近年、窒素酸化物の環境中への放出が、酸性雨や水質の富栄養化などの環境汚染を引き起こしており、生態系への悪影響が懸念されている。本研究は、そのような背景の下、窒素酸化物を窒素ガスへ変換する唯一の生物反応を担う脱窒菌に着眼し、脱窒反応のメカニズムを解明しようとする試みであり、環境微生物における基礎研究として重要なのみならず微生物による環境浄化の実用化の立場からも期待される研究である。 第一章の序論では、研究の背景と意義について述べ、脱窒反応の解析を遺伝子レベルから行うことの重要性と有効性について述べている。特に、脱窒反応を担う酵素をコードする遺伝子群が、染色体上に近接して存在しており、スーパーオペロン構造を有している点からも、その解析により多くの知見が得られるであろうことを示唆している。 第二章においては、緑膿菌Pseudomonas aeruginosa由来の脱窒遺伝子クラスターの全様解明を目的とした遺伝子構造の解析を行っている。約10kbの遺伝子構造の解析によって、これまでに報告のない8個の新規な遺伝子を同定し、それらがオペロン構造を有していることを推定している。 第三章では第二章で同定した新規遺伝子の機能解明を試みており、その結果、7つの遺伝子が本菌の脱窒に必須な生体因子であるheme d1の生合成に必要不可欠であることを明らかにした。またホモロジー解析から、heme d1合成経路を推定しており、今後のheme d1合成経路の解明に役立つことが期待された。 第四章では、脱窒反応発現調節機構の解明を試みている。脱窒反応は、好気条件下では発現が抑制され、嫌気条件下で発現が促進される。これまでの研究から、好気・嫌気の発現調節はANR転写調節因子によって制御されていると報告されているが、プロモーター領域への直接的な結合を確認した研究は無く、その調節メカニズムは不明であった。また脱窒遺伝子クラスター内に存在するdnr遺伝子の転写調節への関与も推察されていた。本論文では、脱窒反応の初反応酵素である亜硝酸還元酵素Nirの発現を指標として、anr、dnr両遺伝子の転写調節機構の解明を試みている。その結果、ANRによるNirの発現調節は直接的ではなく、DNRが直接的にNirの発現を調節することを明らかにした。また、DNRもANRと同様に、好気嫌気状態を認識することを、実験データから推定しているが、ANRに保存されるシステインクラスターを有しておらず、その認識機構に興味が持たれた。脱窒反応は、窒素酸化物の存在によっても反応が促進されるので、DNRがその役割を担っているのではないかと推定し、実験をおこなっている。その結果、DNRによるNirの発現調節が、亜硝酸の存在によって、オンオフされることを明らかにした。 総括では、これまでに同定された緑膿菌由来脱窒遺伝子クラスターの全体像からの考察を行っている。本論文で明らかにした約10kbのnirオペロンを含めて、P.aeruginosaの脱窒遺伝子クラスターは、約20kbが明らかになり、Nirと一酸化窒素還元酵素Norの両反応を担うと推定される遺伝子領域の全体像が、ほぼ同定されたと考察される。しかし残念ながら、脱窒遺伝子クラスターを他菌種へ導入して発現させるという試みは、今後の研究課題として残されたが、もしこの遺伝子クラスターを、脱窒能力のない他菌種で発現させることが可能となれば、脱窒反応の人為制御による有効利用も近い将来可能となることが期待される。 以上、本論文は、新規脱窒遺伝子クラスターの構造解析と、機能不明な遺伝子群の機能解明を行い、またこれまで不明であった酸素呼吸から脱窒反応への呼吸鎖の変換メカニズムの解明を行っており、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって、番査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |