学位論文要旨



No 112708
著者(漢字) 山口,敦子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,アツコ
標題(和) ホシザメの系群識別に関する研究
標題(洋)
報告番号 112708
報告番号 甲12708
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1771号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷内,透
 東京大学 教授 沖山,宗雄
 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 松宮,義晴
 東海大学 教授 田中,彰
内容要旨

 ホシザメは沿岸の底曳網漁業などで漁獲され水産資源として利用されているにも関わらず,資源生物学的な情報は極めて乏しい.資源研究のためにまず必要なことは資源の変動単位である系群を明らかにすることである.各集団がある程度隔離されていれば,成長や繁殖などの生活史特性や形態には各系群の生息環境を反映した違いが現れてくるので,系群を識別することが可能となる.本論文ではホシザメの系群構造を解明するための第一歩として,日本周辺の7海域において主に底曳網により漁獲された合計1514個体(東京湾563,青森317,舞鶴144,下関147,台湾201,銚子99,宇和島43)の標本を用いてホシザメの生活史,形態,寄生虫の寄生率を明らかにし,その地理的変異に基づいて総合的に系群構造を考察した.

1.ホシザメの生活史

 この章では最も基礎的な情報となる生活史の特性値を東京湾,青森,舞鶴,下関,台湾について明らかにした.年齢査定には脊椎骨を用い,tを年齢,Ltをt歳時の体長(mm)としてvon Bertalanffyの成長式にあてはめた.海域によって特性値は様々であったが,5海域の一般的な生活史の概略は次のようであった.なお,ここで言う体長とは全長を指す.

 輪紋は年に1輪,概ね6〜8月の間に形成された.出生体長に雌雄差は見られないが,成長は一般に雌の方が良かった.雄の寿命は5〜9年,雌は9〜17年と推定された.

 どの海域も雄の方が早熟で,雄の成熟年齢は1〜7歳,雌は2〜7歳以上で,成熟体長は雄が550〜920mm,雌は580mm〜約1000mmであった.成熟個体の精巣は一般に冬に最大となり,夏にかけて減少した.ホシザメの繁殖様式は非胎盤型胎生で,右側の卵巣だけが終生機能する.卵巣卵は夏から秋には5mm以下の未熟な状態であるが,冬から徐々に大きくなり,翌年の春から夏にかけて20〜25mm前後になると,交尾・排卵・受精が行われると推定された.この時期に子宮内には受精卵が見られ,8〜9月に最小の胎仔が出現し,体長が200-350mmになる春から夏に出生すると推定された.妊娠期間は10ヶ月以上で,一旦成熟すると毎年あるいは一年以上の間隔で妊娠を繰り返した.一腹の胎仔数は1〜19で,母体長とともに増加した.雌の肝量指数(HSI)は多くの場合,妊娠初期から中期にかけて減少し,妊娠後期に卵巣が成熟を開始するのと同時に回復を始め,出産の頃には最大に達した.

 食性は甲殻類食で,空胃率は低く0〜5.3%であった.体重あたりの摂餌量は成長に伴い減少傾向を示した.なお,東京湾では生息する甲殻類の生物量も併せて調べた結果,巣穴に棲む種や遊泳力の弱い種を中心に底泥ごと丸呑みすることが明らかになった.

 東京湾,青森におけるホシザメの分布に関して若干の知見を得た.東京湾では少なくとも水温,餌,溶存酸素量が分布を決定する要因とはならず,周年湾口付近を中心とした南部に分布することがわかった.また,青森では場所により妊娠個体の分布に差が認められ,陸奥湾から津軽海峡以北での成熟段階別の回遊が示唆された.

2.生活史特性における地理的変異(1)成長における地理的変異

 輪紋の形成時期に海域差は認められなかった.

 成長式を以下に示す.

 東京湾 雄;Lt=1241(1-e-0.120(t+2.59)),雌;Lt=1341(1-e-0.113(t+2.55))

 青森 雄;Lt=1136(1-e-0.175(t+2.53)),雌;Lt=1455(1-e-0.100(t+3.45))

 舞鶴 雄;Lt=827(1-e-0.286(t+2.15)),雌;Lt=1188(1-e-0.137(t+2.88))

 下関 雄;Lt=1149(1-e-0.145(t+2.64)),雌;Lt=1143(1-e-0.154(t+2.47))

 台湾 雄;Lt=807(1-e-0.250(t+2.09)),雌;Lt=1082(1-e-0.134(t+2.75))

 0歳時の推定体長は台湾<東京湾<下関<舞鶴<青森の順で,雌雄とも既にこの時点で最高80-90mmの差があった.雄の成長は台湾が最も悪く,青森が最も良かった.3歳を越えると下関は舞鶴を上回り,東京湾は4歳を越えると舞鶴を上回った.東京湾の成長量は3歳以降最大となったが,0歳時の体長が小さかったため青森には及ばなかった.最高齢は台湾5歳,舞鶴・下関6歳,東京湾8歳,青森9歳と,青森の寿命が最も長い可能性が示唆された.実測最大体長は台湾707mm,舞鶴842mm,東京湾946mm,下関1040mm,青森1045mmであった.同様に,雌においても台湾の成長が最も悪かった.下関は初期に大きく成長し,3歳で舞鶴に並ぶと両者の成長はその後ほぼ等しくなった.青森の初期の成長量は台湾の次に少なかったが,0歳時の体長と7歳以降の成長量が最大であったため,各年齢時の体長は最大であった.東京湾は6歳を越えると舞鶴・下関を上回り、7歳までの成長量は最大であった.最高齢は台湾9歳、下関・東京湾10歳,舞鶴13歳,青森17歳であったが,下関・舞鶴よりも東京湾の方が高齢魚が多かった.実測最大体長は台湾865mm,下関1040mm,東京湾1070mm,舞鶴1162mm,青森1350mmであった。

(2)繁殖における地理的変異

 雄の成熟年齢は台湾が最小で,1歳で一部が成熟した.3歳では台湾,下関,舞鶴の大部分,東京湾のごく一部が成熟した.東京湾は5歳,青森は7歳になって全個体が成熟した.雌も台湾で2歳の一部が成熟したのが最も早く,5歳で台湾,下関,舞鶴の全個体が成熟した.東京湾は6歳で全個体が成熟したが,青森では6歳まで未熟個体が出現したので成熟年齢は最も高いと推定された.

 成熟体長も台湾が最小であった.雄では台湾・下関・舞鶴の全個体,東京湾の大部分が成熟した701〜800mmになって初めて青森の一部が成熟した.一方,雌は台湾の約半分が成熟した601〜700mmでは下関と舞鶴のごく一部が成熟し,801〜900mmでは台湾・下関・舞鶴の全個体,東京湾の大部分が成熟したが,青森には901〜1000mmまで未熟個体が出現した.以上から雌雄とも成熟年齢・体長は概ね台湾<下関=舞鶴<東京湾<青森の傾向があり,青森と台湾における年齢差は概ね3年,体長差は約300mmにも及ぶことが明らかとなった.

 青森の繁殖サイクルには他海域と異なる点が認められた.特定の交尾期を持たず,排卵・受精の時期が幅広く,妊娠に休止期があることである.一方,東京湾は胎仔の成長と性比に関して特異的で,他海域の成長が直線的であったのに対して,初期の成長量が大きかった.性比は6海域で1:1であったが,東京湾では有意に雄が多かった.出生体長は東京湾では200〜300mmと幅広く,台湾250mm,舞鶴・下関300mm,青森300〜350mmと青森が最大であった.一腹の胎仔数は,母体長が等しければ概ね東京湾<青森<下関=舞鶴<台湾の傾向が見られた.

(3)食性における地理的変異

 同一体長クラスの体重あたり摂餌量を比較すると台湾<下関=舞鶴<東京湾<青森の傾向があった.同じ甲殻類食でも分類群ごとに見ると,海域によって様々で胃内容物は海域独自の生物層を反映していると考えられた.食性の類似度は台湾と下関間で最も高く,それらと舞鶴間でも比較的高かったが、東京湾は他海域と最も類似度が低かった.成長に伴う食性の変化が明瞭に見られたのは東京湾だけで,青森は成長によって変化しなかった.東京湾においてのみ丸呑み型の食性である可能性が示唆されたが,他では押し潰し型の食性であると考えられた.

3.形態学的地理的変異(1)外部形態

 形態は全標本中からサブサンプリングし,外部形態16部位の計測と,単脊椎骨,尾鰭前脊椎骨,全脊椎骨の計数をした.正準判別分析には統計解析ハンドブックfor winを用いた.

 15部位に1つ以上の海域で雌雄差が認められた(ANCOVA).海域間で各部位と全長の関係を比較したところ,いくつかの海域は次の形態で特徴づけられた(ANCOVA);銚子産は臀鰭起部から最後部までの距離が最も短かった.下関産と舞鶴産は成長するほど胸鰭基底部後端から腹鰭起部までの距離が長くなり,その傾向は下関産の方が有意に大きかった.青森産は臀鰭基底後端から尾鰭下葉起部までが最も短かく,銚子産雌は鼻孔間の距離が最も短かった.東京湾産雌は下唇褶が最も長かった.

 正準判別分析による形態の海域差は有意であり,判別に最も寄与したのは雄は第1,第2背鰭基底間の距離,雌は下唇褶の長さであった.雄では青森,舞鶴,東京湾,銚子が,雌では東京湾,青森,宇和島が良く判別されたが,雌の下関と舞鶴は特に差が小さかった.正判別率は雄で70〜100%であった.雌では舞鶴,下関,台湾は50〜69%にとどまったが,その他は79〜92%であった.

(2)脊椎骨

 台湾の脊椎骨数は他海域よりも著しく少なく,青森は尾鰭前,全脊椎骨が他海域より有意に多かった(Mann-Whitney U-test).正準判別分析による脊椎骨の海域差は有意であり,最も判別に寄与したのは単脊椎骨であった.台湾と青森は明瞭に区別されたが(正判別率91%、70%),5つの海域間でも特に銚子-東京湾,宇和島-下関-舞鶴の差はそれぞれ小さかった(正判別率18%〜35%).

4.寄生虫の寄生率における地理的変異

 胆嚢に粘液胞子虫Ceratomyxa sp.(全海域),Chloromyxum sp.(台湾から青森の日本海側),胃に線虫(全海域),鼻孔と鰭にカイアシ類Perissopus oblongatus(舞鶴・東京湾),Sphyriidae sp.(東京湾)が確認された.生活史特性や形態などの多くの形質に差がなかった舞鶴と下関にはChloromyxum sp.と線虫の寄生率に有意差があった.しかし,寄生率は全体に低かった.条虫類については東京湾と青森の一部の個体で検討したところ,全ての個体に条虫が確認され,計8種のうち7種の寄生率に差が認められた.両海域は正準判別分析でも非常によく判別され,東京湾は100%の正判別率であった.ホシザメの系群識別に条虫類が有効である可能性が示唆された.

5.総合考察

 青森は生活史,形態,寄生率の多くの形質が特異的で津軽海峡以北で独立した系群を形成しているものと推定された.台湾は下関・舞鶴とは脊椎骨数でほぼ識別することができ,成長や成熟にも違いが認められたため,これらの間との交流は少ないものと推定された.東京湾も閉鎖的な内湾で独特の生活史を営んでおり,地理的に最も近い銚子とは形態や寄生率に差があるため別の系群であることが示唆された.日本海側の下関と舞鶴の雄には形態と成長に若干の違いが見られ,寄生率でもいくつか有意な差が認められたが,ほとんどの形質に差が見られず,別の系群であると考えるのに十分な証拠は得られなかった.宇和島については他海域と系群の異同を論ずるに足る証拠は得られなかった.本研究では遺伝学的に系群を識別する方法について検討するため,PCR-RFLP法により多くの制限酵素を用いて多型検出を試みたが,多型は検出されなかった.遺伝学的手法を多型が検出しにくい板鰓類に適用するためには別の方法を開発する必要がある.本研究により,ごく狭い範囲内でも生活史や形態には多くの地理的変異が存在することが明らかになり、系群構造解明のための第一歩として,日本周辺海域には少なくとも陸奥湾から津軽海峡以北,日本海側,太平洋側に2つ(東京湾,銚子),台湾に計5つ以上の系群が存在する可能性が示唆された.

審査要旨

 ホシザメは沿岸の底曳網漁業などで漁獲され水産資源として利用されているにも関わらず,資源生物学的な情報は極めて乏しい.本論文ではホシザメの系群構造を解明するための第一歩として,日本周辺の7海域におけるホシザメの生活史,形態,寄生虫の寄生率を明らかにし,その地理的変異に基づいて総合的に系群構造を考察した.

 第一章では,ホシザメの系群を調べることの重要性について述べた.

 第二章ではホシザメの生活史を明らかにした.概略は次のようであった.年輪は概ね6〜8月の間に形成された.成長は一般に雌の方が良く,雄の寿命は5〜9年,雌は9〜17年と推定され,どの海域も雄の方が早熟で,雄の成熟年齢は1〜7歳,雌は2〜7歳以上で,成熟体長は雄が550〜920mm,雌は580〜約1000mmであった.卵巣卵が20〜25mm前後に達する春から夏にかけて交尾・排卵・受精が行われ,10ヶ月以上後の春から夏に出産が行われた.一腹の胎仔数は1〜19で,母体長とともに増加した.食性は甲殻類食で,空胃率は0〜5.3%,体重あたりの摂餌量は成長に伴い減少傾向を示した.東京湾では周年湾口付近を中心とした南部に分布し,青森では陸奥湾から津軽海峡以北での成熟段階別の回遊が示唆された.

 第三章では生活史における地理的変異を明らかにした.輪紋の形成時期に海域差は認められなかった.各年齢時の体長は雌雄とも青森が最大で台湾が最小であることが判明し,寿命の海域差は非常に大きかった.雌雄とも成熟年齢・体長は概ね台湾<下関=舞鶴<東京湾<青森の傾向があり,青森と台湾における年齢差は概ね3年,体長差は約300mmにも及ぶことが示唆された.青森は特定の交尾期を持たず,妊娠に休止期があり,他海域と異なる繁殖サイクルであることが明らかとなった.東京湾は胎仔の成長と性比に関して特異的で,他海域の成長が直線的であったのに対して,初期の成長量が大きく,胎仔は有意に雄の方が多かった.出生体長は東京湾<台湾<舞鶴=下関<青森であった.一腹の胎仔数は,母体長が等しければ概ね東京湾<青森<下関=舞鶴<台湾の傾向が見られた.同一体長クラスの体重あたり摂餌量を比較すると台湾<下関=舞鶴<東京湾<青森の傾向があった.東京湾においてのみ丸呑み型の食性である可能性があるが,他では押し潰し型の食性であると推定された.

 第四章では形態における地理的変異を明らかにした.外部形態16部位の計測を行ったところ,15部位に1つ以上の海域で雌雄差が認められた.海域間で各部位と全長の関係を比較したところ,いくつかの海域は次の形態で特徴づけられた:銚子産は臀鰭起部から最後部までの距離が最も短かった;下関産と舞鶴産は成長するほど胸鰭基底部後端から腹鰭起部までの距離が長くなり,その傾向は下関産の方が有意に大きかった;青森産は臀鰭基底後端から尾鰭下葉起部までが最も短かく,銚子産雌は鼻孔間の距離が最も短かった;東京湾産雌は下唇褶が最も長かった.正準判別分析により,雄では青森,舞鶴,東京湾,銚子が,雌では東京湾,青森,宇和島が良く判別されたが,雌の下関と舞鶴は特に差が小さかった.台湾の脊椎骨数は他海域よりも著しく少なく,青森は尾鰭前および全脊椎骨が他海域より有意に多かった.正準判別分析により,台湾と青森は明瞭に区別されたが,他の海域間の差は小さいことが示された.

 第五章では,寄生虫に関する基礎的な情報を得るとともに寄生率の地理的変異を明らかにした.胆嚢に粘液胞子虫Ceratomyxa sp.,Chloromyxum sp.,胃にNematoda sp.,鼻孔と鰭にカイアシ類Perissopus oblongatus,Sphyriidae sp.を確認した.東京湾と青森の26個体に寄生していた条虫類の同定を行い,計8種のうち7種の寄生率に有意差を見出した.両海域は正準判別分析でよく判別され,ホシザメの系群識別に条虫類が有効であることが示唆された.

 第六章では遺伝学的に系群を識別する方法について検討するため,mtDNA-Dloop領域における地理的変異を調べた.PCR-RFLP法により多くの制限酵素を用いて多型検出を試みたが,多型は検出されなかった.遺伝学的手法を多型が検出しにくい板鰓類に適用するためには別の方法を開発する必要があることが明らかとなった.

 第七章では,各形質を総合して系群識別を試みた.日本周辺海域には少なくとも陸奥湾から津軽海峡以北,日本海側,東京湾,銚子,台湾に計5つ以上の系群が存在する可能性を示唆している.

 本論文では,これまで生活史に関する情報も限られていたホシザメの生活史を明らかにし,従来見られなかった生活史,形態,寄生率の地理的変異に基づいたホシザメの系群構造を解明し,各系群の特性値を明らかにした.サメ・エイ類の資源評価を行うための基礎として系群に関する新しい知見を得たことは学術上,応用上寄与するところが大である.よって,審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認める.

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