学位論文要旨



No 112740
著者(漢字) 柊元,睦子
著者(英字)
著者(カナ) クキモト,ムツコ
標題(和) 脱窒菌の亜硝酸還元を担う銅蛋白間の電子伝達機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 112740
報告番号 甲12740
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1803号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 助教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 西山,真
内容要旨 1.はじめに

 脱窒とは、NO3-をNO2-→NO-N2Oの過程を経て気体の窒素にまで還元する生物的な作用である。AlcaligenesfaecalisS-6株は高い脱窒能を持つものとして活性汚泥より単離された。この菌の脱窒の一過程である亜硝酸還元には、2つの銅蛋白質が関与している。銅含有型の亜硝酸還元酵素(NIR)は嫌気的条件下において青色銅蛋白シュードアズリンから電子を受け取り、NO2-からNOへの還元反応を触媒する。一方、この酵素を必要としない好気的条件下では、シュードアズリンから電子を受け取ったNIRはO2からH2O2への還元反応を触媒し、その生成物により不活性化されるというユニークな調節が働く。最近、このような銅蛋白間の電子伝達を介した亜硝酸還元の系が細菌やカビに広く分布することが明らかにされつつあるが、銅蛋白の銅配位環境を含めた構造と機能の解析はほとんど進んでいない。そこで本研究では、蛋白工学的手法を用いることにより亜硝酸還元を担うこれら2つの銅蛋白の構造-機能相関を明らかにすると共に、銅蛋白間の電子伝達機構を解明することを目的とした。

2.亜硝酸還元酵素の構造-機能相関の解析1

 X線結晶構造解析によりNIRは3つの相同なサブユニットからなる三量体構造をとり、1つのサブユニット当たりタイプ1銅とタイプ2銅を1つずつ結合することが明らかにされた。タイプ1銅は各サブユニットの分子表面に近い部分に4つのアミノ酸残基(His95、Cys136、His145、Met150)をリガンドとして結合し、またタイプ2銅は隣接する2つのサブユニットの界面に3つのHis残基(His100、His135、His306)をリガンドとして結合している。これら2種類の銅原子がNIRの亜硝酸還元機能にどのように関わっているかを明らかにするために、部位特異的変異法によりタイプ1銅のリガンドであるMet150をGluに、タイプ2銅のリガンドであるHis135をLysにそれぞれ置換した2つの変異型NIRを作製した。各変異体の酵素活性の測定、並びにESRをはじめとする分光学的解析を行なった結果、タイプ2銅リガンドの変異体であるHis135LysNIRはタイプ1とタイプ2の銅を結合しているものの亜硝酸還元活性を全く示さないことが明らかになった。このことから、タイプ2銅が触媒機能に直接関与していることが強く示唆された。一方、タイプ1銅リガンドの変異体であるMet150GluNIRは、タイプ1部位に銅原子を結合していないにもかかわらず、methyl viologenを電子供与体として用いると明瞭な亜硝酸還元活性を示した。しかしながらNIRへの本来の電子供与体であるシュードアズリンを用いると活性が検出されなくなったことから、タイプ1銅がシュードアズリンからの電子の授受に関与していることが予想された。そこでMet150GluNIRのシュードアズリンに対する電子伝達反応の速度定数を求めたところ、シュードアズリンに対するKmはほとんど変化せずにKcalのみが約1000分の1にまで低下していたことから、シュードアズリンからの効率的な電子の授受にタイプ1銅が必須の役割を果たしていることが明らかになった。これらの結果から、NIRのタイプ1銅がシュードアズリンから電子を受け取り、タイプ2銅へと電子が流れ、活性部位を構成するタイプ2銅で亜硝酸還元が行われることが示された(図1)。

(図1)NIRが含有する2つの銅の役割
3.シュードアズリンの亜硝酸還元酵素との相互作用部位の同定2

 シュードアズリンの立体構造はX線結晶構造解析により8本の鎖からなるバレルとそのC末端側に続く2本のヘリックスから構成され、その分子上方の表面近くにタイプ1銅を1つ結合していることが明らかになっている。シュードアズリンのNIRとの相互作用部位を同定するために、部位特異的変異法によりシュードアズリンの分子表面に存在する複数のLys残基をそれぞれ単独にAlaに置換した9種類の変異体を作製した。NIRの各変異型シュードアズリンに対する電子伝達反応の速度定数を決定した結果、各変異型シュードアズリンに対するKcalは、無変異型シュードアズリンに対する値と比べて大幅な変化は見いだされなかったことから、各変異体が無変異型シュードアズリンと同等の電子伝達能を保持していることが示された。一方、NIRの各変異型シュードアズリンに対するKmは、タイプ1銅周辺のLys10、Lys38、Lys57、およびLys77をそれぞれ置換した各変異体において顕著に増大していることが明らかになった。Lys59、Lys109の変異体に対してはKm増加の影響は比較的小さく、タイプ1銅から最も離れた位置にあるLys24、Lys106、Lys123の置換はKmにほとんど影響を与えなかった。これらの結果から、シュードアズリンのタイプ1銅近傍の正に帯電した領域がNIRとの相互作用に重要な役割を果たしていることが明らかになった(図2)。

(図2)シュードアズリン-NIR相互作用のモデル
4.亜硝酸還元酵素とシュードアズリンの相互作用の解析3

 次にNIR蛋白表面におけるシュードアズリンとの相互作用部位を明らかにするため、NIRの部位特異的変異を行った。既に述べたNIR、シュードアズリンの部位特異的変異の結果から、NIRのタイプ1銅周辺の蛋白表面に存在する酸性アミノ酸残基がシュードアズリンとの相互作用に関与していることが予想された。そこでタイプ1銅の周辺を中心にNIRの分子表面に存在する10カ所の酸性アミノ酸残基を選択し、それぞれをAlaあるいはSerに置換した変異体を作製した。各NIR変異体について、シュードアズリンに対する電子伝達の速度定数を決定したところ、Glu46、Glu58、Glu113、およびGlu160の各アミノ酸置換はシュードアズリンに対するKmにほとんど影響を与えないのに対して、タイプ1銅周辺のGlu118、Glu197、Asp201、Glu204、およびGlu205の置換によりKmが増大することが明らかになった。さらに、Glu118、Glu197、Asp201を同時にAlaに置換した三重変異体ではさらに大幅にKmが増大していた。これらの結果から電子伝達複合体形成にNIRの負電荷とシュードアズリンの正電荷による静電的相互作用が重要な役割を果たしていることが明らかになった。次に、両銅蛋白間の静電的結合に関わるアミノ酸残基の対を明らかにするため、親和性の低下が観察された変異体のうちNIRのGlu118Ala、Glu197AlaおよびAsp201Alaの各変異体とシュードアズリンのLys10Ala、Lys57AlaおよびLys77Alaの各変異体の間で同様な速度論的解析を行った。その結果、NIRのGlu197とシュードアズリンのLys10が、NIRのGlu118とシュードアズリンのLys57、Lys77が直接相互作用していることが示唆され、NIR-シュードアズリン間の特異的な認識機構の一部が明らかになった。

5.アズリンの部位特異的変異4

 銅蛋白間の電子伝達の特異性をさらに理解するために、Pseudomonas aeruginosa由来のアズリンとA.faecalis S-6由来NIRとの間の電子伝達の速度論的解析を行った。アズリンはシュードアズリンと同様に分子内にタイプ1銅を1原子結合し、電子伝達能を持つ青色銅蛋白である。NIRのアズリンに対する見かけのKcalおよびKmは、NIRの生体内の電子伝達パートナーであるA.faecalisシュードアズリンに対する値と比較してそれぞれ1/300倍、172倍であったことから、アズリン-NIR間の電子伝達はシュードアズリン-NIR間の電子伝達に比べ、非常に特異性が低いことが示された。アズリンとシュードアズリンの立体構造を比較してみると、シュードアズリンにはタイプ1銅の周辺に多数のLys残基が存在するのに対して、アズリンには存在しないという構造上の大きな差異が見いだされた。そこでこれらLys残基のNIRとの相互作用における重要性を評価するために、アズリンの部位特異的変異を行い、3つの変異体D11K、P36K、D11K/P36Kを作製し、NIRとの電子伝達の速度論的解析を行った。その結果、D11KとP36Kを単独に置換した変異体では若干のKmの低下が認められる一方、D11KとP36Kを同時に置換した変異体ではさらに顕著なKmの低下が観察された。これらの結果からシュードアズリンの銅原子周辺に存在するLys残基がNIRとの電子伝達複合体形成の特異性を決定している重要な因子であることが確認された。

6.まとめ

 部位特異的変異を用いたNIR変異体の解析により、NIRが含有する2種類の銅原子の亜硝酸還元における役割を明らかにした。またシュードアズリンとNIRの部位特異的変異を行うことにより、両蛋白の相互作用部位を同定し、特異的な複合体形成が両蛋白間の電子伝達に重要であることを明らかにした。

参考文献1.Kukimoto,M.,Nishiyama,M.,Murphy,M.E.P.,Turley,S.,Adman,E.T.,Horinouchi,S.,and Beppu,T.(1994)Biochemistry33,5246-52522.Kukimoto,M.,Nishiyama,M.,Ohnuki,T.,Turley,S.,Adman,E.T.,Horinouchi,S.,and Beppu,T.(1995)Protein Eng.8,153-1583.Kukimoto,M.,Nishiyama,M.,Tanokura,M.,Adman,E.T.and Horinouchi,S.(1996)J.Biol.Chem.271,13680-136834.Kukimoto,M.,Nishiyama,M.,Tanokura,M.,Murphy,M.E.P.,Adman,E.T.,and Horinouchi,S.(1996)FEBS Lett.394,87-90
審査要旨

 脱窒菌Alcaligenes faecalis S-6の亜硝酸還元系は、2つの銅蛋白質により構成されている。銅含有型の亜硝酸還元酵素(NIR)は嫌気的条件下において青色銅蛋白シュードアズリンから電子を受け取り、NO2-@からNOへの還元反応を触媒する。本研究は、蛋白工学的手法を用いることにより亜硝酸還元を担うこれら2つの銅蛋白の構造-機能相関を明らかにすると共に、銅蛋白間の電子伝達機構を解明したものである。

1.亜硝酸還元酵素の構造-機能相関の解析

 X線結晶構造解析によりNIRは3つの相同なサブユニットからなる三量体構造をとり、1つのサブユニット当たりタイプ1銅とタイプ2銅を1つずつ結合することが明らかにされた。NIRの含有する2種類の銅原子の亜硝酸還元機能における役割を明らかにするために、部位特異的変異法によりタイプ1銅のリガンドであるMet150をGluに、タイプ2銅のリガンドであるHis135をLysにそれぞれ置換した2つの変異型NIRを作製した。各変異体の活性測定、並びに分光学的解析の結果、His135LysNIRはタイプ1とタイプ2の銅を結合しているものの活性を全く示さないこと、またMet150Glu NIRはタイプ1銅のみを結合し、顕著な活性を保持していることが明らかになった。このことから、タイプ2銅が触媒機能に直接関与していることが強く示唆された。またMet150Glu NIRのシュードアズリンに対する電子伝達反応の速度定数を決定したところ、シュードアズリンに対するKmはほとんど変化せずにKcalのみが約1000分の1にまで低下していた。このことから、シュードアズリンからの効率的な電子の授受にタイプ1銅が必須の役割を果たしていることが明らかになった。これらの結果から、NIRのタイプ1銅がシュードアズリンから電子を受け取り、タイプ2銅へと電子が流れ、活性部位を構成するタイプ2銅で亜硝酸還元が行われることが示された。

2.シュードアズリンと亜硝酸還元酵素との相互作用部位の同定

 X線結晶構造解析によりシュードアズリンは8本の鎖からなるバレルと2本のヘリックスから構成され、分子内にタイプ1銅を1つ結合していることが明らかにされた。シュードアズリンのNIRとの相互作用部位を同定するために、部位特異的変異法によりシュードアズリンの分子表面に存在するLys残基をAlaに置換した複数の変異体を作製した。NIRの各変異型シュードアズリンに対する電子伝達反応の速度定数を決定した結果、Kcalは無変異型シュードアズリンに対する値と比べて大幅な変化は見いだされないものの、Kmはタイプ1銅周辺のLys10、Lys38、Lys57、およびLys77をそれぞれ置換した各変異体において顕著に上昇していることが明らかになった。これらの結果から、シュードアズリンのタイプ1銅近傍の正に帯電した領域がNIRとの相互作用に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

3.亜硝酸還元酵素とシュードアズリンの相互作用の解析

 次にNIRのシュードアズリンとの相互作用部位を明らかにするため、NIRの部位特異的変異を行った。NIRのタイプ1銅周辺の蛋白表面に存在する酸性アミノ酸残基がシュードアズリンとの相互作用に関与していることが予想された。そこでタイプ1銅の周辺を中心にNIRの分子表面に存在する10カ所の酸性アミノ酸残基を選択し、それぞれをAlaあるいはSerに置換した変異体を作製した。各NIR変異体について、シュードアズリンに対する電子伝達の速度定数を決定したところ、タイプ1銅周辺のGlu118、Glu197、Asp201、Glu204、およびGlu205の置換によりKmが増大することが明らかになった。これらの結果から電子伝達複合体形成にNIRの負電荷とシュードアズリンの正電荷による静電的相互作用が重要な役割を果たしていることが明らかになった。さらに、親和性の低下が観察されたNIRの変異体とシュードアズリンの変異体の間で同様な速度論的解析を行った。様々な変異体の間のKmを比較した結果、NIRのGlu197とシュードアズリンのLYs10が、NIRのGlu118とシュードアズリンのLYs57、Lys77が直接相互作用していることが示唆され、NIR-シュードアズリン間の特異的な認識機構の一部が明らかになった。

4.アズリンの部位特異的変異

 Pseudomonas aeruginosa由来の青色銅蛋白アズリンとA.faecalis S-6NIRとの間の電子伝達の速度論的解析を行ったところ、アズリンはシュードアズリンと比較してNIRへの電子伝達の効率が非常に低いことが明らかになった。アズリンとシュードアズリンの立体構造を比較してみると、シュードアズリンにはタイプ1銅の周辺に多数のLys残基が存在するのに対して、アズリンには存在しないという差異が見いだされた。そこでアズリンの部位特異的変異を行い、3つの変異体D11K、P36K、D11K/P36Kを作製した。NIRとの電子伝達の速度論的解析を行った結果、D11KとP36Kを同時に置換した変異体で無変異型アズリンと比較して顕著なKmの低下が観察された。これらの結果からシュードアズリンの銅原子周辺に存在するLys残基がNIRとの電子伝達複合体形成の特異性を決定している重要な因子であることが確認された。

 以上、本研究によりNIRが含有する2種類の銅原子の亜硝酸還元における役割が明らかになった。またシュードアズリンとNIRの部位特異的変異を行うことにより、両蛋白の相互作用部位を同定し、特異的な複合体形成が両蛋白間の電子伝達に重要であることが明らかになった。

 よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるのものと認めた。

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