学位論文要旨



No 112724
著者(漢字) 石川,敦子
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,アツコ
標題(和) セルロースI、II、III1、IV1ラミー繊維の構造と力学的性質
標題(洋)
報告番号 112724
報告番号 甲12724
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1787号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡野,健
 東京大学 助教授 空閑,重則
 東京大学 助教授 太田,正光
 東京大学 助教授 鮫島,正浩
 東京大学 助教授 磯貝,明
内容要旨

 セルロースを含む材料は現在,広く利用されており,木材は構造材料や紙,パルプに利用され,また,綿や麻,ラミーなどの繊維材料は,衣服などに用いられ,さらに,セルロース誘導体は,食品や医薬品などに添加されている。石油などの枯渇資源を原料とした合成高分子の利用,廃棄の問題が叫ばれる中,生産と分解が生態系の中で行われるセルロース資源は,今後さらに,さまざまな用途に用いられることが期待される。こうした中で,セルロース材料の構造や,薬品などを用いた処理による構造や力学的性質の変化について知ることは,今後の利用を考えるうえで重要な指針となる。

 天然に存在するセルロースはセルロースIであるが化学処理によりセルロースII,III,IVおよびXの結晶形をとることが知られている。それぞれの結晶構造については研究者同士の一致した見解は得られていないが、結晶変態処理に伴い、試料の力学的性質が変化することが知られている。

 セルロースの微細構造についてもこれまでに数多くの研究がなされてきたが、未だ統一した見解は得られていない。このことが、結晶変態メカニズムやその結果得られる試料の力学特性についての考察を困難にしている。

 また、セルロースを含む高分子材料の力学的性質については,主に繊維の引っ張り挙動と相対結晶化度や重合度との関係が論じられてきた。しかし、近年高分子の結晶弾性率が測定されるようになり、繊維の力学特性についてさらに深く検討することができるようになった。これまで結晶弾性率測定はおもに合成高分子に対して行われてきた。セルロースについては何人かの研究者が測定しているが、天然高分子であるセルロースは合成高分子とは高次構造がかなり異なると考えられ、このことが考慮されている研究は見あたらない。

 そこで本研究ではセルロースの高次構造と力学的性質の関係及び結晶変態を伴う化学処理の影響を明らかにすることを目的とした。実験に供する試料として、こうした研究に適したラミー繊維を用いた。ラミー繊維はセルロース繊維としては非常に長く、またミクロフィブリルが繊維軸にほぼ平行に高配向で存在しているため、力学特性と微細構造の関係の研究に適している。

 第2章では、結晶形の異なる繊維の力学的性質の違いが何によるのかを明らかにするために、セルロースI,II,III,IVラミー繊維の微細構造と引っ張り特性を検討した。まず、ラミー繊維(セルロースI)を水酸化ナトリウム、エチレンジアミンおよびグリセリンにより処理し、それぞれセルロースII,III,IVの結晶形を持つ繊維を調製した。そして、各試料の結晶化度、微結晶の大きさ、内部表面積を測定し、繊維と結晶の引っ張り特性を比較した。各試料の結晶の大きさと内部表面積の値を検討することにより、セルロースIグループとセルロースIIでは非晶領域の構造に大きな違いがあることが示唆された。また、結晶形の異なる繊維の引っ張り特性が異なることに着目し、この違いが、結晶の力学特性の違いによるものか、あるいは外力を結晶へ伝達する非晶領域の構造の差によるものなのか検討することを試みた。繊維と結晶の荷重-伸びの関係を、結晶と非晶成分からなる3種類のモデルを用いて解釈した。その結果、結晶と非晶の並列モデルはこれらの試料には適用できないことが示された。さらに、それぞれの試料における結晶と非晶成分の力学的構成と結晶弾性率、非晶弾性率の関係を定性的に示すことができた。

 第3章では、第2章において決定することのできなかった力学モデルのパラメーターと結晶弾性率、非晶弾性率の値を決定することを試みた。まず、セルロースIラミー繊維を液体アンモニアとエチレンジアミンでそれぞれ処理し、結晶形は同じセルロースIIIであるが微細構造の異なる繊維を調製した。両試料の荷重-伸びの関係を、結晶と非晶成分からなる並列-直列モデルを用いて解釈した。二つの試料の結晶領域の弾性率が同じであると仮定することにより、セルロースIIIの結晶弾性率と力学モデル中の結晶と非晶成分の構成比を決定することができた。これらの値は、一つの結晶形に対して一つの試料では決定できなかったものである。ここで求めたセルロースIIIの結晶弾性率は、既往の文献値よりも大きかったが、本研究では従来結晶弾性率測定の際に仮定される直列モデルではなく、より本来の応力分布に近い状態をを再現できると考えられる並列-直列モデルを用いて求めているので、より真の値に近いと考えられる。ここで得られた各試料の力学モデルを比較すると、エチレンジアミンで調製したものは、結晶と非晶が直列に近い構成であり、一方液体アンモニアで調製したものはそれらが並列に近い構成であることが示された。これらのモデルは各試料の弾性挙動に基づいて決定されたものであるが、破壊ひずみの現象もうまく表現していた。また、液体アンモニア試料について得られた力学モデルは、布の液体アンモニア処理の機構を理解するのに役立つと考えられる。他の結晶形のラミー繊維についても、一つの結晶形に対して微細構造の異なる2種類の試料が得られれば、この方法を用いることにより、結晶と非晶の弾性率とそれぞれの成分の構成比を求めることができる。

 第4章では、ラミー繊維の構造についてさらに知見を得るために、酵素によるラミー繊維の分解特性と力学的性質の変化を検討した。近年、天然繊維の処理にセルラーゼ処理が用いられている。これは繊維の柔らかさを増したり表面をなめらかにするためである。この場合、酵素加水分解の過程で繊維の力学的性質がどのように変化するかを知ることが重要となっている。酵素には、これまでに多くの研究がなされてきたTrichoderma viride起源の粗酵素メイセラーゼを用いた。まず、ラミー繊維を繊維の形態が保たれる程度にメイセラーゼで分解し、引っ張り特性の変化を調べた。2-3%程度の重量減少しかもたらさない程度のセルラーゼ処理によっても、ラミー繊維の引っ張り強度は50%以上低下していた。この原因を調べるために、分解された試料の形態観察を行ったところ、ラミー繊維には繊維軸方向に30-50mの間隔で節状に分解されやすい部分が存在することが示された。このような不均一な分解のために引っ張り強度が大きく低下したと考えられた。酵素によって分解されやすい部分の存在が示されたことは、今後繊維の力学特性について検討する際に役立つと考えられる。

 第4章において、セルラーゼ処理により、ラミー繊維軸方向に30-50mの間隔で節状の欠陥が生じたが、酵素の性質が原因でこういった特異な分解が起こるのか、あるいはラミー繊維に元来節状の欠陥があるのかということが疑問として残った。そこで、第5章では、酸で処理した場合にラミー繊維がどのように分解されるか検討することとした。塩酸処理によて、酵素処理と同様に繊維軸垂直方向に分解が起きていた。このことから、前述の特異な分解形態は、酵素特有のものでなく、ラミー繊維の構造に由来するものであると考えられた。また、酵素と酸で処理した試料の引っ張り破壊荷重を比較したところ、同程度の重量減少では、酵素処理よりも酸処理した繊維の方が破壊荷重が小さかった。このように、酵素と酸処理した試料では光学顕微鏡でみた限りでは分解形態が似ているが、同程度の重量減少において酸は酵素より破壊荷重を低下させることが示された。

審査要旨

 天然セルロース(Cell I)はアルカリ処理でCell IIに不可逆的に変態する。Cell I、Cell IIを液体アンモニアまたはアミンで処理するとCell IIIに、さらにそれを高温加熱処理するとCell IVに変態するが、それぞれCell I、IIのグループの特徴を維持している。このグループ間の違いを明らかにすることは、セルロース科学における大きな課題の一つである。本論文は、その課題へのアプローチであり、天然セルロース繊維の物性が変態に伴って変化する点に着目し、ラミー繊維の引張特性と結晶変態の関係をモデル化することによって、セルロースの高次構造と力学的性質ならびに結晶変態処理の関係を検討したもので、5章から成り立っている。

 第2章では、結晶型の異なる繊維の力学的性質の違いが何によるのかを明らかにするために、Cell I、II、III1、IV1ラミー繊維の微細構造と引っ張り特性を検討した。まず、ラミー繊維を水酸化ナトリウム、エチレンジアミンおよびグリセリンで処理し、それぞれCell II、III1、IV1の結晶型を持つ繊維を調製し、結晶化度、微結晶の大きさ、内部表面積を測定して、繊維と結晶の引っ張り特性を比較した。結晶の大きさと内部表面積の値を検討することにより、Cell IグループとCell IIでは非晶領域の構造に大きな違いがあることが示唆された。また、結晶型の異なる繊維の引っ張り特性について、結晶と非晶成分からなる3種類のモデルを用いて検討した。その結果、結晶と非晶の並列モデルはこれらの試料には適用できないことを明らかにした。さらに、それぞれの試料における結晶と非晶成分の構成比率と結晶弾性率、非晶弾性率の関係を示すことができた。

 第3章では、第2章において決定することのできなかった力学モデルのパラメーターと結晶弾性率、非晶弾性率の値を決定することを試みた。まず、Cell Iラミー繊維を液体アンモニアとエチレンジアミンでそれぞれ処理し、結晶型は同じCell III1であるが微細構造の異なる繊維を調製した。両試料の荷重-伸びの関係を、結晶と非晶成分からなる並列-直列モデルを用いて解釈し、二つの試料の結晶領域の弾性率が同じであると仮定することにより、Cell III1の結晶弾性率と力学モデル中の結晶と非晶成分の構成比を決定した。ここで求めたCell III1の結晶弾性率は、既往の文献値よりも大きかったが、本研究では従来結晶弾性率測定の際に仮定される直列モデルではなく、より実体に近い並列-直列モデルを用いて求めているので、正しい値に近いと考えられる。ここで得られた各試料の力学モデルを比較すると、エチレンジアミンで調製したものは、結晶と非晶が直列に近い構成であり、一方液体アンモニアで調製したものはそれらが並列に近い構成であることが示された。これらのモデルは各試料の弾性挙動に基づいて決定されたものであるが、破壊ひずみの現象もうまく表現することができた。

 第4章では、ラミー繊維の酵素分解に伴う力学的性質の変化を検討した。酵素には、これまでに多くの研究がなされてきたTrichoderma viride起源の粗酵素メイセラーゼを用いた。まず、ラミー繊維を繊維の形態が保たれる範囲内で酵素処理し、引っ張り特性の変化を調べた。2-3%程度の重量減少しかもたらさない程度の酵素処理でも、ラミー繊維の引っ張り強度は50%以上低下した。この理由を検討した結果、ラミー繊維には繊維軸方向に30-50mの間隔で節状に分解されやすい部分が存在することを見いだした。

 第5章では、ラミー繊維軸方向に30-50mの間隔で見いだされた節状の欠陥が、酵素処理によるアーティファクトか、あるいはラミー繊維の元来有している欠陥なのかを検討した。そこで鉱酸処理を用いた。塩酸処理によって、酵素処理と同様の欠陥が生じることを見いだした。このことから、前述の特異な欠陥は酵素処理によって生じたものではなく、ラミー繊維の構造に由来するものであると考えた。また、酵素処理ならびに塩酸処理試料の引っ張り破壊荷重が、同程度の重量減少では塩酸処理の方が小さく、欠陥の進展に差があることが判明した。

 以上、本研究は各種の変態セルロース繊維の基本的な構造を明らかにして、繊維の引張特性との関係について新しい知見を与えたもので、学術上も応用上も寄与するところが多い。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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