不完全菌類Aspergillus(コウジカビ)属には現在までに185種、それらのテレオモルフを含めると256種が容認され、菌類の中でも工業的、農業的、また医学的にも重要な種を多数含むため、本属の種概念と合理的な分類体系の確立は、各方面から強く要望されている。本研究では、好乾性という生理的特性を示すAspergillus penicillioidesをモデル生物として選び、それを中心に同属および関連テレオモルフ諸属の表現、遺伝両形質を調べ、統合的に解析し、A.penicillioidesの遺伝的、系統的多様性、好乾性コウジカビを含むAspergillus属分類群の系統進化及びその生理的特性の進化的意義について考察したもので、5章よりなっている。 第1章では、コウジカビの分類学研究の歴史的背景と分類体系の変遷、さらに好乾性種A.penicillioidesの生物学特性について概説している。すなわち、本種はAspergillus亜属Restricti節に帰属するアナモルフで、大部分の菌類が生育できない極めて低い水分活性(0.68a.w.)でも生育できる特異なカビである。そして、様々な基質に生息し、レンズ、刀剣、書物などの文化財や乾燥穀物などの劣化を引き起こすのをはじめ、人の皮膚・眼球、空中の埃からも分離例の報告がある。 第2章では、このような様々な基質から分離されたA.penicillioidesの新基準株を含む16株について、まず、形態観察を行ったところ、光学顕微鏡下では、顕著な形態的差異は認められなかった。そこで、カビの分類において有用な化学分類学的指標の一つであるユビキノン系を調べたところ、全てQ-9であり、対応するテレオモルフEurotium属菌種の主要ユビキノン系と一致した。 第3章では、A.penicillioides16株とAspergillus亜属Aspergillus、Restricti両節に帰属する26株の合計42株の主に解糖系に関わる5酵素の電気泳動パターンの数値分類から、供試菌株は相似度値60%で22のクラスターに分かれた。その中で、A.penicillioides16株は、11のクラスターに分散し、多様な種であることが提示された。そこで、本種のアイデンティティを解明するため、前述のデータから選定した新基準株を含む5株と類縁種について核DNA塩基組成の決定と核DNA交雑実験を行い、比較解析した。その結果A.penicillioidesに含まれる菌株は遺伝学的に多様な株の集合であることが判明した。特にIFO8155は、表現、遺伝両形質の比較から、A.penicillioidesではない可能性が明確となり、もとの学名A.vitricolaを復活して、これに帰属すべきであると結論づけた。 第4章では、コウジカビ属6亜属18節に帰属する基準種とA.penicillioidesを含む好乾性アナモルフ種、関連テレオモルフEutotium、Edyuillia両属に帰属する分類群の合計、23種30株の18S rRNA遺伝子塩基配列を決定した。比較可能な既知塩基配列データを加えて、並列配列をとり、近隣結合法、最尤法、最節約法により分子系統樹を作成し、系統解析した結果について述べている。 第5章では、前章の結果をもとに表現、遺伝両形質の統合的解析とその総合考察が詳述されている。分子系統樹上、二、三の例外を除き、Aspergillus属6亜属18節の基準種および関連テレオモルフ分類群は、ブーツストラップ確率は低いが、単系統的群を形成し、その中で好乾種は一つにまとまり、その生理的特性は派生形質であることが判明した。さらに、A.penicillioides菌株には多様な類縁と系統関係が認められた。また、特に分子系統的多様性が認められたCircumdati、Ornati亜属は系統分類学的再編の必要性が強調された。後者に帰属するHemicarpenteles、Warcupiella両属基準種は、Penicilliumアナモルフ(ペニシルスを形成する)を付随するEupenicillium属(Hamigera属を含む)系統群に包含されることから、系統的にAspergillus属分類群とは異なることが明らかとなった。このことは、真の系統に基づく本属全体の分類体系の再構築が必須であることを意味する。本属分類群のアスペルジラム、閉子嚢殼、主要ユビキノン系の多様化は、進化の上で比較的近い過去(約6,500万年以降、文献値)にほぼ同時に起こった可能性が示唆された。 以上要するに、本論文は経済的に重要なコウジカビ属分類群について、好乾性A.penicillioidesのアイデンティティを解明し、同属分類群の類縁と系統進化を明らかにしたもので菌類系統分類学上、応用菌学上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |