学位論文要旨



No 112713
著者(漢字) 慎,希縡
著者(英字)
著者(カナ) シン,ヒイジエ
標題(和) 藍藻Oscillatoria agardhii およびAnabaena circinalisのプロテアーゼ阻害物質
標題(洋) Protease Inhibitors of the Cyanobacteria Oscillatoria agardhii and Anabaena circinalis
報告番号 112713
報告番号 甲12713
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1776号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,勝己
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 村上,昌弘
 東京大学 助教授 松永,茂樹
内容要旨

 藍藻は水圏における基礎生産を担うとともに、生息環境が陸上生物と大きく異なることから、極めて特徴的な二次代謝産物を多く生産し、有用生物活性物質の探索源として注目を集めている。すでに藍藻より抗ガン、抗菌、抗カビ活性などを指標として新規物質が数多く単離されている。しかし、酵素阻害物質に関しては、酵素の生体内での役割の解明、各種病態解析のための試薬、または治療薬としての開発が期待され、様々な陸上生物より有用な物質が探索されているにもかかわらず、藍藻を対象とした研究例はほとんどない。そこで本研究では、100種以上の微細藻類の酵素阻害物質のスクリーニングで顕著な阻害活性が認められた3種の藍藻から6種のプロテアーゼ阻害活性を指標として活性成分の単離と構造解析を試みた。その結果13種のペプチド性化合物を得ることができた。概要は以下の通りである。

1.Oscillatoria agardhii(NIES-204)よりエラスターゼおよびキモトリプシン阻害物質oscillapeptin類の単離・構造決定

 国立環境研究所より分譲を受けたO.agardhii(NIES-204)をCB培地用いて25℃、明暗サイクル12L:12D、250E-m-2・s-1の条件下で通気培養した。400Lの培養液から得られた138gの凍結乾燥藻体を80%メタノールおよびメタノールで抽出し、水とエーテルで二層分配後、水層をさらに水とブタノールで分配した。活性の認められたブタノール画分をODSのフラッシュクロマトグラフィーに付し、60%メタノールで溶出した活性画分からODSのHPLCによりoscillapeptin A(1),B(2)と命名した活性物質をそれぞれ23.3,5.6mg単離した。

 

 これらの物質の構造をFAB-MSおよび各種2次元NMRスペクトルの解析により決定した。1と2の分子式は1H,13C NMRデータおよび高分解能FAB-MSよりそれぞれC56H77N7O18S、C57H79N7O18Sと決定した。アミノ酸分析および各種2次元NMRスペクトルの解析により構成アミノ酸の存在が確認された。構成アミノ酸残基の配列順序はHMBCおよびNOESYスペクトルの相関から決定した。1と2のエラスターゼ阻害活性はそれぞれIC50=0.3,0.05g/mlであり、キモトリプシン阻害活性はそれぞれIC50=2.2,2.1g/mlであった。

2.O.agardhii(NIES-204)よりエラスターゼおよびキモトリプシン阻害物質microviridin類の単離・構造決定

 同藍藻よりエラスターゼおよびキモトリプシン阻害活性を有する活性物質microviridin D(3),E(4),F(5)をそれぞれ8.8,12.6,7.6mgを単離・精製した。阻害物質3,4,5の分子式は高分解能FAB-MSによりC84H107N17O26S,C82H100N14O24,C82H102N14O25と決定され、これらの物質の構造はアミノ酸分析、FAB-MSおよび各種2次元NMRスペクトルの解析などの機器分析によりmicroviridinタイプのペプチドであると決定した。各アミノ酸の立体はキラルカラムを用いるGC分析により全てのアミノ酸がL型であると決定した。3,4,5のエラスターゼ阻害活性は、それぞれIC50=0.7,0.6,5.8g/mlであった。3と4はキモトリプシンに対してそれぞれIC50=1.2,1.1g/mlで阻害活性を示したが、5は阻害活性を示さなかった。

 

3.O.agardhii(NIES-204)よりagardhipeptin類の単離・構造決定

 O.agardhii(NIES-204)の抽出液を溶媒分画後、活性の認められたブタノール画分をODSのフラッシュクロマトグラフィーに付し、メタノールで溶出した活性画分からODSのHPLCによりagardhipeptin A(6),B(7)と命名した物質をそれぞれ8.0,6.7mg単離した。6と7の分子式は1H,13C NMRデータおよび高分解能FAB-MSよりそれぞれC43H51N11O7,C57H69N11O8と決定した。1H NMRスペクトルより6と7は、ペプチド性の化合物であることが示唆され、アミノ酸分析および2D NMRの解析の結果、構成アミノ酸が確認された。

 6と7は不飽和度およびニンヒドリン試薬に対し陰性であることから、環状構造を持つことが示唆された。6と7の構成アミノ酸残基の配列順序はHMBCおよびNOESYスペクトルの相関からcyclo(-His1-Gly2-Trp3-Pro4-Trp5-Gly6-Leu7-)およびcyclo(-Trp1-Leu2-Pro3-Trp4-Ala5-Pro6-Trp7-Val8-)であると決定した。6と7の構成アミノ酸の立体は酸加水分解物をL-FDAA誘導体化し、HPLC分析によりすべてのアミノ酸がL型であると決定した。

 

 Agardhipeptin A(6)はプラスミン対し、阻害活性がIC50=65g/mlであったが、agardhipeptin B(7)は100g/mlで阻害活性を示さなかった。

4.O.agardhii(NIES-204)よりanabaenopeptin類の単離・構造決定

 上述の阻害物質以外にO.agardhii(NIES-204)より既知物質anabaenopeptin B(8)とともに、新規anabaenopeptin C(9),D(10)を単離・精製することができた。これら物質の構造はアミノ酸分析および各種2次元NMRの解析によりウレイド結合を有する19員環の環状ペプチドであると決定した。

 

5.O.agardhii(NIES-205)よりトリプシンおよびトロンビン阻害物質aeruginosin類の単離・構造決定

 国立環境研究所より分譲を受けたO.agardhii(NIES-205)を上記の条件で大量培養した。350Lの培養液から得られた119gの凍結乾燥藻体を80%メタノールで抽出し、溶媒分画、ODSのフラッシュクロマトグラフィーおよびHPLCによりaeruginosin205-A(11),B(12)をそれぞれ24.5,7.0mg単離した。

 

 11と12はともにFAB-MSにより、分子量は804と推定された。イオンピークの分裂パターン(m/z805/807,725/727;3:1)により塩素原子を1個有すること、m/z725(M-SO3+H)+に硫酸基が脱離したピークが観測されたことから硫酸基の存在が示唆された。11と12の分子式は1H,13C NMRデータおよびFAB-MSよりC34H53N6O12CISと決定した。各種2D NMRスペクトルの解析の結果、Plas(phenyllactic acid 2-O-sulfate)、Hleu(3-hydroxyleucine),Ccoi(2-carboxy-6-chlorooctahydroindole)、Agma(agmatine)、xylopyranoseの存在が明らかになった。-アノマープロトンの結合定数よりxylopyranoseは-結合していることが示唆された。硫酸基の位置はm/z575(M-Plas+H)+のFAB-MSのフラグメントピークより決定した。これらの5つのユニットの配列順序は、HMBC相関およびNOESY相関により決定した。11と12は同じ平面構造を有するがPlasとHleuの立体が異なっていた。PlasとHleuの立体は酸加水分解物をそれぞれl-menthol誘導体化とMarfey誘導体化し、HPLC分析により決定した。xylopyranoseの立体は酸加水分解物をTFAイソプロピル化し、GC分析によりD型と決定した。

 Aeruginosin 205-A(11),B(12)はトリプシン阻害活性がともにIC50=0.07g/mlであり、トロンビンに対しそれぞれ阻害活性がIC50=1.5,0.17g/mlであった。

6.Anabaena circinalis(NIES-41)よりパパイン阻害物質circinamideの単離・構造決定

 国立環境研究所より分譲を受けたA.circinalis(NIES-41)を10L瓶を用いて上記の条件で14-18日間大量培養し、480Lの培養液から140gの凍結乾燥藻体を得た。これを80%メタノールで抽出し、溶媒分画、ODSのフラッシュクロマトグラフィーおよびHPLCにより阻害物質circinamide(13)を13.5mg単離した。

 

 13の分子式は1H,13C NMRデータおよび高分解能FAB-MSよりC18H34N4O5と決定した。酸加水分解後、アミノ酸分析、FAB-MSおよび各種2次元NMRの解析により2,3-epoxy succinic acid,Leu,N-(4-aminobutyl)-1,4-butandiamineの構成ユニットの存在が確認された。ユニットの配列順序はHMBCおよびNOESYの相関により決定した。Leuの立体はMarfey法によりL型であると決定した。エポキシの相対立体は結合定数(J=2.1Hz)よりtransと決定し、絶対立体はエポキシを選択的開環し、キラルカラムを用いるGCで分析することにより、(2S,3S)と決定した。13のパパイン阻害活性はIC50=0.4g/mlであった。

 以上、3種の藍藻から13種のペプチド性の化合物を単離・構造決定することができた。そのうち、12種は新規化合物で、9種は強いプロテアーゼ阻害活性を示し、藍藻が新しいプロテアーゼ阻害物質の探索源として有望であることが示唆された。

審査要旨

 藍藻は水圏における基礎生産を担うとともに、生息環境が陸上生物と大きく異なることから、極めて特徴的な二次代謝産物を多く生産し、有用生物活性物質の探索源として注目を集めている。しかしながら、酵素阻害物質に関しては、酵素の生体内での役割の解明、各種病態解析のための試薬、または治療薬としての開発が期待されているにもかかわらず、藍藻を対象とした研究例はほとんどない。本論文では、100種以上の微細藻類の酵素阻害物質のスクリーニングで顕著な阻害活性が認められた3種の藍藻から13種のペプチド性化合物を得、単離・構造決定し、活性の評価を行ったものであり、7章よりなる。

 第1章では、Oscillatoriaagardhii(NIES-204)よりエラスターゼおよびキモトリプシン阻害物質oscillapeptin類の単離・構造決定を行い、400Lの培養液から得られた138gの凍結乾燥藻体より、各種クロマトグラフィーを用いて、oscillapeptin A(1),B(2)と命名した活性物質を単離し、NMRを中心とする各種機器分析によりこれらの構造を決定した。1と2のエラスターゼ阻害活性はそれぞれIC50=0.3,0.05g/mlであり、キモトリプシン阻害活性はそれぞれIC50=2.2,2.1g/mlであった。

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 第2章では、同藍藻よりエラスターゼおよびキモトリプシン阻害活性を有する活性物質microviridin D(3),E(4),F(5)を単離・構造決定した。3,4,5のエラスターゼ阻害活性は、それぞれIC50=0.7,0.6,5.8g/mlであった。3と4はキモトリプシンに対してそれぞれIC50=1.2,1.1g/mlで阻害活性を示したが、5は阻害活性を示さなかった。

 第3章では、同様にしてagardhipeptin A(6),B(7)と命名した物質を単離・構造決定している。Agardhipeptin A(6)はプラスミン対し、阻害活性がIC50=65g/mlであったが、agardhipeptin B(7)は100g/mlで阻害活性を示さなかった。

 第4章では、上述の阻害物質以外に既知物質anabaenopeptin B(8)とともに、新規anabaenopeptin C(9),D(10)を単離・構造決定したが、これら物質はプロテアーゼ阻害活性を示さなかった。

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 第5章では、国立環境研究所より分譲を受けたO.agardhii(NIES-205)を大量培養し、上記と同様な手法によりaeruginosin205-A(11),B(12)と命名したxylopyranoseを有する特異なペプチドを単離・構造決定した。Aeruginosin205-A(11),B(12)はトリプシン阻害活性がともにIC50=0.07g/mlであり、トロンビンに対しそれぞれ阻害活性がIC50=1.5,0.17g/mlであった。

 第6章では、スクリーニングにおいてパパインを特異的に阻害したAnabaena circinalis(NIES-41)より阻害物質circinamide(13)を単離・構造決定した。本物質の阻害活性はIC50=0.4g/mlであった。

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 第7章では以上の結果に基づき、総合的な考察がなされている。

 以上、本論文では3種の藍藻から13種のペプチド性の化合物を単離・構造決定し、そのうち、12種は新規化合物で、9種は強いプロテアーゼ阻害活性を示し、藍藻が新しいプロテアーゼ阻害物質の探索源として有望であることを見出したものであり、学術上ばかりでなく、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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