれも19.5℃であり、発育至適温度付近では約56時間培養で定常期に入った。そこで約56時間培養後のプロテアーゼ産生量を各培養温度に対してプロットし、ピークの温度を求めたところ12.5℃から15.5℃の範囲(平均13.5℃)にあった。各菌株の発育のピークとプロテアーゼのピークの温度差は4℃から7℃であり、C.psychrophilaのプロテアーゼ産生の至適温度は発育の至適温度よりも平均で6.0℃低いことが明らかとなった。また、至適温度における各菌株のプロテアーゼ量を比較したところ、菌株によりかなりの差のあることが分かった。

 以上、本研究は、魚類病原細菌の病原性における環境水温の役割の一端を明確にしたところに特徴があり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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