学位論文要旨



No 112709
著者(漢字) 吉浦,康壽
著者(英字)
著者(カナ) ヨシウラ,ヤストシ
標題(和) キンギョの生殖腺刺激ホルモンと受容体に関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 112709
報告番号 甲12709
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1772号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 助教授 小林,牧人
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 魚類においても、他の脊椎動物と同様、生殖活動は視床下部-下垂体-生殖腺からなる生殖内分泌系により調節されている。この中で下垂体で産生される生殖腺刺激ホルモン(GTH)は生殖腺の発達を調節する重要なホルモンである。従来魚類のGTHは1種類であると考えられていたが、近年サケ科魚類を始め数種の魚種において2種類のGTH、GTH-I[濾胞刺激ホルモン(FSH)様]およびGTH-II[黄体形成ホルモン(LH)様]が単離・同定され、魚類においても他の脊椎動物と同様に、2種類のGTHにより生殖活動が制御されていることが示唆された。しかし、魚類の2種類のGTHについては、これまで構造および物理化学的性質に関する研究が多く、これらの生理作用、合成・分泌調節機構などの詳細は明らかでない。また2種類のGTHの生理作用および作用機序を解明する上で、GTH受容体についてもGTHとともに解析することが重要であるが、魚類のGTH受容体は未だ単離されておらず、その構造および動態については不明である。近年発達した分子生物学的手法は、従来の手法では明らかにできなかった遺伝子レベルでの制御機構についての情報を提供するものであり、その活用により魚類の生殖内分泌調節機構の飛躍的解明が期待される。そこで本研究では、魚類のGTHとその受容体の遺伝子レベルでの制御機構を解明するための端緒として、キンギョをモデル魚に用い、まず2種類のGTH分子に共通な鎖および各ホルモンに特異的な鎖(GTH-I鎖およびGTH-II鎖)のcDNAをクローン化し、それら遺伝子の発現動態、転写調節を調べた。また、GTHと類似の構造を持つ同族の甲状腺刺激ホルモン(TSH)の鎖cDNAもクローン化し、GTHと併せて解析した。さらに、生殖腺からGTH受容体cDNAのクローン化を行い、その遺伝子発現についても検討した。

1)キンギョGTH・TSHcDNAのクローニング(1)キンギョ鎖cDNAのクローニング:

 キンギョ下垂体cDNAから鎖をコードする2種類のcDNAクローン(1、2)を得た。1、2はそれぞれアミノ酸117、118残基をコードしていた。相同性解析の結果、両鎖とも既知の魚類鎖と高い相同性(1、67-99%;2、63-97%)を示した。1には2に対して3塩基(アミノ酸1残基)の欠失が認められたが、両鎖間は、塩基配列およびアミノ酸配列で高い相同性(94%および96%)を示し、この2種類の鎖はアイソフォームと考えられた。さらに、キンギョゲノムDNAから1、2それぞれの遺伝子の一部をクローン化した。このことから、1個体のキンギョが2種類の鎖アイソフォーム遺伝子を持つことが明らかとなった。

(2)キンギョGTH-鎖cDNAのクローニング:

 2種類のGTH-鎖(I鎖およびII鎖)をコードするcDNAクローンを得た。I鎖cDNAはアミノ酸130残基、II鎖cDNAはアミノ酸140残基をコードしていた。II鎖のアミノ酸配列(シグナペプチドを除く)は、コイのGTH-II鎖と同一であった。一方、I鎖は既知の魚類GTH-I鎖とかなり異なっていたが、GTH-I鎖に特徴的な領域を保存していた。両鎖間では塩基配列で52%、アミノ酸配列で38%と相同性は低かった。また、GTH-I鎖、GTH-II鎖は、それぞれ哺乳類のFSH-鎖、LH-鎖に対して両鎖間よりも高い相同性を示し、構造上魚類のGTH分子が高等脊椎動物の2種類の分子に対応していると推察された。またキンギョ以外のコイ科魚類(コイ、ハクレン、ソウギョ、ゼブラフィシュ)のゲノムDNAに対してサザンブロット解析を行った結果、キンギョGTH-I鎖およびGTH-II鎖に対するシグナルが認められたことから、コイ科魚類におけるGTHの二元性が強く示唆された。

(3)キンギョTSH-鎖cDNAのクローニング:

 今回得られたGTH-鎖cDNAが、GTHと同族のTSHの鎖cDNAではないことを確認するため、キンギョTSHの鎖cDNAもクローン化し、キンギョGTH-I鎖、GTH-II鎖cDNAとの比較を行った。その結果、アミノ酸150残基をコードするTSH-鎖cDNAは既知の魚類TSH-鎖と49-67%の相同性を示したが、キンギョGTH-I鎖およびGTH-II鎖との相同性は26、28%と低い値であった。このことは、今回得られた2種類のGTH-鎖cDNAはTSH-鎖ではなく、いずれもGTH-鎖をコードするcDNAであることを示している。

2)キンギョGTH・TSH遺伝子の発現調節(1)2種類の鎖遺伝子の発現:

 1個体のゲノムDNA上に2種類の鎖遺伝子が存在するが、2種類の鎖(1、2)アイソフォーム遺伝子の発現調節は不明である。そこで、異なる性および成熟段階における2種類の鎖遺伝子の発現をRT-PCR法により個体レベルで調べた。その結果、雌雄および成熟度の違いに関係なく1が2に対して常に優勢に発現し、2の明瞭な発現は認められなかった。一方2も1同様、cDNAライブラリー中に存在することから実際に発現していると考えられるが、2がいかなる状況において発現するのかは現在のところ不明である。

(2)成熟度の違いによるGTH遺伝子の発現量の変動:

 キンギョにおけるGTHの二元性の生物学的意義を解明するための端緒として、異なる成熟段階(卵巣の発達が未熟、成熟途上、成熟、退縮)にある雌キンギョのGTH・TSH各鎖のmRNA量の変動をノーザンブロット法により調べた。その結果、鎖(1+2)、GTH-I鎖、GTH-II鎖のmRNA量は、未成熟期で最も低く、成熟段階が進むにつれて増加し、成熟期で最も高く、退縮期において再び低下した。一方TSH-鎖のmRNA量に顕著な差は見られなかった。このことからキンギョにおける生殖腺の発達の各段階においてGTH-IおよびGTH-IIの両方が関与していることが示唆された。

(3)性ステロイドによるGTH遺伝子の発現調節:

 一般に脊椎動物のGTH分泌は生殖腺由来の性ステロイドによって抑制される。本研究では、性ステロイドがGTH遺伝子の転写におよぼす影響を明らかにするため、卵巣除去および卵巣除去後に性ステロイド投与したキンギョのGTH・TSH各鎖のmRNA量の変化をノーザンブロット法により調べた。その結果、GTH-I鎖mRNA量は卵巣除去により増加し、その増加は性ステロイド投与により抑えられた。一方、鎖、GTH-II鎖、TSH-鎖のmRNA量に明瞭な変化は見られなかった。このことから、GTH-I鎖遺伝子のみが性ステロイドによる抑制的な転写調節を選択的に受け、鎖およびGTH-II鎖遺伝子とは異なる発現調節機構を持つことが示唆された。

3)キンギョGTH受容体cDNAクローニングとその遺伝子発現

 魚類のGTH受容体の構造および発現動態を明らかにするため、キンギョの生殖腺からGTH受容体のcDNAのクローン化を行い、水温上昇によるGTH受容体mRNAの変動を検討した。

 まず卵巣cDNAからPCR法によりキンギョGTH受容体cDNA断片を増幅した。このcDNA断片をプローブに用い、水温上昇(4℃から20℃)による精巣および卵巣のGTH受容体mRNA量の変動をノーザンブロット法により調べた。その結果、精巣では水温上昇後、GTH受容体mRNA量は徐々に増加し、26日目で4℃に比べ約2倍になった。一方、卵巣ではGTH受容体mRNA量の明瞭な変動は認められなかった。そこで、調べた中で最も強い発現が認められた水温上昇後26日目の精巣からキンギョGTH受容体の全長のクローニングを行った。その結果、アミノ酸756残基をコードし、ヒトのLH、FSH、TSH受容体とアミノ酸配列で44-57%の相同性を示すcDNAクローン(GGR33)が得られた。GGR33は7つの疎水性領域からなる細胞膜貫通ドメイン、GTH受容体の構造的な特徴である極めて長い細胞外ドメイン、短い細胞内ドメインを持っていた。このことから、GGR33は7回細胞膜を貫通するGタンパク質結合型受容体の1つであるGTH受容体であると判断した。しかしながら、GGR33がGTH-I、GTH-IIのいずれの受容体であるかを一次構造だけから判断することは不可能であるため、今後GGR33のリガンドの同定、さらに他のGTH/TSH受容体も単離・同定していくことが必要である。また、キンギョでは水温上昇により成熟が促進されることが知られているが、水温上昇による精巣のGTH受容体mRNA量の増加がみられたことから、精巣の発達において、GTHの分泌量の増加に加え、受容体の増加も関与している可能性が示唆された。

 以上、キンギョのGTH・TSHの各サブユニットcDNAをクローン化し、それらの一次構造を明らかにするとともに、それらの遺伝子発現動態および転写調節についての基礎的知見を得た。またGTH受容体の一次構造および遺伝子発現動態の一端も明らかにした。本研究は、今後魚類のGTHとその受容体の遺伝子レベルでの制御機構を解明する上で、重要な基盤となると考えられる。

審査要旨

 下垂体で産生される生殖腺刺激ホルモン(GTH)は生殖腺の発達を調節する重要なホルモンである。従来魚類のGTHは1種類であると考えられていたが、近年サケ科魚において2種類のGTH、GTHIおよびGTHIIが単離・同定されたことから、魚類でも2種類のGTHにより生殖活動が制御されていることがわかってきた。しかし、これらの2種類のGTHの生物学的意義についてはいまだ不明な点が多いのが現状である。コイ科魚は魚類の生殖内分泌学の研究モデルとして多用されているが、2種類のGTHの存在については明確な証拠はまだ得られていない。そこで本研究では、コイ科魚のキンギョを用い分子生物学的手法によりGTHの二元性を明らかにするとともに、その発現機構を調べ、さらに受容体遺伝子のクローニングを行った。本論文は3章より構成されている。

 第1章では、キンギョ下垂体から2種類のGTH、GTH IおよびGTH IIを構成する各鎖(両者に共通な鎖、各ホルモンに特異的なGTH I 鎖およびGTH II 鎖)をコードするcDNAをクローン化して、2種類のGTHの存在を遺伝子レベルで明らかにした。さらにキンギョ以外のコイ科魚数種のゲノムDNAに対してサザンブロット解析を行った結果、キンギョGTH I鎖およびGTH II 鎖に対するシグナルが認められたことから、これまで不明であったコイ科魚における2種類のGTHの存在が確認された。また、GTHと同族な甲状腺刺激ホルモン(TSH)をコードするcDNAもクローン化出来たことから、得られた2種類のGTH鎖cDNAがTSH鎖ではなく、いずれもGTH鎖をコードするcDNAであることを確認した。このようにキンギョにおける2種類のGTHのcDNAがクローン化されたことから遺伝子レベルでの制御機構について解析が可能となった。

 第2章では、魚類の2種類のGTHの生物学的意義を解明する端緒として、キンギョの生殖活動における2種類のGTH遺伝子の発現動態、転写調節を調べた。成熟度の違いにょるGTH遺伝子の発現量の変動を調べた結果、鎖、GTH I 鎖、GTH II 鎖遺伝子の発現量はともに、未成熟期で最も低く、成熟が進むにつれて増加し、成熟期で最も高く、退縮期において再び低下した。一方、TSH鎖のmRNA量に顕著な差は見られなかった。特にGTH I 鎖とGTH II 鎖遺伝子は生殖腺の発達とともに同期して急速に発現し、GTH IおよびGTH IIの両方が同時期に生殖腺の発達に関与していることが示唆された。さらに性ステロイドがGTH遺伝子の転写におよぼす影響を調べた結果、GTH I 鎖mRNA量は卵巣除去により増加し、その増加は性ステロイド投与により抑えられた。一方、鎖、GTH II 鎖、TSH鎖のmRNA量に明瞭な変化は見られなかった。このことから、GTH I 鎖遺伝子のみが性ステロイドによる抑制的な転写調節を選択的に受け、鎖およびGTH II 鎖遺伝子とは異なる発現調節機構を持つことが示唆された。

 2種類のGTHの生理作用および作用機序を解明する上で、GTH受容体についてもGTHとともに解析することが重要であるが、魚類のGTH受容体は未だ単離されておらず、その構造および発現動態については不明である。そこで第3章では、魚類のGTH受容体の一次構造および遺伝子の発現動態を明らかにするため、キンギョの生殖腺からGTH受容体のcDNAのクローン化を試みた。その結果、精巣からヒトのLH、FSH、TSH受容体とアミノ酸配列で44-57%の相同性を示すcDNAクローン(GGR33)を得た。このGGR33は生殖腺で発現が認めれることから、GTH受容体をコードするcDNAであると判断した。またキンギョでは水温上昇により成熟が促進されることが知られているが、水温上昇による精巣のGTH受容体mRNA量の増加がみられたことから、精巣の発達には、下垂体からのGTH分泌の増加に加え、受容体の増加も関与している可能性が示唆された。

 以上、本研究はコイ科魚において始めて、2種類のGTHの存在を証明し、それらの遺伝子の発現動態および転写調節についての基礎的知見を得た後、GTH受容体の一次構造および遺伝子の発現動態の一端を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが大である。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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