哺乳類の生殖系列へ外来遺伝子を導入する技術は、生物学領域において近年最も進展した技術の一つである。最初、Gordonら(1980年)によって開発された受精卵の前核に遺伝子DNAを直接顕微注入する方法は、遺伝子導入動物(トランスジェニック動物;Tg動物)の作出法として現在最も広く利用されている。特に、家畜への外来遺伝子導入は、DNA顕微注入法によってのみ行なわれているのが現状である。 遺伝子導入技術を家畜に応用して得られる可能性には、まず、家畜における生産性の遺伝的向上がある。また、医学的に重要な生理活性物質を家畜体を利用して大量に生産させる試みがなされている。さらに、ヒト補体制御遺伝子を導入し異種移植で起こる超急性拒絶反応を抑えたTgブタを作出し、異種移植用臓器として利用する研究も行なわれている。このように、家畜への遺伝子導入技術の応用には多様な可能性が秘められている。しかし、この技術を家畜に広く応用して行くには解決すべき多くの課題が残されている。最大の課題は、DNA顕微注入法によって得られるTg家畜の作出効率が、マウスに比べて著しく低いことである。そのため、これまでに外来遺伝子導入法の改良を目指した多くの研究が試みられてきたが、未だ高いTg動物の作出効率が得られる有効な手段は確立されるに至っていない。 以上の様な背景から、本研究はTg動物の高い作出効率が得られる有効な方法を開発することを目的に行なったものである。 トランスジーンに特異的なプライマーとランダムプライマーとを用いたPCR法によるトランスジェニック胚選別の試み これまでに、着床前の胚を材料として宿主DNAに組み込まれた外来遺伝子(以下、トランスジーン)をPCR法により検出する試みがなされているが、前核内に注入したDNAのうち宿主DNAに組み込まれなかった外来DNAが桑実期あるいは胚盤胞期に至るまで、消化されずに胚内に残存していることが判明している。そのため、通常のPCR法によるTg胚の検出法は、結果の信頼性が極めて低いのが現状である。 そこで、まず、ランダムプライマーと、トランスジーンに特異的なプライマーとを組み合わせたPCR法によるトランスジーンの検出法を考案し、着床前のTg胚の選別に有効であるかどうかを検討した。DNAをマウス受精卵前核に顕微注入し、体外で発生させた桑実胚あるいは胚盤胞から抽出したゲノムDNAを、トランスジーン内のDNA領域をプローブとしてSouthern法により解析した結果、一部の胚で強いシグナルが観察された。これらの胚のPCR産物(複数バンドの集合)についてDNAの塩基配列を調べた結果、いずれもトランスジーンに特異的な塩基配列は検出されなかった。このような実験結果の不一致は、Southern解析で得られた陽性シグナルには、複数のPCR産物が含まれていることから、塩基配列の決定に供した試料中にトランスジーンに特異的なPCR産物が含まれていなかった可能性があり、本方法をTg胚の選別法として利用するには、さらに検討を要することが示唆された。 エキソヌクレアーゼの消化とPCRとの併用によるトランスジェニック胚の選別 Cousenseら(1994年)およびHyttinenら(1994年)が報告したエキソヌクレアーゼ(Bal31)およびメチル化DNA部位を特異的に消化するヌクレアーゼ(DpnI)を利用する方法に幾つかの改良を加え、Tg胚の選別法として有効かどうかを検討した。材料には、通常マウス胚、Tgマウスとの交配により卵管から採集したTg胚、ならびに屠畜卵巣から採取し、体外成熟、体外受精ならびに体外発生させたウシ胚を用いた。また、外来遺伝子には3種類の融合遺伝子を用い、DNAは前核期ないし後期胚の細胞質に注入した。これらの胚はすべて、体外で桑実胚あるいは胚盤胞にまで発生させた後、個々の胚からDNAを抽出した。 抽出したDNAは、DpnIで処理し、ついで、Bal31で処理後、一旦グラスミルク(Geneclean Kit II)を用いて回収し、トランスジーンに特異的なプライマーを用いてPCRを行なった。 その結果、Dpn IおよびBal31を処理しないでPCRを行なった場合、ほとんどの胚のDNA(94.5%)からは注入遺伝子に特異的なPCR産物が検出された。これに対して、細胞質にDNAを注入し、体外で桑実胚あるい胚盤胞に発生させた215個のウシおよび205個のマウス胚を解析したところ、マウス胚134個のうち2個(1.4%)でPCR産物が検出されたものの、その他の胚では特異PCR産物は全く検出されなかった。これらの結果は、両種の酵素処理が、宿主DNAに挿入されなかったDNAの消化に極めて有効であることを示している。一方、Tg胚のゲノムDNAを酵素処理した場合には、解析した胚の68.6%でトランスジーンに特異的なPCR産物が検出された。ついで、ウシ胚を用い、内在遺伝子であるグロビン遺伝子のマーカー遺伝子を標的に同様な解析を行なった場合には、70.5%の胚でマーカー遺伝子に特異的なPCR産物が検出され、これまでに報告された成績に比べ極めて高いTg胚の検出率が得られた。 以上の結果から、DpnI処理とBal31処理との間にDNAの回収を含む幾つかの改良を加えた当該方法は、Tg胚の選別に極めて有効であることが確認された。 トランスジェニック動物作出効率に及ぼす制限酵素導入の効果 DNA顕微注入による遺伝子導入法が開発されてすでに16年経過したが、Tg動物の高い生産効率が得られる有効な方法が未だ確立されていない。最近、動物培養細胞内に電気パルス法により外来DNAを制限酵素と共にを導入すると、DNAを単独に導入した場合に比べ、外来DNAが宿主DNAに組み込まれる効率が有意に高くなることが報告されている。 本実験では、受精卵前核に外来遺伝子と制限酵素とを同時に顕微注入する手段が、Tgマウスの生産効率を上げるために有効であるかどうかを検討した。なお、注入制限酵素には、Eco RIを用い、また、注入遺伝子には、PCRで増幅される領域内にEco RI部位を有しないDNAを用いた。 まず、予備実験として、マウス受精卵の前核に注入するEco RIの量が、その後の胚の発生に及ぼす影響について調べた。 その結果、前核内に存在するハプロイドDNA(3pg)を完全に消化する量に近いで10-5Uを注入した胚のすべてが、1〜4細胞期で発生が停止した。一方、10-8Uの注入では、約71%の胚が桑実期ないし胚盤胞にまで発生した。これに対して、10-7Uおよび5×10-8Uの注入量では、それぞれ、平均49%および61%の胚が胚盤胞にまで発生した。したがって、以後の実験では、前核への注入量を10-7Uおよび5×10-8Uとした。 2種類の遺伝子DNAをそれぞれ、EcoRIと共に受精卵前核に顕微注入し、体外で桑実胚ないし胚盤胞にまで発生させ、本研究で確立したTg胚を検出する方法により解析を行なった。その結果、統計的に有意差は見られなかったものの(2-test,0.1<P<0.2)、DNAの単独注入では平均11.4%のTg胚が検出されたのに対して、同時注入では、17.5%のTg胚が検出された。さらに、同様な方法により処理した胚を偽妊娠マウスの卵管に移植し、得られた産子から抽出したDNAを通常のPCR法によりトランスジーンの有無を解析した実験では、単独注入で生まれたマウスからはTg個体は全く得られなかったの対して、同時注入では、9.1%のTg個体が検出された。 以上の結果から、DNA顕微注入による遺伝子導入法において、DNAと制限酵素を同時注入する方法は、Tg動物の作出率向上に有効である可能性が示唆された。 |