甲殻類の眼柄内に存在するX器官サイナス腺系では多数のペプチドホルモンが合成され、重要な生理機能を調節していると考えられている。近年、ロブスター、カニ、ザリガニなどにおいてX器官サイナス腺系で産生される主要なペプチドホルモンである血糖上昇ホルモン(CHH)、脱皮抑制ホルモン(MIH)、卵黄形成抑制ホルモン(VIH)が化学的に同定された結果、アミノ酸配列に相同性が認められたことから、これらのホルモンはひとつの族(CHH族)を形成していることがわかった。しかし、エビ類ではCHH族ペプチドについての情報はこれまでに全くない。甲殻類ではこのほかに、体色を調節する赤色色素凝集ホルモン(RPCH)と色素拡散ホルモン(PDH)が知られている。本論文は、養殖上重要なクルマエビを用いてこれらのホルモンを単離し、構造決定するとともに、生物活性を調べ、エビ類の眼柄ホルモンの特徴を明らかにしたものである。本研究において既知のデータおよび申請者のデータを合わせてCHH族ペプチドはさらに2つのタイプ(タイプI、II)に分類されることをはじめて提案した。本論文は4章から構成されている。 第1章においては、クルマエビのサイナス腺からCHH族ペプチドを抽出し、精製したことを述べている。精製は、生物活性ではなく、この族のペプチドが3対のジスルフィド結合を持つという化学的特徴を利用して行われた。その結果、合計7つのCHH族ペプチドが主成分として存在していることを示した。このように、多数のCHH族ペプチドが1つの種に含まれている例は知られておらず、エビ類の特徴といえる。さらに、これらのペプチドが1個体で合成されていることもはじめて示した。 第2章では、生物活性を調べることによって7つのCHH族ペプチドのうち6つが血糖上昇活性を有することを示し、さらに全アミノ酸配列を決定した。この結果、これらはいずれも72アミノ酸残基から成り、N末端は修飾されていないが、C末端はアミド化されており、いずれもタイプIに属することがわかった。これらの結果を基にして、CHH活性とアミノ酸配列の間の関係を考察した。 第3章では、残りの1つのCHH族ペプチドが培養したY器官からの脱皮ホルモンの分泌を強く抑制することを示し、その77アミノ酸残基から成る全配列を決定した。このホルモンは生物活性から脱皮抑制ホルモンであること、さらにその配列の特徴からタイプIIに属することがわかった。また、同様の方法でアメリカザリガニの脱皮抑制ホルモンを精製し、構造を決定した。この両者のアミノ酸配列は類似しており、先の血糖上昇活性を示した6つのペプチド(タイプI)との相同性はずっと低いことがわかった。 第4章では、体色を調節する1つのRPCHと2つのPDHを単離して構造を決定し、色素胞に対する効果を調べた。クルマエビのRPCHの構造はこれまで数種の甲殻類で同定されている構造と全く同一であり、両末端がブロックされた8アミノ酸残基から成るペプチドであった。このペプチドの4つの色素胞(赤、黄、黒、白)に対する反応性を調べたところ、いずれの色素胞の色素顆粒も凝集するが、凝集速度は赤、黄、黒、白の順に遅くなることがわかった。一方、2つのPDHはいずれも18アミノ酸残基から成り、C末端はアミド化されていた。両者は3残基のみ異なっていたが、全体の配列は既知のPDHと高い相同性を示した。これらのペプチドは4つの色素胞に対してほぼ同等の色素拡散活性を示したが、拡散速度は赤、黄、黒、白の順に遅くなった。また、この2つのPDHは1個体で合成されていることも示した。 以上のように、本論文はクルマエビのサイナス腺に含まれる主要なペプチドホルモンをはじめて単離し、構造を決定するとともに、それらの生物活性の特徴を明らかにしたもので、甲殻類の神経内分泌学分野の発展に大きく貢献したと判断される。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |