学位論文要旨



No 112732
著者(漢字) 田村,美貴
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,ミキ
標題(和) 好乾性種A.penicillioidesを中心とするコウジカビ属分類群の類縁と系統進化
標題(洋)
報告番号 112732
報告番号 甲12732
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1795号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,純多
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 助教授 小柳津,広志
 東京大学 助教授 横田,明
内容要旨

 不完全菌類コウジカビ属(Aspergillus)には、現在までに185もの種が容認され、菌類のなかでも経済的に重要な種を多数含んでいるため、その合理的な分類体系の確立は各方面から強く要望されている。

 1965年Raper&Fennellは、"群(group)"方式を導入して本属を18群に体系化した。1985年、Gams et al.は、"群"に替わり、命名規約上有効な"亜属-節(subgenus-section)"方式を用いて本属を6亜属18節に再分類した。そこでは、僅かな培養、形態学的形質、あるいは生理的差異に基づく伝統的な種概念が用いられている。また、本属には、マユハキタケ科(Trichocomaceae)エウロチウム目(Eurotiales)に帰属する12のテレオモルフ属が関係していることから、その多様性が系統分類学的視点から注目されてきた。はたして、1アナモルフ属内でこのような多数の種分化が起こり得るのだろうか。本属菌類の種概念の確立は、菌類系統分類学及び応用菌学上、重要かつ緊急な研究課題となっている。

 本研究では、好乾性という生理的特異性を示す菌種A.penicillioidesを中心に、本属および関連テレオモルフ諸属について、表現形質と遺伝形質の多相分類学(polyphasic taxonomy)的アプローチから、種のアイデンティティーの解明と系統分類の再構築を試みた。また、遺伝形質(特に18SrRNA遺伝子塩基配列)の解析から、好乾性コウジカビの系統進化及びその生理的特異性の進化的意義について考察した。

【1】好乾性種A.penicillioidesのアイデンティティー

 好乾性種A.penicilliodesは、現在、Aspergillus亜属Restricti節に帰属し、そのテレオモルフは不明である。本種は、大部分の菌類が生育できない極めて低い水分活性(0.68a.w.)でも生育でき、好乾性(xerophilic)という共通の生理的特異性を有する。本種は、様々な基質に生育し、レンズ、刀剣、書物などの文化財や乾燥穀物などの劣化を引き起こすのをはじめ、人の皮膚・眼球、空中の埃からも分離され、また、アレルギー疾患の原因菌ともなることから、医学的にも注目されている。分離源を異にするA.penicillioides16株について、まず、形態観察を行ったところ、光学顕微鏡下では、顕著な形態的差異は見られなかった。そこで、カビの分類において有用な化学分類学的指標の一つであるユビキノン系を調べたところ、全てQ-9であり、対応するテレオモルフEurotium属菌種の主要ユビキノン系と一致した。

 次に、A.penicillioides16株とAspergillus亜属Aspergillus,Restricti両節に帰属する(関連テレオモルフも含む)26株の合計42株について、主に解糖系に関わる5酵素の電気泳動パターンの比較によりデンドログラムを作成したところ、相似度値7%で、3つの大クラスターに分かれ、さらに60%で22のクラスターに分かれた。その中で、A.penicillioides16株は、11のクラスターに分散し、多様な種であることが示唆された。そこで、A.penicillioidesのアイデンティティーを解明するため、基準株並びに代表株、関連テレオモルフ種のDNA塩基組成の決定及びDNA-DNA交雑実験を行った。その結果、A.penicillioides IFO8155のGC含量は50.0mol%であり、A.penicillioides NRRL4548NT(新基準株)は46.0mol%、その他のA.penicillioides6株のGC含量は46.5〜49.0mol%であった。NRRL4548NTとIMI144121のDNA相同値は71%、NRRL4548NTとその他3株との相同値は73〜80%であり、それぞれの基準株を含むA.penicillioides菌株とIFO8155とのDNA相同値は40%以下であった。一方、関連テレオモルフであるEurotium属3種において、E.amstelodamiは49.0mol%、E.repensは46.3mol%、E.rubrumは47.0mol%であり、DNA相同値は65〜72%であった。走査型電子顕微鏡によって、分生子の形態並びに表面構造の観察を行ったところ、A.penicillioidesのNRRL4548NTとIMI144121は、イガグリ状であり、標準的記載と一致した。一方、IFO8155は、光学顕微鏡下ではNRRL4548NTとの間に顕著な差異は見られなかったが、前者の分生子表面構造は刺で覆われていた。IFO8155は、1962年大槻虎男によって分離され、新種として記載されたA.vitricolaの基準株であって、後にRaper&Fennell(1965)がA.penicillioidesの異名に含めた。以上の結果から、IFO8155はA.penicillioidesではない可能性がより明確となり、もとの学名A.vitricolaを復活し、帰属すべきであると結論づけられた。

【2】コウジカビ属及び関連テレオモルフ諸属の系統進化的関係と好乾性の進化的意義

 コウジカビ属及び関連テレオモルフ種において、6亜属18節に帰属する基準種17株と好乾性種A.penicillioides7株、Resiticri節の基準種A.restrictus,Aspergillus節に帰属するA.proliferans,その関連テレオモルフEurotium,Edyuilla両属に帰属する5種の合計、23種30株の18SrRNA遺伝子塩基配列を決定した。これらにデータバンクに登録されていた既知データを加え、Clustal W ver.1.6を用い、並列配列を得て、近隣結合法、最尤法などにより分子系統樹を作成した。その結果、真正子嚢菌類の中で、これらは全て、不整子嚢菌類マユハキタケ科に位置した。

 さらに、マユハキタケ科の中においては、Penicillium属のテレオモルフEupenicillium属とTalaromyces属の2大系統群に分かれ、Aspergillus属分類群は、ベニコウジカビ科のMonascus purpureusを含むEupenicillium属菌群と非常に近い系統関係にあることがわかった。Aspergillus属において、Ornati亜属Ornati節に帰属するテレオモルフ2種Warcupiella spinulosa[Q-10]とHemicarpenteles paradoxus[Q-9]は、Penicillium属菌群に位置し、Ornati亜属Ornati節の系統分類学的再編の必要性が強く示唆された。

 コウジカビ属及び関連テレオモルフ諸属の関係について、Talaromyces属2種を外群にとり、32種35株の分子系統樹を作成したところ、いくつかの系統群に分かれた。その系統解析に基づいて、以下の考察を行った。

(1)マユハキタケ科のコウジカビ属関連テレオモルフ諸属の系統進化

 Malloch&Cain(1972)によると、比較形態学的見地から、子嚢殻(perithecium)を有する核菌類から閉子嚢殻(cleistothecium)を有する不整子嚢菌類が分岐し、子嚢果の形態は、孔口があるものから、閉じたものへと進化したと推定されている。さらに、マユハキタケ科では、閉子嚢殻の形態も、Talaromyces属のように薄い菌糸壁(hyphal wall)からEurotium属の単層膜質型殻壁やEupenicillium属の菌核化した殻壁へ、子嚢胞子の形態も、扁だ円形から二弁扁だ円形へと進化したと推定されている。A.penicillioides3株を含む好乾性9種11株は、関連テレオモルフEurotium、Edyuilla両属種を内包し、まとまった一つの系統群を形成した。Ornati亜属Ornati節に帰属するHemicarpenteles acanthosporous[Q-10]は、Clavati亜属Clavati節の基準種であるA.clavatus[Q-10]と高い信頼度で系統枝を形成した。また、Nidulantes亜属に帰属するテレオモルフ2種は、同亜属のアナモルフ種に内包された。得られた分子系統樹から進化距離と分生子形成構造及び子嚢果の形熊をあわせて考慮すると、分生子形成構造は、Penicillium属の"ペニシルス"からAspergillus属の"アスペルジラム"へ、閉子嚢殻の形態も、菌糸壁型から偽柔組織型の方向に進化したと推定され、Malloch&Cainの見解を支持した。しかし、得られた分子系統のデータは、不整子嚢菌類(閉子嚢殻)は核菌類(子嚢殻)より派生したとする彼らの系統論を否定した。

(2)コウジカビ属の系統進化

 アナモルフ諸属の分類においては、形態学的にメトレの有無が重要であるとされているが、系統関係には特に反映されなかった。ユビキノン系Q-9をもつAspergillus亜属は、単系統であった。また、ユビキノン系Q-10(H2)をもつNidulantes亜属は2系統、ユビキノン系の多様化がみられたCircumdati亜属やOrnati亜属は、極端な多様化が示唆され、系統分類学的再編が必須である。近隣結合法、最尤法で描いたそれぞれの分子系統樹において、系統群とその主要ユビキノン系はよい相関を示した。従って、ユビキノン系は血縁関係(genealogy)を反映した分類指標であり、Aspergillus属の類縁関係を示す有用な分類指標であることが分かった。また、テレオモルフ種がそれぞれのアナモルフ種に含まれることがわかったため、他のアナモルフ種においてもテレオモルフが存在し、各アナモルフ種はテレオモルフ種に統合される可能性があると考えられた。

(3)A.penicillioidesの多様性と系統関係

 A.penicillioides6株において系統関係を調べた結果、IFO8155は系統的に離れて位置した。新基準株NRRL4548とは、比較可能な塩基数1,751塩基中23塩基の相違が見られた。また、DNA相同値で71%〜80%を示したA.penicillioidesにおいては、6塩基から10塩基の相違(比較可能な塩基数1621塩基中)があった。一方、Flavi節において表現形質が類似する4種においては3塩基の相違であった。また、介在配列による比較においても、同じ知見が得られた。これら4種のGC含量の測定、DNA相同性実験もあわせて行ったところ、GC含量は46.3〜47.3mol%であり、DNA相同値は、70%〜90%であった。従って、A.penicillioides6株とA.flavusを含むFlavi節4種のそれぞれの分類群の関係は、対照的であった。A.penicillioides菌株は複数の種に帰属し、その多様性は微細形態や酵素の電気泳動パターンの比較、ITS(介在配列)の比較からも示唆された。これらの手法は、種レベルの類縁関係を調べるのに有用であると結論づけられた。また、DNA-DNA相同性におけるガイドラインの確立は種概念を明確にする鍵と考えられる。

(4)コウジカビ属における好乾性の進化的意義

 Malloch&Cain(1972)によると、比較形態学的見地から、好乾性という生理的特異性は、進化した(advanced)形質であると述べられている。得られた2つの分子系統樹からも、好乾性種は、一つのまとまった系統群を形成し、その中でも、A.penicillioidesは、派生的な種である可能性が示唆された。一方、Berbee&Taylor(1993)の菌類多様化の推定年代によれば、核菌類から不整子嚢菌類が分岐したのは、2億8千万年前(第三紀前期)であり、さらに、マユハキタケ科の多様化が始まったのが、約6500万年前と推定されている。作成した分子系統樹からも、テレオモルフ(子嚢果の形成様式や子嚢胞子)の形態、アナモルフ(アスペルジラム、分生子)の形態、ユビキノン系の多様化は、ほぼ同時に起こったことが推定される。その中で、好乾性という性質は、特異な基質環境に適応するように進化した派生形質であるとみなされる。

 今後、さらなる研究を進めることにより、本属において、表現形質による分類体系と遺伝形質のデータが統合されたより合理的な分類体系が確立されるであろう。

審査要旨

 不完全菌類Aspergillus(コウジカビ)属には現在までに185種、それらのテレオモルフを含めると256種が容認され、菌類の中でも工業的、農業的、また医学的にも重要な種を多数含むため、本属の種概念と合理的な分類体系の確立は、各方面から強く要望されている。本研究では、好乾性という生理的特性を示すAspergillus penicillioidesをモデル生物として選び、それを中心に同属および関連テレオモルフ諸属の表現、遺伝両形質を調べ、統合的に解析し、A.penicillioidesの遺伝的、系統的多様性、好乾性コウジカビを含むAspergillus属分類群の系統進化及びその生理的特性の進化的意義について考察したもので、5章よりなっている。

 第1章では、コウジカビの分類学研究の歴史的背景と分類体系の変遷、さらに好乾性種A.penicillioidesの生物学特性について概説している。すなわち、本種はAspergillus亜属Restricti節に帰属するアナモルフで、大部分の菌類が生育できない極めて低い水分活性(0.68a.w.)でも生育できる特異なカビである。そして、様々な基質に生息し、レンズ、刀剣、書物などの文化財や乾燥穀物などの劣化を引き起こすのをはじめ、人の皮膚・眼球、空中の埃からも分離例の報告がある。

 第2章では、このような様々な基質から分離されたA.penicillioidesの新基準株を含む16株について、まず、形態観察を行ったところ、光学顕微鏡下では、顕著な形態的差異は認められなかった。そこで、カビの分類において有用な化学分類学的指標の一つであるユビキノン系を調べたところ、全てQ-9であり、対応するテレオモルフEurotium属菌種の主要ユビキノン系と一致した。

 第3章では、A.penicillioides16株とAspergillus亜属Aspergillus、Restricti両節に帰属する26株の合計42株の主に解糖系に関わる5酵素の電気泳動パターンの数値分類から、供試菌株は相似度値60%で22のクラスターに分かれた。その中で、A.penicillioides16株は、11のクラスターに分散し、多様な種であることが提示された。そこで、本種のアイデンティティを解明するため、前述のデータから選定した新基準株を含む5株と類縁種について核DNA塩基組成の決定と核DNA交雑実験を行い、比較解析した。その結果A.penicillioidesに含まれる菌株は遺伝学的に多様な株の集合であることが判明した。特にIFO8155は、表現、遺伝両形質の比較から、A.penicillioidesではない可能性が明確となり、もとの学名A.vitricolaを復活して、これに帰属すべきであると結論づけた。

 第4章では、コウジカビ属6亜属18節に帰属する基準種とA.penicillioidesを含む好乾性アナモルフ種、関連テレオモルフEutotium、Edyuillia両属に帰属する分類群の合計、23種30株の18S rRNA遺伝子塩基配列を決定した。比較可能な既知塩基配列データを加えて、並列配列をとり、近隣結合法、最尤法、最節約法により分子系統樹を作成し、系統解析した結果について述べている。

 第5章では、前章の結果をもとに表現、遺伝両形質の統合的解析とその総合考察が詳述されている。分子系統樹上、二、三の例外を除き、Aspergillus属6亜属18節の基準種および関連テレオモルフ分類群は、ブーツストラップ確率は低いが、単系統的群を形成し、その中で好乾種は一つにまとまり、その生理的特性は派生形質であることが判明した。さらに、A.penicillioides菌株には多様な類縁と系統関係が認められた。また、特に分子系統的多様性が認められたCircumdati、Ornati亜属は系統分類学的再編の必要性が強調された。後者に帰属するHemicarpenteles、Warcupiella両属基準種は、Penicilliumアナモルフ(ペニシルスを形成する)を付随するEupenicillium属(Hamigera属を含む)系統群に包含されることから、系統的にAspergillus属分類群とは異なることが明らかとなった。このことは、真の系統に基づく本属全体の分類体系の再構築が必須であることを意味する。本属分類群のアスペルジラム、閉子嚢殼、主要ユビキノン系の多様化は、進化の上で比較的近い過去(約6,500万年以降、文献値)にほぼ同時に起こった可能性が示唆された。

 以上要するに、本論文は経済的に重要なコウジカビ属分類群について、好乾性A.penicillioidesのアイデンティティを解明し、同属分類群の類縁と系統進化を明らかにしたもので菌類系統分類学上、応用菌学上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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