学位論文要旨



No 112753
著者(漢字) 田村,誠司
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,セイジ
標題(和) 神経細胞におけるフリーラジカルによる細胞死に関する研究
標題(洋) Studies on free radical-induced cell death in neuronal cells
報告番号 112753
報告番号 甲12753
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1816号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京医科歯科大学 教授 平川,公義
内容要旨

 フリーラジカルによる神経細胞傷害はアルツハイマー病、パーキンソン病および筋萎縮性側索硬化症などの神経変性性疾患や虚血、外傷および興奮性アミノ酸毒性などの病態に関与していると考えられている。過剰のフリーラジカルに暴露された細胞は細胞内カルシウムイオンの増加、脂質の過酸化あるいはエネルギー代謝の変化などを含む様々な反応を示すが、最終的に死に至る詳細なメカニズムについては不明な点が多い。さらに、フリーラジカルの半減期は著しく短い(1×10-9〜1×10-6秒)ため、フリーラジカルの発生場所により細胞傷害の異なることが考えられるが、フリーラジカルの発生場所による細胞傷害の違いについては報告されていない。本論文では、ラット海馬由来神経細胞(HV16-4)、ラット褐色細胞腫(PC12)およびラット神経膠腫(C6)の3種の神経系細胞を用い、フリーラジカルによる細胞死のメカニズムをin vitroで明らかにし、さらに、細胞外および細胞内フリーラジカルによる傷害の違いを検討した。

第2章細胞外フリーラジカルの効果

 第2章ではヒポキサンチン-キサンチンオキシダーゼ(HX-XOD)系により細胞外に発生させたスーパーオキサイドラジカル(O2-)に暴露したHV16-4、PC12およびC6細胞について、細胞内遊離カルシウムイオン濃度(Ca2+i)、脂質過酸化物、細胞内エネルギー代謝産物(ATP、ADPおよびAMP)、および細胞死に対するCa2+拮抗薬の効果を検討した。

 Ca2+iの変化はfluo-3をCa2+蛍光指示薬として、共焦点レーザー顕微鏡により細胞毎に経時的に観察した。すべての細胞において、XOD添加後100分までにCa2+iは増加し始め、さらに約10分後fluo-3の蛍光は急激に低下し、細胞死の指標として同時に負荷したヨウ化プロピジウム(Pl)の蛍光が増加した。このPl蛍光の増加した時間を細胞死の時間とし、これより平均生存時間を算出したところ、58.9±22.6(HV16-4)、62.8±19.0(PC12)、および50.2±13.4(C6)分であった。また、非特異的Ca2+拮抗薬であるコバルトイオン(Co2+)はすべての細胞において、Ca2+iの増加と細胞死を遅延させた。さらに、Ca2+の透過性を増加させるカルシウムイオノフォアA23187は細胞外フリーラジカル暴露と同様にCa2+iの増加とそれに続く細胞死を引き起こした。以上のことから、Ca2+iの増加が細胞外フリーラジカル暴露によるHV16-4、PC12およびC6細胞の細胞死に重要な役割を果たしていると考えられた。

 走査型電子顕微鏡による形態学的検索では、XOD添加後15分でHV16-4細胞上にブレブが観察され、その後ブレブは次第に大きくなり、破裂する像が観察された。PC12およびC6細胞においてもXOD添加後60分でブレブが観察された。一方、チオバルビツール酸反応性物質(TBARS)として測定した脂質過酸化物はHV16-4およびC6細胞においてはXOD添加後15分で増加したが、PC12細胞では変化が認められなかった。これらの結果から、ブレブ形成あるいはTBARSの増加として観察される細胞膜の傷害がCa2+の恒常性を破綻させていることが示唆された。

 細胞内ATP、ADPおよびAMPは高速液体クロマトグラフィーにより測定した。ATPはすべての細胞において、XOD添加後60分までに急速に低下した。しかしながら、ほとんどすべての細胞が死滅した150分時においてもATPが検出されたことから、このATPの低下と細胞外フリーラジカルによる細胞死との関連は少ないものと考えられた。

 次に、観察されたCa2+の流入の経路を明らかにするために4種の特異的Ca2+阻害薬の細胞死に対する効果を検討した。HV16-4においてはLタイプの電位依存性Ca2+チャネル(VDCC)阻害薬であるベラパミルおよびニフェジピン、NタイプのVDCC阻害薬であるネオマイシンがCa2+iの増加と細胞死の遅延(無添加時のそれぞれ100、80および20%増)に効果を示した。一方、PC12ではベラパミルとネオマイシン(無添加時のそれぞれ60および20%増)が、C6ではベラパミル(無添加時の30%増)が効果を示した。したがって、細胞外フリーラジカルによるCa2+iの増加はHV16-4およびPC12細胞は主にLおよびNタイプのVDCCを、C6細胞ではLタイプのVDCCを介したCa2+の流入によるものと考えられた。

 以上の結果から、細胞外に発生したフリーラジカルは細胞膜に何らかの酸化的傷害を引き起こすことでLあるいはNタイプのVDCCの活性化を招来し、Ca2+iを増加させ、細胞死を引き起こすと考えられた。

第3章細胞内フリーラジカルの効果

 ヨード酢酸(IAA)は解糖系を抑制することで化学的虚血/低酸素状態を引き起こし、細胞に酸化ストレスを与え、さらに、細胞内抗酸化系酵素を阻害し、フリーラジカルを産生することが知られている。そこで、第3章ではIAAによる細胞内のフリーラジカルに暴露したHV16-4、PC12およびC6細胞について、第2章と同様にCa2+i、脂質過酸化物、細胞内エネルギー代謝産物(ATP、ADPおよびAMP)、および細胞死に対するCa2+拮抗薬ならびに抗酸化剤の効果を検討した。

 1mMIAAの添加によりすべての細胞において、TBARSの著増が観察され、細胞内フリーラジカルが発生していることが確認された。したがって、以下の実験は1mMIAA添加とした。

 すべての細胞において、IAA添加後Ca2+iは漸次増加し、60分までに細胞死を示すPlの蛍光の増加が観察された。平均生存時間は54.3±12.2(HV16-4)、34.2±15.3(PC12)、および56.6±9.3(C6)分であった。また、Co2+はすべての細胞において、Ca2+iの増加と細胞死を遅延させた。このことから、細胞外フリーラジカル暴露と同様、細胞内フリーラジカル暴露によるHV16-4、PC12およびC6細胞の細胞死においてもCa2+iの増加が重要な役割を果たしていると考えられた。

 一方、ATPはすべての細胞において、IAA添加後5〜15分までに急速に低下した。この低下はTBARSやCa2+iの増加に先行することから、IAAによる細胞死ではATPの枯渇が重要な役割を果たしている可能性が示唆された。

 次に、Co2+がCa2+iの増加と細胞死の遅延に効果があり、TBARSが増加を示したので、2種のVDCC阻害薬(ベラパミルとネオマイシン)と抗酸化剤(-トコフェロール)の細胞死に対する効果を検討した。HV16-4細胞では、ベラパミル、ネオマイシンおよび-トコフェロールのいずれについても効果は観察されなかったが、PC12では3種の薬剤いずれにおいてもCa2+iの増加と細胞死の遅延が認められた。一方、C6細胞では-トコフェロールにのみCa2+iの増加と細胞死の遅延に効果が認められた。したがって、HV16-4細胞で認められたCa2+iの増加はLおよびNタイプのVDCC以外の経路が関与しており、また、-トコフェロールの効果が認められなかったことから膜脂質過酸化よりはむしろATPの急激な低下が細胞死を引き起こしたものと推測された。一方、PC12細胞では、IAA処置で発生した細胞内フリーラジカルによる膜脂質の過酸化が主にLおよびNタイプのVDCCを介したCa2+iの増加を引き起こし、C6細胞では、膜脂質の過酸化によりLおよびNタイプのVDCC以外の経路によるのCa2+iの増加が細胞死を引き起こすと考えられた。したがって、IAA処置で発生した細胞内フリーラジカルは神経細胞の種類により異なったメカニズムで細胞死を引き起こしていると考えられた。

 以上の結果から、細胞外で発生したフリーラジカルは同一のメカニズム、すなわちVDCCの活性化によるCa2+の流入により細胞死を引き起こすのに対し、細胞内で発生したフリーラジカルは神経細胞の種類により異なったメカニズムで細胞死を引き起こすことが明らかとなった。

審査要旨

 フリーラジカル(FR)による神経細胞死は様々な神経変性性疾患や虚血、外傷などの病態に関与していると考えられている。過剰のFRに暴露された神経細胞は様々な反応を示すが、最終的に死に至る詳細なメカニズムについては不明な点が多い。さらに、FRの半減期は著しく短いため、FRの発生場所により細胞傷害の異なることが考えられるが、FRの発生場所による細胞傷害の違いについては報告されていない。本論文は、ラット海馬由来神経細胞(HV16-4)、ラット褐色細胞腫(PC12)およびラット神経膠腫(C6)の3種の神経細胞を用い、FRによる細胞死のメカニズムをin vitroで明らかにし、さらに、細胞外/内FRによる傷害の違いを検討したもので、序・総括を含む4章から構成されている。

 第2章ではヒポキサンチン-キサンチンオキシダーゼ(HX-XOD)系により細胞外に発生させたFRに暴露した3種の神経細胞について、Ca2+i、脂質過酸化物、細胞内エネルギー代謝産物(ATP、ADPおよびAMP)、および細胞死に対するCa2+拮抗薬の効果を検討した。

 すべての細胞において、細胞外FR(EFR)暴露後100分までにCa2+iは増加し、細胞死が発現した。また、非特異的Ca2+拮抗薬であるコバルトイオン(Co2+)はCa2+iの増加と細胞死を遅延させた。さらに、カルシウムイオノフォアA23187はEFR暴露と同様にCa2+iの増加とそれに続く細胞死を引き起こした。したがって、Ca2+の流入がEFR暴露による細胞死の引き金であると考えられた。また、形態学的には、暴露後15分でブレブ(bleb)が観察された。一方、脂質過酸化物(チオバルビツール酸反応物質,TBARS)はHV16-4およびC6では暴露後15分で増加したが、PC12では変化が認められなかった。これらの結果から、TBARSの増加あるいはブレブ形成として観察される細胞膜の傷害がCa2+の流入を引き起こしていることが示唆された。細胞内ATPはすべての細胞において、暴露後60分までに低下したが、すべての細胞が死滅した120分時においてもATPが検出されたことから、このATPの低下とEFRによる細胞死との関連は少ないものと考えられた。次に、4種の特異的Ca2+阻害薬の細胞死に対する効果を検討した。HV16-4ではLタイプの電位依存性Ca2+チャネル(VDCC)阻害薬であるベラパミルおよびニフェジピン、NタイプのVDCC阻害薬であるネオマイシンが、PC12ではベラパミルとネオマイシンが、C6ではベラパミルが細胞死の遅延効果を示した。したがって、EFRによるCa2+iの増加はHV16-4およびPC12細胞は主にLおよびNタイプの、C6細胞ではLタイプのVDCCを介したCa2+の流入によるものと考えられた。以上の結果から、EFR細胞膜に酸化的傷害を引き起こすことでLあるいはNタイプのVDCCの活性化を招来し、その結果Ca2+が流入し細胞死を引き起こすと考えられた。

 第3章ではヨード酢酸(IAA)による細胞内FR(IFR)に暴露した3種の神経系細胞について、第2章と同様の検討を行った。

 Ca2+iはIAA添加後漸次増加し、60分までに細胞死が観察された。また、Ca2+はすべでの細胞において細胞死を遅延させた。このことから、EFR暴露と同様、IFR暴露による細胞死においてもCa2+iの増加が重要な役割を果たしていると考えられた。一方、すべての細胞において、脂質過酸化物の著増が観察され、ATPはIFR暴露後15分までに急速に低下した。この低下はTBARSやCa2+iの増加に先行することから、IAAによるCa2+iの増加にはATPの枯渇が関与している可能性が示唆された。次に、2種のVDCC阻害薬(ベラパミルとネオマイシン)と抗酸化剤(-トコフェロール)の細胞死に対する効果を検討した。HV16-4では、すべての薬剤について効果を示さなかったが、PC12ではすべての薬剤について細胞死の遅延が認められた。一方、C6では-トコフェロールにのみ細胞死の遅延効果が認められた。したがって、HV16-4細胞で認められたCa2+iの増加はLおよびNタイプのVDCC以外の経路が関与しており、また、膜脂質過酸化よりはむしろATPの急激な低下が重要であると推測された。一方、PC12では、IFRによる膜資質の過酸化が主にLおよびNタイプのVDCCを介したCa2+iの増加を引き起こし、C6では、膜脂質の過酸化によるLおよびNタイプのVDCC以外の経路を介したCa2+iの増加が細胞死を引き起こすと考えられた。

 以上のように、本論文は細胞外で発生したFRは同一のメカニズム、すなわちVDCCの活性化によるCa2+の流入により細胞死を引き起こすのに対し、細胞内で発生したFRは神経細胞の種類により異なったメカニズムで細胞死を引き起こすことを明らかとしたもので、獣医学ならびに病態生理学の学術上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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