学位論文要旨



No 112749
著者(漢字) 中山,泰亮
著者(英字)
著者(カナ) ナカヤマ,タイスケ
標題(和) 卵丘細胞外マトリックスの動的変化と卵成熟
標題(洋)
報告番号 112749
報告番号 甲12749
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1812号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 助教授 佐藤,英明
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 東條,英昭
内容要旨

 哺乳動物卵子は周囲を卵丘細胞によって取り囲まれ,卵丘卵子複合体(cumulus-oocytecomplex;COC)としてその機能を維持している.卵成熟に伴って,グリコサミノグリカン(glycosaminoglycan;GAG)に富む細胞外マトリックス(extracellular matrix;ECM)が発達し,卵丘膨化を誘起する.このようにして形成された膨化卵丘は,卵胞壁からのCOCの遊離,排卵,卵管内移動に関与し,さらに精子の捕捉を容易にするなどの役割を果たすが,卵丘膨化の制御機構についてはマウスなどの実験動物を材料に用いて解析が進められている.しかしながら,マウス卵子の成熟に要する時間が数時間と短いことから,卵丘膨化や卵成熟の過程を詳細に解析するのが困難であり,特に卵丘ECMにおけるGAGの分子種の動態や膨化卵丘の構造の動的変化,卵成熟における役割については明らかになっていない.そこで,マウスなどに比べて卵成熟に要する時間が長く,安定な体外培養系が確立されているブタCOCを材料に用いて,卵丘膨化に伴う卵丘ECMの動的変化を解析し,卵成熟における卵丘膨化の役割を明らかにしようとした.

第1章卵丘膨化に伴うグリコサミノグリカン組成の変化

 ブタCOCの体外培養下における卵丘膨化の経時的変化を観察し,次いで,卵丘に蓄積されるGAGの組成及び動態を解析した.また,COCにoocytectomy(卵細胞質除去術)を施し,oocytectomized COC(OXC)を作製して,卵丘膨化及びGAGの蓄積に及ぼす卵子の役割を明らかにしようとした.ブタCOC及びOXCを1IU/ml PMSGを含むブタ卵胞液(porcine follicular fluid;pFF)で培養すると,どちらも卵丘膨化を誘起したが,OXCの卵丘膨化面積はCOCよりも小さかった.この差がGAGの蓄積の違いによるものか否かを検討するために,培地にGAG合成の基質となる[3H]グルコサミンを添加してCOCあるいはOXCに取り込ませたところ,[3H]グルコサミン取り込み量は両者とも培養開始から増加するとともに,その取り込み量に差はみられなかった.このことから,COCとOXCでは,卵丘膨化に伴って卵丘に蓄積されるGAGの組成に変化が生じている可能性が推察された.そこで,卵丘に蓄積されるGAGの組成を解析するために,[3H]グルコサミン及び[35S]硫酸を添加した培地でCOC及びOXCを培養し,GAGを放射標識した.培養後,COC及びOXCに蓄積したGAGを抽出し,抽出物を放線菌ヒアルロニダーゼあるいはコンドロイチナーゼABCで消化し,消化残渣の3H及び36Sの放射線量を測定することによりヒアルロン酸(hyaluronic acid;HA)及びコンドロイチン硫酸(chondroitin sulfate;CS)の相対量を比較した.COCにおける3H標識GAG量は培養16時間から急激に増加したが,ヒアルロニダーゼ処理を行った場合にはこのような増加はみられなかったことから,卵丘に蓄積されるGAGの主成分がHAであることが示された.また36S標識GAG量も増加したがコンドロイチナーゼ処理によって減少したことから,CSも卵丘に蓄積されていることが明らかとなった.一方,OXCの3H標識GAG量にはCOCで示されたような著しい増加パターンはみられなかったが,36S標識GAG量はCOCと同様に増加したので,oocytectomyによって卵丘細胞におけるHAの合成が阻害されることが明らかとなった.以上のことから,ブタCOCの卵丘膨化において卵丘に蓄積されるGAGの主成分はHAであり,HA合成は卵子によって調節されていることが明らかとなった.

第2章卵丘膨化に伴うヒアルロン酸結合蛋白質の動態

 卵丘膨化において卵丘に蓄積するGAGの主成分がHAであることが明らかとなったが,HAはプロテオグリカンのようなコア蛋白質をもたないため,HAをECM中に保持するためにHA結合蛋白質(HA-binding protein;HABP)を必要とする.したがって,卵丘ECM中にもHABPが存在すると考えられる.そこで,COC抽出物を用いてHABPの検出を試みた.ビオチン化HAをプローブに用いてトランスブロット解析を行ったところ,120及び70kDaのHABPがCOC抽出物に検出された.特に70kDaのシグナルは培養の経過に伴い増加した.また,120及び70kDaのHABPは卵子抽出物にはほとんど検出されなかったことから,主に卵丘細胞に存在すると考えられた.さらに,pFFにも検出されなかったので,培地に添加したpFF由来の蛋白質ではないことが示された.次に,HABP発現の誘導因子を同定した.まず,HABP発現に及ぼす卵子の影響を調べるために,OXC抽出物を用いてHABPの検出を行ったところ,120及び70kDaのバンドが検出され,その泳動パターンはCOC抽出物のものと差はなかった.次いで培地中のPMSGあるいはpFF濃度を改変した場合のHABPの発現を調べたところ,PMSG添加培地においてHABPのシグナルが増加した.以上のことから,ブタCOCには120および70kDaのHABPが存在し,その発現はPMSGに依存し,卵子による制御は受けていないことが明らかとなった.

第3章卵丘膨化に伴うヒアルロン酸結合蛋白質の遺伝子発現

 第2章で明らかにしたように,ブタCOCでは2種のHABPが発現しているが,その分子的実態を明らかにするために既知のHABPの遺伝子発現を調べた.これまでにCD44,RHAMM,アグリカンやバーシカンなどのプロテオグリカン,及びリンク蛋白質がHABPとして同定されているが,RT-PCRの結果,ブタCOCではCD44,バーシカン,リンク蛋白質の遺伝子発現が認められた.COC,卵子及びOXCから得られたRNAサンプルを用いて定量的PCR行ったところ,いずれも大部分が卵丘細胞で発現し,さらに培養の経過に伴い発現が増加することが示された.次に,CD44,バーシカン,リンク蛋白質の遺伝子発現の誘導因子を同定した.培地中のPMSGあるいはpFF濃度を改変した場合,バーシカン及びリンク蛋白質の遺伝子発現はPMSGあるいはpFFの添加によって誘起されたが,CD44の遺伝子発現はPMSGを添加した培地でのみ誘起された.一方,CD44の蛋白質をイムノブロット解析によって調べたところ,70kDaに相当する特異的バンドが検出され,培養の経過に伴いシグナルは増加した.以上のことから,ブタCOCの体外培養系ではCD44,バーシカン及びリンク蛋白質の遺伝子発現が誘起され,その発現量は培養の経過に伴い増加することが明らかとなったが,OXCでも発現したことから,これらの発現は卵子による制御を受けていないと思われる.また,CD44の遺伝子発現は培地中のPMSGによって刺激され,蛋白質は70kDaのバンドとして検出されたことから,第2章において検出された70kDaのHABPと同じ蛋白質であると考えられる.

第4章卵丘卵子複合体の卵成熟過程における卵丘膨化の役割

 卵丘ECMの動的変化によって卵丘膨化が誘起されるが,卵丘膨化に伴ってCOCでは卵成熟も誘起されているので,両者の相関について検討した.COCから卵丘細胞を外して培養したり,あるいは高い細胞密度で培養することにより卵丘膨化を抑制すると,卵核胞崩壊(germinal vesicle breakdown;GVBD)率は低下した.一方,GAG合成阻害剤として知られるdiazo-oxo-norleucine(DON)によって卵丘膨化に伴うGAG合成を阻害したところ,卵丘膨化はDONの濃度に依存して抑制され,卵丘におけるHA蓄積量も減少した.このときGVBD率も濃度依存的に抑制され,また卵成熟の指標となるcdc2キナーゼ活性をヒストンH1を基質に用いて測定したところ,活性も抑えられていた.卵丘膨化の過程で卵丘に蓄積されるGAGの主成分がHAであることが明らかになっているので,次に,HAをリガンドとするCD44の卵子における機能を,CD44の細胞外ドメインを認識する抗体を用いることにより解析した.抗体添加培地でCOCを培養したところ,GVBD率は抗体濃度に依存して抑制された.このとき膨化卵丘は増大する傾向がみられ,HA蓄積量も増加した.以上の結果から,GVBDの誘導には卵丘細胞によって合成されるHAが必要であり,HAはCD44に結合することによりcdc2キナーゼを活性化し,GVBDを誘導すると考えられる.

 以上のことから,卵丘膨化過程で卵丘に蓄積されるGAGの主成分がHAであり,HAは卵丘細胞及び卵子表面に存在するHABPと結合することにより膨化卵丘中に保持されていると考えられる.また,卵丘HABPがCD44であることが強く示唆されるとともに,HAがCD44に結合することが卵成熟を誘起するためのシグナルとなることも示唆された.

審査要旨

 哺乳動物卵子は卵丘細胞に取り囲まれ、卵丘卵子複合体(cumulus-oocyte complex;COC)として機能している。卵成熟に伴って、COCではグリコサミノグリカン(glycosaminoglycan;GAG)に富む細胞外マトリックス(extracellular matrix;ECM)が発達し、卵丘膨化を誘起するが、卵丘ECMにおけるGAGの分子種や膨化卵丘の構造の動的変化、卵成熟における役割については明らかに成っていない。そこで、ブタCOCを材料として、卵丘膨化に伴う卵丘ECMの動的変化を解析し、卵成熟における卵丘膨化の役割を明らかにしようとした。本論文は4章よりなる。

 第1章では卵丘膨化に伴うGAG組成の変化を調べた。また、COCにoocytectomy(卵細胞質除去術)を施し、oocytectomized COC(OXC)を作製して、卵丘膨化及びGAG蓄積に及ぼす卵子の役割を解析したが、ブタCOCの卵丘膨化過程で卵丘に蓄積されるGAGの主成分はヒアルロン酸(HA)であった。またHA合成は卵子によって調節されていることが明らかとなった。

 第2章では、卵丘膨化に伴うヒアルロン酸結合蛋白質(hyaluronic acid-binding protein;HABP)の動態を解析した。卵丘膨化過程で蓄積するGAGの主成分がHAであることが明らかとなったが、HAはプロテオグリカンのようなコア蛋白質をもたないため、HAをECM中に保持するためにHABPを必要とする。そこで、COC抽出物からのHABPの検出を試みた。ビオチン化HAをプローブに用いてトランスプロット解析を行ったところ、70及び120kDaのHABPがCOC抽出物に検出された。70kDaのシグナルは培養の経過に伴い増加した。また、OXC抽出物においても70及び120kDaのバンドが検出された。次いで倍地中のPMSGあるいはpFF濃度を改変した場合のHABPの発現を調べたところ、PMSG添加倍地においてHABPのシグナルが増加した。以上のことから、ブタCOCには70及び120kDaのHABPが存在し、その発現はPMSGに存在し、卵子による制御は受けていないことが明らかとなった。

 第2章でブタCOCには2種のHABPが発現していることを明らかにしたが、その分子種を同定するために、第3章では卵丘膨化に伴う既知のHABPの遺伝子発現を調べた。RTPCRの結果、ブタCOCではCD44、バーシカン、リンク蛋白質の遺伝子発現が認められた。次に、CD44、バーシカン、リンク蛋白質の遺伝子発現の誘導因子を同定した。倍地中のPMSGあるいはpFF濃度を改変した場合、バーシカン及びリンク蛋白質の遺伝子発現はPMSGあるいはpFFの添加によって誘起されたが、CD44の遺伝子発現はPMSG添加倍地でのみ誘起された。一方、CD44蛋白質をイムノブロット解析によって調べたところ、70kDaに相当するバンドが検出された。以上のことから、ブタCOCの体外培養系ではCD44、バーシカン及びリンク蛋白質の遺伝子発現が誘起され、その発現は培養の経過に伴い増加することが明らかとなった。また、CD44の遺伝子発現は倍地中のPMSGによって刺激され、蛋白質は70kDaのバンドとして検出されたことから、第2章において検出された70kDaHABPと同じ蛋白質であると考えられた。

 第4章ではCOCの卵成熟過程における卵丘膨化の役割を明らかにした。卵丘膨化に伴ってCOCでは卵成熟も誘起されるが、GAG合成阻害剤によって卵丘膨化に伴うGAG合成を阻害したところ、卵核胞崩壊(germinal vesicle breakdown;GVBD)が濃度依存的に抑制され、また卵成熟の指標となるヒストンH1キナーゼ活性も抑えられていた。卵丘膨化の過程で卵丘に蓄積されるGAGの主成分がHAであることが第1章で明らかになっているので、次に、HAをリガンドとするCD44の卵子における機能を、CD44の細胞外ドメインに対する抗体を用いることにより解析した。抗体添加倍地でCOCを培養したところ、GVBDは抗体濃度に依存して抑制された。以上のことから、GVBDの誘導には卵丘細胞によって合成されるHAが必要であり、HAはCD44に結合することによりGVBDを誘導すると考えられた。

 すなわち本研究では、卵丘膨化過程で卵丘に蓄積されるGAGの主成分がHAであり、HAは卵丘細胞及び卵子表面に存在するHABPと結合することにより膨化卵丘中に保持されていることを明らかにした。また、卵丘HABPの主たるものがCD44であり、HAがCD44に結合することにより卵成熟が誘起されることも示唆している。

 よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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