学位論文要旨



No 112742
著者(漢字) 白石,紀彦
著者(英字)
著者(カナ) シライシ,ノリヒコ
標題(和) Rhizomucor属カビの1,2-マンノシダーゼに関する研究
標題(洋)
報告番号 112742
報告番号 甲12742
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1805号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 太田,明徳
 東京大学 助教授 西山,真
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨

 糖質による修飾は、抗生物質から高等真核生物の糖蛋白・糖脂質に至るまで知られている非常に一般的な生命現象である。糖鎖は非常に複雑の構造を取り得ることから、特に真核細胞においては重要な情報分子として機能することが明らかになっている。蛋白質のAsn-X-Ser/Thrのコンセンサス配列のAsnに糖鎖が付加されるN-型糖鎖生合成は、小胞体膜上の脂質であるドリコール(Dol)に対して段階的に単糖が付加されることによって起こる。グルコース(Glc)3分子-マンノース(Man)9分子-N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)2分子-ピロリン酸(PP)-Dol[Glc3Man9GlcNAc2-PP-Dol]まで伸長した糖鎖は、新生のペプチドに一括して(en bloc)転移される。小胞体でシャペロニンの助けを受けて適切な折り畳み状態をとった蛋白は、グルコシダーゼによってGlc3が刈り込まれてから分泌系に乗ってゴルジ体へと輸送される。ゴルジ体で、この糖鎖に対して単糖の付加が起こるが、その機構・構造は高等真核細胞と真核微生物の間で大きな違いがある。高等真核細胞では1,2-マンノシダーゼの働きによりMan5GlcNAc2にまで刈り込みが起こる。このタイプの糖鎖は、GlcNAc転移酵素Iの良い基質となりGlcNAcを転移され、以後の複合型・混成型糖鎖の出発物質となる。一方、出芽酵母ではゴルジ体に1,2-マンノシダーゼは存在せずトリミングは起こらないが、cis-ゴルジのOCh1pによって1,6-Manの転移を受け、その後さらに多くのマンノースが付加される。その結果、出芽酵母はハイマンノース型糖鎖のみを生成しMan9〜13GlcNAc2程度で伸長は停止する。Manがさらに数百ほどまで伸長した高度マンノシル化が起こることもあるが、このタイプの糖鎖はリン酸マンノース残基を側鎖に持っており、酵母に特徴的である。また、分裂酵母の場合では、小胞体でのManのトリミングが起きないばかりでなく、ハイマンノース糖鎖の末端にガラクトースが付加されることが知られている。一方、カビではMan5〜9GlcNAc2程度のものが知られている。この様な、細かい部分での違いは有るものの、小胞体でのN-型糖鎖生合成・新生ペプチドへの糖転移までの過程については真核生物の間で広く保存されていると考えられている。

 本研究では、この様な糖鎖の機能を理解する為に、真核微生物である毛カビRhizomucor pusillusの出芽酵母には存在しない糖鎖トリミングの、生理的意義またそれを担う酵素の基質特異性、反応機構について明らかにすることを目的として、1,2-マンノシダーゼ遺伝子を取得し解析を行った。また、N-型糖鎖生合成の初期段階に変異がある事が示唆されていた毛カビ変異株No.1116株の解析を通じて、新規の糖鎖生合成糖転移酵素の存在を明らかにすることを目的として、本変異株の小胞体の脂質中間体の解析を行うと同時に、変異点の候補である出芽酵母ALG2の相同遺伝子を毛カビ野生株及びNo.1116株よりクローン化しその比較解析を行った。

1)毛カビR.pusillusの1,2-マンシダーゼ遺伝子のクローニング及びその解析

 毛カビR.pusillusはチーズ製造に必要な凝乳酵素ムコールレンニン(MPP)の生産菌である。本酵素は培地中に分泌生産されるアスパラギン酸プロテアーゼであり、2ヶ所(79Asn,188Asn)に糖鎖付加を受ける。2ヶ所の糖鎖付加サイトのうち、79AsnにはMan5GlcNAc2、188AsnにはMan5〜6GlcNAc2が付加される。さらに糖蛋白糖鎖トリミング阻害剤を作用させ、菌体外のMPPのSDS-PAGE上での移動度を検討したところ、1,2-マンノシダーゼの阻害剤である1-デオキシマンノジリマイシンの添加によって、MPPの移動度が減少した。これらの結果は、本菌内に糖蛋白糖鎖プロセシング1,2-マンノシダーゼが存在し、MPPに付加されたフルサイズの糖鎖を刈り込んでいると考えられた。出芽酵母には存在しない本酵素は、高等真核細胞内では以降の糖鎖生合成の出発物質となるMan5GlcNAc2の糖鎖を生成する働きをしており、N-型糖蛋白糖鎖の成熟化に必須であることが知られている。そこで、この蛋白の分子レベルでの機能を明らかにするために、1,2-マンノシダーゼ遺伝子を取得し、その解析を行った。

 既に取得されている酵母の小胞体・マウスのゴルジ体1,2-マンノシダーゼ間で保存されている配列をもとにして合成DNAを作成し、R.pusillusF27株の染色体DNAを鋳型としてPCRを行った。その結果、相当する移動度に増幅バンドを得て、これをクローン化し塩基配列を決定したところ、他の1,2-マンノシダーゼと非常に高い相同性を示す領域が存在した。この様に取得した染色体上の本酵素遺伝子には、イントロンの存在が強く示唆されたため、カビからRNAを取得しRT-PCR・5’・3’-RACE(Rapid amplification of cDNA ends)によって本酵素遺伝子の全長cDNAを取得した。塩基配列の解析の結果、本酵素遺伝子は1800bp(600アミノ酸)からなるORFを含んでおり、染色体上では10個の60〜80bpのイントロンに分断されている事が明らかになった。相同性検索の結果、カビ、マウス、ショウジョウバエのプロセシング1,2-マンノシダーゼと非常に高い相同性を有していた。このペプチドは、一般的な1,2-マンノシダーゼと異なり膜貫通ドメインを持たず、N末端に分泌シグナルと考えられる配列を有していた。また、-マンノシダーゼ間で広く保存されている3ヶ所の領域を有していると同時に、活性の発現に必須とされる2個のシステイン残基が保存されていた。また、カルシウム結合配列と考えられる配列も有していた。この遺伝子を大腸菌内で高発現させると封入体を形成した為、可溶化しre-foldingを行い特異的活性の測定を行っている。また本酵素遺伝子のN末から23F及び72Qまでを、出芽酵母小胞体1,2-マンノシダーゼMNS1のプロモーターから24Wまでの膜貫通ドメインを含むと考えられているペプチドに置換したキメラ蛋白を出芽酵母小胞体内で発現させて、in vivoでの本酵素遺伝子の活性を検討している。

2)毛カビR.pusillusの糖鎖付加変異株1116株の変異点の解析

 醗酵学研究室において、毛カビR.pusillusから糖鎖付加変異株No.1116株が単離されている。本変異株が菌体外に分泌するMPPは、野生株よりもSDS-PAGE上での移動度が大きな3種の分子の混合物である。レクチンを用いた解析から、これらが糖鎖付加の違いによるものであることが明らかにされている。3種のうち2種は糖鎖付加を受けているが、単糖組成の解析及びコンカナバリンAブロッティングの結果から、Man0〜1GlcNAc2の非常に小さな糖鎖が付加されていることが示唆されていた。この変異株を糖蛋白糖鎖プロセッシング阻害剤処理を行ってもMPPの移動度に変化がなかったことから、本変異株がGlc3Man9GlcNAc2の糖鎖の転移を行ってから刈り込むのではなく、非常に小さな糖鎖を直接蛋白に転移していることが示唆された。

 小胞体内にどの様な糖蛋白糖鎖生合成中間体が蓄積されているかを明らかにするために、[3H]-ラベルを用いて小胞体内の脂質中間体の大きさ検討した。in vivoで[3H]-Man・グルコサミンをリピッド中間体に取り込ませ、菌体からクロロホルム:メタノール:水=1:1:1で抽出しこのクロロホルム層を脂質画分とし、残りのメタノール・水層から回収した脂質中間体画分と合わせて濃縮乾固した。その後n-プロパノール中穏やかに酸加水分解を行い糖鎖部分を脂質部分から切り離し、得られたサンプルをHPLC-ゲル濾過分析を行った。その結果野生株では僅かにGlc3Man9GlcNAc2が蓄積しているのに対し、糖鎖付加変異株No.1116株はMan1GlcNAc2-PP-Dolが顕著に蓄積している事が明らかになった。これまでに、このタイプの糖鎖のみを蓄積する変異株はどの生物種でも知られておらず、最も近い表現型として、出芽酵母糖鎖生合成変異株alg2-1が制限温度下でMan1〜2GlcNAc2-PP-Dolの中間体を蓄積し、蛋白にも転移することが知られているのみであった。Alg2pは、その変異株の表現型などからN-型糖鎖生合成の際の2個目、3個目のManの転移を行っていると考えられているが、No.1116株は、これまでに知られていない2個目のManのみを転移する段階の変異である可能性が示された。そこで、毛カビにおいてALG2相同遺伝子の取得を行い、野生株とNo.1116株の間で塩基配列情報の比較を行い、変異のないことを確認する事によってAlg2p非依存的な2個目のManを転移する新規N-型糖鎖生合成マンノース転移酵素の存在を明らかにしようとして、毛カビからのALG2相同遺伝子のクローン化を行った。出芽酵母ALG2と線虫のALG2相同遺伝子の間で保存されている配列をもとにして合成DNAを作成し、毛カビの全RNAを鋳型としてRT-PCRを行ったところ、相当する大きさに増幅断片が得られた。この断片をクローン化し塩基配列の決定を行ったところ、ALG2と高い相同性を示したことから、配列情報に基づいて5’・3’-RACEを行い1.6kbのcDNAの取得に成功した。DNA配列の解析の結果、全長に渡ってALG2と非常に高い相同性を示した。同様にして、No.1116株からもALG2相同遺伝子を取得し、1つのクローンの塩基配列を決定したところ、800bp付近で変異株で4bpの挿入と1bpの置換が起こり、その直後に終止コドンが出現することが明らかになった。この事から、No.1116株のAlg2pは、おそらくC末端側が欠失していると考えられた。現在この変異の、No.1116株が示すMan1GlcNAc2-PP-Dolのリピッド中間体の蓄積及びペプチドへの転移の表現型への寄与について検討を行っている。

3)まとめ

 今回、毛カビR.pusillusは、高等真核生物のゴルジ型1,2-マンノシダーゼと高い相同性を有するマンノシダーゼを発現している事を明らかにし、その遺伝子のクローニングと解析を行った。この事は、実用的な観点から本菌が生理活性糖蛋白にヒト型糖鎖を付加するための宿主として利用可能である事を示している。またR.pusillusから出芽酵母ALG2相同遺伝子の取得に成功した。本遺伝子は毛カビ糖鎖付加変異株No.1116株ではORF内で終止コドンが出現する変異を持っていることが示唆された。本研究は、出芽酵母に於いてしか知られていなかった糖鎖生合成の初期段階糖転移酵素について、新たな知見をもたらしたと同時に、この研究で取得された酵素遺伝子を解析することによってさらに詳細な機構の解明が期待される。

審査要旨

 糖質による修飾は、抗生物質から高等真核生物の糖蛋白・糖脂質に至るまで知られている非常に一般的な生命現象である。糖鎖は非常に複雑な構造を取り得ることから、特に真核細胞においては重要な情報分子として機能することが明らかになっている。

 本研究では、真核微生物である毛カビRhizomucor pusillusの、出芽酵母には存在しない糖鎖トリミングについて明らかにすることを目的として、1,2-マンノシダーゼ遺伝子を取得し解析を行った。また、N-型糖鎖生合成の初期段階に変異がある事が示唆されていた毛カビ変異株No.1116株の解析を通じて、新規の糖鎖生合成糖転移酵素の存在を明らかにすることを目的として、本変異株の小胞体の脂質中間体の解析を行うと同時に、変異点の候補である出芽酵母ALG2の相同遺伝子を毛カビ野生株及びNo.1116株よりクローン化しその比較解析を行ったものである。

1)毛カビR.pusillusの1,2-マンノシダーゼ遺伝子のクローニング及びその解析

 毛カビR.pusillusが菌体外に分泌するアスパラギン酸プロテアーゼムコールレンニン(MPP)は、2ヶ所(79Asn,188Asn)に糖鎖付加を受ける。毛カビから分泌されるMPPの79AsnにはMan5GlcNAc2、188AsnにはMan5〜6GlcNAc2が付加される事が示されている。この様に小さな糖鎖の形成される原因を明らかにする為に、糖蛋白糖鎖トリミング阻害剤を作用させ、菌体外のMPPのSDS-PAGE上での移動度を検討したところ、1,2-マンノシダーゼの阻害剤である1-デオキシマンノジリマイシンの添加によって、MPPの移動度が減少したことから、本菌内における糖蛋白糖鎖プロセシング1,2-マンノシダーゼの存在が予想された。そこで、本菌より1,2-マンノシダーゼ遺伝子を取得し、その解析を行った。

 既に取得されている酵母、マウスの1,2-マンノシダーゼ間で保存されている配列をもとにして合成DNAを作成し、R.pusillus F27株の染色体DNAを鋳型としてPCRを行った。得られた増幅バンドの塩基配列を決定したところ、他の1,2-マンノシダーゼと非常に高い相同性を示した。また、イントロンの存在が強く示唆されたため、カビからRNAを精製しRT-PCR・5’・3’-RACE(Rapid amplification of cDNA ends)によって本酵素遺伝子の全長cDNAを取得した。塩基配列の解析の結果、本酵素遺伝子は1800bp(600アミノ酸)からなるORFを含んでおり、染色体上では10個の60〜80bpのイントロンに分断されている事が明らかになった。相同性検索の結果、カビ、マウス、ショウジョウバエのプロセシング1,2-マンノシダーゼと非常に高い相同性を有していた。このペプチドは、一般的な1,2-マンノシダーゼと異なり膜貫通ドメインを持たず、N末端に分泌シグナルと考えられる配列を有していた。また、-マンノシダーゼ間で広く保存されている3ヶ所の領域を有していると同時に、活性の発現に必須とされる2個のシステイン残基が保存されていた。また、カルシウム結合配列と考えられる配列も有していた。

2)毛カビR.pusillusの糖鎖付加変異株1116株の変異点の解析

 醗酵学研究室において、毛カビR.pusillusから糖鎖付加変異株No.1116株が単離されている。本変異株が菌体外に分泌するMPPは、野生株よりもSDS-PAGE上での移動度が大きな3種の分子の混合物である。3種のうち2種は単糖組成の解析及びレクチンプロッティングの結果から、Man0〜1GlcNAc2の非常に小さな糖鎖が付加されていることが示唆されていた。この変異株を糖蛋白糖鎖プロセッシング阻害剤処理を行ってもMPPの移動度に変化がなかったことから、本変異株が非常に小さな糖鎖を直接蛋白に転移していることが示唆された。

 小胞体内にどの様な糖蛋白糖鎖生合成中間体が蓄積されているかを明らかにするために、[3H]-ラベルを用いて小胞体内の脂質中間体の大きさ検討した。in vivoで[3H]-Man・グルコサミンをリピッド中間体に取り込ませ、菌体からクロロホルム:メタノール:水=1:1:1で抽出しこのクロロホルム層を脂質画分とし、残りのメタノール・水層から回収した脂質中間体画分と合わせて濃縮乾固した。その後n-プロパノール中穏やかに酸加水分解を行い糖鎖部分を脂質部分から切り離し、得られたサンプルをHPLC-ゲル濾過分析を行った。その結果野生株では僅かにGlc3Man9GlcNAc2が蓄積しているのに対し、糖鎖付加変異株No.1116株はMan1GlcNAc2-PP-Dolが顕著に蓄積している事が明らかになった。これまでに、このタイプの糖鎖のみを蓄積する変異株はどの生物種でも知られておらず、最も近い表現型として、出芽酵母糖鎖生合成変異株alg2-1が制限温度下でMan1〜2GlcNAc2-PP-Dolの中間体を蓄積し、蛋白にも転移することが知られているのみであった。Alg2pは、その変異株の表現型などからN-型糖鎖生合成の際の2個目、3個目のManの転移を行っていると考えられているが、No.1116株は、これまでに知られていない2個目のManのみを転移する段階の変異である可能性が示された。そこで、毛カビにおいてALG2相同遺伝子の取得を行う事とした。出芽酵母ALG2と線虫のALG2相同遺伝子の間で保存されている配列をもとにして合成DNAを作成し、毛カビの全RNAを鋳型としてRT-PCRを行ったところ、相当する大きさに増幅断片が得られた。この断片をクローン化し塩基配列の決定を行ったところ、ALG2と高い相同性を示したことから、配列情報に基づいて5’・3’-RACEを行い1.5kb(456アミノ酸)のcDNAの取得に成功した。相同性検索の結果、全長に渡ってALG2と非常に高い相同性を示した。同様にして、No.1116株からもALG2相同遺伝子を取得し、塩基配列を決定したところ、5bpの挿入が起こり、フレームシフトにより終止コドンが出現し277アミノ酸のペプチドとして翻訳されていることが示唆された。

 以上、本研究は出芽酵母に於いてしか知られていなかった糖鎖生合成の初期段階糖転移酵素について、新たな知見をもたらしたと同時に、この研究で取得された酵素遺伝子を解析することによってさらに詳細な機構の解明が期待される。

 よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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